第三章⑥
「よし、出来た」
錦景女子の木曜日の放課後。
被服部のミシンの音が止まった。所要時間は朝のホームルーム前の十分と、昼休みの四十分、それから放課後に入ってからの一時間だった。合計一時間五十分の集中でプリンセスの衣装が出来上がった。相変わらず沢村ビートルズのロックンロールに夢中なリリコに衣装を半分持たせ、部室から出た。
「あっ」とモチコトはこのプリンセスの豪奢なドレスの感想を聞こうと思って写真部の部室の扉を叩いた。ミドリにドレスも渡したい。しかし反応がなかった。珍しい。ユウカもミドリもいないみたいだ。野外で撮影でもしてるのだろうか。
二人は演劇部が稽古をしているであろう、講堂に向かった。演劇部が今年、球宴で披露する劇は『スライト・フィーバ』という魔女の物語。その中に登場する、第三王妃、氷の魔女、マーガレットの衣装をモチコトは最後に作り上げたのだった。
講堂の分厚い扉を開けて覗き込む。
座席の方の照明は消えている。静まり返った空間に台詞が響いている。仄かに明るい講堂のステージでは稽古が行われていた。白く長い髪の鬘を被ったマーガレット役の周りに、その家来となる七人の魔女がいる。
緊迫したムード。
モチコトとリリコはそーっと扉の隙間から中に入り、黙ってしばらくその風景を眺めていた。
監督である部長の鈴鹿ナギの声がメガホンで拡声されて響き、演劇部は休憩に入った。
そのタイミングで二人はステージに近い座席に座る彼女のところまで行った。彼女は頭にマフラのように細くて長いタオルを巻いていた。受験生みたいだと思った。
「ああ、二人とも、」鈴鹿は二人に気付き立ち上がり、両手を広げた。「ご苦労様、衣装を持ってきてくれたんだね、メールをくれれば、入ったばかりの新入部員に取りにいかせたのに」
ステージを見れば赤いジャージを纏った新入部員が役を持つ上級生の額の汗を拭いたり、飲物を飲ませたりしている。錦景女子でもっとも体育会系なのは、軟式野球部でも、バレー部でも、水泳部でもなく、演劇部だった。
「いえ、そんな、」モチコトはステージの上のマーガレットを探した。そして見つけた。綺麗な人。白い髪が彼女の魅力をいっそう引き立てている。二年の我孫子メイは新入生と談笑している。我孫子の姿を見つけて、モチコトはうっとりする。リリコはなぜか「むむむっ」って唸っている。「プリンセスの衣装だけはきちんと合わせないと」
「ああ、そうね、」鈴鹿は頷き、ステージの方を向き、メガホンを口元に当てて彼女を呼ぶ。「メイ! ちょっと来なさい」
我孫子は軽く手を持ち上げて、こちらまで歩いてきて、ステージの縁でしゃがみ込み、膝を抱いて、モチコトに笑いかける。「あ、衣装が出来たのね?」
「うん、だから、」モチコトはなんだか喉が渇く。以前、彼女のスリーサイズを測ったときも、そうだった。「着てみてくれるかな?」
モチコトと我孫子はステージ袖の衣装室に行った。リリコに他の二十九着のことを任せた。リリコには悪いけれど、彼女と二人きりになれると思って嬉しかった。リリコが沢村のファンのように、モチコトは彼女のファンだったからだ。恋愛感情とか当然ないし、リリコに対する気持ちとは違うし、なんていうか、宗教みたいなものに近いと思う。だから、日本の憲法に則って、彼女のことを崇拝することは自由。リリコも気になることは、気になると思うんだけれど、モチコトもリリコが沢村のことを言うときは気になるんだから、おあいこだ。
笑顔でそんなことを思っていたら、我孫子の後ろにピタッと張り付くように側にいる赤ジャージの存在にモチコトは気付く。先ほど彼女と談笑していた一年生だ。その一年生はなぜか厳しい顔付きで、モチコトの方を見ている。思わず、睨み合ってしまった。
「あ、この娘はメグミです、」我孫子が微笑みながら一年生の背中を触り、優しく押して、モチコトに紹介した。一年生はマッシュルーム・ヘア、というか、おかっぱだった。着物が似合いそう。「新入部員で、私のお世話係なんです」
「どうも」メグミは低い声で言って、不機嫌そうにぷいっとモチコトから目を逸らす。
「あ、うん、」モチコトはなんだか、嫌われているみたいだ。猫にそっぽ向かれた時に感じる寂しさを考えた。「よろしく」
「メグミ、どうかしたの?」
「別に」メグミは小さく言う。
「変な娘ね、」我孫子はクスクスと笑って、モチコトのドレスを広げて、鏡の前で体に当てて言う。「うわぁ、素敵ね」
我孫子はドレスに着替えた。
王都ファーファウタウ第三王妃マーガレットのドレスは彼女をさらに魅力的にさせた。
メグミは顔をピンク色にして、試着室から出てきた我孫子をうっとり見つめている。「……綺麗」
なるほど。
この娘は我孫子のことを愛しているのか。
「サイズはどう?」モチコトは聞く。「きつくない?」
「少し胸が緩いかしら」
モチコトはドレスの胸元をゆるくしがちだ。胸元はパッドとか使えば簡単に調節できるからだ。別に、他意はない。「調節するわね」
「ええ」
モチコトは我孫子の胸元をいじった。
「あははっ、」我孫子は高い声で笑った。「くすぐったいわ」
「こら、」モチコトは自分でも信じられないくらい優しい声音で言う。「動かないで、精度が下がっちゃうから」
「うー、」メグミはそんな風に笑い合う二人に向かって唸っている。「うー」
「どうしたの?」モチコトは意地悪な目をして聞く。
「触りすぎです、」メグミは丸い目でモチコトを睨み言う。「メイ様に触り過ぎです!」
「いや、触らなきゃ、」モチコトは、確かに少し触り過ぎだったかなとは反省しない。「なにも出来ないでしょ?」
三人はステージに戻った。部長の鈴鹿を始め、演劇部の皆からドレスを絶賛された。他の演者のドレスも問題なかった。鈴鹿から三十枚のチケットを受け取り、機嫌がいいまま、モチコトとリリコは講堂を出た。
「もっちぃ、なんだか、楽しそうだったね」リリコがこんな風に嫌みを言うのは珍しい。
焼き餅なんて焼いて。
可愛いやつって思う。
講堂の前に誰もいないから、モチコトはリリコを抱きしめてキスをした。
リリコの機嫌はすぐに直った。「なんなのぉ、もう、急になんなのぉ、部室まで我慢できなかったのぉ、ふへへへっ」
そして手を繋いで部室まで戻ろうとした。
こんな風に回りを気にせず、手を繋げるのは、ユウカのおかげだ。
あの娘は、本当に、なんていうか、いい女だ。
ユウカには、水園からもらった香水をプレゼントしよう。
細かいことは知らないけれど。
ユウカとミドリの関係は、まだ微妙みたいだから。
ハッキリとした色を付けるために。
うん、きっと、あの香水は、色を付けるための役に立つはず。
だから。
プレゼントしよう。
そんな風に思いながら、歩いていたら。
通路の陰から。
ユウカが急に飛び出して来た。
「きゃあ!」
ユウカはモチコトにぶつかって悲鳴を上げた。
モチコトはユウカを絶妙なタイミングで抱き締めたから被害はなかった。
ユウカの眼鏡が漫画のドジっ娘みたいに斜めにズレている。
「い、いきなり飛び出して来ないでよっ!」モチコトは睨み言った。「ああ、もう、びっくりしたなぁ」
「あ、もっちぃさんって、」ユウカはモチコトの体に密着している。「意外と柔らかいんですね」
「……どういう意味?」
「いや、他意はありませんよ、その通りの意味ですよ、柔らかくって、女らしいって意味ですよ、ね、リリコさん」
「やだぁ、もう、ユウちゃんてばぁ、」リリコはユウカには焼き餅を焼かないみたいだ。「確かに、もっちぃの体の細かいことを一番知っているのは、私だと思うんだけどぉ、どうして私に振るのぉ? 私に振らないでよぉ」
モチコトはリリコを睨み、黙らせ、そして息を吐き、表情を変えて聞く。「それでさ、そんなに急いでどうした? ん?」




