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106. 致命的な欠陥

「あんた……リゼを知ってるのか?」

「知っているも何も。僕はね、ソラ様の助手だったんだよ」

「女神の……助手……?」

「ああ」


 イオリは淡々と続ける。


「お嬢のことは、それこそ幼い頃からずっと見ている。本当に、手のかからない静かな子だったよ」


 薄く笑うイオリ。

 その目元には懐かしむような色が滲んでいた。


「そして……ソラ様の人格と記憶を抽出し、魔法生物として構築したのも僕だ」


 世間話の延長でもするように、とんでもないことを言いやがった。


 一人の人間に、永遠に世界を管理させる残酷なシステム。

 それを作り上げたのが、目の前にいるこの男だというのか。


「君のこともよく知っているよ、颯太君。君がどんな人間で、何を抱えているのかもね」


「元の時代へ帰るといい。君の帰りを待っているだろう。お母さんも、妹さんも」


 ドクン、と胸が大きく鳴った。

 母さんとひなた。

 なんでこいつが家族のことまで知ってるんだ。


「僕は君の味方だ。君のことは、友人だと思っているからね」


 声は柔らかいのに、瞳の奥には感情の一切が見当たらない。

 一万年を生きた化け物の腹の底なんて、俺にわかるはずがなかった。


「……言われなくても帰るさ」


 俺は視線を外し、ルミナに向き合った。


「なあ、ルミナ」

「んっ? なになに?」

「元の時代に帰る術式、どうやったら発動するんだ?」


 俺の問いに、ルミナは得意げに胸を張った。


「ふふん! たー坊のギアにはもう術式をプリセットしてあるからね! あとは戻りたい時代を強く思い浮かべながら、合言葉を叫ぶだけ!」

「合言葉?」

「そう!」


 ルミナは右手を高く突き上げ、満面のドヤ顔で言い放った。


「『ターイムスリップゥー!!』……ってね!」


 ……。

 突き上げられた拳が、行き場をなくして宙に浮いている。

 部屋の中がなんとも言えない沈黙に包まれた。


「……なぁ、ルミナ」

「なに?」

「その恥ずかしいセリフ、本当に必要なのか?」


 いくらなんでも罰ゲームすぎる。

 未来の最先端技術を起動するのに、昭和のアニメみたいな掛け声がいるのかよ。


「必要だよ! なんなら、最後の『プゥー』のアクセントも判定にすっごく重要だから!」

「マジか……」


 正気を疑うところだが、こいつならやりかねない。そういう変なところに全力を注ぐ、おバカな天才だからな。


「なあ、念のためもう一度聞くけど、マジなんだな? 今ならまだ引き返せるぞ」


 ルミナの目がきょろきょろと宙を泳ぐ。


「……うそ」


 ぽつりと呟いた声は小さかった。


「やっぱ嘘かよ!」

「だ、だって……たー坊が騙されて本当にやったら面白いかなって……」


 肺の空気を全部吐き出すように、大きくため息をついた。

 もうすぐ会えなくなるってのに、何やってるんだか。


「あのさ。結局、今のやり取りで一番恥ずかしい思いをしたの、ルミナだけだぞ」


 俺が冷静に突っ込むと、ルミナは「はっ」と息を呑んだ。両手で顔を覆い、そのままぺたんとしゃがみこんでしまった。


「うぅぅ……忘れて……今の、全部忘れてぇ……」

「ターイム、なんだっけ?」

「あああああ! 言わないでえぇぇぇっ!!」


 部屋の空気が少しだけ緩む。

 マリアが呆れたように息を吐き、セシルがくすくすと笑った。


「残念だけど」


 緩んだ空気を引き戻すように、部屋の隅から抑揚のない声が飛んできた。


「一番恥ずかしい思いをすることになるのはあなたよ」


 クロスタが腕を組んだまま、冷めた目でこちらを見ていた。


「どういう意味だよ」

「言ったでしょう。あの術式には、絶望的な欠点があるって」


 クロスタは壁から背中を離し、ゆっくりとこちらへ歩み寄ってくる。


「対象の『肉体』のみが転移対象。それが、解析して分かった事実よ」

「肉体だけ……?」

「ええ。衣服も、所持品も、一切持っていくことはできないわ。つまり——」


「あなたは、生まれたままの姿で過去に放り出されるってことよ」


 ——は?


 頭が真っ白になった。

 生まれたままの姿。つまり、全裸。


 脳裏に、最悪の光景が浮かんでくる。

 この時代に飛ばされてきたあの日。

 石畳の上で、素っ裸の俺に突き刺さった大勢の通行人に奇異の視線。


 あれを、元の時代で?

 現代の、都会のど真ん中で?


 一斉に向けられるスマホ。鳴り響くシャッター音。SNSで拡散され、瞬く間に社会的に抹殺される自分の姿が容易に想像できた。

 警察に捕まるだけじゃ済まない。人生が終わる。


「いや、待てよ……」


 衣服や所持品を持っていけない。

 それはつまり——。


 右手に視線を落とす。


「ギアも……持っていけないってことか?」


 誰も答えなかった。


 俺のマナを現象に変換してくれていた、この“無限の手”。

 こいつがない俺は、ただ魔素量が多いだけの正真正銘の無能者だ。


 嘘だろ。

 それじゃあ、リゼを助けるどころか俺は、本当に何もできないじゃないか。


 「ちょっと待ってくれ! 何とかならないのか!?」


 俺は思わずクロスタとルミナに詰め寄っていた。


「だって、あの戦いの最後……一度元の時代に戻った時は、服も着てたし、このギアだって右手にしっかりついてた。だから、術式に何かが欠けてるはずだろ!」


 声が荒くなるのを止められない。

 必死の訴えに、二人の天才は重苦しい沈黙で応えた。


 ルミナがぎゅっと自分の膝を握りしめ、視線を落とす。


「たー坊の言う通りなんだ。でも……それが何なのか、ボクたちにも分からない」

「ええ」


 ルミナの言葉を引き継ぐように、クロスタが続けた。


「記録されたマナの変動をどれだけ解析しても、転移対象を肉体以外に拡張するプロセスが見当たらないのよ。まるで、最初から存在しなかったみたいに」

「そんな……ここまで来て、そりゃないだろ……」


 奥歯がぎりっと鳴った。


「なら、術式の対象を空間そのものに拡張すればいい」


 横からイオリが「そんなことは簡単だ」と言わんばかりに口を挟んだ。


「空間……?」

「そう。術式の対象とした一定の空間ごと、そっくり過去へ送り込むんだよ。そうすれば、服もギアも問題なく持ち運べる」


 クロスタの眉がぴくりと動く。


「論理的にはそうね。でも、ただでさえ複雑怪奇なこの時間跳躍の術式に、空間拡張のロジックまで組み込むなんて正気の沙汰じゃないわ」


 イオリを睨みつける視線が一層鋭さを増す。


「少しでも計算が狂えば術式は自壊する。彼が時空の狭間で塵になってもいいと言うの? まあ、私は構わないけれど」


「心配いらないよ」


 イオリは柔らかな微笑を崩さなかった。


「その対象の拡張部分はこちらで対応しよう」

「そんなことが本当に可能なのか?」

「可能だよ」


 イオリは俺から視線を外し、部屋にいる全員を見回すように言った。


「君たちが『女神の代行者』と呼んでいる人物。その力を借りる」

「代行者の……」


 思わずマリアと顔を見合わせる。

 この街の中枢で、消えた女神の代わりにシステムを維持している謎の存在。


「じゃあ、その人に会わせてくれ。直接話がしたい」

「それはできない」


 イオリは即答した。


「訳あって、今は姿を見せられない状態なんだ。でも安心して。話はついているから」


 話がついている。

 姿も見せない代行者の存在に、胸の奥がざわついた。

 本当に、そんな不確かなものに命を預けていいのか。


 でも、頼るしかないのも事実だ。


「……分かった。その代行者がやってくれるとして、どのくらい時間が必要なんだ?」

「時間は必要ないよ。ただ、場所を変えてもらう必要がある」


 イオリは淡々と続けた。


「ローセルの聖堂に集まってほしい。そこの『女神の間』なら、代行者が力を振るうことができるからね」

「ローセル?」


 隣で聞いていたマリアが怪訝そうに眉をひそめた。


「どうしてローセルなの? 女神の間なら、この中央の聖堂にもあるじゃない」

「中央は人が多すぎるからね。それに君たちの事情を、一から説明しないといけない」


 イオリは肩をすくめた。


「ローセルの方が君たちにとっても都合がいいはずだ」


 都合がいい。

 その言葉で、ローセルにいる顔ぶれが脳裏に浮かんだ。

 エミリア。ルーティ。

 最後に顔を見ておきたい相手が、あそこにはいる。


「出発は明日だ」


 静まり返った部屋に宣告するようにイオリは言った。

 彼はゆっくりと出口へ向かって歩き出す。すれ違いざま、俺の肩をポンと叩いていった。


「明日の正午。別れを告げるなら、それまでに済ませておくようにね」


 明日。

 ついに、この世界を去る時が来る。


 俺は右手のギアをぎゅっと握りしめた。

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