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序 盤を怖がらないこと


 王国歴1635年の芽吹きの月、兄の館の離れに盤を一つ運び込んで、私は兄の孫たちと向かい合った。上の子と真ん中の子と下の子の三人で、下の子はその年に七つになったばかりだったから、ちょうど私が初めて盤を教わった年と同じだったことになる。駒を箱から出して卓に並べ、さて、と言いかけたところで、下の子が手を伸ばして一枚を取り、盤の真ん中に置いた。見ると聖嵐神で、つまり神側の王だった。王を盤の真ん中に置く者は集いには一人もいないが、私はそれを直さずに、しばらくそのままにしておいた。王がどこに置かれていようと、駒を並べ終えるまでは、まだ誰も負けていないからだ。


 この本は、もともとこれから千年盤を楽しむ又甥らの手習いのために書き始めたものだ。まとめると読みやすく、我ながらわかりやすいものとなったので、貴族の子弟でも、館の従者でも、台所で育った子どもでも、字が読めるなら、多くのものに読み開かれ、千年盤を愛好するものが一人でも増えればと思い刊行に至った。盤は館の飾りではないし、貴族のたしなみとして嫌々覚えるものでもないのであって、それをいちばん恐れているのは、長く館で盤を教えてきた私自身だと言っておく。嫌々覚えた駒の動きは、私の見た限りでは、たいてい対局の途中で頭から逃げていき、好きで覚えた動きのほうは、六十年たっても残っているものである。


 私の名はテオドル・アルヴェインといい、アルヴェイン伯家の次男で、家督は兄が継いだので、私は領地を持たずに盤だけを持って生きてきた男だ。若いころに王都の盤の集いで名を挙げ、先王と、いまの陛下と、幾つかの館の子弟に盤を教えて、六十で指南役を退き、いまは六十八になる。名を挙げたというと勝ってばかりいたように聞こえるかもしれないが、私は数え切れないほど負けていて、そのうちの一局は、いまでも手控えを開くとその頁で手が止まる。


 私に盤を教えたのは父の館に出入りしていた老いた名主で、私が七つの冬、暖炉の脇で駒を一枚ずつ私の手に握らせ、動きを教える前に駒の名を一つずつ声に出して言わせた人だった。名を知らない駒は動かせない、というのがあの人の言い分で、理屈としては怪しいのだが、私はいまでもそのとおりにしていて、この本でもまず名から入る。私が盤について知っていることの半分はあの人の言葉で、残りの半分は負けて覚えたものだから、どちらが役に立ったかと聞かれると、正直なところ、分からないと答えるほかない。


 最初の日に戻ると、下の子が真ん中に置いた王をそのままにして、私は三人に駒の名を言わせることから始めた。上の子は一度で覚え、真ん中の子は堅磐神と律天神をしばらく取り違え、下の子は名を覚えるより先に、どれがいちばん強いのかと聞いた。盤の上に、いちばん強い駒というものはない、と私は答えたのだが、あの子はいまでもそれを信じていないらしく、動かすときはまず叡智神に手が伸びる。それでいい。強い駒から覚えたい子には強い駒から教え、名から覚えたい子には名から教えるのであって、順番は人によって違ってよく、違っていても、着くところは同じだ。


 さて、本書では、まず盤と駒の名を教え、次に初めの並べ方、それから固有駒の動き、一般兵と隊列行軍、英雄兵、王護、王手と詰み、引き分けという順に、昔からの申し合わせを一つずつ説明していく。そのあとで、私が勧める序盤の型を幾つかと、初めての人がよくやる失敗を幾つか書き、終わりに、千年盤との付き合いを語って筆を置く。盤面の図は置かず、駒の居場所は列と段の数で言うことにするので、盤を手もとに置いて読んでくれると話が早い。


 一つだけ、ここで申し合わせを言っておこう。手番は交互に一回ずつで、自分の番に休むことはできない。盤で見れば、万夜側が一枚動かしたら次は必ず神側が一枚動かし、神側が動かしたら次は必ず万夜側が動くのであって、どちらの番にも、何もしないという手はない。下の子は最初の日にこれを聞いて、では困ったときはどうするのかと私に聞いたので、困ったときも動くのだ、と答えた。動きたくないときに動かなければならないのが、この盤のいちばん厳しいところで、私に言わせれば、いちばん面白いところでもある。


 昔の私はこれをやった、という話を一つしておく。十二か十三のころ、父の館で指した一局で、どの駒を動かしても損をする局面になり、私は盤の前で長いこと黙っていて、相手は黙って待っていた。そのうちに私は、動かなくてよい手を探し始めた。駒を動かさずに手番だけ相手に渡す手はないかと、頭の中で申し合わせを一つずつめくり、ないと分かっていながら、めくり続けた。師はそれを部屋の隅から見ていて、そのときは何も言わなかったが、対局が終わったあとで一言だけ、お前が探していたのは手ではなく逃げ道だ、と言った。それ以来、私は困った局面で黙っている時間を、少しだけ短くするようにしている。


 君はこれから、駒の名を覚え、動きを覚え、幾つかの決まりを覚えることになるが、覚えることは思うほど多くないし、慌てなくていい。ただ、覚えた決まりのどれ一つも、君を縛るためにあるのではなく、相手と君とが同じ盤を見るためにあるのだということだけは、初めに言っておきたい。申し合わせが同じでなければ二人は別の盤を見ていることになり、それでは、どちらが勝っても、勝ったことにならないからだ。


 さて、ここまで読んだら、いったん本を閉じて、盤を出してほしい。駒はまだ並べなくていいから、自分の王を一枚だけ手に取って、盤のどこでも好きなところに置いてみてほしいのであって、真ん中でも、端でも、隅でもかまわない。置いたら、しばらく眺めて、それから箱に戻せばいい。どこに置いても、まだ負けではない。


 王国歴1638年 刈入れの月 アルヴェインの館の離れにて


 テオドル・アルヴェイン


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