第1話「落とし物」
四月の終わり。
一時間目が終わった休み時間。
廊下は教室を移動する生徒たちで少し騒がしい。
朝比奈湊は、数学のノートを抱えて廊下を歩いていた。
前を歩く女子生徒が、制服のポケットから小さな消しゴムを落とす。
本人は気づかない。
そのまま人混みへ紛れていく。
湊は足を止めた。
落ちた消しゴムを拾い上げる。
少しだけ迷う。
(急いでるよな。)
でも次の瞬間には駆け出していた。
「ごめん。」
女子生徒が振り返る。
「これ、落としたよ。」
「あっ!」
女子生徒は制服のポケットを触る。
「あ、本当だ……!」
「ありがとうございます!」
「ううん。」
それだけ言って、湊は自分の教室へ戻る。
女子生徒は何度も頭を下げていた。
教室に戻る途中。
その様子を見ていた一人の女子生徒がいた。
白石陽菜。
(……ちゃんと追いかけて渡すんだ。)
落とし物を拾う人はいる。
先生に届ける人もいる。
でも、わざわざ追いかけて本人に返す人は、意外と少ない。
そんなことを思いながら、自分の教室へ戻った。
昼休み。
朝比奈はいつも通り友達と話している。
さっきのことなんて、もう忘れている。
一方で、消しゴムを返してもらった女子生徒は、友達に嬉しそうに話していた。
「今日さ、消しゴム落としちゃったんだけど、追いかけて届けてくれた人がいたの。」
「へえ、親切な人だね。」
「うん。朝からちょっといい気分。」
その笑顔を見て、陽菜は少しだけ目を細めた。
(あの人は、誰かに感謝されたいんじゃない。)
(その人が困らなければ、それでいいんだ。)
窓の外では、春の風が校庭の桜の葉を揺らしていた。




