第三章⑦
木曜日の放課後。
ユウカとミドリは屋上にいた。
春風が気持ちいい。ミドリのふわふわの茶色の髪が風になびく。ユウカはそれを押さえて微笑みかけてキスしたい。
「ねぇ、ちょっと、チミ、」ユウカの妄想を遮るのは、我らが錦景女子高校、生徒会長、黒須ウタコのヒステリック・ボイスだった。「ねぇ、チミ、私の話、聞いている?」
「谷崎ユウカです、」ユウカは妄想を遮られ、ちょっとむっとなる。「チミじゃなくて、谷崎ユウカです」
「ええ、そうだったわね、」黒須はがしがしと屋上の縁を囲むフェンスを掴んで揺らす。「谷崎ユウカ、ちゃんと私の話を聞きなさいよねっ!」
「ちゃんと聞いてました、だから、その、怒らないでくださいよ」
「怒ってないわよっ、」黒須は腕を組み、ユウカを下から睨みつける。黒須は背が高くなくて、風貌は小学生は言い過ぎだが、中学一年生くらいに見える。「ただ、あんたがぼうっとしているから、声が大きくなってしまうの、分かる? 谷崎ユウカ!」
黒須はユウカのことを睨んでくる。少しファニィな表情。そして可愛らしいから、ユウカはそんな黒須の写真を撮った。貴重な瞬間だと思ったからだ。
「なっ!?」黒須は驚いて、フェンスに背中をつけた。「……い、いきなり撮ってんじゃないよぉ!」
「会長が油断して、そんな面白い顔するからですよ、」ミドリが前髪を弄りながら言う。少し長いのが気になるみたい。「ユウちゃんはそういうのは、見逃さないんです」
「面白い顔なんてしてないわよぉ!」
また違ったファニィな表情をするから、ユウカは黒須がカメラを奪おうとする手をかわして、違う角度から撮った。本当に、実際こうやって撮ってみると、彼女は素晴らしい被写体であることが分かる。なんて表情の数が多い人なんだろう。だから生徒会長なのかもしれない。
「ま、また、また撮ったなぁ!」
「えへへっ、」ユウカは笑顔になる。黒須の写真も以前からずっと増やしたいって思っていたのだ。睨まれて少しむっとしたけれど、フォト・フォルダのデータが増えることは素直に素晴らしいことだ。「えへへへっ」
「笑ってんじゃないわよぉ!」
そう叫ばれたので、ユウカは真顔に戻り、カメラの電源を切った。「確かに生徒会長がおっしゃりたいことは分かります」
「は、はあ? なんなの、もう、急に真面目な顔しちゃってさ、」黒須は腰に手を当て、乱れた前髪を直す。「……そうでしょ、分かるでしょ、私が言いたいこと分かるでしょ、意味不明じゃないでしょ?」
「はい、生徒会長がおっしゃるように、自然なツーショット写真が欲しいっていう気持ちは分かります」
放課後になってユウカとミドリの二人は生徒会室に訪れた。そして黒須にツーショット写真を撮らせて下さいって直々に頼んだのだった。ちょうど、生徒会室に秘書の朱澄エイコと二人きりだったから、これで廃部は免れることが出来るって内心喜んだ。しかし黒須は慌てて二人を生徒会室の外に出して屋上まで連れてきた。そして言われたのは。
「自然な二人の写真じゃなきゃ意味ないの、チーズの合図で撮った写真には意味がないの、自然がいいの、フリーじゃなきゃ駄目なの」っていう面倒臭いこと。
でも、ユウカはフォト・グラファとしてその気持ち、分からないでもない。「分からないでもないんです」
「ん?」黒須は眉を潜めた。「ちょっと、その物言いに引っかかるけど、まあ、いいわ、とにかく、」黒須は腕を組み、二人の前をゆっくり左右に歩き始めた。「私が欲しいのは、繰り返すけど、エイコちゃんとの自然なツーショットなの、偶然に生まれた、運命的なまたとない一瞬を撮って欲しいのよ、だから、私が、」そこで黒須は声色を変えた。「あーん、エイコちゃん、一緒に写真撮ろうよぉ、いいの? 本当? やったぁ、じゃあ、あのカメラに向かって、一緒に、ピース!」黒須はそこまで言って、あらゆることを普通に戻す。「なんてやって撮った写真なんて価値がないのよ、意味がないのよ」
「……一緒に撮ってなんて言えない癖に」ミドリは小鳥がさえずるみたいに口を尖らせて小さく言った。
「ああっ!?」黒須はその小さな体のどこからそんな声が出るんだって思うくらい低い声を出した。「ミドリ、今、なんて言ったわけ? いや、言わなくてもいいわ、でも、私を怒らせたい気なの? 写真部を廃部にしたいわけ? どうなのよ!?」
ミドリは黒須ががなるからイラっとしたのだろう。いや、きっとずっと、苛々していたものが溜まっていたんだと思う。以前からミドリは黒須から色々と無理なことを頼まれているみたいだし。ミドリは笑顔のまま大きな声を出す。「一緒に写真を撮ってって言えないだけなんだろ、勇気がないから、一緒に写真を撮ってって言えないんだろ、この恥ずかしがり屋さんめ、恥ずかしがり屋の軽音楽部もびっくりするくらいの恥ずかしがり屋さんだよっ!」
「は、恥ずかしいからじゃないもんっ!」黒須は顔をピンク色にして言う。「恥ずかしくないもんっ!」
「どうかな、」ミドリは悪い目をして首を振る。「本当のところは、どうかな?」ミドリはユウカを見る。「恥ずかしがり屋のせいで廃部にされたら堪ったもんじゃないよね、ユウちゃんもそう思うでしょ?」
「ええっと、はい、」ユウカは頷いた。「え、ええっと、その、はい、そうですよ、恥ずかしがり屋さんのせいで廃部にされたら、あと、SDカードも没収されたら、堪ったもんじゃありませんよっ」
「違うって言ってるでしょ!」
黒須は雲をも揺らすような大声で叫んだ。
その声に、二人は黙った。
本気で怒らせちゃったかなって思った。
黒須は顔を真っ赤にして二人を睨んでいる。
睨んでいたが。
その瞳に徐々に、煌めくものが見えてくる。
黒須はそして、足下を見た。
「……恥ずかしがり屋で悪い?」その声は小さく、震えていた。「恐いのよ、私、……だって、エイコちゃんのことすっごい好きだから、ええ、そうよ、二人とも全然予測してなかったと思うけど、私、エイコちゃんのこと好きなのよ、好きで、もう初めて会ったときから好きで、大好きになって、エイコちゃんのことが好きだから、エイコちゃんと一緒だと、私、駄目になるのよ、本当に駄目なのよ、いろんなこと考えて、まとまらなくて、頭が真っ白になって、エイコちゃんと目が合ったら、もう、幸せなんだけど、殺されたみたいに、何も出来なくなっちゃう、そんな私が、エイコちゃんに一緒に写真を撮って、なんて言えると思う?」そこで黒須は顔を上げた。黒須の顔は涙まみれだった。「言えるわけないじゃないっ!」
そんな黒須の顔を、ユウカは条件反射的に撮ってしまった。
シャッタを切って。
凄く悪いことをしてしまったって思う。
黒須は肩を振るわせてがなった。
「ば、……バカにするんじゃないよっ!」
黒須は二人の前から走り去る。
「あ、待って下さいよっ!」ユウカは黒須の背中に言った。
黒須は止まることなくペントハウスの扉を開け、校舎の中へ。
ユウカとミドリは顔を見合わせる。
とにかく。
『追わなきゃ!』
ユウカとミドリも慌てて走る。階段を駆け降りて生徒会室の扉を開ける。
生徒会室には黒須はいなくて、雪車ヶ野ヨシノと朱澄エイコが近い距離でプリントを前に話し込んでいた。
雪車ヶ野はどことなく優雅に微笑み、言う。「あら、二人とも、どうしたの? ちゃんとノックしてくれなきゃ駄目よ、もっちぃとリリコみたいに、もし私とエイコがキスしていたら、どうするつもりだったの?」
「……あの、すいません」ミドリが謝る。
「生徒会長は?」ユウカは早口で聞く。
「あなたたちと一緒に消えて、」朱澄は自分の肩に掛かる髪を指先でいじりながら言う。「消えたままだけど」
『失礼しました!』
二人は生徒会室の扉を閉めて、校舎の中の捜索を始めた。しかし、どこにもいない。二手に別れて探すことにした。ミドリは校舎の裏手を、ユウカは講堂の周辺を探すことにした。
そして早足で通路の角を曲がった。
そしたら、誰かにぶつかった。
「きゃあ!」ユウカは悲鳴をあげる。
その人に当たって眼鏡が酷い角度でズレた。これじゃあまるで、ドジっ娘だ。
「い、いきなり飛び出して来ないでよっ!」
モチコトだった。「ああ、もう、ビックリしたなぁ」
モチコトに抱き締められて、ユウカは無事だった。
モチコトの体は、柔らかかった。




