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¶09 わば皿まで。お口に合わな

 その紙を拾い上げたクリステルは、ペートラやニッキーたちと頭を寄せ合って犯行声明を食い入るように見つめた。

「犯行声明ってこんなにそっけないものなのかしら」

「というと?」

「恨みつらみとか、もし言うことを聞かなければどうこう、とか。この一文だけでは、犯人側のやる気が見えないような気がするわ」

「逆に、犯人を絞り込ませないためだったら、かなり有効な作戦よね」

「……目的が不明」

 マディソンも、読んでいた本を閉じて犯行声明を見ている。本人はかなり興味をそそられているようだ。

 エルラガルは、立ったままのエリカを見上げる。

「で、これがどこに?」

「それが、フューラー邸の郵便受けに……」

「なっ!!」「本気!?」「直接じゃない!」

「ひっ!」

 がっつくような反応に、エリカは慌てて飛び退く。貴族に詰め寄られては、使用人としては如何ともしがたい。

 はた、とエルラガルはイスに腰を下ろした。

「向こうも冗談じゃない、本気だってことだよね」

「えぇ。ちょうど刑事の方がいらしてた時に発見されまして。本腰を入れて捜査するそうです」

「当然でしょ、誘拐なんだから」

「それで、お屋敷を抜け出してお嬢様にこれを見せるように、とアレクシス様から申し付けられまして」

「はぁ? どういうことなの、それ」

「自由に動くのであれば、早いうちに。そういうことだそうです」

 エリカは、にっと笑った。使用人が、主人に向けるような顔ではない。クリステルもちょっと苦い顔をしそうな様子だ。

 それを見たエルラガルは気の抜けたようだったがすぐに、アレクシスの苦みばしった顔を思い浮かべると苦笑した。嫌味ったらしい、でも主人の考えをなぞるような采配を取るアレクシスらしい言い方だ。エリカとは正反対の、慇懃無礼な態度と重厚な古木のような様相とを合わせれば、ますます当人のようだ。

「それって、どういう意味なのかしら?」

 首をかしげるのは、クリステルだ。アレクシスの意図を理解してない物分りの悪い友人に、エルラガルはため息をつく。説明している時間も惜しいのだが。

 エルラガルが説明しようとすると、ペートラが手でそれを制した。そして、追っ払うように手を振る。意図を理解したうえで、後押ししてくれるようだ。

「エリィ、急いだ方がいいんじゃない?」

「うん、そだね。ありがと」

「ちょっと待ちなさい、自由に動くってどういうことなの?」

「クリス、ちょっと物分り悪すぎだよ。だからさ――」

「ほら、ニッキー立って。エリカも行くよ」

 ペートラがこんこんとクリステルに言い聞かせている間に、エルラガルはニッキーとエリカを急かして、立ち上がる。

「わ、私もですか?」

「ふぇっ? ニッキー着いてく?」

「そうそう」

 未だに現状を把握しておらず、慌てるニッキーとエリカの肩を抱くようにして、エルラガルは食堂のテラスを後にした。その後ろでは、犯行声明に未だ興味をそそられっぱなしのマディソンと、クリステルに説明するペートラが座っていた。

 ふと、ここに居座っていたい、という思いがエルラガルの中で溢れた。友達とどうでもいい会話をして、その後興味のない講義を眠りながら聴く。そして、暗くなるまで街中をふらふら散策して、それで家に帰って寝る。そうできれば、どれほどよかったことだろう。だが、エルラガルは頭を左右に振って、邪念を追い払う。魂の片割れと言ってもいい、双子の妹のニナンナが何者かによって誘拐されたのだ。自分だけがのほほんと日常に甘んじてることが、できるわけがない。姉として、助けに行かなければならない。それがもしも、クリステルのような友達や、エリカのような使用人であっても、エルラガルはどんな手段を使ってでも間違いなく助けに行ったはずだ。

 エルラガルは、ふと大切なことを思い出した。ニッキーとエリカを置いて、テラスへと戻る。

「ペートラ、これだけ渡しとく」

「? なあに、これ」

「連絡方法。後から追いかけてくるのに必要だろうし、何か大切なことがわかったら伝えて欲しい」

 エルラガルがペートラに手渡したのは、多数の木片で組み上げられた立方体だ。ペートラは手のひらで転がしてみるが、それ以上のことは何も分からない。だが、今は何をおいてもエルラガルを急がせたい。ペートラはとりあえず頷いてみせた。




 エルラガルは優雅にカップを持ち上げ、紅茶を一口すすった。誰に対してでもなく頷くと、目の前のシフォンケーキを口に運ぶ。

「うん、美味い」

 そして、再びエルラガルは紅茶のカップに口をつける。所作は完璧、貴族のお嬢様然としている。周囲を取り囲む、中年のいかつい男性たちがその光景をぶち壊しにしているが。

 壁紙の張られていない、岩をそのまま切り出したような壁が周囲をぐるりと囲み、明り取り用の窓も小さい上に鉄格子が嵌められ、出入り口以外の場所からの出入りは不可能となっている。それなりに広い部屋ではあるが、テーブルの島が3つも4つも無造作に並べられていて、その端に申し訳なさそうに設置された年季物のソファセットにエルラガルたちは腰掛けていた。

 おずおず、といった様子でエリカが手を上げる。グレーの瞳がゆらゆらと揺れている。

「あの、お嬢様。これはいったい……」

「ここは、ニッキーの仕事場!」

 エルラガルの隣に座ってケーキを食べていたニッキーが、即答した。

「そんな、はっきりと言わなくても……いいんじゃありませんか」

 エルラガルたちの向かいに座った、男性が口を出した。年配の男性で、丸眼鏡をかけた丸い顔だ。優しげなタレ目と、腕に抱いたネコが印象的だ。ひとりだけ座っているところを見ると、この部屋の中で一番偉い人なのだろう。

 ケーキを食べ終わったエルラガルが、ふうと息を吐いた。

「スタンも偉くなったねぇ。昔、ウチにいた頃は庭の手入れしてたのにさ。あれは何年前だっけ?」

「はぁ、フューラー侯爵邸にお勤めさせていただいていたのは……5年前です。私もね、こういうことは似合わないんじゃないか、とは思っているんですが、あれよあれよという間に、諜報課の課長にまで引き上げていただきまして……」

 ひたすら恐縮しまくりで、エルラガルにスタンと呼ばれた工作諜報課長は小さく縮こまっている。言葉を区切り区切り、ゆったりと話すのが彼の特徴だ。相手に対して怯えているように受け取られがちだが、彼は相手を一番に考えて言葉を噛み締めるように話す。スタニスラス=ドンディーヌ軍情報部情報工作課長。ニッキーの上司であり、元フューラー侯爵邸の使用人という経歴を持つ。

 エルラガルは、彼の様子を見て安心した。5年前と比べて彼の様子が急に変化しているようなことがなかったからだ。

「で、さ。ニーナが誘拐されてるのは知ってるでしょ?」

「えぇ、もちろん。私どもも、把握はしております」

「ニッキー、課長に伝えたよ?」

「そっか。それだけなら、この犯行予告はまだ知らないかな」

 エルラガルは、ポケットから紙切れを取り出して、テーブルの上に放った。スタニスラス情報工作課長は、抱えていたネコを床に放した後でテーブルの紙切れを手に取った。すばやく目を走らせる。

 その間に、エリカがエルラガルの服の裾を引っ張った。

「あの、この方は使用人だったのですか?」

「うん? そうだよ。昔、お屋敷の庭師してたんだ。庭の植え込みを今の形に成形したのが、このスタンなんだよ」

「そうなんですか。あの植え込みは立派ですよね」

「そうそう。エリカも頑張ったら、政府や軍への登用もあるかもね」

 ふふん、とエルラガルは鼻を鳴らした。エリカは苦笑いだ。フューラー侯爵の力の根源を見たような気がしたからだ。

 テーブルの反対側では、課長の後ろにいかつい男たちが集まって紙切れを注視している。エルラガルが手渡した紙切れは、フューラー邸の郵便受けに投函されていた最新の犯行予告だ。『娘を返して欲しくば、五侯会議で情報部の解散を決定しろ』という内容のものである。スタニスラス課長をはじめ、この部屋に揃った面々は情報部の人間である。到底、黙っていられるものではない。

「ほう、これはこれは……」

 最初に口を開いたのは、スタニスラス課長だ。相変わらずの優しげな表情で、白に茶色のブチのネコを抱き上げようとするが、ネコは課長の腕をすり抜けてしまう。ネコはテーブルの周りを回って、エリカのひざに飛び乗った。

 いかつい男たちの中で、まだ愛嬌のありそうな男が口を挟む。

「課長、このままじゃ俺たちクビになるのか?」

「そうでしょうねぇ……犯人たちの恨みの矛先は、私たち情報部だそうですから」

「そんな、俺たちが何したって言うんだよ!」

「何した、っていろいろしすぎだと思うんだけど」

「んだと!? どこのクソガキだ、表出ろ!!」

「そこまでですよ、大事なお方なんです」

 エルラガルに怒鳴り散らした部下を、課長が嗜める。

 そして課長は、エルラガルのほうに向き直って、尋ね直す。

「それで……私たちに、何か御用なのでしょうか」

「……この件が片付くまで、あたしの指揮下に入らない?」

「んだとクソガキが!!」

「ほらほら、落ち着いてください……それで、お嬢様。どうしてそういったお話になるんですか?」

「血の気が多いな、本当に。でさ、この犯行予告が届いたとき、公安省の刑事がいたそうなんだよねぇ」

 エルラガルは机に前のめりに寄りかかる。

 これだけで、長らくフューラー侯爵家に勤めていたスタニスラスは理解したようだ。エルラガルは、心の中で頷く。情報工作課の課長として働いてきただけあって、組織の動き方も重々分かっている。これなら、組んでも足の引っ張り合いなどということは避けられそうだ。

 だが、情報工作課の人間をはじめ、エリカやニッキーも全然意味が分かっていないようだ。エルラガルが目配せすると、スタニスラス課長は意味ありげに眼鏡に手をかけた。

「そうなんですか……公安の方たちが出てくるなら、私たちは、出る幕がありませんねぇ」

「ふぅん? 公安省がこの件に本腰を入れて捜査するかどうか――」

「えっ?」

 驚いて振り向くエリカを押し留めて、エルラガルは続ける。

「分からないよね。なんたって情報部の飼い主の失点だ、公安省引いてはグレシャム侯爵にとってはまたとない好機だよ」

「そうですよね、えぇ。公安さんにとってウチは……目の上のたんこぶです、から」

「それで、ニーナを返すのと引き換えに情報部をつぶしたら、もう笑いが止まらないだろうねぇ」

「はぁ、なるほど。それで、明後日からの『五侯会議』ですか」

 そろそろ、理解してきた者が増えてきたようだ。エルラガルは心の中でほくそ笑みながら、スタニスラス課長の言葉を引き継ぐ。

「捜査してますよ、ってポーズだけ取ってれば、犯人の要求はそのまま『五侯会議』に上がって成立する」

「フューラー侯爵家の選択としては、そうなるんですよね。そして、成立後に犯人を捕まえればいい……」

「もし、こんな話するのもイヤだけど、ニナンナが犯人に殺されでもしたら、ウチにとっては大損害、向こうは捜査関係者のクビを切るだけ。つまり、トカゲの尻尾きりで終わり」

「つまり、こういうことですか? 私たち情報部は、独自に動かなければ……確実に解散させられる」

 周囲が危機感にどよめく。それを肌身で感じたエルラガルは得意げだ。

 スタニスラス課長のようにゆったりとした口調で話されると、聞いている方はじっくりと噛み締めて聞いてしまう。だから、途中で理解した者たちも一斉に反応する。自分のことだと実感できる。

 ちなみに、この問答にも意味がある。エルラガルと課長の間だけで取り決めてしまうと、頭の上で勝手に決められてしまったようで、個々人からの無意識の反発を招きかねない。自分の仕事に誇りを持っている職人気質の多い場所では、特にそういった雰囲気になりがちだ。ニナンナの命がかかっている以上、急展開にも対応できるようぎくしゃくした関係は勘弁したいところでもある。だから、課長との間で無言での意思疎通ができていたとしても茶番のような問答が必要だった。

 エルラガルは、紅茶のカップを口元に運ぶ。一仕事終えた後の一杯は、また格別だ。

 隣に座っていたふたりも、話には完全に置いてけぼりだったがそれなりに満足しているようだった。エリカはケーキの購入場所をしきりに聞き出し、ニッキーはといえばエリカの目を盗んで自分の皿と入れ替えてケーキのおかわりをしている。



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