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異世界転移の方程式  作者: 朱
9/9

魔王の行軍 その肆(前編)

【魔力嵐の魔女Ⅲ】

 実際――

 魔力嵐というのは、《此の世界》の人間が言う所の“神の御業”などではなく、其の原理は科学的に説明可能な只の“自然現象”に過ぎなかった。

 大気中にも微細な粒子となって存在する魔力で溢れた此の世界。全ての生き物はごく自然に酸素と一緒に魔力を取り込み、人も例外では無い。

 そして、時間を掛け体内に蓄積した魔力を操れる人間も現れた。

 生まれつき魔力を持った者など居やしない。

 其れが《此の世界》なのだ――

 世界のありとあらゆる場所に無尽蔵で存在する魔力の粒子だが、或条件が揃うと局所的に濃度が高くなり空間に僅かだが歪みを生じさせる。

 其処に向かって周囲の魔力粒子が引き寄せられ、流れ込む魔力の勢いで次第に渦を巻くようになる。

 そして渦が更に魔力を取り込み成長すると、渦の中心に台風の目にも似た“虚空”が出現する事がある。

 此れが一般的に魔力嵐と呼ばれ、其の正体は自然発生する《異世界転移陣》だった。

 《異世界転移陣》が現れる条件は根気強く観測を続けた結果、“月が青い闇の魔力で完全に満たされる日中”と判明した。

 紅い光の魔力ではいけない、青い闇の魔力で無いと。理由はさっぱりだけど、まあ別にそんな事は重要では無い。

 “次の魔力嵐は、いつ、何処で起きるか”

 知るべきは此の二つだけだ。

 次に発現場所に関してだが、一応工房から出られない身の上では、自ら足を運んで調べる訳にもいかない。ただ、工房の真下に書庫代わりの地下室があった。本邸にはちゃんとした書架室があるにも拘わらず。

 まあ、だいたいの予想はついた。

 だからこっそり“床抜けの魔術具”を拵えて、深夜を待って書庫に忍び込んだ。

 残念ながら工房に掛けられた結界は地下にも有効だった。お陰で移動範囲は限られたが、幸いにも必要な資料は手に入れられた。

 先代領主は随分と研究者肌の人物であったようだ。分厚くなった手記が三冊、他に大陸中から掻き集めた文献や資料は言い伝え等のあやふやな情報迄、全て拾いまくったようだ。

 分析と考察に仮説の矛盾を無理矢理魔法を絡めて辻褄合わせる所は落第点だが、此れだけの情報があれば充分だ。

(ありがとう先代領主殿。お陰で大いに役立ったよ)

 あんたの子息はてんで駄目な領主だけど

 さて。

 手に入った情報を精査した結果、発現場所は以下の三箇所に限られた。

 南半球海洋上

 北大陸の大火山地帯の噴火口

 そして、当公爵領内

 という事は、魔力の無駄遣いまでして外に出ていく必要は無い。時機が来る迄此処で大人しく待つとしよう。

 こうして観測と過去の文献から調べ上げ、地道な探究作業の末に謎多き魔力嵐の真実が明らかになると言うのに、此の世界の人間は全く以て魔法や魔術に依存し過ぎだ。

 だから魔術師の言う所の“魔王の力の残滓”等と何の根拠も無い、くだらない暴論がまかり通るのだ。

「と、此処に閉じ込められてる限り、誰に届くわけでも無いけど……」

 其れに一々間違いを指摘して教えてやる義理も無い。異世界人の残念至極な勘違いは、寧ろ此方には好都合だ。

 此の世界に落とされて、魔女は対価として払った犠牲以上の、破格の魔力量を手に入れた。そして“創作の魔術”を覚醒させた。何かを創り出せば出す程、魔力のレベルも格段に上がっていった。

 だが私は科学が示すものしか信用してない。魔法も魔術も神秘も神も奇跡も、曖昧模糊なものは私には不要だ。

(生き残る為に)

 自然現象であるならば、魔力嵐にも使い道が生まれる。

(生きて還る為に)

 そう。私は還るんだ、元居た世界へ。

「必ず、借りを返してやるんだから……」

 先ずは一発、ぶん殴って遣らないと気が済まない。

 その前に。一つ片付けて置かないと。

「立つ鳥跡を濁さず、とか言ったっけ」

 そろそろ仕掛けようか

 意趣返しを―――


 次に青い満月が現れる日を割り出したシュルニィツカは計画の決行日と定め、意趣返しは其の前日とした。

 昼食を終え、女の召し使いが食器を下げに工房を出入りした後は大抵、夕方迄誰も来ない。

 召し使いが工房を出てすぐに扉の鍵を掛ける音がした。薄く絹よりも薄く魔力を伸ばして四方へと広げる。壁をすり抜けて外へと更に広げて慎重に気配を探る。

 周囲に誰も居ない事を確かめてから鏡台の前に座り、櫛や化粧瓶に髪飾りの類いに紛れ込ませて置いた卓上型の鏡を手に取った。

 両手が隠れる位の真四角に切り出し、上から下へ稍厚みを持たせた木の板に鏡面を嵌め込んだだけの、飾りっ気の一切を失くした自作の鏡はもう一つ在る。

 手にした鏡に向かって短く、呪文を唱えた。《此の世界》では呪文に聞こえるだろうな、なにせ《日本語》なんだから。

『真実はまやかしに』

 すると鏡面に映って居た私が消え、全く違う景色を映し出した。

 染みまみれの板壁。板張りの床に、摺り切れて所々毛が抜けたり薄くなった敷物が広げてあるが、床全体をカバーできて居ない為に大した効果は期待出来ない。

 部屋の扉から離れた壁に寄せて、粗末なベッドが一つ。古ぼけた帆布を何枚も縫い合わせて袋状にした中に、麦藁を大量に詰め込んで僅かに厚みを作り、擦り切れ黄ばみの酷いシーツを掛けた。脇にはサイドテーブル代わりに小さめの木箱をひっくり返し、持ち手の付いた燭台が置かれてる。昼間だから火が灯されて居ないが、北向きの窓は小さいので室内はあまり明るくない。鏡面の左端で淡い金色の光がポウっと灯っては消えてを繰り返すのが見えた。

 不意に、画面いっぱいに金色の光が視界を塞いだ。魔法鏡の不具合かと焦ったが、良く見れば

(なんだ、魔力瓶か……)

 液化した魔力の金色に輝く高濃度の粒子が狭い硝子瓶の中で明滅を繰り返しながら漂って居た。其れが魔力の主である少年のようにも、己の身上のようにも見えた。

(たとえ元の世界に還れたとしても、私は別の魔力瓶に閉じ込められるだけ)

 此のまま、此の世界でずっと暮らしていくのも……

 過った想像は頭を振って打ち消した。

(だめ)

 彼奴らをぶっ飛ばす、でないと此の腹の虫が収まらないだろ。

 忘れるな私

 鏡面が映し出す映像の限りでは、調度類は少年から聞いて居た通りの位置に在った。という事は、今魔法鏡は文机モドキの上に置かれてるのか。

「此れは丁度良い」


「………っ」

 魔力瓶を倒してしまわないように左手で抑えながら、右手を瓶の口に添えて魔力を右手に集める。すると瓶の内側に刻印された魔術式が魔力に反応して勝手に吸い出していく。

 何度見ても不思議な光景だった。瓶の中に溜められた魔力は液体の様に見えて、揺らして居ないのにずっと金色にきらきら光ってる。

 でも一度瓶から出てしまうと、霧になって空気に溶けて消えてしまうんだ。そうなるともう“使い物にはならない”って旦那さまが言ってた。

 《魔力奉仕》

 最初は一日に三本迄が限界だったけど、今は十二本位に迄増えた。けど……

 最近、一気に魔力を満たす事が難しくなったみたい。

「ふうっ……」

 半分、くらいかな……

 やっぱり。

 昨日よりも時間が掛かってる。それに魔力を吸い出された後、頭がくらっとするようにもなったし。時々だけど………。

 うっかり落として壊さない様、慎重に瓶を持ち上げて入った量を確認する。“にいさん”の顔が浮かんだ。

『お前にも解るさ、嫌でもな』

 魔力を吸い取られて空いた身体の何処かに不安な予感が溜まっていく。背筋がゾクッとした。

 其の不安は恐怖に変わる。

 恐い

 此のまま魔力瓶に溜める量が減り続けて、いつか魔力を全く出せなくなったら、僕はどうなるの?

 此処を追い出されちゃうの?そうしたらシュルニィツカにもう会えなくなるの?

 シュルニィツカと交わした約束は?

 僕はけっこん出来なくなるの………

 ふと視線が文机の方角を向いて止まる。まだ二本だけ満たし終えた魔力瓶の其の奥に、卓上型の鏡を置いてある。

 シュルニィツカからの誕生日祝いの贈り物。僕の、たった一つの宝物だ。

(大人になるまで、僕は此処に居なくちゃ)

 そして今度はちゃんと求婚するんだ。

 シュルニィツカの好きな青いレッシィの花で大きな花束作って、僕の気持ちを受け取って下さいって渡すんだ。

 シュルニィツカが頬っぺたをほんのり赤くして、嬉しそうに花束を受け取ってくれる。そんな想像に、思わず笑みが零れる。

 だが扉を蹴り付ける大きな物音で、少年は否応なしに現実に引き戻される。

 扉の向こうで若様が「何を遣ってる、此ののろま!さっさと出て来いっ」僕を呼んで居た。対応が遅いと、もっと罵しられて鞭で叩かれる。

「はいっ!只今っ」

 少年はまだ満たし切れて居ない魔力瓶の口に仮止めの木栓で封をして、何気なしに鏡のすぐ近くに置いた。

 目の前に置かれた瓶越しに部屋の様子をじっと伺っていたシュルニィツカは、少年が此方に向けた微笑みに心臓が縮み上がった。

(吃驚した……まさか気付かれた訳じゃ、無いわよね)

 まだ落ち着こうとしたがらない心臓の音を感じて、顔の火照りも引いて行く気配を見せない。

 更にもう一本魔力瓶が置かれて視界が狭められ、鼻に皺を寄せたがすぐに気が付く。

(此れは、まだ全部も溜ってない)

 鏡面の端に扉の一部が映り込んでまた消えた。

 いち、に、さん、よん

 五つ数を数えてから『とおりゃんせ』と魔法鏡に向かって唱えた。其れから右手を鏡に向かって差し出す。

 ゆっくり、鏡面に触れた指先が鏡の向こうへと通り抜ける。

 少年の部屋にある鏡から女の細い手が突き出して居るのを誰かが目にしたら、さぞかし大騒ぎになった事だろうが。

 手だけでなく手首から肘まで鏡面を通り抜け、シュルニィツカはさっき置かれたばかりの魔力瓶が良く見える様に、鏡の枠を掴んで少し横へずらした。

 其れから人差し指と中指を揃えて魔力瓶の口へと近付け、『開け』と唱えた。仮止めの木栓がキュッキュッと擦れる音を鳴らしながら勝手に動き出し、瓶の口から抜けていく。

 抜け出た木栓は瓶のすぐ足元にコトンと落ちた。シュルニィツカは瓶の口に手を翳し

(あたしの魔力もあげるよ、馬鹿息子)

「性質の違う魔力が交ざると良くない事が起きるんだろ、公爵様よ」

 シュルニィツカの魔力は真赤。燃える炎の様な赤の小さな滴となって魔力瓶に吸い込まれる。

 ぽたり。

 半分程しか入って居ない少年の、金色の魔力液の中に落とされて一瞬、白く輝いた。

 其の後は何事も無かったかのように、少年の魔力液は変わらず金色に輝いて居る。再び木栓が動き出し、仮止めの封が為された時には魔法鏡に生えてた腕も消えて居た。

 此れで魔力瓶が一本、穢れた。数ある中のたった一本。其れを公爵の息子がいつ飲むかなんて知らない。そんなのどうでもいい。

 いつか公爵の息子は其の一本を飲んで、魔女の魔力を取り込む。

 其の未来が確定しただけだ。

 唯一残念なのは、其の瞬間を直に見届けて遣れない事だが。まあいい。

「あたしを閉じ込めたりするからだ、ざまあみろ」

 工房の中で独り、シュルニィツカは嗤った。


 翌、陽が昇り始めた白い朝。

 シュルニィツカは水棲精霊カエルが棲むと伝わる池の畔に立ち、歓喜の声を上げて居た。


 夜明け前。

 工房を覆って居た結界が建物ごと爆音を上げて粉微塵に破壊された。舞い上がる粉塵煙の中から魔女シュルニィツカは飛び出し、遂に脱出を果たした。

 此の世界に初めて足を着けた場所を目指し、スケートボードに模した低空飛行型の魔術具を走らせる。だが此の大きな物音に公爵が気付かない訳が無い。直ぐ様追手が差し向けられた。

(想定内よ)

 他にも準備して置いた高速移動可能な魔術具を出し惜しみせず次々に使い、あっという間に振り切ってみせた。追手は公爵一族とは違い、魔力が使えた。魔女を無傷で捕縛しろとは命じられても居ないようだ。

 魔術攻撃も容赦が無い。

 そういう時は、使い終わった魔術具にちょっと余計な細工を加えてから後方へぶん投げれば良い。ほら、暴発した魔術具が起こす爆風に巻き込まれて脱落していった。

 全ての魔術具を消耗し切った所で漸く追って来る者は居なくなり、《魔力嵐》の出現予測地点で有るカエル池へ辿り着いた時には、既に水面の遥か上空で魔力渦が出来始めて居た。

 地上でも激しく風が吹き上がり、カエル池の水面を激しく揺らした。水面から青色魔力の水泡が音も無く浮き上がり、次々に上空の魔力渦へと吸い込まれていく。

 カエル池だけでは無い。池を取り囲む森の彼方此方から緑や黄色に茶色、灰色等様々な色の魔力が魔力嵐に成長した渦の中心へ吸い寄せられて行った。

 魔力嵐の中心は虚空らしく真っ暗い。緑も黄も茶も灰色も、虚空の暗闇に呑み込まれて見えなくなった。

 まるでブラックホールじゃない

 心内で呟いた瞬間、唐突に《門》が現れた。真っ暗闇の虚空が眩いばかりの銀色に輝いて、複数の鐘を不協和音に鳴らした様な轟音が響いた。

 すると堅く閉じられた銀色に光を放つ門扉がゆっくりと、奥へと開き始めた。

 ガランガランゴロンガラン。

 大音量の鐘の唄は続いて居る。だが其れは長くは持たない。興奮して手が震えて居るのを一度、両頬をパシンッと叩いて大人しくさせた。

 震える指先では飛翔魔法の術式を正確に描けない。時間がないのだ。

 魔力嵐の出現時間もだが、公爵の放った追手の第二陣が間もなく辿り着くだろう。あの男が諦めるとは思えない。

 指先に魔力を集めて、宙に簡易版の魔法陣を素早く描いて発動させる。ふわり、足が地上から離れて空を目指す。

 上へ、上へ。もっと、上へ。魔力嵐の引力に己の魔力が引っ張られる感触を認めて、益々高揚していく。

(あたしは、帰るんだ。漸く……)

 元いた世界へ!《地球》へ!

 なのに突然、少年の顔が脳裏を過った。あの日交わした約束を思い出してしまう。途端に胸がじくじくと傷んだ。

(馬鹿っ、何思い出してんのよ)

 もう引き返せない。もう二度と会う事は無いのだとそう思った途端、下唇を噛んで居た。

 こみ上げて来るのは……後悔?

 目頭が熱い、溢れてしまいそうになるものを必死に堪えた。

(違う……此れは、違うんだから……)

 目を瞬かせて余計に零れそうになったのを押さえようとして、ふと視界の端に何かが映り込んだ。不思議に思ったシュルニィツカは左手を見つめた。

 左薬指に、何かが絡まってる?

 細い糸?

 いや……糸の様に見えて、其れは赤く光って居る。幾巻きにも絡み付いた赤い糸の様なものは更に薬指から伸びて、ずっとシュルニィツカの後ろの方へと続いて居た。

 魔力嵐が起こす魔力を吸い込む激しい風に逆らって、ゆら~りと揺れて居る様子をうっかり見入ってしまった。

 声がした。

 鐘が喧しく打ち鳴らされる中でも耳に届いた声は、魔力嵐の魔女を振り返らせた。

(ああっ……!)

 魔女は異世界で“愛”という言葉を知った。


 ※注釈:精霊泉の一つ、通称カエル池。猛烈に人見知りの激しい水棲精霊カエルが泉の底でひっそり暮らして居るらしい。ただ一度だけ、当時の領主に目撃され、彼女の証言を基に描かれたスケッチが残されて居る。現在は地下室に収納してあり、其れを目にした或る者は「プレシオサウルスにしか見えない」と感想を漏らしたそうだ。


【《魔王の行軍》討伐支度 各地Ⅲ】

―アーミャヒの採集問屋ホルモン

 ホプステプを発って三日、南東のアーミャヒという小さな町に到着した。早速俺は町の問屋に向かったんだが………。


『臨時休業のお知らせ

 当出張所は《魔王の行軍》発生に伴い、真に勝手ながら暫く営業をお休み致します。営業再開の時期につきましては、討伐完了の後追ってお知らせ致します。尚、本店は営業致します。御用の際は此方を御利用下さい。

 採集者のみなさまへ。アッホイ商会は未登録の採集者も対象に、臨時避難所を開放致しました。場所は以下の通り……』


『まじか……』

 まさか《魔王の行軍》とやらの影響がこんな形で自分に降り掛かって来るとは思ってもみなかった。

 堅く閉じられた門扉の前で立ち尽くして居ても仕方ない。頭を切り替えよう。

 門扉に貼られた紙面の下部分を確認し、次の目的地は此処から一番近い中都市のファラワーを選んだ。

『だけど……』

 果たしてファラワー迄金は持つだろうか。

 町に寄る度に高級ヴィアのスイートルーム級の部屋を用意されて、其れは其れは結構なお値段の代金を支払った。

 確かに。高級ヴィアに一度は泊まってみたいなあ~と思ったけどさ……

 流石に立て続けに宿泊するのは懐具合には厳しいものがある。幾らぬっくぬくの懐だって新幹線並の速さで金が出てしまえば、すっからかんで冷え切ってしまう。

 どうにかして出費を抑えるには矢張、村も町も避けて行けるルートを探るしかない。

 ホプステプで買って置いた地図を広げて、ああでもないこうでもないと悩んだ末に、往来の激しい新街道より移動距離が短い旧街道ルートを選択した。


―神魔戦争の主戦場跡地、通称“癇癪が原”

「ええっと……何なに?『《暗黙》地域西端の町タンからラウイ河の大平野ニールナーシェンへと至るハンゼーン旧街道は、ハイウェルフ帝時代に新街道が開通されてから交通量は激減したものの……へえ……」


 『古道の歩き方 ハンゼーン旧道編』サニカ・クーエンス著

   第四章 癇癪が原と神魔戦争


 今や欠かせない旅の供となった黒毛のゾーンに跨がり、ハンゼーン旧街道をひたすらファラワーを目指すニュートンはA5サイズの冊子を広げ声に出して読んで居た。

 旅行好きな富豪サニカ・クーエンスなる人物が趣味の延長で執筆したという、旧道古道シリーズの一冊だそうだ。

『ハンゼーン旧街道を行かれるのでしたら、此方を是非に』とヴィアの支配人はかなり強めに推して来たので、アーミャヒを発つ前に買ってみた。読んでみれば、まあ所謂、観光案内書だった。

 因みに、アーミャヒでは格付けは中級のヴィアに泊まった。スイートルームは無かったけど、ヴィアの中で一番広い部屋に案内され、此処でも専属の召し使いは付いてきた。

 貴族じゃないのに本当……すいませんっ

 とは言え、翌日からのファウラー迄ずっと野営するんだと決めた俺は、贅沢な一夜を思う存分堪能する事にした。

 其れは本当に、ニュートンにとって最後の贅沢な夜となった―――


 “ハンゼーン旧街道を通ってファウラーへ向かう”

 さて、此の選択は良かったのかどうか……。

 実際には旧街道と新街道、二階建て分の落差がある崖の上と下に在った。

 地図上では随分と離れて描かれてあるから、てっきり別ルートになるんだと思ってたんだけどなあ。

 見上げた崖上の新街道から良く駆け抜ける車輪の音や人の声が聞こえて来るが、此方に気付いた様には感じなかった。

 もしかしたら、崖の縁に沿って続く低木の植栽が目隠しになってるのか?

 ともあれ、ゾーンを連れた自分に気付かれる心配は無さそうで正直、ホッとして居る。だから周囲を観察する余裕が生まれた。

 旧街道の両側は一方が崖の岩壁、反対側は森。時々、森が途切れて沼や湖にアレックス川を望めた。

 其の森や澱んだ沼には御決まりの魔物が潜んで居た。

 然し。沼から粘液系毒を吐く魔物がぴょ~んと飛び出して来ても、ゾーンの一蹴りで返り討ちに遭って小さな魔石に姿を変えられたり。犬型魔獣の群れが森の暗がりから奇襲を掛けようとも、ゾーンが吐き出した火炎放射で見事な丸焼きの肉塊に変えられたりで俺の出る幕は無い。

 いやあ~凄いなあ、ゾーン君は。

 うん?雄……で合ってる、よな……

 香ばしい肉の焼けた匂いを幾ら振り撒こうが、魔獣は魔獣だ。勿論、口になどしない。

 ……其処まで食い意地張ってないからなっ

 さて。

 魔獣が潜んで居ると判った森の中は避け、旧街道の崖を背にして眠った夜も、ゾーンが側に居るってだけで物凄く助かった。

 流石は神の仔だなあ~。夜行性の魔物だか魔獣だかの気配はしても、決して近寄っては来なかった。お陰様で俺は野宿なのに毎晩ぐっすりと眠れて居る。

 平穏無事。全く以て、ゾーン様々だ。

 アーミャヒを出てゾーンの背に揺られ旧街道を進む事、二日経った。あと半日程でもうファラワーに到着かという所で、新街道と旧街道は漸く別れ別れになった。

 其処から少し進むと神魔戦争の舞台となった主戦場跡地が見えて来るのだという――


 “――こうして神魔戦争の最中、新たに神や魔物が次々と産まれました。特に新種の魔物が繰り出す未知の攻撃に対応が追い付かず、ディート神軍は次第に統率が取れなくなっていったのです。此処で戦局は一気に邪神優勢へと傾きました。

 形勢を立て直そうとディートの末息子デカントが後衛の陣から飛び出しました。功を焦った彼はあろう事か、手製の魔法爆弾を戦場全体にばら蒔いてしまうのでした。

 球状の其れは衝撃を受けると弾けて、各々異なる属性の攻撃魔法を発動するので癇癪玉と名付けられた、実は未完成の魔法だったのです。

 幸いにも戦場にばら蒔かれた癇癪玉の内、起動した物は僅かでした。其れでも敵味方の区別無く、多くの神魔が死傷したと神話に記されて居ます。

 残りの癇癪玉は蔓植物型の魔物ウォルウォラが魔力欲しさに蔓で絡め取り、融合してしまいます。ウォルウォラは蔓をただただ伸ばして魔力をちょこっと吸うだけの低級魔植物から、地雷型爆弾の中級魔物へと変貌を遂げてしまいました。

 今も戦場跡の広域に渡ってウォルウォラが生息して居ます。斯く言う私も、一度だけ戦場跡地に足を踏み入れた事が有ります。

 勿論ウォルウォラの生息調査の為――お仕えする主の命に従っての事でしたが、読者の皆様方は決して真似等為さらぬように。……”

「命あっての物種ですから、街道の縁から眺めるだけで良しとしましょう……?ええー」

 締め括りの数行を声に出して読んで、もうすぐ見えて来るだろう主戦場跡の方角へもう一度目を向ける。

 でもなあ……

 そうは言うけど、嗚呼いや、書いて在るけどさぁ。

「明らかにあれって、中に入ってるんじゃあ」

 旧街道から外れた右手の上空に、大きな大きな水の塊が浮いて居るのが見えた。


 視界いっぱいに広がるのは、嘗て神族と魔物を従えた邪神とが壮絶な戦いを繰り広げた舞台、癇癪が原。神魔戦争に加わった其の多くが尊い命を落とした場所。今でも夥しい数のヒトとも魔物とも知れぬ白骨が、丈の低いナム草の隙間から見え隠れして居る。

 其のナム草の茶焦げた細い葉を編み込んで出来た台座の上で、蔓の柄が入った丸い種子は“其の時”をじっと待って居た。

 《中級魔物ウォルウォラ》

 発芽する迄は只の植物、何の害も無い只の植物。然し或る条件を満たして発芽するや中級魔物として覚醒し、勢い良く蔓を伸ばして魔力を持つ生物を捕まえると同時に種の部分は一気に膨らみ、破裂する。その際に火・水・氷・嵐・雷・地の属性魔法の何れか一つが無作為に発動させ、ウォルウォラ自身は其処で生涯を終えるという、大変傍迷惑な事此の上無い。

 だが殺傷力はなかなかに高い。稀有な生態を持つ脅威の生き物だ。

 そんな危険極まりない魔物の生息地に今、何をとち狂ったか二人の男女が足を踏み入れて居た。

 お互い向かい合った状態で、先ず旧街道に近い位置で癇癪が原を望む様に立つのは、大杖を手に魔術で出現させた魔木の複雑に絡み合った太い根の上に乗った若い女魔術師だ。

 数ある冒険者ギルドの大手、シル・クロードに所属するクラン《あまいもの》の副長ネィリ・コモ・マーリン、十六歳。誰が呼んだか、二つ名が“絞め殺し”。

 片や癇癪が原の中心に背を向けて三十代もそろそろ終わりかという男の方は、同じく《あまいもの》の班長である。であるのだが、全く以て残念ながら見苦しくも只今、彼は往生際も悪く最後の足掻きを試みて居た。

「う、動くなよっ!動いたら……此れを、彼処へ落とすからなっ、ほんとに遣るからな!」

 此方は平たい岩場の上に立って片腕を高く天に向かって上げた其の先には、小さな水の塊が浮かんで居た。

「班長。ウォルウォラは植物ではありません、こう見えて歴とした魔物です。お水をあげても花は咲きませんよ。寧ろ大変な事になりますから」

「んなこたあ知っとるわ!」

「そうですか。では良かったです」

「良かっ……た?」

 こいつは何を言ってる。

 訳が判らず最初は眉を顰めた班長だったが、ハッとして声を荒げた。

「違ぁうっ!」

 はて?

 ネィリは不思議そうな表情で首を傾げた。本当に、解って居ないらしい。

「俺はっ、遣るっつったら遣る、って言ってんだぞ!此れを見ろよっ」

 脅しじゃねえぞー!本気だからなあっ

 喚き散らす班長をじっと眺めて居たネィリが「あ」と声を上げた。そして大杖を握る手に、もう一方の手を合わせて

「喉が乾いたんですね」

 やっと正解に行き着いたと、大変満足気だ。

 だが実際には、正解よりずっと斜め上な答えに辿り着いてしまって居る。

「どうしてそうなるっ!」

「あっはははは!」

「笑うなっ!」

 《あまいもの》のトップ二人から少し離れて、ハンゼーン街道の端で盛大に大笑いしたのは、犬の若い獣人だった。彼もまた《あまいもの》のメンバーで斥候と射撃担当の、名はルオンと言った。

「ルオン、静かに」

 ネィリに言われて、胸に手を当て上体を傾けながら「失礼しました」と応える。が、稍丸みを帯びた淡い茶色の獣耳はピンと立ったままだ。顔を上げれば、自慢の犬歯が見える位ににんまり笑って居るではないか。

 到底反省したようには見られない。現に灰色の両瞳は、お二人の遣り取りがとっても愉しくて仕方ないと雄弁に語って居た。

 赤いチョーカーにぶら下げた小さな銀の飾りが陽光を反射して光りながら揺れた。

「自分の事はお気に為さらず、どうぞどうぞ」

 どうぞと言われて再び班長に向き直り、ネィリはもう一度同じ事を口にする。

「班長、年貢の納め時ですよ。皆、待ってますから」

 其の後に続いた一言は

「さっさと其の水を飲んで行きま」

「だから違ぁぁぁぁぁう!」

 叫んだ拍子にうっかりして上げた腕を揺らした。其の振動は頭上の水球にも伝わり、跳ね飛んだ水滴が一つ、ぽたりと自身の足元に落ちた。班長の立つ岩の表面に丸い染みが描かれる。

「!!」

(あ……っぶねえ)

 一瞬で背筋が凍り付いた。もし――もし此の一滴がすぐ側の種子の上に落ちてたら、間違いなく俺の人生は終わる。そうだ、そうなんだよ……

「俺はな」

 お前等とは違うんだよ

 俺なんて所詮、運が良かっただけの何の取り柄も無い男だ。剣の腕っつったって人並み程度。よ~く解ってるさ、そんな事!

 せいぜい下級魔物を狩れる程度だって事はよ……

 だから腰に提げてる両刃剣は、聖剣でも伝説級の名剣でも無いし魔剣なんぞまず扱えやしねえ。それどころか、俺程度のレベルじゃ魔剣の覇気に飲み込まれちまう。何の変哲も無い、只の鉄剣だぞ。

 なのに、そんな俺が上級クランの班長をやってんだぜ?ぜってえ可笑しいだろ。

 戦えるレベルを遥かに超える魔物を相手に、俺が出来る事と言ったら

 “魔物からひたすら逃げる”か

 “気絶して其の場に転がってる”か

 死に物狂いでノドイホールの迷宮探索を終えて、やっとの思いで町に戻ってみれば、今度は《魔王の行軍》が現れたから討伐するんでミーレントスへ集まれ?

 冗談じゃねえぞ!

 栄誉だ?報奨金が出るだ?んなもん要らねえっ!人間、命あっての物種だ。

 空いた手でバンッと自らの胸を叩き、大きく背を反らして言った。

「嗚呼っ、お前らは良いよなっ、どんな上級魔物が相手でも余裕で倒せる上級冒険者だもんな!だけどな俺はっ、剣術は平凡で、魔力も術も技も平均以下のショボ~い低級冒険者なんだぞ。俺程度の冒険者なら其処ら辺にゴロゴロしてるだろがっ」

 ネィリもルオンも班長の言葉に揃って目を瞠った。

「なのに俺が《あまいもの》の班長って……何だよそら、おかしいだろ!ええっ」

 言ってやった。然し、ルオンはやれやれまたかと息を吐き、ネィリは益々解らないと首を傾げただけだった。

「おまけに、《魔王の行軍》が現れたから討伐しろだぁ?……特級やら上級やらの魔物を退治しろだと!?嗚呼そうだよな。お前らはいけるさ、片手捻ってちょちょいのちょいだろ、だが俺は違う!んなのに参加したら絶対死ぬ、一秒で殺られる。瞬殺間違いなしだッ!」

「班長ー。其れは胸張って言う事じゃ無いですよ」

「煩いっ!此処で胸張らなくて何処で胸張れんだよ!」

 俺は弱い。誰よりも俺自身が其れをわかってる。冒険者として自信が持てるぐらい実力がありゃあ、こんなに情けない事言うもんか。

「冒険者やってるからってな、必ずしもみんなが死を覚悟してる訳じゃねえんだ。俺は死ぬのは御免だ!最初(はな)から殺られるって解ってんのに、んな討伐にホイホイついていくわけねえだろ!」

「ギルド長に怒られますよ?」

 眉根を寄せてネィリが咎める様に言った。当然だ、《あまいもの》の班長が先頭切って戦線離脱を宣言したのだから。

 なのに間髪入れずに班長が言葉を返した。

「だから命懸けで逃げてんだろうがっ」

「いや、命懸けって……」

 ネィリも斜め上の発言になりがちだが、“今”の班長は過小評価が過ぎるせいで此方もおかしな方向へ話が逸れてしまう。

 参ったなと額を掻きながら、そろそろ出番かなーとルオンは息を吐いた。

 シル・クロードの大黒柱である我ら《あまいもの》が他のギルドの手前、遅刻は宜しくない。

 何より先にミーレントスへ向かった仲間が班長の“帰還”を待って居る。

 待ちくたびれて御機嫌斜めになってるかも知れない。特にリッフィ姐さんから『遅い!』と開口一番、拳骨を喰らうのだけは勘弁して欲しい。

(だけど………)

 正直、此の二人のじゃれ合いは見てて楽しいんだよなあ

 班長を強制的に起こすべきか、此のまま自発的に目覚めるのを待って遅刻するか。躊躇って居るルオンの頭上で声がした。

「うわぁ……。え、あの人達大丈夫なんですか」

「!!」

 突然の事で飛び上がらんばかりに驚いた。獣人である自分が、足音も匂いも気配さえも察知出来なかったなんて。

 信じられず、相手の正体を知ろうと声のした方へ首を巡らすと、目の前には大きなゾーンの黒い体毛に覆われた胴体があった。

 一瞬頭を過ったのは《残虐貴族》の妖精族の男だったのだが、事実は予想を遥かに超えて居たようだ。

 ゾーンの胴体にぷ~らんと垂れる人間の足に沿って視線を上げれば――

「ええええ!」

「おわっ!……吃驚した~」

 神の仔の背に、見た事の無い男が目を瞬かせて此方を見下ろして居た。


 嘘だろ―――

 一通り話を聞いた俺は、心の中で叫んだ。両手で頭を抱えて「オーマイガァー!!」と何度も連呼しちゃあのたうち回る、心の俺であった。

 ルオンと名乗った犬の獣人から

「ゾーンは人を乗せる事は無い。騎乗が許されてるのは皇帝一族位だ、其の敷物の紋章は三本角の山羊が無いから多分、白爵の簡略紋章だと思う。白爵は皇帝一族の外戚だから、きっと」

 白爵の顔を知らない地方の帝国民は、俺を白爵ウォルフラムと誤解したかも知れない?!

 ルオンは眉尻を下げて、《暗黙》周辺の街で騒ぎになってたあの噂の元は彼に違いないと確信した。

「でもなんで俺、乗れてるんだろう……」

「さあ……」

 自分に訊かれてもねえ。ふとニュートンと名乗った彼の黒髪に目を止めて、一つの可能性だけどと前置きして思い付いた事を口にした。ルオンが幼い頃に祖母から聞いた話で確証は無いけど。

「ヨウル大陸の民はゾーンを操る力を持って居る、そういう種族があると聞いた事がありますよ」

「へ……へえー」

 ルオンさん、御免。俺はヨウル人じゃないので、其の可能性は当てはまらないかと。

 多分…………。

 兎にも角にも。

 こいつの背から一刻も早く降りるべきなんだな。よし、解った。

 手綱を引いて歩き旅に切り替えれば良いんだな。此れで行く先々、過剰な饗を受けずに済むのかと安堵する一方で、其れは其れで勿体無いかなあと思う自分に笑ってしまった。


「ちくしょう……」

 癇癪が原に逃げ込んでウォルウォラを人質に隙を見て一つ二つ破裂させりゃあ、こいつらが混乱して追跡から逃れられると目論んだが……。

(どうして上手くいかないんだ!)

 うん?……まさか

 ネィリの事だ、肝心の脅しが脅しだって気付いてねえってのか、おい。

「そりゃ無いだろぉ……」

「班長は死にません、絶対。瞬殺なんて事にはなりませんから安心して下さい」

 至極真面目な顔でネィリが大丈夫を繰り返すが、班長には信じられない。

「いい加減な事を言うなっ!」

「だから一緒にミーレントスへ行きましょう。ギルド長からも“全員揃って”向かうようにと言われてますから。皆、班長を待ってますよ」

「嫌だ、俺は行かねえ」

「お弁当、持って行きますよ?」

「はっ、食いもんで俺は釣れんぞう」

「そうですか……じゃあ、おやつも用意しましょう」

「なんでだっ!」

「一人、此れ位の菓子袋一つ分で」

「そうじゃない!……なあネィリぃ。見逃してくれよぉ。養父(とう)さん、一生に一度の頼みだ!な、此の通り、見逃してくれ!」

 両手を合わせて頭を下げる。

「と、とうさん……?」

 という割にはあんまり似てないと思うんだが。ずるずると稍格好悪くゾーンの背から降りながら、つい口にした俺の疑問にルオンが簡潔に説明してくれた。

「嗚呼、まあ色々とあって班長が養子として引き取ったんです」

「色々……」

「色々です。其処はまあ、省きますね」

「はあ……」

 彼等は冒険者ギルドでもトップクラスのシル・クロードに所属する《あまいもの》のメンバーだそうだ。

 シル・クロードの名前位なら俺も知ってる。オンボの話にちょいちょい出て来たからなあ。確か英雄王時代の《魔王の行軍》討伐で最も貢献したギルドだとか。

 凄いなあ~

 凄いんだろうけど。あのおじさんを見てるとなあ……


 今度は泣き落とし作戦に打って出た班長だったが、相手が悪かった。

 根の上で大杖を手にしたままネィリは少し視線を班長から外し、空いた方の手で親指から順番に折っていく。折り込んでから今度は小指から順番に開く。もう一回折り込んで、また開いていき

「班長の“一生に一度の頼み”とは、此れで十八回目ですが」

「ぐっ……数えるなよ、そんなもん!」

「実はギルド長からお預かりした此の冊子に、班長の行きそうな場所の候補が」

「無視かよっ」

 泣き落とし作戦は見事に失敗し、ネィリは長衣の内側から一冊のファイルを取り出し班長に向けて表紙を見せた。

「最初の頁に書かれて在ったので、先ずはと当たりを付けて来たのですが……正解でした」

「あいつ……そんなの付けてたのかよ」

「そんな訳でお弁当におやつ、其れにデザートの果物も用意しますから。さあ行きましょう、食いしん坊の班長」

「誰が食いしん坊だあ!人の話を聞けっ!」


「えっ、獣人って珍しいんですか」

「まあ……色々あってね。此の帝国(くに)にはあんまり居ないかな」

 言われてみれば、確かに獣人と出会した事って一度も無かったな。

「へえ……」

「貴方は此れからどちらへ?」

「ファラワーって街へ。其処の問屋にちょっと用があって……」

 納品する予定のビーサーは例の巾着袋の中だ。背負い袋だけの身軽な今の姿で馬鹿正直に話してもきっと信じて貰えない。

 何せ、巾着袋は人には見えないんだからな。

(ああでも何人かは居たっけ)

 第四班の顔が次々と浮かんだ。見えても触れないと口にしたハイゼンベルクの忠告と、あの女神様の言葉が被って聞こえるのは何故だ?

 仕方なく言葉を濁したニュートンであるが、ルオンは其れを「嗚呼、採集者なんですよね。もう冒険者狩りが始まってますから」と誤解してしまった。

 いやあ……俺の場合は異世界のものを《地球世界》へ持ち帰れない規則(きまり)だから、問屋の用事が終わるまで此処に居るってだけで。

 もう暫く此の世界に滞在するつもりでビーサーを張り切って狩りまくったのだが、其れが仇となった。

 一応魔獣だし、適当にそこら辺へ放ってもし何か悪影響を及ぼす事になったら一大事だ。

 余所者の俺だから無責任な事はしたくない、本当は今すぐにでも還りたいのを堪えて旅を続けてるだけなんです………ん?

 そういや持ち帰っちゃあいけない異世界生物を連れて来ちゃった人、居たなあ~

「だったらサクーラ商会を訪ねると良いですよ」

 ルオンに言われてニュートンは頭を切り替えた。妙に懐かしさを抱かせる文言に反応したからだった。

「サクーラ?」

 サクラ……そういや施設の中で桜を見た事、無いなあ。よし、戻ったら『ソメイヨシノでも植えませんか』ってハイゼンベルクさんに提案してみるか。うーん……無理かぁ

「問屋さんに避難されるんですよね?だったらサクーラ商会です。昨日だったかな、アッホイ商会が“所属の垣根を越え、全ての採集者を受け入れる”って案内を出してましたよ。サクーラはアッホイ商会と繋がりを持った問屋ですから」

「そうなんですか」

 アッホイって確かオンボが所属してるっていう問屋じゃなかったっけ?

(採集者全員、受け入れ可能って……凄いなあ~)

 素直に感心してると癇癪が原の方から「話を聞けっ!」と班長さんの叫ぶ声がした。続けて

「ルオンお前もだっ、俺を無視すんじゃねえ!」

 “ウォルウォラ人質作戦”も“泣き落としで同情買おう作戦”も、ネィリ相手だと上手くいかなかった。

 上手くいかなかった事への腹立ち紛れに、ルオンに八つ当たってやろうと癇癪が原の入り口に目を遣れば、何という事か!

 こっちを見てないしっ!

 暢気に見知らぬ男と立ち話をして居た。

(俺は、生きるか死ぬかの瀬戸際に立たされてるっていうのよっ……てか)

「誰だよそいつっ!」

「嗚呼……気にしないで続けて下さーい」

「出来るかっ、おいお前!お前も冒険者だろっ」

「え?」

「班長……」

 ネィリが稍御機嫌斜めに呼び掛ける。私はちゃんと班長の話を聞いてます、と反論してから「果物で無く焼き菓子の方が良いですか」と誰に言うでもなく呟いた。

「違いますよー」

「嘘つけ!そいつから尋常じゃない魔りょ……おい……ちょっと待て」

 男の隣で静かに佇む黒い影が目に入った。其れは黒毛の大型ゾーンであった。一瞬で謎男の事も八つ当たりも、もうどうでも良くなった。

 其の雄姿を俺は一度だけ目にした事が有る。

 まさか………………………!

「おいっ!其の黒毛のゾーン、其れっても……も……もし……もしかして、はく……白、爵、の……ク、クリひゃあ!!」

 声が裏返る程に感情が昂り、興奮が抑えられない。夢にまで見たクリヒラが目の前に居る、そう思うだけで何とか釣り合いが取れて居た魔力が体内で大きく傾いたのを感じた。

「ハッ!」

 此の感覚は魔力の制御が効かなくなった証だ。貴族とは違って魔力を持つ平民に鍛錬や教育を受ける機会は殆んど無い。

 元来平民で魔力が発現する事例は僅かで、魔力量は大した事無かった為だ。

 班長やネィリのように赤銅貴族に匹敵する程の魔力量は稀有である。だから二人は自己流で己の魔力を制御出来るよう鍛練を重ねて来た訳だが、我流で在るが為に其の制御は不完全に仕上がってしまった。

 次の瞬間、パンッと破裂音がした。班長が脅しの為だけに創った水球が弾けて大量の水滴へと姿を変え、癇癪が原の四方八方へ飛び散った。

「あっ」

 と言う間の出来事だった。班長を中心に放射状に水遣りが為され、大人しく眠って居たウォルウォラの種子が其処此処で目を覚ました。

 ほんの僅かの水滴でも触れるや否や、ウォルウォラの種子からにゅっと銀色の円錐形の芽が顔を出した。其れはいきなり大地に突っ込み、ひっくり返った状態になると異常な速さで回転を始めた。ぐるぐると回りながら種子の半分が土中に沈んだと思ったら、唐突に回転が止んだ。

 間を置かず、今度はまだ地表から顔を出して居る部分の種皮を突き破って、長剣の刃の様な青い葉が真っ直ぐに天を衝いた。其れも六本、次々と生え現れる。

 葉の中央にある太い葉脈の中程で、葉脈と交差するように小さな切れ目が現れた。切れ目がパカッと開き、真っ赤な目が此方を捉えた。

 此れが中級魔物ウォルウォラの真実の姿だ。

 そして覚醒した次に自らを爆砕させ、周囲を巻き込んで果てるのだ。

 凄まじい速さで長剣の如き葉の先に体内の魔力が集められる。溜まっていく魔力で葉先は丸く膨らみ皮が薄くなる。

 バスケットボール位の大きさにまで膨らんだ葉の皮が遂に破けて、溜まった魔力が塊になって空へと一気に上昇する。そして―――

 バンッ!!

 爆発した。其れも複数のウォルウォラが魔力の塊を次々と打ち上げていく。

 ネィリとルオンは風属性の魔法で衝撃を防いだのだが、やらかした張本人はその場に茫然と立ち尽くすばかりだ。

「もう……終わりだ……俺の人生は此処までかよ」

「終わりません」

 二人の声は打ち上がった魔力の爆発音に掻き消された。

 爆発の次に来るのは属性魔法の攻撃。其れも無作為に発動されるので、どの属性なのか見極めが肝要だ。しくじれば一大事になる。ルオンもどの属性で来ても良いように、腰ベルトのポシェットから五色の小さな珠を取り出し、目を凝らして見守る。

「火か、雷……か?」

 パチッ

(む、いかん!)

「おぅっ……わ、何?ちょ、待っ」

 突然、襟の後ろを誰かに掴まれた。ふん、獣の鼻息が耳のすぐ側でして足が地面を離れた。と思った次の瞬間には振り上げられ、抵抗する暇も無く駆け出したゾーンの背中に戻って居た。

 癇癪が原の方で物凄い音がした。だがそんな事はもう、どうでも良かった。

 全力で駆けるゾーンの豹変ぶりに訳が解らず、俺はただただ振り落とされまいと鬣にしがみついてるしか無かった。


 バチッ。……チチッ……パン!

 巨大な雷柱が癇癪が原に出現し、地表の一部を真っ黒焦げにさせてウォルウォラ達は其の命を終えた。柱状になったのは、一度に発芽した数が多過ぎた為だった。

 焦げた地面から立ち上る煙と土埃で一帯は視界が悪くなってしまったが、獣人のルオンには問題無い。嗅ぎ取れた二人の匂いは無事だと示して居る。

 不意に、視界が晴れた。

 班長が剣を振ったからだ。其れは、ごくありふれた一振の鉄剣に過ぎなかった。然し《暗黙》に次ぐ魔物の巣窟《フェーメル大渓谷》に挑んだ時に風の竜から加護を授けられ、神剣となった。《ゼファゲール》と銘を与えられた愛剣から放たれた暴風は煙も土埃も一気に上空へと巻き上げ、空は青を取り戻した。

 神剣を鞘に納める班長にさっきまでの逃げる気満々のへなちょこな雰囲気は微塵も無い。煙と一緒に吹き飛ばせたのか、いつも通りの班長が其処に“戻って来た”。

 周囲を軽く見回してから、先ずは真っ先に駆け寄るネィリに声を掛けた。

「すまない、どうやらまた世話を掛けてしまった様だな。大丈夫か」

「はい、問題ありません」

 近付いて来るルオンにも同じ様に謝罪したが、獣人は「お帰りなさい、班長」と笑って返す。続けて

「班長は悪くありませんよ、彼奴等が逆恨みで酒を飲ませたりしたからこうなったんです。ね」

 ネィリに同意を求めると、「はい。あのクランにはちゃんと御礼の挨拶はしておきましたから」

 グッと空いてた手を握り締めて、ネィリが眉を吊り上げた。

 其の様子だとどんな“御礼”だったのか、容易に想像が付く。彼等に対して、ほんの僅かに同情心が沸かない訳でも無いが、まあ仕方あるまい。

 其れよりも、と二人に問い掛ける。

「集合時刻には間に合うだろうか」

 ネィリとルオンは笑顔で応えた。

「「もちろん!」」

「そうか。……では、行こう、ミーレントスヘ」

 ネィリが懐から簡易転移陣の描かれた紙を一枚取り出し頭上に浮かせる。彼女の大杖で転移陣を突いた途端、真下に居た三人は光の柱に包まれ、一瞬で消えた。

 癇癪が原を再び静寂の王が支配した。


―エリクシル工房へお届けもの

「此れで……良いですか」

 師匠に言われた通り、大量の木箱を作業場の真ん中に纏めて積み上げた。木箱の中身は全て中和剤だ。赤青緑紫の四色を各々五千本に金の中和剤は八百本。其の全てを一人で錬成したのだ。

 改めてとんでもない量だなあ、今更ながらに溜息が出る。

「ありがとう。さて……」

 師匠はにっこり笑って応え、ずり落ちた丸眼鏡を人差し指で押し上げつつ、もう一方の手は肩提げ鞄に突っ込んだ。

 がさごそがさごそがさがさごそごそ……

「師匠、鞄の中も整頓しませんか」

「大丈夫……ちゃんと……出来てる……から、あれ?」

 とても整理整頓が出来てる人の言う言葉では無い。反論する間もずっと鞄の中をまさぐって居た師匠は、漸く目当てに辿り着けた様で「あった!」と声が上がった瞬間、鞄から飛び出して来た。然程大きくはない黄ばんだ一枚の紙が。

 飛び出した後、何故だか師匠の頭の上で広げられた状態でゆらゆらと浮いて居る。呆けて見上げた弟子に、親切にも師匠は説明してくれた。

「此れはね、簡易型の転移陣なんだよ。ほら、見える?魔法陣が描いてあるよね」

「ああ……はい。見えます」

 と首肯しつつも、転移陣なんて初めて見たので(へえ~)位の感想しか湧いて来ない。そんな心内が伝わったのか、師匠は眉を下げて控えめに笑った。

「じゃあ、行くね」

「はい……あっ、待って下さい!」

 作業場の奥、西窓側に据えた木机の天板に置きっぱなしだった封筒を取りに走った。

 弟子の後ろ姿を目で追ってから「嗚呼そうだった」と掌で額を打った。

「すっかり忘れてたよ」

「自分で書いておいて、其れですか」

 弟子に稍呆れられても、へらっと笑って師匠は応えた。

「御免御免、うっかりうっかり」

 また丸眼鏡が鼻をずり落ちる。頭一つ分背丈の低い弟子が師匠に近寄り、上目遣いに

「師匠……」

 うん?

 じっと此方を見つめて十数秒、言うべきか躊躇って居たが、弟子は念を押すように訊いた。

「本当に“此れ”、送っちゃっても良いんですか?」

 うんん?

 師匠はこてんと首を横に倒した。


 簡易型転移陣を起動して、ジンク・リードは取り敢えず荷物だけ先に工房へ送った。色々説明の必要も有るし、きっと、うん間違いなくシルヴァ嬢は御冠だろうから先触れの手紙は書いとかないと。

(久し振りに字を書いたなー……)

 其れだけで錬成するより何倍も疲れたなあ~

 セバレント村での滞在は大変有意義で素晴らしい経験も出来た。楽しかった、面白かった。

 何よりの収穫は、此れからの錬金術はきっと大きく発展する。そう思わせてくれる弟子()に出逢えた事だ。

 其の弟子が不安にさせる程の出来栄えらしい手紙を添えて、取り敢えず先に荷物をエリクシル工房へ送った。

 続けてもう一枚魔法陣が描かれた紙を取り出した。簡易転移陣だから一度しか使えないのは不便なんだけど、仕方ない。

 今度はリード自身が転移する番だった。

(と言っても転移先はあそこ、だけどね)

 同じ鉄の都ミーレントスでも、転移先は錬金術養成院の寮にある自室だ。直接工房に向かうつもりは毛頭無い。

 部屋、片付けて無かったけど、うん仕方ない。

 去る間際になって、リードはもう一度弟子に勧めてみた。折角の才能を埋もれさせて置くのは全く以て勿体無いよ――

「帝国錬金術養成院の入学適正試験、今年は中止になっちゃったらしいけど……受けてみない?錬金術師の道も、君の将来の選択肢に入れといて欲しいな」

 君とエリクシル工房で研究の続きが出来る日を、僕は楽しみにしてるよ

「あ……」

 なのに言うだけ言って、弟子の返答も聞かずにジンク・リードはセバレント村を去ってしまった。


―ザアク・クライベ

 老兵というものは、何とも退屈で仕方がない。年を重ねる毎に、どんなに否定しようとも誤魔化そうにも明らかに体力は落ちていく。義理の息子になり損なった従者を相手に毎日鍛練に勤しんでは居るものの、先頃はまめに休憩を取らねば続かず、休憩時間も長くなって来た。

 此れはもう、身体が儂に決断を促して居るのだろう。

 ――最後に一華咲かせて見事、散ってやろうではないか!

「だからと言ってだな」

 決意を固めたザアクは稍後ろを振り返る。

 シャンクウェート城を去して一路愛弟子の邸へ向かおうとして、然し彼処の料理人が馬鹿にも程がある大量の料理を腕によりを掛けて拵えて居る事だろうと想像に容易い。

 晩餐会級の夕食が終わるまでは時間を潰そうと、東市場通りの百貨店へ寄り道して店内を見て回ってるうちに、気に入った何着かを衝動買いし、其の場で着替えてしまう。

 供の者がやれやれと零して肩を竦めたのは見なかった事にして、気付けば日も暮れて来た。そろそろ夕食も終わっただろうと百貨店を後にした二人は馬首を西離宮に向けて進む中、ザアクは供の男に声を掛けた。

 其の熱き忠誠心に呆れつつ

「何も儂についてく必要は無いのだぞ」

 口をへの字にひん曲げて見せた。だが供の者はそんな不機嫌顔で突き放されても全く気にしない。其れどころか

「またまたぁ。本当はついてくと言われて嬉しいのではありませんか」

 にこにこ笑顔で切り返して来る。ならばと次は声を落として告げた。

「……死ぬぞ」

「討伐に参加するのですから、まあ……そうですね」

 そうだとしても

「俺は何処までも御供致します。もう、決めた事ですから」

 全く。

「餓鬼の頃から頑固な所は変わらんな」

「御褒めに預かり光栄に至ります」

「褒めとらん!」

 全く以て。

「お主を一度も義息(むすこ)と呼んでやれなかったな」

 惜しい事をした。あの時、憤怒に駆られて白銀の爵位返上なぞしなければ。何度後悔しただろう、二人が夫婦になって居れば『儂の跡を継げ。家を護れ』と置いて行けたのに。

 だが何千回何万回悔やもうと、過ぎた時はやり直せない。

「いいえ、終生御仕え出来た。其れで充分ですよ」

 そう返して、供の男は静かに微笑んだ。


「ところで」

 微笑みを湛えた儘

「ララ様への気配りもどうか御忘れなく。勿論、俺は遠慮しますよ。修道院へは御独りでどうぞ。家族(おやこ)水入らず、積もる話も有るでしょう」

「むう……」

 俺までとばっちりを喰らうのは御免被ります

 更に笑みを深くした供の男から前方へと向き直り、跨がった鞍の上でむくれた表情を見せた。

「事後報告、と言う手は」

「其れこそ悪手でしょう。どのみち、本隊の出立前には知られる事です」

「だがなぁ……儂の顔を見た途端、十も二十も嫌味を飛ばして来るのだぞ。あれは流石の儂でも堪らんわ!」

「そう仰らず……ララ様も家族なんですから」

 成り損ねた俺が言うのも何ですがと付け足されたら、彼と(ララ)の婚姻話を破談にさせてしまった張本人としては何も言い返せないでは無いか!

 はーーーーーーー。

 長く息を吐いてから、ザアクは腹を括った。明日は朝一で修道院へ面会申請の手紙でも出すとするか。其の際、少しでも機嫌が良くなるような手土産が有っても良いか。

 さて何にするか、考えて居るうちに白爵邸が目前に見えて来た。


―シャンクウェート城内

 召集会議は終わった。

 玉座を囲む壁には皇帝一族の紋章を織り込んだ垂れ幕が四本飾られてある。初代皇帝ラフスンの《ディートの雷を纏った獅子》、皇弟ゲイルドの《片目の大熊》、ラフスンの義息で三代皇帝シューヴァルツの《氷竜と大斧》。

 そして英雄王ハイウェルフの《魔狼の鉤爪》が織られた垂れ幕に近付いたシハ・ギィリスは、裏側に隠された扉の鍵穴へ専用の鍵を差し込むと右に回して開錠した。

 開かれた扉から、皇帝レゾンポルツェは玉座の間を退出した。扉の外は皇帝専用の廊下が真っ直ぐに続いて居た。

 《魔王の行軍》討伐の下知に玉座の間ではまだ残って居る貴族等の騒ぐ声で煩かったが、一変して廊下はしんと静まり返って居る。

 いつの間に、皇帝の侍従長が廊下の隅で待機して居た。皇帝とギィリス、数名の護衛騎士が廊下に出て来たのを確認してから、侍従長が先を歩き始める。隠し扉が閉まると同時にガチリと大きな音を立て、ひとりでに鍵が掛かった。

 廊下に響く施錠音を背に、皇帝レゾンポルツェはノロノロと侍従長の後について行った。

 疲れた――

 侍従長の踵辺りに視線を落として、少し俯き気味に溜息を吐いた。

(上手くやれたかな……)

 初っぱなから噛んでしまったし、何度も予定外の事が起きたし。

 きっとおばあさまは失望されただろうなぁ、そう思うとまた溜息を吐いてしまう。

 数人分の靴音と衣擦れの音に護衛騎士が携行する武具の立てる金属音に混ざって聞こえた耳障りに、侍従長は視線だけ後ろへ向けた。

 下を向いてトボトボと歩くレゾンポルツェの後ろを顎を引き肩を聳やかし、胸を張って威風堂々と歩を進めるギィリス様の方がよっぽど皇帝らしいではないか。

「陛下」

 ギィリスが口を開いたので、侍従長は視線を前へと戻した。

「お急ぎを」

「っ!!」

 背中に突き刺さる威圧感にあっさり負けて、皇帝は真っ青になった顔を上げると両腕を大きく振って歩を早めた。

 早くなった足音が近付くのを背中で聞いた侍従長は、口の端を吊り上げて冷ややかに笑んだ。

(他愛も無い……)

 一方でギィリスは不愉快だと言わんばかりに、眉間の皺を深くさせて居た。此れから白銀爵と甥を交えた《魔王の行軍》討伐の軍議に、皇帝も同席させる事態になったからだった。

(マクドールの色呆けめ。要らぬ事を)

『総大将はあくまでも皇帝陛下に御座いましょう。陛下の“代理”が同席されるのならば、尚の事陛下の臨席をも賜るべきではありますまいかの』

 大妃ルドワンナの歓迎も引き出したあのジジイめ。一体何を企んで居る……。

 意見の一つも碌に言えない皇帝が居ても邪魔なだけだ。其れとも会議で恥を掻かされた事への意趣返しか?

(下らん)

 益々不機嫌になったギィリスの気配に当てられて、レゾンポルツェは一層震え上がった。


 廊下を行く者は他に居ない。

 そう長い廊下ではないが、明かり取りの窓すら一つも無い。廊下の突き当たりに見える扉以外に繋がる部屋も存在しない。

 壁の等間隔に据えられた魔術具が、簡単には消える事の無い灯りで廊下内を照らして居る。

 皇帝専用で在るにも拘わらず控えの部屋さえ設えなかったのは、初代皇帝ラフスンが晩年取り憑かれた妄想の所為だ。

 年老いた皇帝は重い疑心の病に罹り、気狂いを起こした。自ら玉座を息子に譲り退いたというのに、突然『皇位を奪われた!』と二代皇帝を逆賊呼ばわりして斬り殺してしまう。更に彼の家族までも連座で処刑してしまった。

 二代皇帝の戴冠から三ヶ月しか経って居なかった。

 もしや《ウラン》の呪いではないか?

 等と噂されたラフスンの奇行は続いた。前触れも無く癇癪を起こし、寵妃の不貞をでっち上げて身一つで城から追い出した。其れを諫めようとした皇妃にまで刃を向けるようになった。

 ――我が人生に二つと無い至宝

 そう告げて、心から愛した皇妃さえもラフスンには解らなくなって居た。最期は離宮に閉じ籠り、独り寂しく世を去ったとか。


 平常、廊下の警備は大廊下へ通じる扉を人形の魔術具に護らせて居るだけだ。事前に登録されて居ない魔力を感知するや否や、容赦無く攻撃するよう術式が組み込まれて居る。

 だからこそ、油断して居たのかも知れない。

 其の扉の少し手前、右手の壁に突然亀裂が入った。亀裂は縦に長方の形を作り出し、ゆっくりと切り取られた壁の片端が廊下の方へと動いていく。異変が起きたにも拘わらず、警備用の人形魔術具は全く反応しない。

 念の為に護衛騎士を同行させておいて正解だった。素早く長剣を抜くと、彼等は一斉に主人の前へと飛び出した。

 侍従長も懐から小剣を一本取り出し、剣先を右壁の亀裂に向けて身構える。刃が魔術具の灯を受けて光った。

 一方の少年皇帝はと言うと、護衛騎士の後ろに隠れて震え上がって居るだけだ。

 一同に緊張が走る中で動きが止まった壁の奥より姿を現したのは白髪白髭の、老人と呼ぶには憚れる程の筋肉質な体躯の持ち主。

 胸にグロウの紋章が刺繍された紺地の上着を羽織った闖入者は、真っ先にレゾンポルツェを見つけて声を上げた。

「おお!居った居った、間に合うたぞ」

 近頃は体力が日増しに落ちて来てのう!寄る年波には勝てん等と言うが、まあどうにか追いついたわ。良かった良かった!

「えっ、先生?!」

「御機嫌麗しく陛下。漸く拝謁を賜りこのザアク、恐悦の極みに存じ上げまする」

 そう言って恭しく挨拶したのは、元白銀爵で現在はレゾンポルツェの剣術指南の補佐を務める無冠貴族ザアク・クライベだった。

(恐悦の極みって……)

 確か昨日の午後も鍛練の講義で会ったばかりだけど。苦笑いを隠せずに返そうとしたレゾンポルツェだったが、開きかけた口は更に話し出したザアクによって閉じるしかなくなった。

「聞きましたぞ!遂に魔王が動き出しましたなっ。而も、サーフィス・ギィリスが陛下の代理に充てられるとは。流石はシハよ、考えたの!」

「…………」

「其れにしてもアーシィンの魔女とマクドールめのあれは、全く以て愉快でしたな!……此れで少しは神殿の風通しが良くなりそうだがな」

「どうして其れを……」

 無冠貴族のザアクがさっきまで続いて居た会議の事をどうして知ってるのだろう。玉座の間には居なかった筈なのに……。

 つい疑問が口を吐いて出てしまったレゾンポルツェにザアクは口角を吊り上げ、先程出て来た壁の方を指差した。

「実は朝の鍛練に此処の鍛練場を使わせて貰おうと思ったのだが、年のせいか道に迷ってしまった。すると妙な場所に出てな、戻ろうにも来た道が何故か消えとる。『いやはや参ったぞ』と壁に手をついたら、隠し扉が!扉の先には、何やら怪しい通路が奥へと続いて居った。はて、此れは何処へ繋がる通路だ?と気になってだ、真っ暗闇だったが意を決して通路の中を探索して居った。何れ程進んだか……突然真っ暗な通路の壁が裂けて其処から光が射し込んで来る。やれやれ、やっと出口が見つかったか。と安堵すれば、何と!陛下の御前に行き着いたではないかっ」

 白々しい、そんな作り話を真に受ける馬鹿が居るものか

「其れは凄いですね!」

 居た。

 両瞳をきらきらきらきらと輝かせ、少年皇帝はザアクの法螺話を丸ごと信じた様だった。

 前言では「間に合うた」と口走ったのに、さっきの話では辻褄が合わないと何故気付かないっ!

 視界の端でシハが片眉を吊り上げたのを捉えたが、其処は無視して一歩前に出る。

「陛下、」

 ザアクが動くと護衛騎士の緊張が更に高まる事も承知の上でレゾンポルツェに近付き

「もしやすると此れは最高神ディートの御導きやも知れませぬな」

 神妙な面持ちで囁いた。

「?」

「という訳で!」

 何を言われたのか解らないと首を傾けたレゾンポルツェは置き去りにして、今度は一歩下がり胸を張ると声高らかにザアクは宣言した。

「陛下!其れから、シハよ。此のザアク・クライベ、今や爵位無き身では在れど老骨に鞭振るい、僭越ながら帝国の長久なる安寧の一柱と為らんと、《魔王》が討伐に力を尽くし申し上げる!」

「えっ!」

「共に征きますぞっ!」


 ――嗚呼、其れは其れは

 手間が省けて助かる


 陣立ての打ち合わせも恙無く終わり、城内にある自身の執務室に移動した。机の椅子に腰を下ろし、シハ・ギィリスは置かれた書類に手を伸ばす。目を通して居てふと、数刻前のザアク・クライベが出て来た隠し扉の事を思い出した。途端、鼻に何本も深い皺を刻む。

(彼処にも在ったのか)

 全く。初代皇帝は己の居城にどれだけ仕掛けや隠し通路を拵えたのだか。

 先帝時代の、まだ護衛騎士の端くれに過ぎなかった頃にシハは上官の命でシャンクウェート城内を隈無く調べ上げた。

 其の目的は只一つ――

 緊急避難時の隠し通路から隠し部屋、もう誰にも知られて居ない地下牢に開かずの金庫、使用目的不明の謎部屋まで。塔の天辺から地下階層の旧水路の配置まで。

 先々帝ハイウェルフ、先帝ジャンヴァルプオ、そしてレゾンポルツェ。三人の皇帝の側近くで仕えた元白銀爵ザアク・クライベ、“歩くシャンクウェート城”の異名を持つ迄になった彼を出し抜く為――

 全て把握した

 そう慢心した途端、ザアクは未発見の隠し扉を先程の様に披露して見せる。

 其の繰り返しだった。


 下らん私情で白銀爵を辞し、無冠貴族へと降りて一旦はシャンクウェート城から去った筈が、新皇帝レゾンポルツェの剣術指南補佐役等とふざけた官職を得、たった数年で舞い戻って来た。

 鬱陶しい――

 先刻のザアクが二白銀爵の諍いを詳細に知って居たのなら、護衛騎士団が居た背後の壁に隠された隠し扉から覗き見て居たのでは無いだろう。

 玉座の間にまだ仕掛けが隠されて居たとは由々しき事態だが、さて。何処から静観して居たか……?

 無意識に顎を摘まむ様に手を添え、書類の一点を見つめる。考え事をすると手が止まるのね、と亡き妻に指摘されたが今も癖は直らない。

(まさか……)

 思い出した。

 あれは爵位持ち貴族がマクドールとヴェールの舌戦に注目して居た最中だった。不意に嫌な気配を覚えて、玉座の周囲に視線を巡らした時、《片目の大熊》の垂れ幕が僅かに揺れて居たのが気になった。

「あの時か!」

 思わず書類を持つ手を強く握り込んだせいで紙の端が皺くちゃになってしまった。

 垂れ幕の裏に隠し扉――

 一つでは無かったか。ラフスンめ……。

 八つ当たりの罵りを一頻り吐いたら、幾らか気持ちが落ち着いた。深く息を吐いてから、皺くちゃは其のままに承認のサインを書き込んで、決裁済みの書類箱に投げ入れた。

(もう一つ予定外だったのは……)

 ザアクが自らを冒険者と名乗った事だった。

 正体を隠して秘かに冒険者稼業を始めたらしいと報告は既に受けて居た。だからあんなにあっさりと口にするとは思いも寄らなかった。

『ギルドでの登録はもう済ませて有る、ほれっ』

 儂は、冒険者だ。

 ギルドの紋章が刻印された楕円メダルを無造作にポケットから取り出し、皆に披露して見せたザアクの得意満面な笑み。今思い出しても腸が煮え繰り返りそうだ。

『だから儂はミーレントスへ行くぞ、ウォルフラムの隊に入るからな!』

『待っ、待って下さい先生!其れじゃあぼ……朕と一緒じゃ、では無いの?』

『御安心為されよ!儂が居らずとも、其処のシハが城に残り陛下を御守り致すと言って居ったでは無いか』

 のうシハよ!

『勝手に決められては困ります』

 陣立ては此れから決めるのに、何勝手な事を――等と言いつつ本音を吐けば、寧ろ諸手上げて大歓迎だ。

『困る?……相も変わらず素直で無いな、お主は』

 そういう所が好かんのだ

「好かれたい等と望んだ事は、無い」

 ザアク・クライベ。再び我が前に現れた事が天運と思え――


 ならば私の天運はどうだろう


 順調、とは必ずしも言えないが取り敢えず討伐の準備は各爵位持ち貴族からの報告を聞く限り着々と進んで居た。

「シハ様」

 側仕えのシューノが執務室の扉を叩いて告げた。

「オルセン・シュナイザ赤銅卿のご令姉様が、火急に面会を求めて居ります。如何致しましょう」

 彼にしては珍しく困惑色を滲ませた口調に、シハは嫌な予感を抱いた。まさかと思うが、ザアクという障害を取り払っても次の障害が現れたとでも言うのか。

「通せ」

 鼻に深い皺を刻ませて、シハは帝国一の美女と称賛を浴びるミーフィ嬢を椅子から腰を上げぬまま迎えた。

「ごきげんようギィリス様、討伐の準備でお忙しい中失礼致しますわ。直ぐに用事は済ませますから、わたくしのご提案にどうかお耳を貸して下さいませ」

 然し、手土産だと言って差し出した書類に思わず瞠目した――


 面倒な娘だ

 だが、面白い娘だ

(続く)

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