第三章⑯
喫茶マチウソワレには、シノヅカカノコ・アンド・オーバドクターズ・アンド・ミス・ウチダのロックンロールが響いていた。
篠塚と内田のツインボーカルのハーモニクスは絶妙だった。
普段は彼女たちのロックンロールに夢中じゃない錦景女子たちも、体をそちらに傾けている。
ユウカとミドリはフロアの隅の方の円卓の前でカラーゲを頬張りながら、黒須がマチソワに姿を表すのを待っていた。
ミドリのスマホに黒須からメールが届いていた。
喫茶マチウソワレに来なさい。
これが最後のチャンスよ。
一緒に黒須の写メが送られてきて、その中の彼女は黒い猫耳を付けて、黒いローブのような異形の衣装を身に纏っていた。その姿はまさに、黒猫だった。
黒須はここに来るのだろう。
朱澄はマチソワのどこにもいないけれど。
ユウカとミドリは待った。
響くロックンロールに揺れながら。
オーバドクターズの最後を知っているユウカは少しセンチメンタルになる。
なんだか涙がこぼれそう。
ロックンロールは、陽気なナンバに変わった。
そのときだ。
黒須がマチソワの扉を開いて登場。
写メと変わらぬ、黒猫で。
そして誰だろう?
赤ジャージの二人の一年生を子分のように従えてフロアに入ってくる。
そしてカウンタにゆっくりとした足取りで向かう。
内田のシャウトが響く。
黒須はカウンタに座る、一人の女の子の前に立った。
彼女は確か、一年E組の大森テルコ。
喫茶マチウソワレの運営メンバで、将来の夢は宇宙飛行士だという変わった女の子。確か偏差値は学年一位で、気さくに写真撮影に応じてくれる女の子だった。
そして黒須はなぜか、大森の前に立って。
熱っぽい目をして大森を指差し言った。
「カラーゲ、食べにきました!」
とても勇ましい声でおっしゃられた。
ユウカは黒須が大森にどうしてそんなことを宣言するのか訳が分からなかった。
隣のミドリを見れば、首を傾けている。
ここにいる女の子のほとんどは黒須の行動がミステリィだったに違いない。
しかし、思考がストップしている女の子たちと裏腹に、なにやら素早く動いている女の子たちがいる。マチソワの店長の散香と中央高校の制服に身を包んだ女の子の二人だった。
散香はスマホを操作して、スピーカの電源を落とした。
オーバドクターズのロックンロールが消えた。マイクを通していない内田の歌声と歪のないギター、もう聞こえないベース。ドラムは叩くのを止めた。しばらくしてフロア内は女子のしゃべり声だけになった。
そして散香は徐ろに拡声器を取り出した。「泉波、芳樹野、いざ、宴を始めるわよ、皆、手伝って」
飲み物を配り歩いていた泉波と芳樹野の二人は散香の方へ頷き、シノヅカカノコ・アンド・オーバドクターズ・アンド・ミス・ウチダを撤収させた。内田の怒鳴り声空しく、女子たちを味方にした泉波と芳樹野は素早く目的を達成した。
そして女子たちはテーブルを店内フロアの隅に移動させた。
踊れるスペースが一瞬にして出来上がった。
これからまた別のバンドが登場するのだろうか?
ユウカとミドリは顔を見合わせる。二人とも、近い未来の予測が立たないという表情。
ここにいる女の子たちのほとんどはきっと、訳も分からずにテーブルを隅に寄せたはずだ。
黒須は面食らったような顔をしていた。口が半開きだ。後ろの赤ジャージの二人も同様。
中央の制服の人は店の扉の鍵を閉めた。
そして彼女と散香は呆然自失の表情の黒須の両脇に立ち、腕を絡め、持ち上げた。背の高い二人だから、背の小さい黒須を持ち上げることはとても簡単そうだった。
「え、あ、ちょ、なにするの、離して、離せ、こらぁ!」
黒須は二人によって泉波と芳樹野が用意した背もたれが大きい格調高い椅子に無理矢理座らされた。
そして隣の家庭科室に繋がる扉が開いた。カートに乗った背の高いケーキが、確かフランスからの留学生、エマ・シエンタによって黒須の目の前に運ばれた。
シエンタがケーキに立つ十八本のロウソクにマッチで火を付けていく。
ユウカはその作業を見て、なんとなく分かってきた。
ミドリも同じ表情。
黒須はロウソクに灯る火を数えながら、静かになった。
まるで自分の誕生日を今。
思い出したような、気の抜けた表情をしている。
ユウカは位置を変えて、黒須の表情をカメラに収めた。
そして。
素敵な衣装の朱澄が登場。
どよめきが起こる。
朱澄の背後には、モチコトとリリコの二人。
二人はユウカとミドリの方に笑顔を向ける。
マッチからロウソクに火が移るように。
笑顔が二人に連鎖する。
朱澄の衣装に、ユウカは見覚えがあった。
被服部の扉を開けて、右手。
そこに立つマネキンが来ていたものだ。
「ええ、え、え、エイコちゃん、」黒須は立ち上がって怒鳴る。「なんなの、その格好!?」
朱澄は黒須の前で立ち止まり、そしてツンと澄まして言う。「何って、バニーガールだけど?」
「どうしてバニーガールなの!?」
「え、嫌い?」
「いや、そういうことじゃなくて、」黒須は額を押さえた。そして呼吸を整えてから、朱澄のバニーガールを観察している。頬をピンク色に染めて、厭らしい顔をしている。「……いや、嫌いじゃないけども」
「じゃあ、文句言わない、」朱澄は窘めるように言う。そしてなにやら朱澄は黒須をジロジロと、盗み見ている。「……どうして猫耳なの?」
「え、ああ、」黒須は自分の猫耳を触る。「エイコちゃん、猫が好きだって聞いて、……嫌い?」
朱澄は首を横に振る。そして黒須の猫耳をいじった。「別に、嫌いじゃないわ」
「じゃあ、文句言わない」黒須は優しい表情で言った。
「……語尾ににゃんを付けてみて」朱澄は小声で言った。
近くで二人の写真を撮り続けていたユウカには聞こえていた。
「え?」
「なんでもない、ごめん、とにかく、いいから、座ってて、そして、そのまま前を向いていてのよ」
「うん、」朱澄に言われた通り黒須は座って前を向いた。「えっと、コレから何をするの?」
「分からないの?」黒須は髪を払う。ウサギの耳が揺れる。「ハッピィ・バースデイ・パーティに決まってるじゃないのよ」
朱澄はピアノの前に座る。
そして奏でる、誕生日の歌。
朱澄は信じられないくらい綺麗な声で歌う。
陶酔してしまうほど。
黒須の顔を写真に写せば。
それは我を失っている表情。
何もかもを幻想の世界に委ねた表情。
曲が終り。
黒須は現実に戻って来る。
女の子たちは黒須がロウソクの火を吹き消すのを待っている。
黒須は火を吹き消した。
朱澄はピアノの前に座りながら、じっと吹き消すのを見ていた。
消えて。
拍手が鳴り響く。
朱澄は何かをやり遂げた顔で黒須を見ていた。
そして真っ赤な舌を見せて、微笑んだ。
黒須は彼女とは思えないほど、優しい表情。
拍手が次第に鳴り止む。
ユウカはシャッタを切り続けた。
このまたとない一瞬を、撮り続けた。
「もう行かなきゃ」朱澄は時計を見上げてピアノから離れた。
「え、行くの?」
黒須の横を通り過ぎるとき、朱澄は猫耳を触った。朱澄は黒須の猫耳を相当気に入っているらしい。黒猫の黒須を相当気に入っているらしい。「ハッピ・バースデイ、ウタちゃん」
朱澄は一度家庭科室の方へ消え、セーラ服に着替え、黒須と目を合わせることもなく、マチソワから出ていった。何やら急いでいるようだった。そのときすでに、ステージには軽音楽部の沢村ビートルズが登場していた。グラウンドの仮設ステージから駆けつけたのだろう。髪の毛が雨に濡れていた。雨に濡れた彼女たちのファンもマチソワに雪崩れ込んできた。
「お誕生日おめでとう、会長、」ボーカルの沢村マワリがマイクに向かって言う。「今夜もいい夜でありますように、会長のために歌うよ、聞いて、」沢村はキュートに微笑む。「『ブージィ・クレイジィ・ベイビィ・ハッピィ・バースデイ、オーケ?』」
今宵のマチソワの宴は黒須のお誕生日パーティに形を変えた。
皆、巨大なケーキにフォークを刺して食べながら、いつもの宴のように、陽気にダンスを踊っている。
出鱈目に踊っている。
上手くなんて踊れないけど。
楽しいんだ。
ユウカとミドリも出鱈目に踊りながら笑っている。
そして踊りながら、約束した。
「ミドリの写真を撮らせて」
「しょうがねぇな」
とっても大事な約束をしたんだ。
そして、何曲目かの曲が終り。
「じゃあ、次の曲、新曲やるよ、面白い女の子の話を聞いたんだ、なんでも、その女の子のフォト・フォルダには女の子の写真ばかりあるらしい、そんな女の子は今日、ウェイディング・ドレスみたいな素敵なドレスを着ているね、それじゃあ、聞いて、」沢村は言ってユウカの方にウインクを見せる。「谷崎ユウカのフォト・フォルダ!」




