魔王の行軍 その参
【魔力嵐の魔女Ⅱ】
辺り一面に広がる秋麦の畑は空を目指して伸び出した若葉の色に染まって、吹く風に葉先を揺らして居る。
そんな光景を見渡せられる丘の上に石造りの大きな館が建って居た。其の州で唯一の公爵家の居城である。
ある日、その中庭に一棟の工房が建てられた。
昼下がりに彼女を訪ねて少年が一人でやって来た。
背凭れの無い低い椅子に座り、ずっと前のめりになって話して居る。工房の外であった出来事を一生懸命に伝えてくれるのだが、今の彼女にはどうでもいい内容だ。
「でね、そうしたら……」
「はいはい」
工房の作業机いっぱいに広げた魔法紙へ魔法陣を幾つも描き重ねながら、少年の話に相槌を適当に打つ。
適当が過ぎたから、うっかりして相槌打つべきタイミングを間違えた。案の定、すぐさま気付かれて少年がむくれてしまう。
「もう!聞いてないでしょ、シュルニィツカっ」
「聞いてる聞いてるよう。バッチシ……うんうん、そっかあそうなんだあ~いやあ……う~ん」
「うっそだあ~!」
また僕の話聞いてなかったあ!
悔しそうに声を張り上げて椅子の座面を掴み、ガタガタ揺らす。
「悪かった!ごめんっ、次はちゃんと話を聞くから、ちょっと其れだけは止めて!」
謝ってる口とは合わない頬の緩みはどうしても隠せない。
「もう!笑ってる……」
其処にも突っ込んでくる所が
可愛いからだよ。
なんて言ったら、彼はどんな反応をするんだろう。知りたいような、だが余計に怒らせてしまうのもなあ。
吊り目顔は可愛くないからなあ。
館の住人から《魔女》と呼ばれて居るシュルニィツカはある日、魔力嵐からこの地方の村へ吐き出された。
意識の無い状態で倒れて居た彼女を最初に見付けたのは、領地を治める公爵だった。彼は秘かに己の屋敷へ運び込み、一旦地下牢に閉じ込めて拘束魔術を施した後で広いだけの中庭に魔術で特殊な工房を建てると、彼女を繋ぎ留めた。
囚われた魔女は長い間、公爵の為にひたすら魔力を行使して珍品奇品を次々と創り出して居る。魔女にとってはとてつもなく単調で退屈でつまらない作業だった。
そんな飽く日々の中でも最近になって、楽しみが出来た。
少年の訪問だ。
少年は二年程前、突然館へやって来た。公爵が外で産ませた庶子だと体面を取り繕っては居るが、実のところ血の繋がりが在るかどうか疑わしい。
この公爵家で少年が公爵の子息として扱われて居る場面を実のところ、一度も見た事が無い。
何故なら少年は《魔力奉仕》の為に連れて来られた贄だからだ。
上級貴族ならば持っていて当然の魔力を、公爵一族は或時を境に完全に失われた。
世界が暗黒と闇の魔力で覆い尽くされた恐怖の魔王時代。
我が身可愛さに進んで魔王の眷属となり闇の力に染まった公爵父子は、その事実を同盟を結んだ他領主や王族には隠し通した。そうして仲間のふりをして間諜を続けて居たらしい。
ところが勇者の登場で形勢は逆転し、魔王は倒され《叡知の力》が勇者の手に渡ると闇の力は消え去り、後に眷属と認定された貴族は裏切り者として次々に捕らえられ、処刑された。
公爵は今度は魔力が無くなった事実を隠す為に、領内で生まれた魔力持ちの孤児や貧民を我が子と偽って引き取り、《魔力奉仕》と呼んで魔力を絞り取り出した。
特製の魔力瓶に溜め込み、命欲しさに公爵一族は其れを毎日食前に飲むのだそうだ。
一人、一本。一日の食事は朝昼夕に茶会、夜食に時間はまちまちで間食。水のように、酒を呷るように一日で何本も飲むのだとかほざいてた。
全く、くだらない。
この少年も偶々公爵の息子と魔力の質が近いからという理由だけで召し上げられたに過ぎない。館に部屋を宛がわれ有頂天になった少年は然し、現実は館に閉じ込められてひたすら《魔力奉仕》に従事させられるのだ。
質の悪い事に少年はその真実を全く知らされて居ないようだった。自分は公爵の子供なんだと本当に信じ切って居る。
(ほんとうに、くだらない)
だからと言って自分だって囚われの身の上であるシュルニィツカに、何が出来ると?
(今はまだ……)
籠の中のカナリアは主人の為に美しい声で歌うしかないんだ。
「やっと魔力瓶、十本貯められる様になったんだ!」
「そう……」
二年経った。少年の背が伸びた。其れでもまだまだ少年は少年である。今日もシュルニィツカの工房にやって来ては彼女とのお喋りを楽しんで居るのだから。
この頃、少年には日課が出来た。いや課題と言うべきか。遂にというべきか、とうとう始まってしまった。
《魔力奉仕》
最初は三本。空の魔力瓶に自分の魔力を注いでいくのだが、どうやら上手くいかなかったらしい。
魔力の引き出しを促す魔法薬を毎日作業の前に飲まされ、薬漬けの身体は全体的に細く顔色は悪くなる一方だ。
魔女は其れを嫌悪した。見たくない、聞きたくない、知りたくもない。
だがまだ此処を飛び立つ時機では無い。
(計算が間違って居なければ……まだだ)
「ねえシュルニィツカ」
「ん?なあに」
簡単な計算だけでも出来る魔術具が欲しい
何処ぞの成り上がり貴族からの注文を公爵が受けてしまった。納品日に余裕がなく注文数も半端ない。
大量の魔術具製作に忙殺されて此処最近、魔女は少年周辺で起きた異変に気付けなかった。
「シュルニィツカは居なくなったりしない?」
心臓が跳ね上がるかと思った。
作り掛けの魔術具から顔を上げて少年の方を見る。
目元が赤く腫れて居た。
「泣いたのか?」と口にしかけて思わず飲み込んだ。
代わりに何があったのかと訊いたら、少年より先に引き取られた上の弟が急に館を出ていったと答えた。
少年をとても可愛がってくれたのに突然、何の一言も無く居なくなってしまった。驚きと衝撃の後にどうしようもない寂しさと不安を覚えた。
(もしかしたら、シュルニィツカも自分を置いて何処かへ往ってしまうのでは)
居ても立っても居られなくなったらしい。
「大丈夫。居なくなったりしないから」
今は――――。
其れでも少年は安心出来なかったようだ。
シュルニィツカの前に跪くと言った。
「シュルニィツカ」
な……何?
「成人したら、ずっとシュルニィツカの側に居ても良い?」
「?」
「シュルニィツカ、きみを愛してる」
愛の告白だと理解した瞬間、魔女の顔はどんなだったろう。
「おねがい……」
懇願する言葉は小さくか細くて魔女に届いたかどうか判らない。
シュルニィツカは返事をするのに時間を掛けた。沈黙が二人の間を流れた。緊張の面持ちで返事を待つ少年のこめかみから一筋、汗が流れ落ちた。
シュルニィツカは目を細めて柔らかく微笑んで応えた。
「わかった、考えておくわ。成人してもし……君の気持ちが変わってなければ、ずっと一緒に居てあげる」
ガッチャン。
金属製の歯車と歯車が噛み合わされた時のような音をシュルニィツカは耳にした。でも目の前で嬉しそうに破顔する少年は気付いて居ない。
空耳だったのだろう。
安心させる為の“姑息”であった。本気じゃない。
シュルニィツカ自身、少年の事をどう思って居るのか正直言って、良く解らなかった。
元々愛だの恋だのといった曖昧模糊な感情に興味は無い。
少年を愛してるかどうか?少年と過ごす時間は楽しい。会いに来てくれると心が浮き立つ。だが其れが恋愛感情に由るものなのか疑わしい。
只の「暇潰しに丁度良かった」程度のものかも知れない。
だから応えるべきでは無かった。良いよと言うべきでは無かった。なのに安請け合いをした。少年を悲しませたくなかったから。
失望させたく無かったから守るつもりの無い約束をした……
(私も随分と狡い女になったものだ)
知らず息を吐いた。
「解って居るだろうが」
公爵が工房に足を運ぶのは、大抵は魔女が完成させた新しい魔術具を受取る時に限るが、この日は違った。
少年が《魔力奉仕》の時間になっても“部屋”に戻って居ないので監督役の女中長を折檻した後、彼女の口を割らせて工房へ飛んで来たらしい。
公爵にバレて、頭ごなしに怒鳴られた少年は工房を飛び出し、全速力で館へと走っていった。
工房には、公爵と魔女の二人きりだ。
「あれは我が公爵家の所有物だ。貴様も同じ……私の役に立つしか能の無い存在だという現実を忘れるな」
「解ってる」
承知して居ると回答したのに、更に数歩魔女に近付き声を落として確認する。
「あれに何か言ったか」
「なにも」
少年は自分の置かれている立場も役割も知らされて居ない。元より好き好んで面倒事に首を突っ込む気なぞ毛頭無い。
例え少年がこの先どんな末路を辿ろうと、所詮は他人事だ。《異世界》に自分が関わる謂れは無いのだから、どうだって良い事だ。
「ならば良い。……貴様も己の立場を弁え、此処で大人しく余の為に魔術具を吐き出して居れ。解ったな家畜」
“此処を去る時、餞別代わりに魔物にでも変えてってやろうか”
公爵は工房を出ると唯一の出入口である鉄扉を閉めて、外側から封印の魔術を施した。鈍い施錠音が工房内に響く。
独りきりになった工房で閉められた鉄扉を睨み続けて居たが、ふっと胸の奥で沸いた衝動にハッとしてシュルニィツカは次に口角を上げた。
いや、意趣返しなら別の遣り方にしよう。
もっと、もっと効果的な遣り方で……
「いいことおもいついた」
【《魔王の行軍》討伐支度 各地Ⅱ】
―ギィリス邸
シハ・ギィリスが治める領地キースから妹のイクナが帝都ゼシュに到着したのは、召集から二日後の事だった。
ギィリス邸の玄関前に馬車と荷馬車が連なって停車する。馬車の扉が開いた途端に若い女性の声が響く。
「お兄さまっ」
久し振りの再会で嬉しさの余り馬車から飛び出したイクナは、出迎えてくれたサーフィスに駆け寄った。そして勢いのままに抱きついて兄の首に腕を回してぶら下がった。
予想外の展開に思わず
「おっ……!」
「まあ、お兄さま。今“重い”と口に為さろうとしませんでした?!」
きゅっと眉を顰めて頭上の兄を見上げる。
「はは。そんな……一言も言って無いよ。ギリギリで何とか飲み込んだからね」
「やっぱり、重いと思ったのですね。酷いっ……心の中で思ったのなら同じ事ですわ」
ぷんぷん!
「参ったな。……三年前と比べたら背も随分高くなったし、うん。“成長したなあ”……じゃあ駄目かな?」
すると回した腕をパッと放してサーフィスから飛び降りる。腰近くまで伸ばした艶やかな髪がふんわり揺れて広がった。
サーフィスと少し距離を取ったイクナは横を向いたまま視線だけを寄越して「お兄さま」と稍低音で回答した。
「その様な誤魔化しでは、誰も許しては下さいませんよ。お兄さまはまだまだ女心が解っておいででは無いのですね」
「此れは参ったな」
苦笑いしつつ妹の頭を撫でる。本当に怒っては居ないらしく、撫でられてイクナは嬉しそうに破顔した。
「伯父さまは?いらっしゃるのかしら」
問われてサーフィスは撫でる手を止めた。一瞬イクナから笑顔が消えたが、すぐに表情を戻したので兄に気付かれる事は無かった。
「残念、伯父上はまだ城に残られてるよ。フトゥパーラ卿が突然、討伐の参加を辞退したんだ。そのせいで陣立の組み直しが必要になってね」
そう応えて肩を竦めるとイクナは目を瞬かせた。
「フトゥパーラ様と言えば……赤銅爵でしたかしら?」
「そうだよ」と答えるとイクナは益々不思議そうに首を傾げた。《魔王の行軍》討伐は皇帝への忠誠心をアピールするには絶好の機会だというのに、爵位持ち貴族が其れも赤銅卿が参戦を辞退するなんて信じられなかった。
考えられるのは……
「ご病気なのかしら」
「う~ん……突然の病、だそうだよ」
苦い顔で応える兄の様子から、イクナでも大体の察しは付いた。
「そう。……随分と都合の良い“病”です事」
すうっと目を細めるイクナの反応に、サーフィスは眉尻を下げた。
「伯父上も同じ様な事を言ってたね。イクナ、段々伯父上に似てきたんじゃない?」
「まあっ、そお?」
わたし、伯父さまに似てるって言われるのはとても嬉しいわ!
「伯父さまの様に武勲を挙げる事は出来ないけれど、わたしにも伯父さまのお役に立てる日が来たのですもの。精一杯頑張りますわ」
イクナと話している間に、シハの側仕え達が妹の荷物を全て邸の中へ運び込んだようだ。
サーフィスの腕に自身の腕を絡ませて、イクナは早速兄に案内を所望した。
「さあお兄さま、未来の皇妃を部屋まで案内してちょうだい」
「畏まりました、イクナ姫様」
イクナが連れて居るのは全て母の側仕え達だった。今まで仕えて居た三人はキースを出立する前に解雇したからだ。
事前に届いた母の手紙にも“ホックに向けて万全の態勢を整えるなら、やはり帝都の内情に明るい者を側仕えに召し上げるべき”とあった。
ちらりと視線を背後に向けた。エスコートされる妹のすぐ後ろに、筆頭側仕えの中年女性が足音も立てず付き従って居る。
指導の厳しい人で知られる彼女のお眼鏡に叶う人材が、此の帝都居れば良いのだが。さて……。
ギーリス邸内で最も格式が高く通常は皇族の来訪に対応する為特別に拵えた貴賓室が、今日からイクナの私室として使われる。
廊下の扉を開けて控えの間で訪問者は一旦留め置かれる。控えの間の扉を抜ければ広い居室に入る。
中央にローテーブルと其れを取り囲む淡い乳白色のソファ、窓際に置かれた文机と壁際には書棚とキャビネットが配置された居室の左の壁には寝室への扉が、右には衣装部屋へ通じる扉がある。
側仕え達は控えの間に積み上げられた木箱の山を次々と左右の部屋へと運び込んで行く。
大きめの木箱が五つ。一回り小さめの木箱が三つ。帽子箱が十……三?靴箱が……。
各々の部屋へ消えて行く荷物を数えて呆然となったサーフィスは、つい本音を漏らした。
「流石に……此れは、多くないかい?」
すると妹が眉間に皺を寄せ、両腕を胸の前で組むと真っ向から反論した。
「全く足りませんわ、お兄さま!」
勢いに押されて、サーフィスは思わずたじろいた。
「わたしの私物の殆んどはキースに置いて来ました。特にドレス類は普段着用に三着しか持って来れませんでしたし」
「えっ殆んど?……黄色の花柄もののドレスもかい?一番のお気に入りだったろう」
然しイクナは首を振って否と答えた。
「何れも此れも流行遅れですって。帝都ではあのドレスだってデザインが古臭くて、却って悪目立ちするそうなの。だから、帝都に着いたら新しく買い揃えなさいって……お母さまが」
「母上が」
何やら不穏な気配を察知して、サーフィスは表情を強ばらせる。
「ええ。だから、早速だけどお兄さま。明日新しいドレスの仕立てを頼みたいの。わたしの為に身体を空けて下さらない?……総大将様」
参ったな。
「討伐の後では」
「普段着用のドレスしか無いから、恥ずかしくて登城も出来ないわ。すぐにでも仕立て職人を呼んで新しいドレスを用意したいの」
「参ったな……」
「勿論、《魔王》討伐の準備でお忙しいお兄さまを煩わせは致しません。費用ならお母さまが全て用立て下さいますから、ご安心を」
「あっ……」
口許を手で隠してイクナがくすくす笑い、見抜かれてたかと眉を八の字にさせて頬を掻く。
兄は昔から照れ隠しに良くやる癖だ。不意にイクナはくすくす笑いを止めてサーフィスの腕に触れた。
「討伐に出られるまで、少しでもお兄さまと一緒に過ごしたくて」
「イクナ?」
「討伐から戻られたらもう……今までの様にはいきませんもの」
きっと
《皇妃選び》が始まれば、イクナの立場はサーフィスの妹から皇妃候補と大きく変わる。其の先はレゾンポルツェ皇帝の妃として、益々二人の距離は遠退いてゆくだろう。
《皇妃選び》が始まるという事は、家族として過ごす時間が終わるという事だ。
沈黙が二人を包み込む。空気を変えようとサーフィスが話を切り替えた。
「そう言えば……母上の到着は遅れるそうだね」
訊かれてイクナは兄の腕に触れて居た手を離し、背中を向けて数歩分距離を取った。此方を見ずに稍早口で応えた。
「ええ、そう。少し“後始末”に手間取ってるだけだから……気にする事無いわ」
後始末、という言葉にサーフィスは今更ながら胸の奥がじくじくと痛むのを感じた。
あんな事があっても屈託ない笑顔を向けてくれる妹への罪悪感と、一方で“妹の為。此れで良いのだ”と自己肯定に逃げて言い訳する、どうしようもない己の醜さに反吐が出そうだ。
それでも
(私は)
ジャンヴァルプオは、ちっぽけな自尊心の為に私達兄妹から父上を奪った。この事実は私から悲しみの感情も奪った。
残って居るのは、身を焼き尽くしそうな程の憎悪の炎だけ。
(妹の幸せより復讐を選ぶ)
最低な兄だ
だからイクナ。
君は、私の事を恨んでも憎んでも構わない。君の初恋の成就を阻んだのは私だから。応援すると言ってたのに裏切り、母上に告げ口したのだから。
君は仇の孫であるレゾンポルツェ皇帝陛下に嫁いで妃になるんだ。他の誰かと結ばれてはいけない。
そして私は復讐を遂げる。
次の瞬間
燃える館の中で兄と妹は対峙して居た。大量の血で濡れた刀身を妹に突き付ける。
憎しみの両瞳で睨め付ける妹の胸に抱き締められ、寝息を立てる幼子の姿を認めて激昂した私は冷酷無情にも告げた。
『だからイクナ。君は此処で―――』
「お兄さま?」
サーフィスのすぐ側で首を傾げるイクナが居た。
「あ……」
自分は案内したばかりの居室の中に立って居る。辺りを見回したが室内の何処も燃えては居ない。
(夢?幻覚でも見て居た……と?)
「どうしたの、お兄さま。随分と顔色が良くないわ」
「あ、嗚呼……。大丈夫」
きっと討伐の準備で睡眠をちゃんと取って無いからだね。
にっこり微笑んで心配無いと念を押して言った。
“復讐の神ハピィは時に気紛れを起こして、復讐の誓いを立てた者に可能性の未来を見せる事があるという。
其れは人によっては呪いと呼ぶ事もある”
―帝都へ向かう上空
中型の飛竜が三十程、背には各々アーシィンの飛竜隊兵を乗せ、先頭を往く大型の二頭に従い飛行を続けて居る。
飛竜部隊は早朝アーシィン領を飛び立ってから帝国へ繋がる街道沿いに、今はウラン荒地の上空に居た。
「腕が鳴るゾ!なあ兄弟」
「飛竜部隊は戦傷者の搬送とっ、物資の輸送だけだって、言ったろ。兄弟っ」
「んあ?そうだったカ!兄弟」
「さては……勝手に参戦するつもりだな」
メンディフは回答の代わりに口の端を吊り上げ、鮫歯を剥き出した。
「兄弟、が抜けたナ。ペナルティだ兄弟!」
瞳孔が縦に細長い緑の瞳がきらりと光る。極端に低い鼻の先、細い穴が目一杯開いては閉じるを繰り返す。
袖の無い淡い青の上衣に簡易な防具を装備し、その上に羽織った襟付きの白い陣羽織の長ーい裾が、飛竜の飛行速度で起きた風に激しくはためて居る。
その陣羽織から露出した首と肩から手首にかけて、皮膚の一部が鱗形に変化し、時折太陽の光を反射して青銀に光って居た。
向こう脛迄しかない丈の騎乗用ズボンは濃い海の色に染められ、水草で編んだサンダルからは鋭い鉤爪を生やした素足が覗けた。
明らかに“人とは違う”種族である事が見て取れる。此れが、陸人が認識する一般的なアーシィン人の姿だ。
其の一方で、鱗の肌を持たない自分は仕事着である生地の薄い白衣だけで騎乗した事を、今更ながら後悔して居た。
朝日が水平線に別れを告げてまだ間もない。想像して居た以上に上空は冷えた。手綱を握る両手は悴み震えが止まらない。
頭の後ろで結い束ねた長い紺碧色の髪が風に靡く。ちらり、其の下に視線を落とした。
ゾーンに引かれた大型の馬車二台と荷馬車が数台、飛竜の群れに遅れまいと猛スピードで荒地から稍離れた街道を走行するのが見えた。
二台の馬車には加療組に所属する医療従事者――診療師と看護師が、荷馬車には加療用の器具や薬剤一式、それから着替え等の荷物も積んである。
(本当なら、自分もあの馬車に乗ってた筈なんですけどね……)
出発前。
メンディフから『兄弟もどうダ』と飛竜に誘われた。丁重に辞退した筈なのに
『遠慮は要らんゾ兄弟!』
とまあ人の話を聞いちゃ居ないのはいつもの事で、気付けばメンディフ御愛竜ドラムロードの背に跨がって居るわけで。
(あの時、長衣の一枚でも持ってればね……)
飛竜部隊長の軽装な格好を見て『大丈夫だろう』と安易に判断した自分の落ち度ではあるが、どうにも寒くて堪らない。
もういっその事、飛竜を下りて馬車の方へ移ってしまおうか。其の為に強行軍の足を止める事になり更に到着の遅れに繋がる。
今は一秒も時間を無駄にしたく無いしなあ。
当初の予定では、加療組はバルヴィン丘陵の西にあるフィン台地に布陣する筈だった。
本隊が《魔王》を迎え撃つ為に最適地としてバルヴィン丘陵が選ばれた。帝都と《暗黙》との略中間の場所に在り、特にゾーン戦車隊の戦力を十二分に活かせる条件が揃って居る。
また、丘陵の東部には前回の討伐で建造されたガンガール砦が今も現役で使われ、四大魔力に対応可能な長距離砲台六基も投入するとか。
《暗黙》から行軍するだろう魔王ら御一行様から最も遠い位置で、陸人達の大活躍を“何もせず高みの見物でもしておれ”という事でしょうね。
其れも良いでしょう。陸人の私兵団には各々専属の治癒魔法士が就いてる訳だし、でしゃばって余計に恨みを買いたくないですしね。
大人しく見学させて貰いましょう。まあ、此方は飛竜部隊に活躍出来る場を与えられれば何の文句は有りませんから。
――《魔王の行軍》如きで大事な医療員を一人も失いたくないんで
ところが。討伐の準備を略終えた二日前、帝都
から突然の計画変更の通達があった。
報せを受けた加療組の医療員は大急ぎで荷造りをやり直す羽目になって、もうてんやわんや。
(せめてもの救いは、あの場にシィ様が居合わせてなかった事ですか)
結局、出発は予定より二日も遅れてしまいましてね。
どうにか遅れを取り戻すには、多少の危険は承知の上でウラン荒地を突っ切るしかないと至ったのですが……。
(仕方ない。ウラン荒地を抜ける迄の辛抱、辛抱っと)
諦念の溜息を吐いたら横から襟巻きが飛んで来た。メンディフが右手の親指を立てて片目を瞑る。
まあ、無いよりましか。有り難く友人の厚意を受ける事にした。
強い向かい風に飛ばされない様、襟巻きをしっかり首に巻いて結わえて居るとメンディフが声を掛けて来た。
「ホントにやるのカ、兄弟っ」
何を言い出すのやら
「断る理由は、ないさ……兄弟!」
だがな、と続けるメンディフの言葉を遮って
「考えてみたら、“あの”治癒魔法士を堂々と……こき使える絶好の機会なんだ、兄弟っ」
届いた変更内容は、討伐に参加する治癒魔法士を全てフィン台地に集結させて加療組と共同で治療に当たれというものだった。
而も何故だか治療の主導権は加療組に与える、と。
日頃から『治療魔法も使えない木偶の坊。医療員?、なんてお笑い草だ』等と蔑み見下して来た側が、アーシィン人に指示を仰ぐ立場になった訳だ。今、どんな気分で居る事だろう。
「そいつは……ウムッ、俺も断らんナ。了解した兄弟っ!」
ニカッと笑ったメンディフに声を落として「とは言え」と続ける。すうっと目を細める兄弟の様子にメンディフの表情からも笑みが消えた。
「使いものにならないなら、とっとと戦場に放り出すさ。邪魔だからね……天下の治癒魔法士様に、まあまずそんな事は無いだろうけど。なあ兄弟」
「ガーハッハッハッハッ!」
突然、飛竜部隊長が高笑いを上げたので、後ろに続く兵達が驚いて互いの顔を見合わせた。そんな事はお構い無しにメンディフは
「相変わらず容赦無いナッ、兄弟!」
私に向かって親指を立てた。そして唐突に「腹が減ったゾ、兄弟!」と言って来た。
此れもいつもの事だから気にせず「そうだな兄弟」と同意を示せば
「じゃ朝飯にするカ兄弟!」
「え!今此処で?」
「善は急がねばナ!兄弟っ」
そう言って、メンディフは後ろを振り返り、背後の行李に手を伸ばす。ポンポンと蓋を叩くと飛竜が鼻を鳴らした。
―まったく、冗談じゃないわよっ。重たいったらないじゃない!此のバクリュウ、荷物持ちする為にアンタを主人と認めた訳じゃないわよっ
ギロリ。睨み付けてみるもメンディフは飛竜の殺気に気付かない。
「ヨメが持たせてくれたのダ、兄弟」
「夫人が……」
“兄弟”を付けるのも面倒臭くなって来たので届かない様に小さく呟いた。
(へえ~愛妻弁当ねえ。其にしても……大きいなあ)
「兄弟の分も有るから心配するナっ」
「えっ?」
返事の代わりに行李の蓋を開けると紙包みを一つ、ぽうんと投げて来た。放物線を描いて迫る紙包みを両手で受け取り、思わず手綱を離してしまった。
だが賢いドラムロードは乗り手が再び手綱を握る間、大人しく飛び続けてくれた。
『朝の早い集合ならば朝食を摂れなかった方もおりましょう。移動中でも片手でも食べられるよう、パンに挟んでみました。皆さまの分も作りましたから、必ず、お渡し下さいまし』
「と言う事ダ、兄弟。加療組の分も有るゾ」
「凄いな……兄弟」
其れは、なかなかの数を作ったのでは無いか……?
「ナ。俺のヨメはできたヨメダロ、兄弟!」
「嗚呼、そうだな」
しみじみとお前には勿体無いよと心の内で零して包みを開けた。アーシィン名物の磯魚の酢漬けと食感の良い玉菜を真四角の麦パンで挟んだアクァサンドだった。
成る程、アクァサンドなら片手で持てる大きさで騎乗中でも食べ易そうだ。馬車に揺られる医療員達の分まで用意して貰えて、アーシィンに戻ったら真っ先に挨拶しに行こう。
「また“兄弟”が抜けたゾ兄弟!」
鋭く指摘してから、メンディフはもう此れまで何万回口にしたか判らない台詞を吐いた。
「だから兄弟も良い加減、ヨメを貰え!」
あ~んと口を開けた所で飛び出した一言に、またかとうんざりしてつい、投げ遣りに返してしまった。
「しつこいぞ兄弟!良いんだ、此のままで」
「いつまでも、相手をとっかえひっかえ。火遊びばかりの何処が良いんダ?兄弟っ」
言いながら、ポンポンと紙包みを後ろへ投げ続ける。上官の無茶苦茶な差し入れ方に慌てる様子も見せずに、一人も取り損ねる事が無い所を見る限り、どうやら此れもいつもの事なんだろうなあ。
呆れて居ると、ふとあの人の顔が浮かんだ。『食べ物を粗末に扱うでない!この、未熟者っ』
そう怒鳴って、いつもの様にメンディフの額へ杖を振り下ろすだろうね。
今、此処に居たなら………
「このままが良いんだ」
もう一度同じ言葉を吐いて、一口目を頂く。
パクリ。
酢漬けの酸味が磯魚の淡白さを補ってとても旨い。一緒に挟まれた葉野菜のみずみずしさが噛むごとに気持ちの良い音を立てる。
(全く)
メンディフの“ヨメ”は本当に料理上手だ。しっかり胃袋を掴まれてるなあと感心せずには居られない。
後続の飛竜一騎が急に速度を上げて、前方を行くバクリュウに近付いた。騎乗する兵士は左手を手綱から離しバクリュウに向けた。青い魔力の光が放たれ、大きな手の形を作るとバクリュウの背中に置かれてあった行李に迫り、掴んだまま持ち上げて自分の飛竜の背に移動させると、下降を始めた。
其の先には医療員を乗せた馬車が猛スピードで駆けて居る。横目で其れを眺めて居るとメンディフが再び声を掛けて来た。
「兄弟、いっその事」
まだ言うか。反論しようとして、然し続けられた発言に言葉を失った。
「陸人のメスならばどうだ?パッと見アーシィンぽくないからナ、よもやするとイケるのでは無いカ!なあ、兄弟よっ」
「………何処からそういう発想が沸いて来るんだ?又従兄弟殿」
「!」
“兄弟”と呼べ、兄弟!
メンディフのお節介な説得が始まったが、其れは風に靡く己の髪と同じく全て背中の向こう側へと受け流し、自分は朝食に専念するとしよう。
其れでも
アクァサンドを食みながらふと
(嫁……ねえ)
さて適齢期の此の青年、この先にて祝福の女神達がブーゲンの花弁と共に待ち構えて居るなど、知る由も無かった。
―薬方院の執務室
緊急召集のあった翌日。
オルセンは薬方院長サーフィスに呼ばれ、午後一番に彼の執務室を訪ねた。
本来ならば赤銅爵の自分が無冠貴族を訪ねるなど有り得ないのだが、《魔王の行軍》討伐隊の総大将を拝命した以上、彼は白銀爵のシハ・ギィリスよりも立場が上になってしまった。
今、爵位持ち貴族の中で最も地位の高い人物、という事なのだ。認めたく無いが仕方ない、お召しが有れば従うしかない。
そして自分はシュナイザ家の現当主である。個人的な好き嫌いを横に退かして、表面上は恭順の意を示せるだけの分別は身に付けて来た。
(其れも此れも、兄上をシュナイザ家に呼び戻す為)
母との固い約束を叶える為に――
下げたくない頭を下げるのである!
すると
『私に仕えてみないか。今だけ、ではなくこの先もずっと』
前置きも無く告げられた。
討伐隊の陣立は、総大将の指揮する主力の本隊と白銀爵の三分隊に分け、分隊は各々役割を定めた。ギィリス隊はゾーン戦車隊と騎兵隊を中心に白兵も揃えた近戦戦闘型に。一方でマクドール隊は魔術師と戦闘型錬金術師で構成した遠距離攻撃を得意とした。ヴェール隊は後方支援に徹し、そして白爵が率いる冒険者達は遊撃部隊として先鋒を務める、と割り振られた。
当然、オルセンはギィリスかマクドールお抱えの魔術師隊、どちらかに配置されるとばかり思って居たので、正直驚いた。
『私は君の魔力も剣術、戦術を高く評価してる。だから、今回の《魔王の行軍》討伐の間だけと言わず、私に仕えて欲しいんだ。どうだろう』
だが、オルセンは迷い無く言い切った。
『お断り致します』
何故、と問われても『真の《帝国の剣》を目指して居るからだ』と答えるしか無い。
『私が頭を垂れるべきはフェルヴィクトズ帝国です。膝を折るべきは帝国の民です。貴方ではありません』
黄金爵を辞退した時の亡父の言葉を真似てみた。きっぱりと拒絶の意思を示したオルセンだったが、其れはサーフィスとて想定範囲内の事だった。
白銀爵らと討伐の陣立てについて合議した際にサーフィスはオルセンの本陣配置を提案し、此れを強く押し通した。
ギィリス邸の自室に仕事を持ち込み、薬方院関連の執務で机に向かって居たサーフィスはふと手を止めて背後の窓を振り返った。
硝子窓の向こう、遠くにシャンクウェート城が小さく見える。槍の先にも見える尖塔が朱く染まって居る。
(もう日暮れ時か……)
本来なら薬方院に残る他の文官に事務仕事を任せて自分は《魔王の行軍》討伐の準備に集中すべきなのだろうが、実際は伯父が全てやって居る為にする事が無い。
どのみち他人に任せられない決裁書が山積みになったままだ。まだ手を付けていない書簡の山を目にして溜息を吐いた。
山積みの書簡に対して、では無い。
先日、渋る伯父を何とか説き伏せてオルセンを陣中に取り込んだというのに、たった数日で呆気なく覆された。
背凭れに身体を預け天井を仰ぐ。急速に光が失われて部屋が暗くなっていく。
伯父上の立てた計画通りに事が進めば、いずれ自分には強力な後ろ楯が必要になる。無冠貴族のままでは誰も納得しないだろうから。
既に《帝国の盾》であるロングゴート家当主を護衛騎士長として取り込んだ。更に《帝国の剣》も手に入れたなら、と欲を掻いたのは悪かったのか。
此処で思惑が外れたのは、存外に痛いな。
“所詮は伯父の掌の上で転がされて居るだけ”
陰口を叩かれてばかりではいけないのだ。
今は《魔王の行軍》討伐に掛かりきりだが、片付いたら皇妃選定が始まる。妹を確実に皇妃の座に据える為には、兄である己の足場固めが必要だと思った。
(さて。シュナイザ一族をどうやって取り込むか……)
側仕えが慌てて執務室の灯りの魔道具に魔力を注ぐ間、サーフィスは天井を仰いだまま思案に暮れて居た。
―政務館の首相室
爵位持ち貴族を召集した緊急会議で《魔王の行軍》討伐が下命されてからというもの、政務館は多忙を極めた。
予め想定して居た事ではあるが、ありとあらゆる方面から陳情や問い合わせ等討伐に関連する書簡が次々と政務館に持ち込まれる。
理由は明白。シハ・ギィリスに押し付けられたからだ。
『我々白銀は討伐の準備に追われ、貴族からの書簡全てに目を通す余裕は無い。だが重大な情報を逃す訳にもいかぬ故、公正さを鑑みて首相の貴公に対応を頼みたい。政務館で纏めて吸い上げれば情報の共有も容易かろう』
要するに“執政機関である政務館は、討伐に直接関わらないから暇だろう?使い走りぐらいやれ”という事だ。
冗談じゃない、我々だって暇では無い!
財務管理に帝都の各行政機関の運営、冒険者ギルド及び採集問屋の監査に時には抜き打ち調査だってやって居る。平民地区の警備局、平民限定の司法局に消防局も政務館の管轄に在る。
《魔王の行軍》が発現しようがしまいが関係無い業務だろうが、此れは此れで結構……地味に忙しいのだ。
(嫌だ、と言えたなら)
『其の程度の事務作業は自分でどうにかして下さい』
嗚呼、言える筈も無い。
(相手は白銀爵、片や私は無冠貴族……)
而も大妃ルドワンナもギィリスの言葉に賛同したのだから致し方無い。
通常業務と兼務する事になるが、何とか人手を集めて《魔王の行軍》討伐関連の書簡の仕分けに取り掛かった。
さて。
机に山積みの書類を一枚手にし、ざっと目を通す。平民からの陳情書であった。次の書類も其のまた次も職人通りで店を営む平民からのものである。
(随分と貴族絡みの案件が多いな)
爵位持ち貴族の名を出しては威圧的な態度に出られ、中には支払いを踏み倒された者も居る。
「此れは」
直ぐに対処できるか解らんが、取り敢えずさっさと纏めてギィリス卿に告げ口……対応についての相談を兼ね御報告致すとしよう。
机の手前に置いた仕分け箱の内、左端の“将軍”のタグが付けられた箱に次々と投げ込む。
ふと紙の手触りが滑らかになった。元皇族――別称緑青卿からサイト宛ての封書も紛れ込んで居た。
十中八九、討伐には全く関係無い内容だな。
どさくさに紛れて『皇族としての身分回復に協力しろ』とかなんとか。開封しなくても容易に想像出来た。
全く、面倒な事この上無い。
だから緑青卿からの書類に文の類いは、全て大妃ルドワンナ様に一任するよう決められた。
(ふん。私如き一介の無冠貴族にならば言う事を聞くとでも?舐められたものだな)
未開封のまま、此れも右端に置かれた稍上等な作りの仕分け箱に放り込んだ。
(出世したいものだ……)
はあ。
言葉にして決して口に出せない願望を溜息で吐いて、次の書類に目を通す。
仕分け作業が一段落着いたら、今此処で決めてしまって良いものはどんどん片付けていく。そうしないと、次々と届けられる書類の山で首相室は紙の山に埋もれてしまう。
(出世したいも)
再度のぼやきは、残念だが首相室の扉を叩く音に遮られた。
「入れ」と応じれば「失礼致します」と、今日も次から次へと文官達がひっきりなしにやって来るのであった――
「首相!ギィリス将軍から赤銅爵及び青銅爵へ通達せよとの書簡が来ました。内容が……」
「首相、巡回警護兵団から“警護兵の配置変更に関する通達書が届いたが、詳細な書簡はまだか”と」
「変更?……知らんぞ、そんな事」
承認印を押そうとした手を止め、灰色の髪を揺らして顔を上げた。
「変更内容を確認したいので早急に計画書を送って欲しいとの事、です」
言いつつ文官が差し出した書面を受け取り自らも目を通す。すると別の文官が大量の書簡を抱えて執務室に入って来た。
「サイト様!こ……此方、を優先して……欲しいとの事、ですっ!……ギィリス将軍、が」
「なっ!」
抱えていた書簡のまずは半分が執務机に積み上げられる。その一つに、先程の巡回警護団が寄越せと言って来た配置変更について詳細に書かれてあった。
「全て……討伐に関する変更内容、だそうです。全青銅爵へ情報の共有を行うように、と……」
「此方に届いた職人通り組合長からの陳情書を纏めておきました、が……分厚くなりまして」
「すみません……あのう、こちら錬金術養成院長からなんですが」
『素材が何れも此れも圧倒的に足りないんだけど!(中略)言い訳も泣き言も逃げ口上も要らないから。あんた暇でしょ?さっさと調達して来て!卸元が表でも裏でもこの際一切合切、選り好みはしないからっ。其れと人手も足りないのっ!余ってるでしょ?政務館に居る下働きの十人かそこら、こっちに回してっ』
「無茶苦茶な……」
「サイト様、判事長官から本日の告訴状が届きました。其れから、此方は囚人の減刑対象者一覧と行動記録だ、そうです。承認の印判をお願いします」
「首相、また職人通りから今度は職人個人から陳情の書簡が。其れと、治癒魔法士協会からは抗議文が届いて居ります」
ああ、あれだな。“魚人と合同で治癒にあたれ”とやつだ。ま、突然言われて素直に従える治癒魔法士なぞ居らぬわな。ギィリス卿は一体何を考えて居るのか。
「○○領の何とか様、何とか様から城の転移陣について使用許可の申請が出てますが、如何致しましょう」
「失礼致します、財務部です。今月の諸会計報告書で……す。印判を……お願いしま、す……?」
ううう……。
「土木部です!下町から下水機能に不具合が出た、とかで工務部に申請を出したがまだ返事が無い、早く浄化魔法を掛けてくれ。との事でして……」
「黒麦の今年の収穫予想量を算出致しました……」
おおおおお……お。
「失礼致します。大妃ルドワンナ様が首相との面会を望まれて居ります。出来得る限り早急に時間を作って欲しい、との言伝てを預かって参りました」
「解った。すぐに伺いますと伝えてくれ」
私は飛ぶ矢の如き速さで首相室を否、政務館を後にした。大急ぎで馬車に乗り込み一路、離宮を目指した。
狂いそうな程に忙殺された仕事場から一時だけでも逃げ出してしまった私を、皆よ。
どうか許して欲しい―――
―錬金工房エリクシル
鍛工の怪神バルが“至高なる一品”と絶賛したのは、金属妖精が戯れに錬成した小さな鏃だったと言う。
その金属妖精エリクシルの名を冠する帝国立錬金工房は鉄の都ミーレントスの北西地区に在った。
八つの八角ドーム屋根がジグザグに連なった不思議な造りの其の施設は、ドーム屋根の真下に大きな錬金釜を一基ずつ構え、釜を取り囲むように屋根を支える八本の支柱の内二本は、中が空洞になって居る。
一本は工房内の熱を外へ逃がす為、もう一本は万が一の事態に対処する為の緊急用の排気口だ。
ジグザグな施設内部、中央辺りに即席で組まれた木製の足場の天辺に小振りの受注壺が置かれてある。
更に壺の真上、天井に近い何もない空間から発注書の紙が現れてはひらりひらり舞い降り、壺の中へと吸い込まれる。
壺に注文書が納まる度に赤や青、緑に紫色と発光した後、注文内容は自動的に工房長の事務机へと運ばれる。
発光の色は八つある錬金釜の各々を示して居り、光る度に錬金釜の脇に設置された掲示板型の魔術具にも注文内容が伝達される。すると工房内のあちこちから、深い溜息が聴こえて来るのだった。
平時は半分だけ釜に火を入れて残りの錬金釜は点検と錬成の調整と時折研究用に待機させて居るが、此処数日は朝から晩まで錬成、錬成、錬成と七基が常に動いて居る状態だ。
「なのに……」
《魔王の行軍》発現の報告が上がり、帝都では俄に討伐隊が編成された。
と連絡が入った途端、爵位持ち貴族から立て続けに錬成注文が“文字通り”飛び込んで来たのだった。
状態異常耐性を付加した防具専用の薬剤、各色中和剤
軟膏薬、各種回復薬、肉体強化薬、魔力属性強化薬等の魔法薬類
携帯寝具、魔法薬瓶、闇耐性を付与させたテントに打撃耐性を加えた中衣や魔法防御付きマント等の特殊衣類
而も注文量がどれも此れも半端ない。あっという間に許容量を超えた工房内はもうパンク寸前だ。
「一班!軟膏薬は後回しっ、先に中和剤の錬成をお願いっ」
「三班!毒回復薬はまだ?!」
「六班っ、手が空いた人居る?!二班の強化薬の方を手伝って!」
「七班長、シュナイザ家の注文書は何処?!」
帝国錬金術養成院長兼帝国立錬金工房長兼錬金術師にして唯一の無冠貴族のシルヴァ・ブロンドは、稼動する全ての釜を回り作業進捗を確かめては的確に指示を出し、物を知らぬ貴族どもの五月蝿い催促に対応する為に工房とは別棟の事務所へ移動し、また戻っては直ぐ様仕事を再開し、と満足に休息も取れないで居た。
「ビーサーの角、届きましたあ!!」
「候補生!」
「はいっ」
工房に所属する錬金術師達を総動員しても人手が足りず、養成院から優秀な候補生の何人かを錬成の補佐として召集した。有難い事に皆、卒業前に経験を積めれるからと喜んで応じてくれた。
其れでも増え続ける注文に錬成が追い付かない有り様だ。
「シルヴァ様、このままだと赤の中和剤が足りなくなります!」
工房長室から側仕えの男性が声を上げた。工房内を動き回る自分の代わりに細かい事務作業は彼に任せて居た。
「ススリ草は?」
「既に材料の在庫を確認しましたが、赤だけ保管庫にある分では賄いきれません!」
「仕方ない。……都中の問屋に問い合わせて、有るだけ全部買い取って来て。代金は、立て替えって事で」
皇帝様に後で支払って貰うわ。
側仕えは頷くと工房を飛び出して行った。
人手が足りない。その上材料も足りないとは。
(緊急事態だというのに……あの馬鹿わっ)
こういう時こそ、役に立ちなさいよ凡くらっ!
呼び出しの小鐘は鳴らした。どんなに遠くに居ようと、錬金術師ならばこの呼び出しから逃れる術は無い。
錬金術師の資格を得た者に与えられるアルケミアメダル。其れには簡易の転移魔法陣が組み込まれてあり、緊急時に限り工房長の権限で強制的に工房へ転移させる事が出来るからだ。
だが、一人だけまだ工房に姿を姿を現さない者が居た。
名はジンク・リード。千年に一人の逸材と評され、その実力はシルヴァよりも上――いや遥かに上だ。
本来なら“彼”が工房長に就任して然るべき所なのだが、奔放過ぎる性格が災いして遂には前工房長を敵に回してしまった。
出世の機会を逃したどころか、彼は肩書きの無いまま今に至って居る。危うく失業の憂き目に遭いそうになった所を、工房長に就任した同期のシルヴァに拾って貰った恩を微塵も抱いて居ないのか、自由奔放にちょいちょい工房を抜け出しては行方をくらますのだった。
其のいつもの失踪が、よりにもよって《魔王の行軍》と重なるとは!
(どうせ彼奴の事だ、転移魔法陣の術式を弄ったんでしょうよ)
「呼び出しに応えないって……」
帝都で討伐準備が進んでるって事は何処に居るか知らないが、良い加減耳に入ってる筈だ。なのに、何故戻って来ない。
今は借りられる手なら猫でも犬でも、この際魔獣でも魔物でも構わない。魔王だとしても大いに歓迎だというのに、あんにゃろう……。
「くそったれ!」
此処に居ない逸才の錬金術師に向けてシルヴァが吠えた。吠え声は工房のドーム屋根八つ全てに反響し、驚いて作業の手を止めた錬金術師達が一斉に振り返る。
注目を集めた程度の羞恥など構うものか。
「とっとと戻って来んかっ、錬金馬鹿ああああ!」
―神殿都市デレンホーバーの郊外マクドール城
「ねえ~いいでしょ~」
甘ったるい声で長ソファに座らせたタヒドの薄い肌着越しに指を這わせる。背骨の中程でクルクル円を描いて、もう一度「おねがぁ~い」と上目遣いで彼を仰ぎ見る。夕涼み用の生地の薄い羽織りを着崩して、肩の白い肌を見せつけて遣れば、ほうら耳まで真っ赤だ。おまけでちょっと軽めに潤んでみせれば、ほら。相手はいちころだ。
(ちょろい男……)
タヒドは自分より七つも年下の義母に誘惑されて居た。
「……あっ、あの……そ、其れは……でもぉ…………は……義母上……」
「いやっ。二人っきりの時は、パトラと呼んでって言ってるでしょ」
ぷくっと頬を膨らませ身を引くも、すぐまた豊満な胸部をタヒドの腕に密着させる。
「おねがぁい、どうしても欲しいの!」
十七歳の成人を迎え、正式にデュランの側室となってからというもの彼女の浪費と我儘は止まる所を知らず、まさに傍若無人の限りであった。
この日も城内に南方からの隊商を主人の留守中勝手に招き入れ、談話室に持ち込ませた品物を次々買い漁っていた。
だが然し、浪費が過ぎれば夫から渡された小遣い程度の手持ちの金はあっという間に底を突く。其処で、マクドール家の金庫番であるタヒドを籠絡して大金をせしめようと、沐浴を終えた所を狙って義理息子の部屋に押し掛けた。
デュラン・マクドールの後継第二位であるタヒドは、マクドール家次期当主の長兄を支えるべく成人前から神殿に仕えて居る。自ら望んで神官の道を選び、生涯を信仰に捧げるつもりで居るのだが。
目の前に差し出された据え膳は、彼が押し込めた筈の“男性”を否応にも奮い立たせてしまう。
(だから、私はこの女性が苦手なんです!)
「ねえ~。タヒドぉ~」
「其処までになさい」
声のした方を二人同時に振り向けば、開かれた扉口の前で正夫人が両手を前で組んだまま立って居た。
彼女の背後で、廊下に締め出した侍女がおろおろして居るのが見えた。気弱な少女如きでは正夫人を足止めにもならなかったか。
「ちっ」
静かに此方を睥睨して居る夫人へ殺意を込めて視線を返したパトラは、薄く形の良い口で舌打ちをする。
(何だよ……ったく。邪魔が入りやがった)
「先程、旦那様が本神殿にお戻りになられました。二人共すぐに着替えてお出迎えなさい」
「は、はい。判りました!母上」
タヒドは心底「助かった」という表情をして長ソファから勢い良く立ち上がると、素早く扉に飛び付いて部屋から逃げ出した。
此処はタヒドの自室だというのに。一体何処で着替えるつもりなのか。廊下で控えて居た側仕えが慌てて彼を追い掛けた。
一方の側夫人ははだけた羽織りを整え、態とらしく科を作りながらゆっくり立ち上がった。
「は~い」
返事してパトラも自分の部屋に戻ろうと部屋の扉へと向かう。自然と正夫人に近付いてしまう。
「パトラ」
擦れ違いざまに正夫人が声を掛けて来た。
「……」
「思い違いをするでないぞ。お前は旦那様の跡継ぎを産む為だけに買われたのだ」
そう、あたしは端金で爺に売られた。表向きは側妻だそうだけど、正式な婚姻契約なんてしちゃあ居ない。
「我が家に“魔力を持った子供”をもたらす事が出来ぬなら……」
「解ってるわよ」
正夫人の言葉を遮って吐き捨てる様に応えた。お互いに視線を合わそうともしない二人は其れ以上、言葉を交わす事も無かった。
タヒドの部屋を出たパトラは役立たずの侍女を従え、自分の部屋へと戻っていった。
(うぜえババア……)
―神殿都市デ・レン・ホーバー、大神殿の神殿長室
大神殿ホーバーに祀られる主神は復活のファングーヌ。雷神ディートと祝福の女神フェアとの間に産まれた最初の息子神である。そして、此のホーバーで産まれたとされる。
神魔戦争で一度命を落とし、冥府に辿り着いたが弟妹神達の協力で再び地上へ戻って来た。
ウラン事件が起きた後、最高神ディートは蘇った息子に其の座を譲り旧時代の神々を引き連れ、今は夜の天上に浮かぶ月に宮殿を建てて世界を見守って居る。とか居ないとか……。
緊急召集に応じて帝都へ向かってからまだ一日も経って居ないというのに、父上が帰還されました。
礼拝所の真下にある転移陣が起動すると、神殿長室の壁に掛けてあるランタンの魔石が黄色に輝くのです。
其の時私は丁度、神官長と次の礼拝会について打ち合わせ中だったのですが、慌てて神殿長室を飛び出しました。
転移陣のある地下へ到着したら、光り輝く魔力の柱から憤然とした表情で父上が姿を現した出所でした。
帝都で何かあったのでしょうか。
聞きたいような、何となく聞かない方が良いような。然し、どうにも胸騒ぎがしてなりません。
「お帰りなさいませ、父上。帝都で何かあり」
然し私の挨拶は眉間の皺を更に深くした父上に遮られてしまいました。
「神殿長室にゆくぞ」
(やはり、向こうで何やら面倒事が起きたようですね)
礼拝所に繋がる螺旋階段を上り始めた父上の後に従います。
父上の跡を引き継いで神殿長に就任してもう十年は経ちましたが、まだまだ力不足な私は未だ執務の一切を父上の御指示を仰がねばなりません。
父上には大変申し訳なく思っています。長男だというのに何とも情けない事です。
神殿長としても――
マクドールの後継者としても――
父上の後に従い螺旋状の石段を上り切った所でふと、まさかあの事では無いだろうかと頭を過ります。だとしたら、此れは一大事です。
私の左手は無意識に鳩尾辺りを押さえて居ました。
もしも、そうだとしたら父上にどう釈明するべきか妙案が浮かびません。礼拝所と神殿長室はそこそこ距離が有りましたのに、あれこれ悩んで居るうちにもう神殿長室の扉まで辿り着いてしまいました。
神殿長室に入るや否や父上は人払いを命じました。然し出ていく神官の一人を呼び止め
「タヒド、エイドラ、ユリーハムと……ココンパケットも呼びなさい。ああ、ココンパケットには“最優先事項だ”と必ず付け加えておくように」
「畏まりました」とだけ応えて、彼も神殿長室を出て行きました。
先程父上が挙げた名前は、本神殿に籍を置く高位神官達の中でも特殊部署の責任者ばかりです。
(どういう事でしょう……)
“あの事”では無いのでしょうか。そうかも知れません。僅かに一筋の光が見えて来ました。
然し。扉がしっかり閉じられ私と二人きりになった所で父上の仰った言葉に、私は別の意味で目の前が真っ暗になりました。
「《魔王の行軍》が出よった」
「なっ……」
なんと!
「其の場で討伐部隊が編成される事なって、マクドールの兵も出す事になったわい」
魔王ですと?
……あの、絵本に登場した魔王という事ですか。英雄王ハイウェルフが多大な犠牲を払って《暗黙》に再封印したという、邪神を遥かに超える邪悪なる化物が?
本当に存在して居たんですね……
色々と得心がいきました。
「其れでシャンクウェート城から召集が掛かった訳ですか……。父上も御出陣為さるのでしょうか」
「当然じゃ。白銀爵ならば致し方無かろう」
「では此度は、如何ほど兵を出されますか」
ところが父上は、私の質問に酷く嫌な顔をして唇をへの字にひん曲げてしまわれました。
(酷く答えたくない、という顔をして居られる……はて)
「……四千じゃ」
「は?」
其れはつまり……
「っ……あやつのせいで、全部供出する羽目になったわっ!」
魔女めがっ
父上が会議での遣り取りを手短く話して下さった限りでは、どうやら兵数の誤魔化しがバレてしまったようです。
致し方ありません。ギィリス卿やヴェール嬢相手に騙し通す事など難しいと思いますよ父上。彼方は戦いに慣れて居りますから、此方の兵力を正確に見積もる事など造作も無いでしょう。
「判りました。ではすぐに出陣の準備と手配に取り掛かります」
私に出来る事なんて此れくらいしかありませんし。
高位神官達が到着する前に歩兵団へ指示を出しておこうと執務机に向かいます。魔術師部隊は父上の直轄ですが歩兵団は私の指揮下にありますので。
執務机の席に着くと私は卓上の五段になった書類引出しの上から二番目を引き、中から茶色い紙を一枚取り出します。次に、硝子ペンをインクに浸した所で父上は私の名を呼びました。
「レイモン」
「はい」
条件反射で応えて、私は続く言葉に再び驚きました。
「悪いが儂の代理で討伐に行ってくれ」
はい。と口にしそうになって、私は必死に堪えました。
「儂はの、死にとうないのじゃ」
私も死ぬのは嫌ですよ
「然し、私は神殿長ですし無冠の貴族ですから、白銀爵の代理というのは」
「おおおっ、ならば爵位を譲ってやろう!そうすれば行けるじゃろ、ん?」
「無茶を言わないで下さい!そもそも、私では魔術師団を纏められませんよ。……父上が良くお分かりの筈です」
誰かに聞かれては困るので後半は声を潜めましたが、言わんとする事は伝わったようです。
「ぐぬぬぬ。忌々しい……」
今更言っても致し方の無い事です。誰が悪い訳でも無く、ただ運が無かっただけ。其れだけの事なのでしょうから。
但し。
高位の爵位持ちとなると様々な方面に影響を及ぼします。此れまでマクドール家が長きに渡って築いて来た地位も財も此れからの保障されて居た筈の未来も、何もかも失う事態になりかねません。
だからこそ私は父上にも黙って、密かに研究を始めたのです。
《無力病》で失った魔力の復活方法を見つけ出す
たとえ其れが非人道的なものであったとしても、もう手段を選んでは居られないのです。
(あの浪費癖の酷い女狐に此れ以上マクドール家を食い物にされてなるものですか。パトラが父上の子を産み落とす前に、何としても魔力を取り戻さねば……)
自分と同じ様に、兄である私も魔力無しなのだと弟が気づく前に……。
「レイモン、お前はそ」
父上が私に何か言おうとしたようですが、神殿長室の扉を叩く音がして口を閉ざしてしまい、結局聞けず仕舞いになりました。
―冒険者ギルド シル・クロード
噴水広場を囲む建物群の一つに冒険者ギルドの本部が入って居る。
シル・クロード。ハイウェルフ帝時代に立ち上げられた歴史の長くギルドとしては大手の一つに当たる。因みに現ギルド長は四代目で元冒険者だ。
広場に面した観音式の窓を片側だけ開けて、ギルド長室に籠った熱気を追い出せないものかと試みるが上手くいかない。
噴水台を濡らす程度の水飛沫では、耳に心地好い音を奏でても涼風を届けてはくれそうにない。
(無駄な努力だったかも。こうなったら誰か、氷魔法でも使える者に頼もうかしら)
「失礼しますギルド長」
書きかけの書類で扇いで居た所に、秘書が隣の控室の扉を開けて入って来た。
「なに?」
しれっとした顔で応えてみたけれど、彼女の視線はしっかりと手元の書類を捉えて居る。すっと目を細めて無表情になったかと思えば、笑みを深くして「ネィリ様が戻られました」とだけ伝えて来た。
「すぐに通して」
ネィリは確か、土属性と木属性だったわね。残念
そんな事を考えていると、樺の木で拵えた大杖を手に生地の厚い長衣を着たネィリ・コモ・マーリンが入って来た。当ギルドに於いて実績ナンバーワンのクラン《あまいもの》の副長である。
「暑い……ですね」
「そうなのよ。何とか出来ない?」
結局、奇術レベルの火魔法しか使えなかったから冒険者稼業にさっさと見切りを付けたし、養父母の勧めもあってギルドを継いでギルド長をやってる訳だけど。
欲しかったなあ……水系属性の魔力
(だからこそ、困った時のネィリ様なのよ)
「そうですね……」
長衣の内側でごそごそと何かを探って居たネィリが「ありました」と差し出したのは、氷獣ドラモンの眼球だった。
直視すれば氷漬けにされてしまう瞳孔部分は抉り取られ、空いた部分に封じの魔法陣が刻印された木栓を嵌め込んである。其れを外すと忽ち冷気が溢れ出て来た。
冷気を吐き続けるドラモンの眼球を無造作に大杖の天辺に乗っけて、杖が倒れない様に木属性魔法で“根”を生やしてしまった。
「どうですか」
「うん。良いわね、ありがとう」
やっぱり持つべきはネィリね!
心から感謝して居ると、視界の隅に入った秘書がそんな私を氷獣の眼球以上の冷え切った目で睨んでたので、さっさと本題に移る事にしました。
「で。首尾は?」
「はい。リストに有ったクランの皆さん全員にお会いしました」
言いつつ、此れまた長衣の下から折り畳んだままの紙を取り出した。丁寧に広げてからギルド長に見せる。
一覧に記されたクラン名の上に全て横線が引かれてあった。
「《魔王の行軍》の討伐参加をお願いしましたら皆さん、あっという間に此の転移陣でミーレントスへ向かわれました。わたしが説得する必要もありませんでした」
『お久しぶりです。お元気そうで何より』
『ひいっ、絞め殺しの!』
『皆さんもうミーレントスへ行かれましたよ。さあ、あなたも』
『か、勘弁してくれ。……俺には家で腹を空かして待ってる餓鬼が』
『みーつけた』
『いやあっ!来ないでぇ~』
『《魔王の行軍》なら、お前達が居りゃあ充分だろう!』
『いいえ。皆さんの御協力無くして成功しませんから』
『後生だから、見逃してくれ~!』
『魔物の討伐は冒険者にとって名誉な事ではありませんか』
『魔王の討伐なんて聞いてないしっ』
『はい。今お知らせしましたから』
『ところで……ずっと気になってるのですが、皆さんはわたしを“絞め殺し”と呼ばれるのは何故でしょう』
異口同音、回答は全て
『し……知らんわ!』
『…………そうですか』
まあいいかと独り言を口にして、ネィリは長衣から光る何かを放った。
其の何かが何なのか、宙に浮いたかと思えば次の瞬間、円盤状に大きく広がった。光って居たのは成る程、何かの魔法陣に描かれた術式が発動した為か。と認識した時にはもう手遅れだった。
携行型転移陣は真下で呆気に取られて見上げる冒険者に向かって、眩い円筒状の光を降下させ一気に飲み込んだ。
次の瞬間には光は霧散し、ネィリに追い付かれた冒険者達の転移は無事に終えた。
ネィリが長衣から出して来た携行型転移陣の盤を認めて、ギルド長は満足気に微笑んだ。
「そう……全員参加してくれたのね。良かったわ」
「はい」
秘書も深く頷いた。其れから書類棚に近付き、棚のガラス扉を開けた。
其の間もギルド長とネィリの会話は続く。
「ところでネィリ。訊きたい事があるんだけど」
「なんでしょう」
「……うちのひとさ、何処に行ったか知らない?」
質問を投げ掛けたタイミングで秘書が書類棚の扉を閉じる。そして冊子を手にギルド長の座る執務机に近付く。
ネィリがいいえと首を横に振った。
「一昨日から姿を見てません。なのでルオンに捜索をお願いしました。ご報告が遅くなってすみません」
「良いのよ。そう……」
こっそり悪態を吐く間に、秘書は持って来た冊子を執務机にそっと置いた。
ギルド長は其の冊子を開き、数頁捲って軽く確認しただけで閉じると笑みを深めて
「此れ、うちのひとが隠れて居そうな場所を纏めてあるの。役に立つと思うから使って。ネィリ、必ずうちのひと見つけてね。そして、“全員”で鉄の都へ向かって頂戴」
ネィリに冊子を差し出しながら命じた。
「はい、畏まりました。では行ってきます」
差し出された冊子と次の指令を両手で受け取ったネィリは大杖に掛けた魔法を一旦解き、氷獣の目玉を秘書が用意してくれた盆に乗せると退室の挨拶を述べた。
挨拶を終えてギルド長室を後にするネィリにギルド長と秘書の二人は、仲良く手を振って見送った。
―バードィル邸、二階の子供部屋
子供部屋に魔術具の稼動する低い音が途切れる事無く鳴り響いて居る。
部屋の西壁に据えたベッドに腰掛け、台車に載せられた箱形の魔力測定用魔術具から伸びる管に繋がれた水晶柱を握ったまま、少年は緊張の面持ちでその時が来るのを待って居た。
水晶柱は少年の手の中で様々な色に移り変わり、魔術具の本体は台車の上で小刻みに振動を続けて居る。更に少年と魔術具を囲むように数名大人が固唾を呑んで見守って居た。
シュゥゥゥン
唐突に振動と低音が消えた魔術具は測定を終え、上部にある四角い硝子の画面に文字を浮かび上がらせる。
《氷》
《風》
《雷》
途端に少年は破顔し、画面を両側から覗き込んだ大人達は揃って安堵の息を吐いた。
少年は大人達へ向かって声を上げた。
「ねえ、見て!ぼく、属性が三つになったよ」
「遣りましたね、若様」
と小さな主を褒めちぎって、ズウェムが此方に向けて片方の口端を上げる。するとつられて義弟もオンボを仰ぎ見る。
その両瞳をきらきらさせて褒め言葉を、大いに期待しながら待って居る。
「そうだな。属性が更に二つも増えるなんぞ、なかなかない事だ。凄いな、エディは」
ポンと頭に手を置いて撫でると義弟は顔をくしゃくしゃにして笑った。その笑顔に幼い頃のオルセンが被って見えた。
「本当に、魔力が戻られてホッとしましたわ」
頬に手を添えてもう一方の手は胸の辺りを押さえながら、乳母はしみじみと話す。
「お熱が下がられた途端にベッドから抜け出し、急にお姿が見えなくなられた時はもう、生きた心地が致しませんでした。若様にもしもの事があればわたくし、亡き旦那様奥様にお詫びのしようもございません!」
「ごめんなさぁい」
大袈裟だなあと密かに思いながら、謝罪の言葉と共に眉を八の字に下げて自省を示したが、その程度では乳母の苦言が止む訳も無い。
「宜しいですか。あの時、若様の魔力はまだ回復されて居りませんでした。寧ろ《無力病》は此処からが恐ろしいのですよ。何が災いするのか、過去に魔力が戻らなかった方も居られます」
「はい……」
「ただでさえ病み上がりだと言うのに、お一人で外に出ようとするなんて……若様!」
乳母のお説教は長いんだよなあ。そんな心の呟きがうっかり顔に出てしまった。
当然の事ながら、其れを見逃す乳母では無い。彼女の説教が本調子になる前に、主の窮地を救わんと優しい家令が助け船を出した。
「まあまあ。何はともあれ、こうして無事魔力は戻った事ですし、今日の所はこの辺で……」
にっこりと微笑んだ乳母がズウェムの方へ向き直り言った。
「そうですわね、ええ。而も新たに氷と雷、二つも属性が顕現されたのですから。早速、明日からの鍛練と座学のお時間を増やして貰いましょう」
「ええーっ!」
鍛練はやだなあ……
今度ははっきり口に出してぼやいた。ガックリと項垂れる小さき主を気の毒に思いながら、ズウェムも本音が漏れる。
「貴族ってのも大変ですねえ……」
エドウィン・バードィルは十日前から《無力病》に罹り、一昨日まで床から起きれずに居た。
《無力病》とは魔力を持って生まれた者なら大抵は子供の内に一度は罹る病気だ。
先ず、前触れも無く熱が出る。同時に魔力が一時的に消えてしまい、平熱に戻るまで症状は続く。外部からの魔力影響を拒絶する弊害もあって治癒魔法が効かず、煎じ薬での解熱療法が用いられる。
幸い死に至る事の無い《無力病》であるのだが、偶に平癒しても魔力が戻らない場合がある。
残念だが、そうなると一生魔力が使えない。だから《無力病》と呼ばれて居る。
例え魔力が戻ったとしても、以前と魔力の属性が違ったり新たに属性が増えたり減ったりする等、魔力が戻ろうが戻るまいがその後の人生に多少の影響を及ぼす脅威の病である事には違いない。
エドウィン少年の場合、魔力は無事に回復した。而も元々あった風属性に加えて氷と雷、属性が新たに二つも顕現した。
極めて稀な出来事である。
「ほうほう、魔力属性が三つかいな。そいつぁ……凄いんか?」
「おおー。《氷》っちゅうんは初めて見たのう」
「なんじゃあ、火属性は持ってねえのか。これじゃあ鍛冶屋には成れんぞチビ助!」
「この測定器……とやらはどういう……風に動いて居るんだ?おっ、オンボ。こいつの仕組みを知りたい!分解しても構わんかっ」
いつの間に入り込んだのかドワーフ達が次々と好きに喋り出し、子供部屋が急に騒がしくなる。
皆、背丈はオンボと大差ないがナーヴァ人の血が半分流れるオンボとは違い、褐色の肌に暗褐色の瞳、一様に縮れ髪だが赤毛は居ない。
「凄いのか」と青銅爵代理に訊ねるは焦げ茶髪のウルチだ。オンボの又従兄弟で、オンボに負けず劣らず豊かな顎髭を蓄えて居る。
その隣で感心して居るのは茶色髪のドワーフのメセシ。ウルチの異母弟だ。此方は毎朝髭を剃って産毛一本も残さない。
黄土髪のドワーフはヌンダク、二振りの短い棍棒を操り接近戦が得意だ。考え無しに少年をチビ助と呼んだ為、乳母に凄まれてしまった。
灰茶髪のゼリュシオは、幅広の大きな両刃剣を軽々と振り下ろす剛腕の持ち主である。加えて、寡黙である。
そして一番年下の金茶色髪のローマは、持ち前の好奇心と探究心と箍が外れがちな知識欲に突き動かされ、余計な言動を伯父であるゼリュシオに咎められた。
無言の拳骨が石頭の登頂部に落とされたのである。研究熱心なのは結構だが、度が過ぎれば致し方無い。
過ぎたるは及ばざるが如し
因みにローマの得物は自作の魔法剣。自身の炎魔法を纏わせれば向かう所敵無し、なのだそうだ。
ドワーフの彼等は火属性か土属性または両方の魔力を有して生まれる。そして大抵はその属性を活かして鍛冶職人か採掘士、戦闘力が高ければ坑道内に現れる魔物駆除役の道を選ぶ。
子供部屋に入り込んでる彼等の様に……。
だが
『ベッカとオンボ、この母子は揃いも揃って変わり者よ』
彼等は皆そう言って笑った。
火属性の魔力を持ちながら鍛治職人でも退治役でもなく、戦人の道を選んだのだから。
「一体何処から入って来たんだ」
オンボにしてみれば五人とも“兄弟子”に当たるが言葉遣いに遠慮が無い。
其れどころかオンボの感知能力を見事にすり抜け、子供部屋への侵入を果たした彼等に脱帽する他無い。
まだまだな末っ子弟子の問いに対し、五人のドワーフは揃って同じ場所を差した。
指差す其の先の、外開きの窓が全開になって居た。
ズウェムが窓に近寄り顔を突き出して下を向けば、昨日短く刈り揃えたばかりの芝生の上でドワーフ達が此方を見上げて居た。
彼等はオンボが《魔王の行軍》征伐の為に故郷から呼び集めた兵の内の二十人――もとい、十五人の精鋭達だ。
今日は朝早くから、近くの修練場でモーリスの私兵等も序でに纏めて対魔物の実戦訓練をすると張り切って出掛けた筈だが、何処で魔力測定の話を聞き付けたか、好奇心旺盛な彼等は引き返して来たらしかった。
目が合った途端、どうなったのかと口々に訊ねる。此方もまた室内の五人に負けず賑やかな事この上ない。
やれやれと呑気に眺めて居たが、ふと視線が止まる。思わず「げっ」と声が出て、ズウェムは慌てて首を引っ込めた。興味本位で覗くんじゃなかったねえとぼやいたが手遅れに違いない。
案の定、庭から容赦ない怒声が上がった。
「おい!聞こえとるぞ。そっちの用事は終わったんだろ、半端者めっ。稽古の続きを遣るからとっとと下りて来い」
「オンボの旦那ぁ、何とかしてくれませんかねえ。あれは洒落になりませんて」
先日の軽い気持ちで参加した稽古を思い出し、ズウェムが悲鳴を上げた。助けを求められたオンボだが、さてどうしたものかと唸るだけで動こうとはしない。
「えぇ~……」
すぐに返事がない事に苛立った長兄弟子は再び声を荒げた。今度は部屋に乱入してる筈の娘婿へ向けて
「ウルチっ、そいつをこっちへ投げろ!」
「は?」
オンボを除くバードィル家の者達は言われて面食らった。オンボは「そうきたか」と額に手を当てた。
投げろって……まさか。
「悪いな。舅の言う事は絶対なんでな……よっ」
すまんすまん
詫びの言葉を何度も吐きつつ、ウルチはズウェムの腰ベルトを素早く両手で掴んだ。自分より上背のある男を肩の上まで軽々と持ち上げると、掛け声一つで窓へと本当に――ぶん投げた。
「行ったぞ、舅!」
抵抗する暇すら無かった。
「へ」と思わず声が出た時には窓を通り抜け、庭の上に全身が飛び出た時は「あ」の一言を漏らすだけで精一杯だ。
次の瞬間、ズウェムの身体は庭に屯するドワーフ達の頭上へと落下運動を開始する。気付いたドワーフ達が庭の端へと避難する中、ジオラムだけは開けた芝生のど真ん中で突っ立って居る。
「え、おっ、わわ!」
落下しながら、此の先を想像して背中に冷たい汗が一気に噴き出した。怪我を負う事よりも彼処で待ち構えて居る御仁から、どうにか逃げられないものか。
咄嗟に腕を伸ばしてみても虚空を掴むだけだし、両足を激しくバタつかせてみたけれど、其れで落下地点をずらす事も叶わない。
(空を飛べたなら……)
魔力を持たない平民生まれの悲しい定めだ。
一方、片腕を突き出し広げた掌に魔力を溜めてから布状に薄く伸ばして待ち構えるジオラムは、落ちて来た家令をあっさりと捕獲してしまった。
其れから肩から太腿辺りまで拘束魔法でぐるぐる巻きにしたズウェムを小脇に抱えて「邪魔したな」とだけ告げ、修練場の方角へ庭を出ていく。
こうなると、もうズウェムに為す術もない。
「オンボの奴、一体こいつに何を教えとったんだ?基本が全くなっとらん!今から鍛え直す時間など無いというに……中途半端に遣りおって」
「だから、お宅さん方と違って俺の場合は元が我流だからしょうがねえんですって」
頼みますから此れ、解いてくれませんかね。若様の護衛……
「喧しい!その程度で誰を守れるんだっ」
短期メニューでビシバシ行くから覚悟せい!
「あの方角からすると……ズウェムっちゅう使用人、また修練場に逆戻りだぞオンボ」
縁に手を掛けて二階の窓からゆるり顔を出して、シャーロックの低い生垣を越えて行く二人の姿を見送りながら、メセシがポツリと言った。
あれの主人だろ、助けて遣らんのか
その言葉に憐憫の色が滲んで見えるが、メセシとて進んで人助けする気は一欠片も無い。
メセシだけでは無い。ヌンダクもゼリュシオも魔術具に御執心のローマは元より、ぶん投げた張本人だって視線を斜め上に流した。
まあ然し。ジオラムに捕獲されても口の減らないズウェムにはまだ言い返せる余裕はあるみたいだし、大丈夫だろう。
残された他のドワーフ達も二階の窓から顔を出したエドウィンが元気に手を振るのを見て、安堵したのか振り返して後に続いて庭を出ていった。
「だからその基本がなっとらんから、お前の技には無駄が多いと言っとるんだっ」
まだ聞こえる長兄弟子の言葉に、オンボは眉尻を下げた。
一方。帝都ゼシュより西の山脈の一角、主に鉄鉱石を産出するブレア=コレンタ鉱山がある。
その坑道内でちょっとした騒ぎが起きて居た。
「おーい、そっちに行ったぞぅ」
「任せろ」
短く応えると片刃剣を肩に担ぐように構える。先端に向かう程刃身は幅が広くなり、外側に反った先端からは魔物の濃緑色の体液が滴り落ちて居る。
(七匹目……)
静かに息を吐く。足元に微かな振動が伝わって来る。一つではない。遅れて坑道を駆ける複数の脚音が同じ速度と違うタイミングで聞こえて来た。
脚音が大きくなり、前方から希少鉱石を背中に生やした馬鹿にでかい蜘蛛の魔物ミスリルスピンが、赤い六つの目をぎらつかせて姿を現した。
一呼吸置いて。
次の瞬間には自ら魔物との距離を詰めた。たった一歩で握り拳位にしか見えなかった蜘蛛の頭部が、自分の顔と同じサイズになる。担いで居た剣を躊躇い無く斜めに振り斬った。
急に近付いた獲物を捕まえようと伸ばした前脚二本と斜めに頭部が半分、胴体に別れを告げて地に落ちた。だが本体はまだ止まらない。
失った身体の傷口から濃緑色の体液を勢い良く吹き出しながらも、丸く大きな胴体は憎き敵を曳き潰そうと残る四本の後ろ脚を動かし速度を上げる。
そんな事は想定の内だ。素早く脇に避けつつ残りの脚四本も次々と大きな胴体から斬り落とす。
あっという間に機動力を奪われたミスリルスピンは鈍い音を立てて地面に腹を着けると動けなくなった。更に止めの突き刺しを背中から受け、射し込まれた刃が核を貫くとミスリルスピンは完全に停止した。
愛用の剣オオグイを引き抜いて蜘蛛の胴体から飛び降ると次の獲物へと走り出す。代わりに息切れた魔物の背に採掘士のドワーフ達がよじ登り、解体が始まった。
「面倒だのう、此処が鉄鉱石の、坑道の中、で無けりゃ」
「……火炎魔法が、使えたん、だが」
「おうおう、そんで、消し炭にしちまえば」
「楽に採れた、のに……なあ!」
ミスリルスピンの遺体は既に脚先から硬化が始まって居た。分厚い皮膚が鋼鉄並みに脚から頭と胴体へ、そして最終的には背中のミスリルを腹の中に飲み込んで巨大な鉄の殻に覆われてしまう。
そうなると希少な魔金属を採取するには大いに手間が掛かる。鉄塊を坑道から運び出し、集落の溶鉄炉で殻を溶かさなければならない。
愚痴を溢しながらも採掘士等は斧を振り下ろし手際良くミスリルを取り出していく。
取り出したら硬化に巻き込まれる前に用の無くなった魔物の遺骸から急いで離れ、新たに倒されたミスリルスピンへと駆け寄っていく。
このところ魔物駆除役の仕事は弟子達に任せて自分は現場監督として坑道口の詰所で控えて居る事が多かったが、腕の立つ者を全員《魔王の行軍》とやらの討伐に送り出したので手が足りず、久し振りに現場復帰した。
ふむ。勘はまだ鈍って居ないようだな。
次々と現れる魔物を相手にしながら、ふとジオラム達を送り出した日の事を思い返す。
(皆、問題無く役目を果たせて居るだろうか)
師の我が言うのも何だが、皆一癖も二癖もある個性派揃いだ。もしやバードィル家の方々に御迷惑を掛けては居るまいな。
だが……
(末弟子が側に居るのだ。まあ……何とかなるだろう)
「イオウ様!」
「うむ!」
呼ばれて次の獲物へと駆け出した。
何より、我が激励も多少は効果あった事だろう、心配は無用だな。
『よいか弟子等よ、十余年に渡りバードィル家の方々より賜りし厚情に今こそ報いる時ぞ。微塵も悔いの無き様、一心に励めよ。そして師である我への土産も忘れるな。最高級の鉱石と言われるオリハルコンは魔蝶オリハリナーの腹からのみ採集出来るそうだ。一つで構わん。獲得成るまで、帰郷罷り成らぬ』
ズウェムが居なくなった子供部屋では早速、小さな主が乳母に我儘を言い出した。
「ねえ。魔力が戻ったんだし、もう外に出ても良いでしょ?」
当然の事ながら乳母は許してくれない。
「いけません。若様の魔力が無事戻られた事は確認致しました。ですがまだ本調子ではございませんよ。先程も申し上げました通り、外出は魔力の属性全てを使いこなせるようになってからに致しましょう」
「ええ~!それじゃあ間に合わないよっ」
「なんだなんだ?何に間に合わねえってんだ、チ……」
またしても乳母が物凄い形相で睨んで来るので、言葉の続きは何とか飲み込んだ。
ヌンダクに問われたエドウィンは「だって」と答えた。
「僕も何か、兄うえのお手伝いがしたいんだ。オルセン兄うえみたいに……」
後は尻すぼみになって何と言ったのか、大人達には聞き取れなかった。
「とんでもない!」
すると乳母が断固反対の言葉を口にした。
「オンボ様もオルセン様も、既に成人された貴族なのですから、《魔王の行軍》を討伐するお役目に就かれたのです。成人式はまだまだ先になります若様が討伐のお手伝いなど、もっての他にございます!」
「でも……」
「なりません!……若様に万が一の事があったらわたくし、亡き旦那様奥様にお詫びのしようもございません」
ついさっきも同じ事言ってたぞ
兄弟子達が揃って心の中で突っ込んだ。
「今は鍛練と座学をちゃんと受けて、力を蓄える時なのですよ若様」
にっこりと微笑んで言葉を続ける。
「そういう訳ですから、両方の時間を更に増やしましょう」
「そんなあ……」
ぷうっと両頬を膨らませ俯いてしまった次期当主殿は、折角のやる気を萎ませてしまった。
「……やりたくないなあ、鍛練」とぼやく姿にオンボは奇妙な既視感に襲われた。
この間も良く似た場面に出会した気がして、はて何処だったか頭を巡らす。
「おっ」
オンボはポンと手を打ち、既視感の正体に思い至った。
(そうだ、ウィリアムス殿下だった)
エドウィンの場合とは少々違いはあるが、『……座学はやだなあ……』と講義から逃げ出そうとして母君に窘められてたな。
殿下とエドウィン。
何れエドウィンはバードィル家の当主となり、成人したウィリアムス殿下に仕える事になる。
此の機会に二人を引き合わせておくのも悪く無いか。
(然し……)
鍛練は好きだが座学を嫌がるウィリアムスと、座学は得意だが鍛練が苦手なエドウィンか。お互いに苦手な分野が相手の得手というのは、なんという偶然か。
(此れは面白い事になるやも知れん……)
「エディ」
オンボに呼ばれてパッと顔を上げたエドウィンは期待に両瞳を輝かせて居るが、残念ながらオンボも其の頼みを聞いてはやれない。
「気持ちは有り難いが、俺の手伝いはさせられんな」
再び俯いてしまうエドウィンの目線に合わせて腰を落とし、「だから」と続けてオンボは軽く片目を瞑った。
「一つ、頼みを聞いてくれるか」
「たのみ……?」
「嗚呼。エディにしか頼めない事だ」
言われて、満面の笑みを見せるエドウィンだった。
―氷竜の……討伐支度?
北西から南西へ。太古の神代、双頭の大蛇ガージェンド兄弟が喧嘩別れした後、弟は西の山脈群に寄り添うように寝そべり自らも山脈となった。其の逆鱗にあたる場所に、氷竜ウィンヴァルと呼ばれる《護り神》が棲んで居る。
「ふふんふんふんふん、ふふんふふん」
大蛇の名前から付けられたダイ・ガージェンド山脈。北部の山岳地帯は氷河に覆われ、人が足を踏み入れるのを困難にさせて居る。
其の山岳氷河の最も奥にある山肌に自らの魔力で穿ち拵えた岩窟の塒で、氷竜ウィンヴァルはさっきから鼻歌交じりに御機嫌である。
鋭い爪を生やした前肢を器用に使って寝床を整え、光苔に照らされた黄水晶を岩壁から幾つか削り出し、水飲み場に移動すると水面に映る自分の姿を入念に確認する。
すると全身を雪のような白い毛に覆われ、目も真っ白な獣ツンド達が不思議そうに集まって来る。
―オデカケ?
―ドコイクノ?
ウィンヴァルは本心を悟られぬよう注意しながら応えた。――紺碧の両瞳が泳がなければ完璧だったろうに。
「うむ……なに、ちと野暮用でな。心配するに及ばぬ、我が眷属のババロキを護衛に置いてゆく故」
すると岩の如し甲羅を背負った神獣が、水飲み場の端からのっそり現れた。眠たそうに目蓋を半分下ろして「呼びましたぁ?」と首を傾げる。
ババロキに注目して居たツンド達は揃って氷竜に視線を戻した。
―ヤボ……
「おう、そうとも」
―ヒトタスケル。ノ ヤボ
「うぐっ」
大きく頷いた氷竜に対しツンド達は核心を突いて来た。嘘が吐けない神の子は言い当てられて思わず反応してしまう。
ツンド達は更に踏み込んで来る。
―スキカ?
―スキ ナノカ
「違うぞ!」
―アイ カ?
「何故そうなる?!」
氷竜なのに頭から湯気を上らせて「違う違うのだ、そうではないっ」と必死に否定すればする程、ツンド達は口々にコイかアイかと言い出す。
(全く……其の様な言葉を一体何処で覚えたのだ)
生まれた時から一度もこの岩窟から出た事の無いツンドなのに。
―アイダナ!
―アイカ!
―アイ ナラ……
―ツガイニナルカ
番。其の言葉に本日一番の反応をする氷竜ウィンヴァルだった。
「つ、つが番になど、なななる成る訳がっ、なか……なかろろう!あ……あれは人の子でで、わわ我は神みの子、ぞっ。しゅ、種が違うか、からな!」
じーーーーーーーーーーー
ツンド達は揃って白眼を細めて《護り神》を見つめる。視線を浴びて居たたまれなくなったかつい眼を逸らし、口をすぼめてシューシューと息を吐く。口笛のつもりらしいが上手くいかなかった。
恥ずかしさも加わって、益々居たたまれなくなる《護り神》であった。
じーーーーーーーーーーー
挙動が怪しくなる一方の氷竜を相手に、ツンド達は追及の手を緩める気なぞ毛頭無い。
じーーーーーーーーーーー………
「嗚呼っ、解った解った!我の負けだ……白状するから、其の無言の威圧を止めぬか」
―アイ カ
再び訊いて来るツンドの言葉に、ウィンヴァルは「違うのだ」と答えて息を吐いた。
「我は今からオルセンに手を貸しにゆくのだ。然し……」
何と説明すれば良いものか。氷竜自身、オルセンの名を口にしただけで、堅い鱗に覆われた此の胸の中で湧き出る未知の感情を何と呼べば良いのか、其の正体が判らずに居る。
「此れは……此の感情は恋でも愛とも違うのだ。彼の者を特別に思う感情は確かに存在しておるがな、番……を望む程の情愛が沸いては来ぬのだ。そうだな……強いて言えば、友愛に近いと」
うん?
果たして真にそうなのか?
改めて言葉にしてみたが“友愛”というのはしっくり来ない。先程の自分は確かに“番”に強く反応したでは無いか。あれは一体、何だというのか。
(我は、オルセンと番になりたい、と願って居るという事か……?)
だが種の違いを理由に端から諦め、無意識に自分の欲望に蓋をして居ただけ……か?
(はっ!)
ウィンヴァルは初めてオルセンと出逢った日の事を思い出した。
倒されても立ち上がり、何度も我に向かって来た彼の、真っ直ぐに向けた輝く瞳を。
炎の魔球を片手に剣を構えた時の凛々しき姿を。ツンド狩りを認めた時に見せた心からの笑顔に、我が心臓は此れまでに無い程揺さぶられた。
「そうか……此れが“異種間恋愛”というやつか」
―アイカ?
「うむ。かも知れぬな」
まだ確証は無い。だが愛でなければあの時の我が激情は何だったと言うのだ。
―ツガイニナルカ
―ヒト メスニナルカ?
ツンドの質問に鼻から息を吐いて、残念だがと否定した。
「其れは流石に難しかろう……いや、待てよ」
前肢の鋭い爪の先を顎にトントン当てて、氷竜は回答の途中で記憶の抽斗を探り、何やら思い付いたようだ。
「我が人の女になる、というのはどうだ。我は神の子だが、元来、我等神に性別の概念なぞ存在せぬ」
そう、原初の神族は男も女も無い。人の子等に解り易く認識させる為にそれっぽい姿に形作ったまでで、だからこそ新たな神の誕生には《イオン》が必要だった。
「我が人の女となれば、オルセンと我との間に子を為すも有り得るという事かっ」
うむ、此れは名案である!
―ツガイニナル?
―ヤッパリ アイカ
(良し。そうとなれば、一度知神に相談してみるか。彼奴なら何か方策を知って居るやも知れん)
近頃は神族同士の交流が絶えて久しい。知神ライトリュカンとも随分と連絡を取り合って居なかった。
今何処に引きこもって居るか探すは難儀だが……まあ何とかなるだろう。
(そうか、我は人を愛したのか……)
山岳氷河の奥の方から、冷たい風に乗って歌が聞こえて来た。明るい旋律と軽やかなリズムであるのに、どことなく恐ろしい。
気味の悪い歌だったとか。
――オルセン・シュナイザ、貞操の危機である――
(続く)




