第3話 少ない印税から天引きしてやる! バカ!
「……へ?」
一郎の言葉に茉理は口を開けて固まった。
はにわ状態の彼女を後目に、一郎は茉理が無造作に触ったり戻したりしたせいでごちゃごちゃになっていたリモコン群を、背の高い順に並べ直す。
「……今、なんて言ったの?」
再起動した茉理が立ち上がって一郎の袖を掴むのだが、彼は何の感慨もなく繰り返した。
「……だから、そろそろ行こうかって。……もう一月近くあっちに行ってないからな」
茉理はその言葉に脱力し再び座り込む。
まずはコーラの栓をプシュっと開けてゴクリ。
そして燃え尽きたボクサーのように項垂れた。
――やっぱり聞き違いじゃなかったかぁ。
彼女は大きく息を吐いて心を落ち着かせる。
実は茉理としてもこの流れになることはある程度想定していた。
……あくまで最悪の展開として、だが。
あんな物騒なセカイでの肉体労働は全力で回避しておきたい訳で、彼女は取り合えずの反論を試みる。
「……その、さ。……もう行かなくてもいいんじゃないかな? さっきもセンセ、気分よく書いてたし……」
「書ける部分だけ書いただけだぞ? あとの細かい部分は現地の感覚で詰めて――」
「だったらさ、一人で行けばいいじゃん。……私はここで待ってるからさ。ホラ、どうせ一瞬のことなんでしょ? 私の知らないうちにパッと行ってパッと帰ってきたらいいじゃん!」
「……いやいや、登場人物の一人であるお前も行かなきゃ話にならんだろうが。それにお前だって結構ノリノリだったじゃねぇか、何を今更」
その言葉が茉理の胸に突き刺さる。
実際心の隅っこのほうで、ちょっとした体験型アトラクションみたいな感じであのセカイを楽しんでいたことは紛れもない事実だった。
心が動いたと悟ったらしい一郎は茉理の隣に座ると、優しい声で説得を開始する。
口八丁の一郎が本気になれば敵わないことは承知していたが、それでも身構える。
「……それにしても、さすが邪魔烏賊先生だよな?」
想定していた方向と違ったところからの攻撃を受けて茉理は困惑するものの、それは関しては全面的に同意するので小さく頷く。
「チェリーは絶対人気キャラになるよ。あのイラストに加えてあの感情豊かな素直な性格は絶対に読者を虜にすると思う」
茉理は一郎から間接的にではあるものの手放しでほめられ、恥ずかしくなって俯く。
「突っ走るジークムント、冷静なマリア、何を考えているのか分からないヨハン。……その中で健気で可愛らしい彼女は癒しだ」
――そうだと嬉しい。癒しなのはチェリーであって私ではないケド、それでも嬉しい。
一郎は小さく息を吐いて天井を見上げる。
茉理もつられて同じように見上げた。
「……チェリーが活躍できるか否かはお前次第なんだ。『DDDD』は今新しい展開を迎えている。……実際、俺は手ごたえを感じているんだ。そしてそれは間違いなくチェリー、つまりお前の手柄だと言っても過言ではない!」
一郎が茉理の肩を掴んで力任せに揺さぶる。
彼女の目に真剣な表情の一郎が全面に映し出されていた。
「なぁ、ここが作家としての正念場なんだよ。あのセカイにヨハンとチェリーで新風を巻き起こしてやろう! ……だから、一緒に行こう! ……『チェリー』!」
チェリーと呼ばれて反応した茉理に満足した一郎は勢いよく立ち上がると、机に置いてある例のモノを掴んだ。
目の前で一郎が手にした、あの忌々しいレコーダーを見て茉理は目を見開いた。
――あれはゴッドヘル直行便のチケット!
一瞬にして正気に戻った茉理は、『もう行ってもいいかな』なんて考えた自分の押しの弱さに辟易しながらも、断固として異世界行きを阻止すべく目標をレコーダーに定めた。
一郎の背中から覆いかぶさるように掴みかかり、レコーダーを実力行使でむしり取らんと手を伸ばした。
彼は奪われまいと必死で前に腕を伸ばすのだが、どう考えても茉理の腕の方が長い。
もう少しで手が届きそうだと茉理が勝利を確信した瞬間――。
「どれだけ往生際が悪いんだよ、ちくしょう! ……離せってば。……この『なまはげ祭』が」
「悪い子はお前がぁぁぁ!」
ついつい祭りフレーズに脊髄反射してしまった茉理は、伸ばしていた腕を一郎の頭に巻き付ける。
いわゆるヘッドロックの形だ。
ちなみに、『なまはげ祭り』っていうのはユネスコ世界文化遺産に――って今はそれどころじゃない!
茉理がなまはげ気分で調子に乗ってぐいぐい締め上げていると、一郎が情けない声を上げ始めた。
「――ちょっと、待て、いったん落ち着け、な? な? な?」
痛がっているとか怒っているというよりも、どこか困惑している声。
確かに本気で締め上げている訳ではないから、病院送りにする程の痛みはないはずだけれど、それを加味してもヘッドロックを食らう人間の反応じゃないなと、茉理がそっと一郎の顔を覗き込んだ。
彼はその視線に目を泳がせる。
しかもよく見るとちょっと赤面していた。耳も真っ赤だ。
改めて見下ろすと、茉理が自分の意思で自身の乙女のふくらみに一郎の顔をこすりつけるようにグイグイ押し付けている状態であることに気付いく。
一瞬の沈黙の後。
「……ぎゃあああああぁぁぁぁぁぅぅぅぅぅうううるるるるるるああああぁっ!!!」
茉理はヘッドロックのまま腰を跳ね上げて身体をひねり、一郎の身体を一回転させてフローリングに叩きつける。元警察官の祖父仕込みの投げ技だ。
「……な……なに? ……なに、勝手に人の胸をさわってんのよ! このスケベ!」
茉理は転がった一郎の上に馬乗りになって襟を締め付けた。
彼は苦しそうな顔をしながらも、必死で反論する。
「……お前が勝手にやったんだろうが! それにいきなり投げ飛ばすな、バカ! 階下の人に迷惑だろう! 苦情を聞かされるのはこのオレなんだぞ?」
「うるさい! うるさい! まだ誰にもさわられたことないのに! それなのに、……か、か……顔を胸に押し付けてくるなんて! もう最低! ホント、サイテー! 慰謝料寄越せ! 少ない印税から天引きしてやる! バカ!」
茉理は叫び声をあげ、そのセリフに恥ずかしさがぶり返してきたのか胸を隠すように自分の身体を抱きしめる。
「お前が勝手に俺の頭を抱えて、こんな感じで胸を押し付けてきたんだろうが!」
一郎は身振り手振りで先程の再現をする。
その生々しい仕草が更に茉理の怒りに火をつける。
「セクハラ! はい、セクハラ決定! 絶対に許さないから! 責任取ってもらうから!」
「ちょっと待て! 物騒な言葉を大声で叫ぶなっての! ここのマンション壁が薄いんだから! ……そ、それに、そんな平べったいの胸のうぐあ!」
売り言葉に買い言葉で一郎が叫ぶのだが、当然茉理はその言葉を最後まで言わせない。
切れた彼女はマウント状態のまま横っ腹に一撃食らわせる。
「……言ってはいけない言葉があることぐらい、いい大人なら知っておけ!」
茉理は胸を張ってふんぞり返るのだが、そのスキに一郎がレコーダーを口元に持っていくのが見えた。
殴るよりも先にそれを奪っておくべきだったのに、何度もそれを奪う機会があったというのに、完全にそれを失念していたという言い訳しようのないミスに気付いた茉理だが、――もうすでに後の祭り。
「……『ログイン』」
例によって茉理の視界が真っ暗になった。
やがて空中に緑色の文字が猛スピードで流れ始める。
忘れようがないこの風景。
「………………まぁ、いっか」
今回、彼女はあっさりとそれを受け入れた。




