虚ろの追従(2)
放課後、部活動もなければ習い事もない俺は、友人と遊ぶ約束もせず、自室で漫画を読みふけっていた。
ベッドの上に転がり、壁にかけてある時計を見る。時刻は十七時前。そろそろ頃合いだ。
俺は漫画を閉じて、壁にかけていた制服のブレザーに袖を通した。
今日の昼休みに柏崎さんが少し取り乱した後に放った一樹の「聞かせてくれよ、その話」という言葉。それを受けて柏崎さんは「違うところで話したい」という要望を出してきた。
ひと気の無い校舎一階の渡り廊下で話すことになり、移動してから一樹は『怪談作り』について柏崎さんに話す。「輝は『墓地の影がついてくる』という怪談を作ったわけだが、俺は『作られた怪談が本当だった』という怪談に出会えた訳だ」と誇らしげに語る一樹に、少しげんなりした。
それから、柏崎さんが出会った怪異について話を聞いた。「笑わないで欲しいんだけど……」と前もって言う彼女の口から話されたのは、こんな話だった。
彼女はここ最近、委員会の仕事があって帰りが遅くなってしまうという。
春になったとはいえ、日が落ちるのはまだまだ早い。十七時を過ぎると薄暮の時間帯となる。十八時にもなればもう夜と言って差し支えはない。
そんな中、彼女は自宅への道を辿る。
その通学路の中に、古くからある墓地に面した薄暗い通りがあるらしい。その通りを歩くたび、誰かが後ろを付けてくる感覚に襲われる。しかし、振り返っても誰もいない。あるのはただ、弱々しい街灯の光に照らされた明かりだけ――。
気の所為ではない、という。
何故、誰かにつけられている感覚になったのか。それは、背後から微かに音がするからだと彼女は言った。
何かが歩くような、確かな音が聞こえると。
「頻度は?」
話を聞いた一樹は訊く。柏崎さんは「毎日」と答える。それを聞いて、すかさず一樹が「待ち伏せしよう」と言った。「今日だ」と。
そんなやり取りがあり、十七時半に校門前に集まることになってしまった。
俺は居間でテレビを見てくつろいでいる母に「ちょっと出かける」とだけ言い残して家を出る。玄関の扉を開けて外に出ると、雨は止み、重々しく曇った空模様だけが残されていた。
暗い住宅街の道路を歩み、待ち合わせ場所である中学校の校門前まで来ると、すでに二人の男が立っていた。一人は言わずもがなの一樹であったが、もう一人は初めて見る顔だった。
俺の姿に気がついた一樹が手を振ってくる。
「よう、輝」
「ああ。……それで」
俺は見知らぬ人物に視線を向ける。背が高い。高校生くらいだろうか。同年代ではないだろう。着ている制服も違う。
一樹は俺の視線に気づき、紹介を始める。
「こっちは近所の友だち。悠斗ってんだ。高校生」
紹介された男は「宜しく」と言って頭を下げる。
「千島悠斗だ。大体の話は一樹から聞いたよ。……君が久喜くんだね」
「どうも。久喜輝っていいます」
俺も頭を下げて挨拶を返す。すると一樹が横から口をはさむ。
「悠斗はこう見えて腕っぷしが強くてさ。もしもの時の為に呼んだんだよ」
「もしもって?」
聞き返すと、千島さんがため息をついた。
「最近物騒だからね。一樹や君がのめり込んでいる様なものよりも、生きている人間のストーカーの方が怖いから」
ごもっともだ。
俺が意外としっかり考えていた一樹に感心して唸っていると、駆ける足音と共に一人の女生徒が校門から出てきた。
柏崎さんだ。彼女はすぐに謝ってくる。
「ゴメン! 待たせちゃったよね?」
「お疲れ。そんなに待ってないよ」
本当に俺はさっき到着したところだった。……一樹と千島さんはいつから待機していたのだろう。聞こうと思ったが、ここで下手に「二時間くらい待ってた」など言われてしまったら柏崎さんの立つ瀬がない。
「この子が柏崎さん? ……結構カワイイじゃん」
そんな俺の気も知らずに千島さんがはしゃいで一樹に耳打ちするのが聞こえた。だが、一樹が「明里さんに言いつけるぞ」と言うとすぐに大人しくなった。
出てきた『明里さん』という名前に心当たりはないが、きっと千島さんの彼女か何かだろう。反応を見るに、すっかり尻に敷かれてしまっているらしいが。
「あのー、えーっと……」
柏崎さんがおとなしくなった千島さんの顔を覗き込む。
「どちら様でしょうか?」
そうだった。柏崎さんも千島さんのことは知らないだろう。
「俺の友達。高校生。いないよりは良いでしょ?」
何か言いたげな千島さんを押さえて一樹が笑顔で紹介する。柏崎さんも簡単に自己紹介して、それから彼女の家に向かって早速歩き始めることになった。
道案内をする柏崎さんとその横を歩く俺を先頭に、一樹と千島さんがその後ろをついていく。思い出すことも出来ないような取り留めのない雑談を繰り返しながら暗くなっていく道をゆく。
千島さんは「こんなに賑やかにしていたら、ユーレイだろうがストーカーだろうが出てこれないんじゃねーの」と笑いながら話す。しかし、そんな甘い見積もりは、墓地の前にたどり着いた瞬間に消えてしまった。
「雰囲気あるな……」
そこは、大きい寺が管理している霊園だった。大通りに面している割には鬱々とした雰囲気であり、本当に何か出てきそうである。
柏崎さんに案内されるがままに、霊園沿いに大通りから一つ折れて、細い路地に入っていく。
「ここ……」
その彼女の言葉に俺たちは無言で頷いて、それから進んでいく。大通りが近いのに、妙に静かだ。他の三人も自然と何も話さなくなる。
昼下がりまで降っていた雨のせいか、湿度の高い空気が周囲を覆う。重たい、とても重たい空気だ。静寂故か自然と、聞こえる音に注意が行ってしまう。
風に揺れる木々の音。衣擦れ。四人分の足音。脳が、空恐ろしい想像を始める。
この足音が四人分であると、どうして言えるのであろうか。もしかしたら一つ多いかもしれない。逆に……少ないかもしれない。
足音に注意を向けていたせいか、ふと、今日の昼休みのことを思い出した。
カクテルパーティー効果。選択的に、聴覚の注意を向けて、意識外の音を追い出してしまう現象。
俺は唾液を飲み込む。
足音を聞いてみようか。柏崎さんも、話の中で言っていたし。歩いているので目を閉じることは出来ないが、薄目にして、聴覚を研ぎ澄ます。
足音だけに意識を向ける。まずは、俺の足音。……うん。どれがそうなのか、わかる。
次は、隣を歩く柏崎さんの足音。……俺より少し歩幅が小さくて軽い。これも、問題ない。
俺の後ろの一樹の足音。……普段から聞いているからか、すぐに判別できた。
最後に、千島さんの足音。……一人だけローファーを履いているから、これもわかりやすい。
だとすると、もう一つ聞こえているこの足音は何なのだろう。
全身に鳥肌が立つ。ぺたりぺたりと、微かな音が聞こえる。俺は恐怖に声を出せず、薄目を止めて、地面を見た。音がするのは千島さんの背後だ。振り向くべきか、振り向かぬべきか。振り向けば、誰もいない――それが柏崎さんの話だったか。
生きた心地がしないまま迷っていると、前方に街灯があるのが見えた。そういえば、頼りない街灯があると柏崎さんも言っていた。
……影を見よう。街灯を通り過ぎたら、自分の影が光に照らされて伸びていくのが見えるはずだ。同じようにして、俺たち以外の――『五人目』の影が見えるかもしれない。
俺は前を見てなるべく無心で歩く。そして、街灯を通り過ぎたところになって、思い切って前方の地面を見た。
まずは、俺と柏崎さんの影が伸びて、次に一樹と千島さんの影。そして、続いて伸びてきたのは、うねうねと踊るようにひしゃげた腕を振り上げている、『五人目』の影だった。
無我夢中だった。
堰が切れたように流れ出た恐怖に対する俺の本能が導き出した答えは、『気づかないふりをする』というものだった。
全力で影から目をそらし、足音から耳をそらす。絶対に意識を『五人目』には向けない。そうして霊園沿いの路地を抜けた。俺は先にあるコンビニを指さして「寄っていこう」と提案する。誰も反対するものはいなかった。
そして、たどり着いたコンビニの駐車場で、俺は大きくため息をつく。
もう、妙な気配はない。
背後の一樹に目配せした。彼は静かに引きつった笑みを浮かべながら「出たな」と言う。柏崎さんはふるふると震えながら、地面をじっと見つめていた。
「やっぱり……今日も出た……」
しかし、何も反応がないのは千島さんだ。彼だけは俺たちの様子をみて、小首をかしげている。
「……出たって……マジで? 全然わからんかった」
五人目はあなたの後ろ辺りにいた……なんて事実、わかってもいいことは無いと思うが。
俺は左腕の腕時計を眺める。時刻は十八時。いよいよ暗くなってきた。あんなものを見た後で、とっぷりと暮れてから家路につくほどの度胸は俺にはない。
「これから、どうしようか」
誰に言うでもなく、俺は言葉を投げかける。すると、一樹が反応した。
「……とりあえず、柏崎を家まで送ろう。そんで、明日の放課後に除霊だな。悠斗はどうする? お祓い」
「あー、俺はいいや。それより、一樹は俺にやって欲しいこと、あるんじゃないのか?」
「そうだな……。ちょっと考えたいから、家に帰ってから電話する」
一樹と千島さんはその様な会話を交わす。一樹の言う『やって欲しいこと』に興味がなかったわけでもないが、今は怯えきっている柏崎さんの方が心配だ。
俺は柏崎さんに、ゆっくりと声をかける。
「……大丈夫? 歩ける?」
彼女は俺と目を合わせた後、首を縦に振った。
○
例の五人目と遭遇した翌日の放課後、その日は柏崎さんも委員会の仕事はなく、「寺に除霊に行くぞ」と言う一樹に連れられるがままに三人揃って件の霊園のお寺を訪ねていた。
何故よりにもよって怪異と出くわしたすぐ近くのお寺なのかと一樹に文句を言ったら、確認したいことがあるとのことだった。
「一応祈祷はさせて頂きましたが、特段、何かが憑いているようには」
なけなしの数千円で除霊を請け負ってくれたお寺の中年僧侶が静々とのたまい、一礼して去っていく。そう言われて、厚みを減らしてしまった自分の財布に虚しい気持ちを覚えた俺を端に、一樹が「柏崎連れて先に出といて」と言う。
一樹はそのまま「ちょっと聞きたいことが……」と僧侶に話しかけながら追っていってしまったので、取り残された俺と柏崎さんは、為す術なく寺を出て、一樹を待つことにした。
砂利の敷き詰められた道を歩きながら様子を見てみたが、柏崎さんは元気そうだった。
「いつも、そうなんだ」
柏崎さんはぼそりとつぶやくように言う。
「変なのがついてくるのはあの道を通った時だけ。霊園を通り抜けると大丈夫なの」
「成程ね……。じゃあ、あの道、使わなければいいんじゃ?」
「そうだけど……。それでもやっぱり怖いかな。自分が普段使っている他の道だって、もしかしたらって思うとね」
彼女の言うことはもっともだ。俺だって、勘弁してほしい。そんなことを想像しながら生きていくなんて、耐えられそうにない。
紺色のブレザーから覗く白いセーターの裾を掴んでから、それでも柏崎さんは笑ってみせる。
「言いそびれてたんだけど、ありがとね。こんな変なこと、誰にも相談出来なかったんだ。君が『怪談作り』をしてくれたおかげ」
「それじゃ、お礼は一樹に言ったほうがいいかもな」
砂利を踏みしめる音が聞こえて、俺と柏崎さんは振り返る。丁度一樹が寺院から出てきたところだった。
彼は俺たちのところまで来ると一言「さあ、解決するぞ」と言って霊園の出口へ向かっていく。
彼は以前、俺と一緒に怪異に巻き込まれたときも今みたいに自信満々に臨み、そして助けてくれた。今回もきっとそうなることを祈って、俺は柏崎さんに向き直る。
「何か掴んだみたいだ。ついてこう」
うなずいた柏崎さんと一緒に一樹について行った先は、例の『五人目』が出た路地だった。
まだ夕暮れ前ということもあり日は高く、昨日とは打って変わって明るくて何の変哲もない道である。
意気揚々と例の五人目が出てきた辺りに向かっていくと、すでに一人の人間が待ち構えていた。……千島さんだ。
千島さんは俺たち三人に手を振って「こっちこっち」と呼びかける。
「よお、悠斗! 見つけたか?」
呼びかけに反応する一樹に、千島さんは引きつった笑顔を見せた。
「ああ。これだと思うぞ」
千島さんは、いびつに凹んだガードレールの下を指差す。近づいて、その指し示す場所をよく見た俺は思わず顔をしかめた。
「うわ、これ」
割れた花瓶の一部だった。
よく見ると、花瓶の近くには乾いてカピカピになってしまった花が落ちているのにも気がついた。
「地縛霊って聞いたことあるだろ」
一樹が花瓶を見下ろしながら言う。
「その土地に紐付けられている霊だ。彼らは、一定の範囲から出ることが出来ない」
「それで、この通りを抜けたら気配がなくなるんだ」
柏崎さんも納得した様子を見せる。その後、千島さんが説明をし始める。
「近所の人に聞いたんだが、ここでは昔、事故があって誰かが轢かれたらしいな。一樹が言いたいのは、その霊がこんな風に――」
千島さんが割れた花瓶の破片を拾いあげる。
二重丸の様な模様のついている透明なガラス製の破片は、陽光を受けて複雑に乱反射を繰り返す。
「――お供え物を、壊されたから祟ってるってことだろ? でもな……」
得意げな千島さん。しかし、直後に「こら!」と怒る声が聞こえてきて、その表情が驚きに変わる。
怒鳴り声の方を向くと、路地を挟んで霊園の向かい側に建っていた家から、一人の老婆がこちらに向かって出てくるところだった。
俺たちが花瓶を壊したのだと勘違いされてるかもしれない。
「違います! 俺たちが見つける前から花瓶は割れてました!」
俺は近づいてくる老婆に訴えかける。しかし、彼女の勢いは止まらない。チリトリとホウキを手に険しい表情のまま俺たちのそばまで来ると、地面に落ちている破片を集め始めた。
「また性懲りもなく悪戯か!」
言葉を発せない俺たちを横目に、ものの数秒で一通り掃除を終えた老婆は「罰当たりが!」と怒鳴って踵を返す。
心象が悪すぎるし、誤解だ。俺は慌てて繕おうとする。
「ですから、俺達は――」
「ここでは誰も死んどらん! 誰を供養してるんだ!」
「――え」
とんでもない言葉が聞こえた。老婆は捨て台詞に満足したのか去っていった。
冷たいものが背中に走る。
ここでは、誰も死んでいない?
「……そうだよ。久喜くん」
千島さんがじっくり頷いて、俺の目を見る。
「事故があったなんて、新聞にもニュースにもなっていない。近所の人が噂しているだけだ」
「寺の人も、事故はないってさ」
一樹がさっき僧侶に聞いていたのはそういう事か。
……いや、だとするとおかしい。
「だったら、昨日、出たのは……」
「さあな」
一樹は首をすくめてから続ける。
「……曰くの有りそうな場所。死を連想してしまいそうな場所のガードレールの下に花瓶を置く。そして、この場所を知っている人間に、誰かが轢かれたという嘘を伝える。そうやって、膨れ上がっていったんだろう」
俺は想像する。
本来は虚無であったものに、花瓶という形が与えられる。そして、虚ろであったそこに、噂話を通して架空の死者を悼む人々の気持ちが注がれていく。
それからある日、事故か、故意か。並々と注がれている花瓶が割れる。流れ出す中身は花瓶の形を思い出すようにして――昨夜のことを思い出す――足音と、影を手に入れた。
「何のために、こんなこと」
「わからない。でも『怪談の作り方』には、四種類目があったってことだ」
先程の老婆の手を逃れて地面に転がる花瓶の破片。ガラス製のそれの屈折率によって、アスファルトにへばりついた花が邪悪に歪んで、笑みを浮かべているようだった。
○
あの怪異に出会ってから数日後の昼休みのことだ。
その日も相変わらず、一樹と怪談話やくだらない話をして過ごしていた。
結局例の五人目については、怪異の元になる花瓶を見つけるたらこまめに取り除いていくことが対策となった。本当に効果があるのかはわからないが、今回の怪異が一樹の言うように然るべき手順を持って造成されたものであるならば、逆の手順で壊れてしまうのだろう。
そんなことを頭の片隅で思いながら一樹の怪談を聞いていたら、俺の目の前に横から一枚のプリントが差し出された。……入部届だ。
「はい、久喜くん。先生が書けって」
「柏崎さん……。参ったな」
俺は彼女からプリントを受け取り、ろくに内容を確認することもなく丸めてゴミ箱に投げた。断固拒否だ。自分でやっておきながら、俺も反抗期だなあ、と自分で納得する。
すると、一瞬遅れてから、柏崎さんが笑い始める。
「あはは。思い切りがいいね。形だけでも入っておけばいいのに」
「いいんだ。面倒だし」
言ってから、『形だけ』という言葉で連想して思い出す。花瓶によって形を与えられた、例の五人目を。
「……その後、どう? 霊園の前は」
「うん。あれからはおかしなことは起きてないよ。一回だけ新しい花瓶が置かれてたから、あのおばあちゃんに処分してもらったくらいで」
柏崎さんが話かけてきたあたりから口を閉ざしていた一樹が急に身を乗り出す。
「新しい花瓶?」
「……うん。やっぱり、橋山くんの言う通り、誰かが『怪談作り』をしてるのかも」
「かもな……。興味本位だろうが目的があってのことだろうが、碌でもないやつなのは確かだろうな」
一樹のその意見には俺も同意だ。ただ、犯人を捕まえようという気は起きない。下手に犯人を吊し上げて恨みを買いたくない。碌でもないやつならなおさらだ。
勝手に線引きを進めていたら、柏崎さんが恐る恐る、といった様子で切り出してきた。
「あのさ……お願いがあるんだけど」
控えめな声で続ける。
「その……また、こういう事あったら相談していいかな。私、体質なのか、昔からこういう事に遭うことが多くて……」
俺は一樹と目を合わせた。
ぶっちゃけ、今回俺は何もしていないし、何も出来ない。あくまでも怪談や都市伝説を蒐集する傍ら、巻き込まれてしまっただけの人間だ。もちろん、何の力もない。
だとしたら、決めるのは一樹だ。
一樹はゆっくりと目を細める。
「もちろん。俺は大丈夫だ。……輝は?」
振られたが、目を逸らす。
「俺? 大丈夫だけど、力にはなれないと思うよ」
「何言ってんだ」
一樹が笑う。
「この前の件、はじまりはお前の『怪談作り』だ」
――もう、立派に当事者になってるんだよ。
一樹のその言葉に、俺は震えた。目を見開いた。……恐怖したんだ。それでも退かなかったのは何故だろうか。女子である柏崎さんの前で格好つけたかったからだろうか。
人間が怪談を楽しむ心理の一つに、生の実感を得るため、というものがあるらしい。恐怖を通じて、自分の命を確認することに快感を得るのだそうだ。そうまでしないとわからないと聞いてしまうと、まるで花瓶の様だ。中身に何が入っているかがわからない花瓶。恐怖によって覗き込んではじめて、中に命が入っていると確認できる。
俺も、そうなのかもしれない。その中身がある日急に虚ろとなっていないことを祈りながら花瓶を覗き込む数多の人間と同じだ。
「大丈夫……?」
考えにふけっていた俺は、柏崎さんのその一言で我に帰ることが出来た。「気にしないで」と作り笑いでごまかす俺と、それを満足そうに眺めていた一樹に向かって柏崎さんは改めて小さくお辞儀する。
「それじゃあ、これからよろしくね」
顔を上げた彼女の嬉しそうな微笑み。うなずく一樹。五月の日差しの中のもう戻らない光景。
――今でも時々思い出す。




