第三章⑩
朝から漂っていた前夜祭の空気は、放課後に入って一気に濃くなった。正門から昇降口までの紫と赤と青の煉瓦道の両サイドには白いビニルの屋根のテントが並んだ。北校舎四階から出張してきた喫茶マチウソワレはおしることラムネを売っていた。その隣のバレー部は焼そばと焼きめしと焼きうどんを売っている。文芸部は同人誌を売っている。漫画研究会も同人誌を売っている。演劇部は舞台衣装を身に纏い、明日正午から始まる劇のチケットを売り歩いている。書道部は太い筆で書いた、斜めから見ないと理解できない字を売っている。トランジスタラジオ研究会は真空管を売っている。その隣で放送部は、前夜祭の様子を校舎に放送している。放送部は凄く猥褻な話題で盛り上がっていた。十人のうち九人がきっと不愉快に思う過激なテーマに移ったとき、生徒会長代理の雪車ヶ野がどことなく優雅に登場して、マイクのスイッチを切って厳重注意をした。さらにその隣では似非占い師の斗浪アイナが外資系ネット通販サイトの巨大な段ボールの上に水晶に見えるガラス玉を乗せて、無垢な新入生を占っては喜ばせて、お金を稼いでいた。新入生はお金を払って、斗浪にお礼まで言っている。今日の斗浪の肩には白いオウムがいる。黄色い冠羽に白い体のおしゃべりオウムだ。そのオウムの存在がきっと、斗浪が本物だってまだ若い彼女たちに信じさせているのだ。
「まだ若いわね、」モチコトは占い師がいる方を見て、息を吐き、呟いた。「でも、楽しかった、そういうことなのよね、若いって」
「ちょっと、ちょっと、」淡いブルーとホワイトのドレスを身に纏ったリリコはモチコトの二の腕を触ってくる。「なぁに、黄昏てるの?」
「終わったなって思って、」モチコトは「うーん」と延びをした。愛らしい猫のキャラクタが胸元にプリントされたブルーのTシャツをモチコトは着ている。モチコトの胸元は平均よりも大きめなので猫もその起伏に合わせて延びる。猫のキャラクタが延びる。モチコトとリリコ、それからユウカとミドリのセーラ服は篠塚たちに貸し出し中だった。「もう、春も終わりよね」
モチコトの前のテーブルには、受付終了と黒マジックで書かれた紙が置かれていた。
モチコトとリリコは白いテントの下で、オーダメイドを受け付けていた。ユウカがプリントしてくれた大きなリリコの写真をパネルに張り付け飾り、淡いブルーとホワイトのドレスを着せたリリコを立たせ、受け付けた。先着四名様限定だった。開店から十分後、錦景商業の女の子たちがモチコトの前に立った。全員、アイドルみたいに可愛いと思ったら、錦景商業のアイドルユニット、エクセル・ガールズの四人だった。六十年代を思わせるディスコティックなメロディ、そして表計算ソフトを皮肉った歌詞は評価が高い。そんな四人組に依頼されたのはドレス。ディスコティックで、ジャポニズム溢れるドレスを作って欲しいと、リーダの森永スズメから言われた。「とこしえの涙もテーマに添えて」
モチコトはエクセル・ガールズの依頼を受け付けた。サイズと細かなデザインの打ち合わせの日程を来週に決めて、四人組は去っていった。
そして受付終了とモチコトは紙に書き、ひと足早く終わりの余韻に浸っていたのだ。
受付終了と書いても、リリコのドレスを見て素敵だって思った女の子たちはモチコトの前に立った。でも、モチコトは中途半端な仕事はしたくないからと断った。「ごめんなさい、でも、またの機会に」
ふと。
被服部のテントの前を香水売りの水園シイカが通る。
彼女はモチコトが三時間に及ぶ長い集中の上に作り上げた、香水売りの衣装を身に纏っていた。
前夜祭ゆえに、色の多い服を纏う女子の中、その衣装だからといって目立つことはなく、むしろ陰であるけれど。
その異形さは、他を優に凌ぐ。
水園は横目でモチコトの瞳を見て、目元を笑わせた。
彼女は一体、何をしようとしているんだろう?
そう思って。
水園からもらった、スーパ・ムーンなる香水のことを思い出した。
それから、今夜は月が地球に最も接近する時間であるらしい。
スーパ・ムーン。
きっと獅子座流星群と一緒。
見逃すんだろうなって、モチコトは笑った。
そしてふと、気付いた。「……猫耳つけてないじゃん、」水園は頭にモチコトが衣装と一緒にプレゼントした猫耳をつけていなかった。「猫耳をつけて、完成なのにな」
「ねぇ、もっちぃ、」煉瓦道の上でクラスメイトに可愛いって言われ、写メを撮られていたリリコが戻ってきて言う。「バレー部の焼きうどん食べたい」
「ええ、焼きうどん?」モチコトは祭りで誰が焼きうどんなんて食べるんだって思う。「あ、リリコがいるじゃん」
「ん?」リリコは首を傾げる。「私はここにいるけど、えへへっ」
「えへへっ、」モチコトは微笑み返して言う。「私は焼そばがいいな」
「私は焼きうどんが食べたいんだな」リリコは笑顔で言う。
「焼そばがいいな」モチコトは笑顔で言う。
リリコはモチコトを可愛い目で睨む。「焼きうどんが食べたいっ!」
「あっ、いいですね、焼きうどん」
そう言ってリリコの隣に立ったのはユウカだった。
「あ、もう一人いた、焼きうどん食べたい変わり者」
「変わり者?」ユウカはぽかんとする。
「え、ユウちゃん、焼きうどん食べたいの?」ユウカの隣には例によってミドリがいる。二人が一緒なのは、モチコトとリリコのように錦景女子の常識になりつつあった。「普通、焼そばでしょ」
「普通そうだよね、」モチコトはリリコとユウカを軽蔑する目で見る。「焼きうどんなんてあり得ない」
「ちょっと、もっちぃ、聞き捨てならないことを聞いたよ、」リリコは珍しく早口になっている。「謝りなさいよ、焼きうどんに謝りなさいよ」
「そうですよ、」ユウカはリリコに加勢する。「焼きうどんだって好きで焼かれているわけじゃないんですよ、好きで別に毎日はいらないなっていう、微妙なテイストになっているわけじゃないんですよ」
「さりげなく焼きうどんをディスってるんじゃないよっ」リリコは珍しく熱くなった。
そんなリリコをユウカは写真に撮る。
リリコは静かになった。
最近分かってきたことだが、リリコはカメラを向けると静かになる。
三枚連続で撮って、ユウカはカメラを降ろして言う。「あ、もっちぃさん、ミドリのドレスのことなんですけど」
「あ、そうだ、渡すのすっかり忘れてたよ、あ、今、着るの?」
「はい、」ユウカはとても幸せそうに頷いた。「今、着ます」
「え、なんで、今、」ミドリはユウカを睨んで言う。「私がドレスに着替えるの?」
「きっと似合うと思うな」ユウカは言う。
「そういうこと聞いてるんじゃねぇよ、」ミドリは小鳥がさえずるみたいに舌打ちする。「私、着ないからね、ドレスなんか着たことないし」
「ああ、そういえばそうだよねぇ、」モチコトはミドリを上から下まで見た。「ミドリの私服、意外とロックンロールなんだよね」
「どういう意味かな?」ミドリは首を傾げた。
「そうなんですよ、私、思うんです、」ユウカはテーブルに手を付き、主張する。「ミドリはふわふわでひらひらのドレスが似合うと思うんです、ロックンロールなんて似合いません、高校生になってロックンロールだなんて」
「さりげなく人の私服ディスってんじゃねぇよ」ミドリは低い声で言った。
「はい、部室の鍵、」モチコトはスカートのポケットから鍵を取り出し、ユウカに渡した。「ポールの一番手前、扉に近い場所に掛かってるのが、ミドリのドレスだから、見れば分かると思うわ」
ユウカは深く頭を下げた。「ありがとうございます」
「なんでユウちゃんがお礼を言うのさ、」ミドリは頬を膨らませている。「着ないけど、私のドレスのことだよ」
「ミドリ、行こう、」ユウカはミドリの手を触る。「さ、早く」
「ええ?」ミドリはどうやら本気でドレスに着替えたくないみたいだ。前髪を気にしたり、彼女も恥ずかしがり屋さんの一人だ。「いいよぉ、ドレスなんかに着替えたくないよぉ」
「せっかく、もっちぃが作ってくれたんだよぉ、」ユウカは強引に引っ張る。「ほ~ら、行くよっ」
「あっ、」モチコトは香水のことを思い出した。「ユウちゃんにも、プレゼントがあるんだ」
「え、ドレスですか?」ユウカはドレスなんかいらないっていう顔で言う。
「違う、違う、ドレスじゃなくって、香水、」モチコトはリリコに視線をやり、聞く。「あ、リリコ、あの香水、どこにやった?」
「香水?」リリコは水園から貰った香水のことなんてすっかり忘れている、という表情をしてから、思い出した、というオーバなジェスチャをした。「ああ、それなら冷蔵庫の中にあるよ」
冷蔵庫?
「……なんで?」モチコトは笑顔のまま聞く。
「え、香水って生物でしょ?」リリコは指を曇り空に向けて言った。
「違うでしょ」モチコトは言う。
「ええ!?」リリコはオーバに驚いている。「違うのぉ!?」
そのタイミングで、グラウンドの方から、チキチキバンバンの賑やかなメロディが聞こえてきた。。
明日、野球が行われるグラウンドには今、軽音楽部により仮設ステージが作られている。
そしてまさに今、ライブが始まろうとしているみたい。
ギターの歪んだ音が錦景女子高校に響いてから。
『ゴールド・フィッシュにうってつけの春!』
オープニング・アクトのバンドのボーカルが叫んだ。
そして。
雨が降ってきた。
毎年、前夜祭のロックンロールが始まると、雨が降る。
これも錦景女子の、常識。




