人影
社会人になって一年目の冬のころの話だ。
就職活動を通して、運良くそれなりの大きさの企業に入社できた俺は、それまでの学生時代とは違う『社会の厳しさ』というやつを身に沁みて感じていた。
企業が大きくなるのには理由がある。それは、革命的な新商品の開発や、既得権益による安定、そして、人間を使い捨てにするような労働力の搾取。
運良く入社したと思った会社で俺は、運悪くいわゆる『ブラック』と呼ばれるような部署に配属されていた。
来年の足音が聞こえてくるような師走の深夜、俺は翌日の朝イチにあるプレゼンための資料作成を行っていた。高校二年生の頃に手に入れた『不思議な力』もあり、体力には自信があったのだが、流石に二徹したままの三日目深夜には体がこたえていた。
「うわ……もう駄目だ……」
誰もいなくなったオフィスで一人カタカタとキーボードを打ち続ける。スライド編集ソフトが開かれているモニターがダブって見えてきたあたりで保存し、俺は自分のデスクを立った。
仮眠しよう。時折目の端で黒い何かがデスクの上に積まれた書類の山を這っている幻覚が見えるし、このままではまともな資料を作れる気がしない。
時計に目を遣ると一時半だった。いつもであれば気にするような時間でもないが、二徹している状況では絶望的な時間でもある。
「三時に起きよう。間に合うはず……」
俺はフロアの電気を消し、携帯電話の明かりを頼りにオフィスの端っこへ行き、置かれているソファに倒れ込む。眠気で震える手を何とか動かし、携帯の目覚ましをセットして目を閉じた。
そして、目を覚ましたのは二時五十分だった。目覚ましより早く起きてしまったことに悪態をつきながらも何とか体を起こす。
「起きるぞ……やるぞ……」
真っ暗なオフィスで何とか上体を起こし、立ち上がる。とりあえず電気をつけようと携帯の明かりで前方を照らし出した。
直後、違和感。
「……なんだ……?」
睡眠不足で判断力の鈍っている俺は、携帯の明かりで前方を照らしながら眉をひそめる。
宙に舞うホコリがキラキラと輝く先、何かが動いているように見えた。
「……あれ、俺だけしかいなかったよな……」
違和感があるのはオフィスの隅にあるロッカーだ。年始に部署整理があり、それに伴った引っ越しがある都合上、荷物をダンボールに詰めてロッカーの外に出している。そのダンボールの前で、スーツを着た何者かがうごめいているのが見えた。
……不審者だ!
「おい! 何やってんだ!」
俺は携帯を掲げたままロッカーの方へ走っていく。
すると人影は携帯により浴びせられた光から逃げるように闇の中へ紛れる。
「逃げるな! 出てこい!」
俺は携帯を振り回し、周囲を照らす。しかし、どこにも人影は見当たらない。暗い中ではどうしようもない。そう思った俺はフロアの入り口に急いだ。
フロアの入り口には蛍光灯のスイッチがある。俺は上から順番にスイッチを入れて、すかさずオフィスを一望した。
「あれ……」
誰もいないのである。
オフィスには隠れられるような場所はそうない。おかしい。でもさっきのは幻影などでは……。
そこまで思ってから、冷静になった俺の頭は気付く。
あの人影は、ロッカーの前に積まれていたダンボールの周辺で何かを探していた。
そうであるならば、なぜあの人影は、明かりをつけていなかったのであろう……。
それに気がついた時、背筋に寒気が走った。それでも――。
「あ、やべ。資料作んなきゃ」
――それでも、仕事に向かっていたのだから、真に恐ろしいのは会社だった。
○
「人影ぇ?」
目の前で社食の不味いラーメンを啜りながら、同期の伊藤が怪訝そうに繰り返す。
一時間半の仮眠はとったもののほぼ三徹目の俺は、金曜朝イチのプレゼンを無事乗り切り、安堵の思いとともに伊藤と昼食をとっていた。
「寝ぼけてたんじゃねえの? いま三徹目だろ?」
「いや、一時間半寝てるから厳密には三徹じゃない」
「ああ、そう……。ちょっと引くわ……」
伊藤はラーメンを食べる手を止めて引きつったように笑う。それから眼鏡をかけ直し、また箸で麺を掴んで冷まし始める。
「しかし、久喜は難儀なところにぶち込まれたよなあ。あの先輩の下で一年以上耐えられた人間はいないって、別の先輩から聞いたことあるぞ」
「それは、俺も聞いたことあるわ」
実は、会社自体はそこまでブラックというわけではない。問題は俺がついている先輩社員だった。
彼は自分の下についた後輩を徹底的にいじめ抜くことで有名だった。今までにも心を病んでしまった人や、逃げ出した人、はてには自殺した人もいるという噂を聞いたこともある。
ただ、俺の主観では、別に悪い人ではない。人格否定も無ければ、暴力なども無い。正論だけなのである。
「でも、あの人、言ってることは正しいからなあ……」
「そりゃ、人的リソースが無限だったら正しいだろうけど……俺たちは人間だからな。寝る時間も食う時間も遊ぶ時間も必要なの! 『寝なきゃ出来る』は、『出来ない』と同義なの!」
伊藤は言ってから周囲を見渡す。近くに例の先輩が座っていないことを確認してから、安心してラーメンを啜る。
「それも正論だよな……」
俺は襲い来る眠気を噛み殺し、自分の目の前にある定食の味噌汁を掴んだ。二口ほど飲み、疲れてしまいお盆に戻す。食欲が無い。この昼食より前に飯を食べたのは……昨日か一昨日だったとは思うが……なんというか、食べるだけの体力がもうないのかもしれない。
箸をおいてぼうっと伊藤が麺を喰らうのを見ていたら、彼はうまそうにスープを飲み干した後、ため息混じりに口を開いた。
「……人影の話、聞いたことあるよ。お前が遭遇したのとそっくりな状況だ」
「……本当か?」
「まあな。……うちの会社、基本的にホワイトだけど、一部ブラックなのは身をもって知ってると思う。殆どが三ヶ月もすれば何かしらを病んで俺がいるようなホワイトな部署に移ってくるんだが、たまに、お前みたいに耐えられてしまう人間もいるんだ。一年も耐えられた人間はエースになれる。お前んとこの先輩もそうだ。あの人は二年くらい耐えたって聞いたな」
確かに、例の先輩は会社全体の中でも成績がいい。無限の体力と不屈の精神で、誰もが難しいと匙を投げた案件でもこなしてしまう。
時代に合っているとは思わないが、こういう人間も本来は会社に必要なのだろう。
伊藤は話を続ける。
「ただ、耐えられてしまう人間にも二種類いる。ひとつはお前んとこの先輩の様なタイプ。痛みを感じながらも、逆境で強さを身につけられた人間だ。ふたつ目は……自分の痛みに気が付かなかっただけの人間。本当はもう限界なのに、それに気が付かなかっただけの人間。……心を病んだり、死んでしまうのはそういった人間だ」
「へえ。俺が、後者じゃないことを祈るね……」
冗談を言ったつもりだったのだが、伊藤はにこりともしない。そのまま、真剣な表情で続ける。
「その後者の人間は、波長が合うのか、見えてしまうらしい。……そうやって、死んでいったものたちの魂がな」
「……それじゃ、俺も後者だと……?」
聞くと、伊藤は慌てたような笑顔で首を振る。
「いやいや、先輩に聞いた話だって! つーかさ、今の会社であのブラックな育成方針とってんのってお前んとこだけだぜ? 同期もみんな心配してるしさ、キツくなったら人事に相談してもいいと思うぞ。経歴に傷はつかねえだろうし」
「そんなに慌てんなよ、別に怒ってないって」
「あ、ああ、そう……。寝てないからか知らんけど、最近、お前、たまに凄みがな……」
眼鏡をかけ直し、伊藤は愛想笑いを続ける。ふとある言葉を思い出した。『覚悟は極限で身につく』。……例の先輩の言葉だ。もともとは、その更に先輩の言葉だったのだと聞いたことがあるが。
「ちなみに、さっきの話……人影の。噂になってるってことは、他にも人影を見てる人はいるんだろ?」
「あ、そうだね。見たことがあって、んで、今会社に残っている人は……。人事部長の佐藤さんと、営業三課課長の飯島さん、企画一課の原さん……の三人かな」
「詳しいな。……それにしても、全員、エース級か」
「『後者』だとしても、生き残れた人間だから皆デキるんだろ。……まあ、他にもみた人がいるって話だけど、皆辞めちゃったらしいし」
「……そうか。無念だったろうな」
就職活動をして入ってきた人たち。それぞれ目的はあるのだろうけど、少なくともこの会社に入りたいと面接で言えるだけの何がしかの理由はあったはずだ。
それでもやめてしまうことになってしまうのは、無念という他ないだろう。
それから、食欲が湧かないとごねる俺だったが、伊藤があまりに「食え!」と言うもんだから味のしない飯を何とか胃袋に流し込んでその日の仕事に戻った。
その日は今朝のプレゼンが一段落ついたことで少し落ち着いたこともあり、俺は十九時頃には退社することが出来た。
帰宅後、久しぶりのまとまった睡眠に身をやつし、翌日土曜日の昼頃、俺は再び会社に来ていた。
オフィスにたどり着いた俺はロッカーの外に出ているダンボールを動かし、中身を整理して、またダンボールに詰め直す。
年始の引っ越しに備えた備品整理は若手社員の仕事である。俺の部署には残念ながら俺以外の若手がいないので、必然的に引っ越しに関する業務は俺一人でやらねばいけない。
もう二十連勤目だ。文句が出そうになるが、世の中にはもっとしんどい思いをして働いている人がいると思うと、何とかこなしてみようと思うのだった。
「あれ、久喜くん。今日も出勤かい?」
軍手をはめて業者のごとく荷物の検分を進めていたら、声をかけてくる男がいた。
「あ……飯島さん。お疲れ様です」
営業三課の課長。三十半ばにして営業部長筆頭候補のエース、飯島さんだった。彼は俺が漁っていたダンボールを眺めてから、俺の肩をポンポンと叩く。
「若手は大変だね。普段の業務以外にもやらなきゃいけないことが沢山だ」
「いえいえ。とんでもないです。……ていうか、飯島さんも、何連勤目ですか?」
ここのところ休日だろうが何だろうが毎日出勤している俺が、ほぼ毎日飯島さんを見かけている。ということはつまり、飯島さんもそれに準じた働き方をしているのであろう。
「数えてないな。そんなにいってはいないとは思うが」
さらりと飯島さんは言って、それから思いついたように「そういえば、面白い話を聞いた」と話す。
「君、見たんだってね」
「へ……?」
一瞬、何のことかわからず目を丸くする。すると彼は両手を体の前に持ってきて、手首から先をだらりと脱力させた。
いわゆる、幽霊のポーズである。
ようやく理解した俺は、伊藤から聞いた話を思い出す。確か、この人も『そう』だ。
「伊藤から聞いたんですが……飯島さんも見たんですよね?」
「まあね。一応原因探ってみようと思って『あたり』はつけてたんだが、解決出来ず終いさ」
「『あたり』、ですか」
何を指して『あたり』と言っているのかがわからず、俺は首をかしげる。
飯島さんは目だけが笑っていない、いつもの営業スマイルを見せる。
「人影は、決まって荷物整理をするタイミングに現れる。それはつまり、見つけないでほしい、もしくは、見つけてほしい荷物があるってことだよね」
「……なるほど。そうですね。つまり……その荷物がある場所の『あたり』ってことですか」
飯島さんはその完璧な営業スマイルのまま、俺が先程までいじっていたダンボールを指差す。
「僕が佐藤さんや原さんに聞いた話だと、どうもその辺が怪しいね。大抵、例の人影が現れるのは旧販売部の荷物が弄られた時――って、久喜くんは販売部時代を知らないか。君が入社する前は、営業も企画も同じ部署だったんだ」
「販売部……ですか」
確か、自殺した人は企画の人間だった。飯島さんの言う通り、販売部時代に所属していたのであろう。
思索していると、飯島さんは指さしていた手を引っ込める。
「まあ、眉唾さ。仕事、忙しいんだろう? 余裕があるときにでも調べてくれ。僕のやりかけの仕事で、申し訳ないが」
そして、飯島さんは自分のデスクへと戻っていった。去り際、彼は俺を振り返って言う。
「僕も昔、君のように限界まで働かされてたよ。上司は別の人だったけど。……辛いよな。辞める前に――死ぬ前に、一言相談してくれや」
平然と『死』という言葉を使う飯島さん。その表情は営業のエースの作り笑いではなく、ただのくたびれた男の微笑みだった。
彼の、その寂しげな後姿を見ながら思う。
同期として入社した人間がどんどん病んでいく様を、体を壊していくさまを見ながら耐え抜いた彼の絶望は如何ほどだっただろうか。
……耐えきれずに命を断った社員の絶望は、如何ほどだっただろうか。
それから、引っ越しの準備作業を終えたのは夜の二十一時を回った頃だった。
一応完全週休二日制の労働形態のため、オフィスにはすでに誰もいない。飯島さんも十八時頃に「デートだから」と抜かして帰っていった。
すっかり慣れてしまった無人のオフィスで、汗を拭って自席に座り込む。パソコンを立ち上げると、新しい仕事のメールが十数件届いていた。
「これ……終わんねえな……」
その中から緊急性の高い資料作成の依頼を見つけた俺は、ため息をついてから疲弊している体に鞭打ってモニターをにらみ始める。
案の定作業は難航し、すべての資料作成を終えた頃にはまたもや終電を逃す時間帯になっていた。
この頃の俺はそんな事態にも慣れており、最早悲しく思うことも無かった。ただ、機械のように目の前の仕事をこなしていくだけ。そして、それが終われば次の仕事が始まるまで、つかの間の休息を取る。
早く帰れてゆっくり寝ることが出来た昨日とは違い、一昨日と同じく会社で寝ることにした。
フロアの電気を消していつものソファに寝転び、携帯電話で朝の七時に目覚ましをセッティングする。そこで、ふと、人影のことを思い出す。
今日も現れるかもしれない。そういえば、引っ越しの準備のために荷物は動かしている。もともとの配置も覚えているから、今日もあの人影が現れたら、その位置次第で『例の荷物』の場所がわかる。
そこまで考えてから、俺は一度セットした目覚ましを夜中の三時に設定し直した。この前見たのは大体このくらいの時間だった。
それから、自虐のようにほくそ笑む。普通、自分からそんな怪談に遭いに行こうとする人間はいないだろう。
全身の疲労によって感覚が鈍っているのだろうか。それとも、死んで尚、仕事に縛り付けられる自分と似た『何者か』に情のようなものでも湧いてしまったのだろうか。
そんなことを考えていたらいつの間にか眠りについていた。
○
目が覚める。真っ先に俺は携帯を取り出し、時間を確認する。今日も三時前だ。目覚ましが鳴らないうちから起きてしまうとは、不眠症にでもなっているのかと我ながら不安な気持ちだ。
真っ暗なオフィス。静かだ。誰かがつけっぱなしにしたパソコンのファンが回る音が、静寂の輪郭を象っていて、余計に静かだと思わせてくる。
がたり、と音がした。
俺は恐る恐る立ち上がり、音のする方向を携帯のディスプレイによる頼りない明かりで照らす。やはり、ロッカーの前。何者かが蠢いている。
俺は音を立てないように近づいていく。人影は荷物を漁るのを辞めない。
いっそ、今のタイミングで一気に詰め寄って、何を漁っているのか確認したほうが早いのではないのか?
「……そうしよう……」
後から冷静になって考えたら愚か一直線の考えだ。でも、この時の俺はまともじゃなかった。
走ってもうるさくならないように靴を脱ぎ、靴下も脱いでから、携帯を構えて思い切り走り出す。
人影は俺の存在に気づいたのか、一瞬で闇の中へ逃げる。一瞬見えた顔、真っ白で目鼻のパーツがまったくなかったように見え、気味の悪い気持ちになりながらも、何とかダンボールにたどり着いた。
「これだな……!」
俺はダンボールをひっくり返して、携帯で照らす。くだらない備品やサンプルが散乱する中で、不自然に封筒が混じっていた。書類かなにかだろうか。
背筋に寒気が走った。
こんな封筒、見たことがない。一応引っ越しの準備ということで荷物の検分はすべてやっている。
そんな俺が見たことの無い荷物があるなど、信じがたい。
「一体何が……」
俺はゆっくりと封筒に手を伸ばす。封筒には紙のたぐいは入っておらず、代わりに何か小さいものが入っている感覚があった。封筒を開き、傾ける。
出てきたのはUSBフラッシュメモリだった。真っ黒で、ラベルもなく、オーソドックスなもの。恐らく、USBも3.0ではなく2.0だろう。古い型だ。
「どうしろってんだ……?」
俺は疑問を吐き出した。直後。
「見て」
という声が耳元で聞こえ、気を失った。
○
「久喜くん、寝坊かい?」
声がした。目を開くと飯島さんが普段どおりの目だけ笑っていない笑顔で俺を見下ろしていた。反射的に飛び起きて立ち上がる。どうやら俺は、ロッカー前の床で眠ってしまっていたようだった。
昨夜ひっくり返したダンボールの荷物も周囲に散らばっている。
「あ、ええと……」
夢じゃなかった。あの人影は。
俺は着ていたパーカーのポケットに手を入れる。何かが入っている。手のひらに収まるそれを掴んで引っ張り出すと、フラッシュメモリだった。
目の前の飯島さんが目を見開く。
「それは……たどり着いたのかい?」
例の人影が漁っていた荷物に。という意味だろう。俺は頷く。
「中、見てみましょう」
飯島さんとともに自席に戻り、パソコンにフラッシュメモリをぶっ刺す。しばらく読み込みのラグが有ってから、ようやく認識された。
メモリに設定されていた名前は文字化けのような不気味な漢字とカタカナの羅列だ。中のファイル類も同様となっている。
「ん……何か入ってるな……。文書ファイルか」
俺は不用意にクリックする。飯島さんが「ウイルスかもしれないから、注意して開けなきゃ駄目だよ」とぼやくのを聞きながら、気もそぞろに「すみません」と誤りつつ文書ファイルの内容を読み始める。
「業務の改善……?」
内容は、業務コストの改善についてかかれた企画書の様なものだった。
「……凄いな。この企画を形に出来たら、少し久喜くんたちの負担が減るかもしれないね」
飯島さんが、真剣な眼差しでモニターを睨む。それから「それ、メールで送ってくれ」と俺に言う。
「その誰かの無念、実現しようじゃないか。もちろん、発見したのは久喜くんだから、手柄は君のものでいい。ただ、まだ一年目の君の発言力じゃ、この企画を実現させるのは難しいだろう」
飯島さんは俺に背を向けて、自分のデスクに戻っていく。
「実現は僕がさせるよ。同じ苦しみを味わった、戦友が出来る手向けだ」
「……わかりました。今、メールします」
後日、社内でこの効率化について取り上げられた。どうやって話を通したのかわからないが、飯島さんの計らいで、俺の社内での評価は一気に上がった。本当に俺の手柄にしてくれたのだ。
例の企画の実現化が、死んでしまった戦友のための手向けなら、俺の手柄にしてくれたのは、まだ生きている戦友への激励のようなものかもしれない、と思った。
それからというもの、俺は深夜になっても例の人影を見ることはなくなった。根拠はないが、もう、出てこないような気もしていた。
成仏、と言ってしまうと陳腐だが、少なくともあの人影はやっと仕事を終えて、休むことが出来るのだろう。長い長い、残業だったんだ。
「ふふ。こんな経験、昔は沢山あったな……」
仕事終わり、汚く資料や機材が散らばる俺のデスクに例のフラッシュメモリが転がっているのを見て、俺は懐かしくなり、ふと微笑んだ。
「『本物』、だったっけ……」
こんなオカルトめいた出来事、普通の人であれば一生に一度あるかないかだろう。でも、今よりずっと昔、中学生の頃。
まだ、記憶を無くす前で、『不思議な力』なども知る由もないあの頃から、俺は何度も経験してきた。
こんなことがあるたびに思い出す。俺と橋山一樹と柏崎燕の三人で過ごした、あの春と夏の頃のことを。