表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
肯定  作者: 九条 九重


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
3/3

圧力

私は新幹線で大阪へ行く事になった。今まさに駅まで母親の車で向かっている途中。母が運転席で何か言っている、私は適当に調子を合わせて、後ろで外の様子を眺めながら昼食を軽く済ませている。大阪へは行きたい訳ではないが、出張で行く事が決まってしまったから仕方がない。私は入社して今年で六年目になり、出張も今度で三度目になるが大阪というのは初めて。私は人混みなんかは苦手な質だから、都会には人が多くて剣呑だ。埼玉の田舎から都会へ出る事にはやはり抵抗がある、けれども考えてみると次第にそんな悪くも無いように思う。今までとそう変わらない、ただ出張の場所が遠くなってしまっただけに過ぎないのかもしれない。いや、そんなこともないか。最近は田舎でも個人主義だから、都会は人が多いだけで皆が存外に孤立しているのかもしれない。私も独りでいる事の多い人間だから、それなら過ごしやすくてよいのだけれど。それに元来私は自然が好きだった。私が子供の頃なんかは、夏になると整然と敷き詰めた田んぼに水が張って、近くの草むらを通ると足元で虫が跳ねる。学校の帰りなんかはおたまじゃくしだタニシだなどといって、自然を体で感じられていた。あの風薫る日々が懐かしい、今でも時々思い出す。あのとき一緒に遊んでいた子は誰だったか、今はみんな何をしているんだろうか、思い出すとつい余計な事まで考えてしまう。尤もそのみんなの内の一人は私の同期なのだが、昔から別段の思い入れはない、思えば私はその頃から孤立していたと思う。最近だと田舎でも自然が無くなってきている、そして自然があっても感じる事も出来なくなってきている。田畑を埋め一軒、また一軒、雑然と建物が建ったかと思うと、気が付けば自然と道に沿って一列に並んでくる。それも両端に列をなして建てるものだから、そんな道を通るたびに圧迫されているようで、あの頃の自由の感じはない。なにも悪いのは家が建った土地だけでなく、建物すらない土地では整然と敷き詰めてあった田んぼは雑草が好き勝手に伸び、そうして縁もわからなくなっている、小さな水路は飲まれてしまう。到底あんな所を体で感じようなどとは思いもするまい。近頃の子供が外で遊ばなくなったとよく言われるが、それも納得である。遊びたくても土地が無い、土地があっても碌に手を加えていない。これでは家に閉じ籠るばかりであろう。田舎は人が増えると閉塞的になるのかもしれない、そう思うと都会はやっぱり孤立した者で溢れているんだろうか。こうなると田舎よりも都会の方でも良いのではないかという気持ちになる。近い未来、良い勉強をさせてやるよりも、体を動かす贅沢をさせる親が偉くなるかもしれない。そうなれば私の親なんかはたいへん鼻が高いだろうな。


そう思いながら運転席の母の顔をミラー越しに見ると険しくしている。どうやら停車場を探すのに苦労しているらしい。幾ら田舎といえども駅の周りだけは都会にかぶれている、停車場は多くあるのだが何処も空いていない。やっとこさ車を停めると母はいつになく丁寧に別れの挨拶をしてくれている、忘れ物の確認も丁寧にしようとするから私は適当な返事をしながらそそくさと車を出た。車を離れスーツケースを転がして歩きながらふと、送ってもらってお礼も言えてなかったなと思い出し、振り返ってみるともう母の顔は小指の爪ほどの大きさくらいでしか見えなかった、表情も分からないがまだこちらを向いているのは分かった。私は手を軽く振ってそれきりにした。親とは不思議なもので、こういう時に限って親である事を主張したがる、丁寧な別れや忘れ物はないかだと心配してやるのが親にとっては理想なのだろうか。普段なんかは他人よりぞんざいな扱いでありながら、それでも良い心地がする、そしてやはり気持ち悪いとも思う。扱いは統一すれば良いのに、普段からぞんざいな扱いなら別れ際でもそうすれば良い。そうしないのはこの別れが私の記憶に深く残ると考えてのことだろう。良い自分を残したいと考えるのはいつの人間も同じ事だ。だからこういう場合に限って皆が良心を過剰に膨らませて大きく見せる。私の為に大いに良心を働かせてくれているのだから良い心地もする、だけれど無論中身は無いから受け取っても後には何も残らない、記憶にだけ別れ際の膨れた良心が残っている、それが気持ちを悪くするから素直には受け取り難い。


そろそろ考えるのをやめよう。外を歩いていると日差しを強く感じ、往来には日傘をさしたご婦人が多くある。私は最初時間を気にしながら歩いていたが、次第に早歩きに変わり、まばらに行き交う人々を避けながら駅に向かった。だがどうも間に合いそうにないので漸次小走りになった。新幹線の駅は電車の駅より高い所にある、エスカレーターで上ろうと思っていたが時間がない。何もせず待っていると尚のこと焦りを感じ、腹も立ってくる、それで階段を使うことにした。だが今は階段が憎く感じられる、これなら待っていたほうが良かったやもしれないと思っても時すでに遅し、登り始めたからにはもう戻れない。スーツケースを持ち上げて階段を駆け上がり、駅に着くとかなり疲れたように感じる、汗もそれだけかいている。ホームには人がまばらにいる方と並んで幾条かの列になっている方とがある、私はすぐ近くの列に並んだ、するとすぐに新幹線はホームに停車した。


少し遅れたが無事に乗る事が出来た、私が乗り込んだのが最後だったと思う。車内の通路を進んで席に空きがないか探してみるもどこも満杯で座る場所がない。空きが出るか、それとも到着までか、立って待つしかない。どこに立って過ごそうか、車両を移動して探して貫通扉を通るとデッキの乗降口の前に男が一人立っていた、細く狭い所に丁度良く収まっている。私はその向かいの乗降口に収まった。乗降口についた窓に少し腰を屈めて最後に故郷を見た、良いものであると思ったが、すぐに腰を屈めているのが辛くなって辞めた。出発してから程なくしてアナウンスから遅れてしまって申し訳ないというような事が流れた。一度やめてからも時おり屈めて外を見ていた。このアナウンスも外を見ながら聞いた。外の流れる故郷の風景と、内側のアナウンスの流れに妙な親和性を見出した。


アナウンスによると、前の駅で停電が起きた為に遅れたらしい。災難な事に幸運だ、そのおかげで遅れて来た私が乗る事が出来たのだから。ただ、私はたった少し遅れただけ、そんな災難があって尚、時間通りを要求される方がよっぽど災難だろうに。この国の時間を守ろうとする意識が高い様で、電車の時間なんかは他国と比べとても正確なことで有名らしい。これは皆で足並みを揃えようとする同調圧力が強く働いている証拠だと思う。だが不思議なことに、乗客を見てみれば分かるがだれもそのような同調圧力を持っているようには感じなかった。寧ろ個人主義的な圧力が働いて、足並みを揃えようという気があるようには見受けられない。個々にスマホから全く違う情報を得て、全く個人の領域に浸り、他を寄せ付けまいとしているようにすら見える。私は外だけでなく、時折り客席の方も覗きながらそんな事を考えていた。するとアナウンスが入り、次の駅が近い事を知らせた。そのうち降りる人が乗り込み口の前に集まってきた。私は退いて空いた席に腰を下ろした。二つの座席が並んでいる席の窓側に座った、隣は誰もいない。アナウンス通りに駅に着き、降りる者がぞろぞろと抜け、乗る者が押し寄せる。乗る者は降りた者ほどいない、幸い私の隣は空いたままだ。私は窓の縁に肘を置き、楽にして外の景色を楽しむことにした。窓の外は電車の線路があり、その奥に家々が立ち並ぶのが見えた。私は一度客席の方を見渡してみると、めいめいに圧力を持って一人の空間に閉じこもっている様に思われた。中にはスーツを着て私と同じように仕事に行くんだろうという者がいる、他にも観光に行くんだろうという者などいろんな人がいる。見ていると同じ新幹線に乗って移動する仲間の様に思えてくる、足並みを揃えようとする同調圧力を確かに感じる。悪くない心持ちがする。少し目を離していただけだったが窓の外に視線を戻すと一面に田んぼが広がっていた。景色の移り変わりは激しく、普段のんびりしている空でさえ先程まで見えていた雲の峰をずんずん追い抜いて、その様相の変化は著しい。そのうち家々が見えてきて、ガラス張りのビルが一棟、また一棟と過ぎていった。都会の趣は幾何学模様に出来た縁のようだ。


私は東京駅に着くと新幹線を降り、急ぎ足で次のホームに向かった。途中で駅員に場所を聞き、なるべく早くに行ったがホームにその影はなかった。ホームにいた駅員に聞いてみるともう行ってしまったらしい、都会の駅に詳しくなかった事、前に乗っていた新幹線が遅れていたことがあり乗り損なった。その駅員によると次の新幹線もすぐに来るらしいが違うホームに着くとのこと、不慣れな駅を移動するのも不安がある、次の新幹線は喫煙所から見送り、自分のいるホームに来る新幹線を待つ事にした。喫煙所を出て五分ほど並んで待っていると次第に私の後ろに並ぶ人が多くなってきた。他の場所でも列が長くなっている。私が並んでいる列を見ていくと、一人の俯いてスマホを見る女性が目についた。俯いて私服を着ているのを初めて見たから分かりにくかったが、同じく出張に来ている先輩の神崎さんだ、横には黒のスーツケースを置いている。彼女が一人で俯いている姿はより一層に個人主義的な圧力を持っているように感じられ、私の目をひいた。何か声を掛けようかとも思ったが、何の要件も思い浮かばない、結局声を掛ける事はしなかった。それからすぐに新幹線が着いて、私はそれに乗り込んだ。席はまた二つの座席が並んでいる席の窓側に座った。次第に席が埋まっていくなか、おもむろに神崎さんは私の隣に座った。人が多いから誰か隣に座る者が来るだろうとは思っていたが神崎さんとは驚きであった。神崎さんが座るときには俯く様な瞼から凛とした目が私の目と合った、鼻筋がよく通って、薄化粧の色白い肌に薄暗い口紅を塗って静かに結んでいる凛とした顔である。神崎さんは何も言わずに目を逸らした。何事もなく座る神崎さんに私は窓の方を見て、彼女の圧力に萎縮していた。すぐに新幹線は走り出し、横目に彼女を見るとイヤホンをしていた。私は完全に彼女との関わりを遮断されたような気持ちになった。窮を要したのも束の間、私はいま自分の領分を手にしたも同じことだと悟った。これでは私も孤立し圧力を持ったも同然である、私と神崎さんとではこの圧力を持って常に近づく事を許されないのだろう事も悟った。これで諦めては積極性に欠けるやもしれないが、この圧力こそが現代の積極性というものではないだろうか、私は神崎さんの圧力を無為にするような身の程知らずではない。私は景色を忘れてもの思いにふけていたが自然と景色が戻ってきた、判然としないが外は何だか暗い。いきなり光が強烈に差し、視界は慌ててその現象を明かそうとする、私は視線を下ろして目を細めながら景色が戻るのを待った。視界は次第に明瞭になってきてた、窓の方に視線を戻すとぼやけた緑が一面に見える、そこは自然に溢れていた、手入れがされている様子はない、奥に見える山はどうなんだろうか、吟味する間もなくトンネルに入ってまた暗くなる。次にトンネルを出たときには遠くに海が見えた、微かに波打つのが確認できるほどである。


私は景色を見るのをやめてスマホを取り出した、起動と同時に充電が少なくなっていると通知が来た、今朝は充電を忘れていた事に今更気が付いた。私は一旦通知を消しネット記事を読み始めた、独身の増加について書かれていた。これを見ながらネットこそが圧力を助長する最大の要因だろうと思った。昔は情報を入手する手段が限られていて、皆が同じような情報を見ていたから神崎さんのような圧力は生まれにくかった。だが今や好きな時に好きな情報を得られるようになっている、こうなると皆がめいめいの思想を持って圧力を生む。そして個人的思想によって世間と摩擦が起こる、これによって個人の圧力はより強まる。ならば足並みを揃えようとする同調圧力は弱まっているのかというとそうでもない、なにもこの圧力を強めようというのは個人だけで行われているわけじゃない、世間がそう動いているのだから、これも立派な同調圧力である。同調圧力によって孤立していくんだから一生独身でも仕方がない、それを批判されてはたまったものではないだろう。私はこれからどんどんと一人の世界に浸り、人との関わりが効率化されて希薄になっていくのだろうかと先の事を考えると、そこには漠然とした不安が浮かんできた。恐ろしいとも恐ろしく無いとも言えないそれは死を彷彿させるところがあり、私の胸を曇らせていった。全く想像に難くない、それなのに実感が無く漠然としているのは自身が原因でない事の証明だろう。先の事を考えていると不安になるが、孤立していると不安になるというのが時代遅れなのかもしれないと思われてきた。一人で居て不足などない、だからといって満足もない。いや、なんでだろう、私は不足は無いと確かに考えた、だけれどこの満足もないというのは勝手に浮かんできた。私にはそれ程までに同調圧力に対しての欲求がある、この欲求が私だけで無く皆にある限り私の考えは極端な話に過ぎないのかもしれない。あの浮かんできた死に実感が無いのはこちらが原因だろうか、それならば未来の人は承認欲求を克服して、いや克服というよりは疑似的に満たして、同調圧力によって孤立していくのだろうか。その先にあるものは一人で生活をして、一人で納得して、一人で死んでゆく、そんな世界なのだろうか、これは行き過ぎた考えだとも思うが私は真剣である。


またスマホに充電が少なくなっていると通知が来ていた。充電が無くなってしまっては困る。スマホを閉じて窓の外に目を向けた、するとまた都会の趣に変わっていた。アナウンスが流れ、もう少しで大阪の駅に着くらしい。降りる為に忘れ物がないか確認していると、神崎さんは自身の足に挟んでいたスーツケースを掴んで、新幹線が止まり立ち上がる時を待っているらしかった。そのうち新幹線は駅で止まり、通路を流れる人の波は今までに比べても多く、その中に神崎さんは消え、私は最後の方に新幹線を出た。


新大阪駅というところである、今度は新幹線から電車に乗り換えなくてはいけない。慣れない都会の駅の広さに狼狽していると往来の中に神崎さんを見つけた、私はその後をついて行った、向かう所は神崎さんと変わらないはずである。神崎さんは凛然と進んでゆく、私は後を追うがこれに気付く者などいないだろうと思うほどに駅は混雑している。ほとんど真っ直ぐに続く通路では通行人は横の白いタイルに反射していた、白くぼんやりと映るのはあの世の往来を連想させた。通路を抜け、下の階に降り、改札を通ると思惑通りの電車の駅に着いた。着いて安心しているとどうやら同じ考えの者らしく、ある女性が私に声を掛けてきた。


「おつかれ、駅広すぎて迷子になるところだったよ」


話しかけてきたのはスーツケースを持った同期の佐藤。昔からの知り合いだけど話した事はあまり無い、神崎さんと比べ丸みのある顔をしていて、特に目なんかは普段から笑みを浮かべてきたのだろうと思うような丸みがあり、大人になってから綺麗になった。その時の佐藤は少し舞い上がっている様に見えた。神崎の圧力を見てきたからだろうか、思えば昔から佐藤からは個人主義的な圧力はあまり感じたことが無いかもしれない。寧ろ孤立を人一倍嫌っていたように思われる。そう考え事をしている間も佐藤は何か話していた。


「どうして迷子にならずに来れたの?」


佐藤に聞かれた私は神崎さんについてきただけだと説明した。そしたら佐藤は辺りを見回し、神崎さんを見つけると一目散に声を掛けた。あの神崎さんの圧力を無視して行く姿には恐れ入った、それが彼女の強みであると思うが、私には到底真似できないだろうなと思った。既に電車の列にいた神崎さんは声を掛けられ普通に返事をするが動かない、佐藤は神崎さんの列に行こうとするが私も動かないでいた、佐藤は私を見て訴えかける様な視線をよこす。私も並んでいたが佐藤について行く事にした。着くと佐藤は神崎さんと話を始めており、途切れ途切れに聞こえてくる内容は飯屋の話らしかった。佐藤の甘くて美味しそうとも聞こえてきたのでスイーツか何かの店に違いない。私はただ聞いているだけだった、それでも仲間意識のようなものが湧いてくるから剣吞だね。孤立して孤独を感じるより不安だった、これなら佐藤の誘いには乗らずにおくべきだったかもしれないと少し後悔している。


「一緒に行かない?」


突然に佐藤が聞いてきた。ホテルに着く前に寄って行くらしい、少し悩んで断ることにした、私が行っても楽しめないだろうから。佐藤なんかは特に人の機嫌や場の雰囲気を気にしているところがある、私みたいのがいては鬱陶しくてしょうがないでしょう。神崎さんが折角なのにもったいないと言って、佐藤も同じような事を言う。私は適当に疲れたから早くホテルに行きたいと言うと、佐藤も疲れたと言って同調した。


「夕飯はどうするのさ」


神崎さんが聞いてきた。私はホテルの近くにコンビニくらいあるだろうからそれで済ませると言った。また勿体無いと神崎さんが言うと。


「ホテルの近くに何かないか調べてみたらいいじゃん」


と佐藤が妙案を思いついたように提案してきた。やはり少し舞い上がっているんだろう。佐藤の案は良いのだが今はスマホの充電が無いと伝えると、佐藤は同調して自分も無いと言いだした。神崎さんは私たちにちゃんとしなよとあきれ気味で見ている。それから佐藤はおもむろに自身のスーツケースを開けてビニール袋を取り出した、その時なにか焦げる臭いがした。煙草とも違い、焼畑のような自然の焦げた臭いではない、嫌に鼻に残る幾何学的な臭いである。袋から顔を引きつらせた笑みを浮かべて出したのは熱で変形したと思われるモバイルバッテリーだった。よく見ると変形した所の奥には微かに輝くものが見え、少し覗くとそれが謎の液体が漏れた後だとすぐに分かった。変形していること以外にも長年使われてきたんだろうと思われる傷や劣化の跡が見られる。佐藤曰く今日突然にこうなってしまったらしい。そんな事があるのだろうか。


「これからどうしようか、このせいでスマホが充電できなくて」


困っていると言っていた。私も神崎も早くに捨てて新しく買い直すように言った、佐藤もそのつもりでいたようですんなりと聞き入れて、調子を戻してきた。私ならば聞くまでも無くそうしただろう、そこでわざわざ発表するのが佐藤らしいと思う。その後は臆する事も恥じる事も無く、その苦労話を始めようとするから呆れを通り越して感心するよ。話を始めようとしていると電車が遠くに見え、間もなく駅に着いた。佐藤はモバイルバッテリーを捨てる機会を逃してしまい、急いでスーツケースに詰め込みながら他の乗客に押されながら乗車した。電車の中は混んでいて座れそうになかった、私は立って吊り革を掴んだ、佐藤は私と乗降口との間で屈んでスーツケースを閉じていた、神崎さんは離れてしまいどこにいるか定かではない。そんな状況で電車は出発した。佐藤は電車に揺られながら立ち上がって、乗降口の横にある手すりを掴んだ。モバイルバッテリーは無事に片付けられたようで何よりだ。そして神崎さんはと言いかけたところで見つけたらしく笑みを浮かべた、そして私の耳元で神崎さんのいる方を囁いて教えた、それには狼狽したが動きようもなかった、佐藤から顔を逸らしはしたが依然として頬と口元との距離が近い。佐藤は神崎さんの方へ視線を向けていた、私はそれを横目に見て神崎さんの方に視線を向けた。神崎さんからはまた圧力を感じて、佐藤の方を見ると後から佐藤が目を合わせてきた、眸子の輝きまで見えたが一瞬の事で今度は佐藤の方が顔を逸らした。私はなぜか少し落ち込んだ心持ちになった。佐藤はスマホを取り出して見始めた、充電は大丈夫なのだろうかとも思ったが、それより佐藤からあの圧力を感じた。電車の中には私たち以外の会話は多くあった、もしここにいるのが私でなく神崎さんであったなら、ここにも会話があったのかもしれない。佐藤の圧力をもってして私はまた自身の領分を手に入れたのだろうか、いや、私の圧力を持ってして佐藤は自分の領分を手にした、そして圧力を持って私と佐藤は近づき難い存在になったんだ。そのまま何もなく電車は降りるべき駅に着いた。私は静かに降りようとすると佐藤は最後に明日から頑張ろうと言って、流れる人を渡り神崎さんの方へ行った。私は降りた後に窓から二人が楽しそうに会話しているのを、電車が見えなくなっても見送っていた。


それからホテルには歩いてすぐに着いた、時刻は十九時近かった。案内された部屋は四階にあり、入るとワンルームのユニットバスであった、一人で使うには申し分ない広さがある。テレビはベッドに寝ころびながら見れるように壁に付いている、一階には温泉もあると言っていたが今日のところは疲れているから遠慮して、まずは近くのコンビニへ行った。コンビニで夕食と朝食、スマホの充電器を買うとまたすぐにホテルに戻った。夕食を済ませ、シャワーだけ借りすぐに眠ってしまった。


眠りについて気が付くと私はあの電車の中にいた、私と神崎さんとの位置が入れ替わっていた。私は三人人で座ってスマホを見る女学生や、世間話をしているのおば様方、吊り革を考え込む様に掴む男などの色々な乗客の間から佐藤と神崎が二人で楽しそうに会話をしているのを見るしか出来ない。私は孤立していた、ここに神崎さんがいた時にも神崎さんはそうしていた。これは全く同調圧力のせいなのだろう、そう思った途端に窓の外は暗くなった。トンネルにでも入ったのだろうと思い、窓の方を見ると反射した自分の姿がある、それを見て何だか落ち込みつつ弱腰の情けない姿だと批評をした。すると光が強烈に差した、窓からではなくて車内の正面から、その立ちふさがる様な炎は私より前はもう随分と飲み込んでいる。そして炎は風のように私を通り抜けてこの車両全体を飲み込んでしまった。炎は恐ろしい、それでも私は存外に冷静であった。これで死んでは本当に空虚なものだと思う。気に掛かって二人の方を見ると変わりない調子で話しているようだった、それ以外の乗客も炎の存在を否定するかのように平常通りでそこにいる。これは私の想像力が乏しいが故に、悲惨な情景描写がなされていないせいだろうと断定した。そういえば私の周りには炎が無い、代わりに私と他人との間には火があって仕切られているようだ。この炎は圧力による摩擦を示したものだろうと仮定して考えてみることにした。すると二人の方はどうかと思い見ると、佐藤も神崎さんも一緒に炎に包まれている。同調圧力によって一緒に燃えているのだろうか、ならばこの炎は同調圧力を単に示したものなんじゃないだろうか。よく他の乗客なんかを見ても一緒に燃えている者と一人でいて炎を近付けない者とが混在している。私は二人の炎を見ながらその輝きに魅了されていた、けれども飛び込む足は無い。私はただ炎への欲求不満と恐ろしさで立ち止まっていた。そこでまた孤立していく中での私のこれからについて考えてみる。同調圧力は確かに周りに存在している、避けているのは私自身だ。孤立もまた同調圧力によって進むだろう、これも変わりなく思っている。孤立しても炎へ欲求があり、同調圧力によって事が進むのなら立脚地は皆が大方同じなのではないだろうか。私にはその立脚地がどうなっているのか見当もつかないが、もし皆が同じようにまとまるのであれば今のうちに孤立しようともしまいとも関係ない。未来のことだからわからないのだけれども、もしそうなら私は孤立したくない。そう思うと明日あたりにでも神崎さんと佐藤に何か話しかけてみようかという気が起こり、例のスイーツか何かはどうだったか等々、話をする要件を考え始めた。炎はまた風のように過ぎていった、気付けば炎も電車も無くなっていた、暗い宇宙の端に取り残された様な心持ちがする。そうして静かに幕を閉じた。


朝は起きれるか不安であったが時刻は五時半、アラームは六時にしてあったから予定よりも早くに起きていた。ベットを降りて朝食の前に座り、まだ早いかなどと考えて何気なく近くに置かれていたテレビのリモコンを手に取り、ニュースを見た。見ると丸焦げになり煤だらけの電車が線路の上で愁然としている姿がでかでかと映っていた、原因として喫煙が挙げられていた。私はその電車の姿を自分と重ね、孤立していけば電車の様に内にあるものを焼き尽くし、いつしか自分をも焼き殺して道半ばで止めてしまうのだろうか、とぼんやり悲観的に考えてみた。それから顔を洗って早くに朝食を済ませて仕事に出る準備を終わらせた、予定より早くにホテルを出た。だから二人の訃報は今から電車に乗って出張先に向かおうとした途中で上司から聞いた。駅のホームから夏の雲を見上げて今日も熱くなるだろうなどと欠伸でもしてまだぼんやりした気持ちで考えていた時である、突然の上司からの電話、しかもこんな朝早く、何か不備でもあったのかと思うと変な緊張感に脈が早まり細胞は一斉に目が覚める、電話にでると何だか上司は深く悲しんだ様子で話しづらそうに始めた、私も調子を合わせて聞いていくと二人の訃報だった。そして今後の事については出張先の会社で皆が集まってから話すとのこと、どうか安全に気を付けるように念押しされて上司との電話を切った。信じ難い事であった、が上司が言うんだからそうなんだろうと納得したようなしないような、実感は無く気持ちは空っぽになっていった。電車がきた、早朝でもそれなりに人が乗っている、私はそれに乗ると座席に腰掛けて、この事をどう受け止めたらいいのか、答えは出ないまま朧げに二人の姿がずっと浮かんでいた。外の景色が脳に入り込む余地がなくなって目は見ることを諦めたかのように色褪せていった。他の人から見たら寝不足で惚けている人間にでも見えていたに違いないだろう。私は悲しもうと思っていたがそう都合よく良心が膨らむことはない、なんて冷たい人間なんだろうかと自身を責めるようなことも考えた、がその文字だけが浮かんできてすぐに消えていった。私はただ電車に揺られて目的地を目指すばかりだ。すると次第に実感のようなものがゆっくりと迫って来る感じがした。腹の底に重苦しく何かが満ちてくる、同時に悲しくなって吐き出したいという気持ちになる。私は俯いて顔を覆う、ついに寝だしたのかと思われたるかもしれ知れない、そう思われてまで眉間に皺を寄せて歯を食いしばるようなところを見せたくなかった訳ではない、自然にそうなったんだ。今は指の隙間から足元が見え、荒い吐息が籠って聞こえる。


そのうち電車は目的の駅に着き、動機のようなものは収まっていた。そこからバスに乗り変えて出張先の会社まで向かう。バスでは人混みのなか立って済ました。バスが停車してその会社までスマホで調べながら歩いく。途中、冴えたる空を何度も見上げてしまう、予想どうり蒸し暑くなってきたな。


会社に着くとの受付をゲストとして通され会議室に案内された。早めに着いたと思っていたが上司などはもうほとんど揃って座っている、雰囲気が重苦しくなっているなか上司からの指示がきて席に腰を下ろした。それから全員が揃ってから二人の事を改めて説明され、今後の事が話された。私は経験を積むために来ているだけだったので、大した仕事が無いからあまり影響もなかったと記憶している。


あれから半年が経った、孤立した日々は相も変わらず続いている。あの日から鼻の奥で微かにだが嫌に鼻につく幾何学的な臭いが不意にすることがある。半年の間ずっとするのだから、これからも消えないんだろうと諦めている。そしてその臭いと同時に「一緒に行こう」そう誘ってくれたことも思い出す。


それからまた半年経って、私はまた大阪に来ていた。新大阪駅から電車に乗り換える、今度は後輩も同伴する。何でも後輩はまだ出張に慣れてないとのことで、上司から私に同伴を頼まれた。私のせいかもしれないがこの後輩は静かな子だ、そして頑張っている様子が分かりやすいから上司からも好かれるだろうと思う。新幹線を降りたホームから出て、神崎さんの後を追った事を思い出しながら迷わない様に電車の改札まで歩く。後輩がちゃんとついてきているか確認するも問題はなさそうだ。


「どうして迷わずにこれるんですか」


改札を通ると後輩から質問された、そして先輩のようにはできませんと称賛もくれたが内心では複雑である。尤もどうして分かったのかと聞かれるのには答えに窮した。本当のことを言えば場が悪くなるだろう、かといって私の手柄のようには語りたくなかった。結局はスマホを見たからだと言って、調べるのによい検索サイトとそれを私が出張の時どう使っているのかを教えた。電車が来るまでには少し時間があった、後輩は教えた方法を試すように時刻表とスマホを交互に見て、圧力を持って並んでいた。私は後ろで周りを見渡しながら佐藤と会った事をありありと思い出していた、尤もあの臭いを嗅いだ時の事なんかを鮮明に。電車が来ると後輩は早くに乗り、私は少し遅れて乗って後輩とは少し離れたところで吊り革を掴んでいた。そこでまたあの日を思い出していると夢から醒めきらぬような、微睡のような感じがしてきた。ずっと後輩の見守りをしていたんだから疲れしているに違いない。そのうち降りる駅が近づいてきてアナウンスが鳴った。その降りる駅もあの日と変わらないのだが、ふと私はあの二人が行こうとしていた店は結局なんだったんだろうかと考え始めた。たしかスイーツか何かだった。気づくと後輩は私の傍まで来ていたようで、次降りるんですよねと聞いている。私は軽く頷くだけだった、後輩は何か不思議そうにしている様子だったけれど、それ以上に聞いてくる景色は無い。電車は目的の駅で停車しドアが開く、ここで二人とは別れたんだと朧げに二人の姿が浮かんできた。過去にいた私を置いて後輩はドアに向かっていく。私も降りなければと足を進めようとしたとき「一緒に行こう」、そう聞こえた。確かに心の底でそう響いた。時間が巻き戻っていくような、あの日に触れるみたいな感覚が胸を灯す、孤立していては得難い温もりが私を二人の元へ誘っている。

心の底に残るのは後悔、それでも微かに嬉しく思う。私はその電車が見えなくなっても見送っていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ