第55回 「はくばのおうじさま」
「はぁ……はぁ……」
ナイトフェスの喧騒を背後に聞き、一刻も早く人込みを離れる。
あのギタリストには助けられた。
どういう心境かわからないが、本心では彼もまた"マナに歌ってもらいたい"側の人間だったろう。
だが彼は、盗賊風の男との間に割って入り、自身がペナルティを受けかねないようなことまでして、俺たちを逃がしてくれた。
俺はこの旅が終わったら、必ずここに帰って来ようと思う。
会って、絶対に自分の口から礼を言おう。
追われる形で離れることになってしまったが、彼が最後に言い残したように、ひとりひとりに悪気はないんだろう。いや、まぁ、あの盗賊風の男はともかく、さ。群集心理って怖いな。軽い気持ちが無数に集まると、御しがたい悪意になってしまうかのような錯覚。
"不特定多数の他人なんて悪魔とそう変わんないぞ"
か。
ヴィアーネ嬢とケンちゃんのあきれる顔が想像される。
あの二人はいつも正しく警告していてくれたのにな。
つくづくままならない自分の立ち回りに、思わずため息をつきながらも足は止めない。
あらかじめアーヴァインに教えられていた、馬車駅へのルートを急ぎながらも、人ごみを離れられた安心からか、いろんな思考が頭の中を駆け巡る。
足早に裏路地を進みながら、ふと腕の中のマナを見る。
"気を失って"いる。
だがこれはどういう状態だろう。
俺が以前、マリーシアの昔話を聞いて吐きそうになった時。あの時俺はヘッドマウントディスプレイをゲームにログインしたまま取り外し、PCデスクのすぐ横にあるベッドに投げ捨てるみたいにして、洗面所へ走った。
あの時の俺を、ゲーム内に居たマリーは、"いきなりすげー顔したかと思ったら、今度は無表情、無反応なんだもんよ?"とか言っていた。
逆に、危険と判断されるような心理状況に追い込まれた犯罪者プレイヤー、ジョーンズはマリーにとどめを刺される前に、強制的にログアウトさせられていた。
では、いまマナが"ログイン状態を保っている"のはどういう事だろう? 全感型と半感型の違い? そも半感覚型のHMDの思考入力装置とか、AECは"気を失っている"状態を判別、表現するだろうか。
たとえば、今俺が、ログアウト操作しないでHMDを装着したまま、"寝落ち"でもしたら、他のプレイヤーから見て、俺は"寝顔"を晒すだろうか。
それは"思考"しているか?
何らかの心理状況が生身の俺に介在しているか?
疑問は尽きないが、不安定な──つまりいつ強制的にログアウトさせられてもおかしくない──状態であることには変わりない。
抱えてみれば信じられないくらい細い、女の子の身体を少々扱いかねながらも、俺は馬車駅へと急ぐのだった。
◇◆◇◆◇
"馬車駅"というのはつまり、石詰めの舗装路がロータリーになったような広場に、馬車が列をなして客を待つような場所だった。一応、待合小屋の様な簡素な建物があるものの、駅というよりタクシー乗り場のようなイメージだ。
馬車駅にたどり着いた俺は、他に何をするでもなくそそくさと、最寄りの馬車へと近づく。
「らっしゃい。お客さんどこまでご利用で?」
御者の前に立つと、以外にも御者の方からそう声をかけてくる。
俺は正直困惑していた。
"向こうから話しかけてくる?"
困惑しながらも、馬車の中へ身を隠したい一心で口を開く。裏路地と違い、この馬車駅はかなり人目がある。マーケットで起こった騒ぎを見知った人間がいる確率は低いが、警戒するに越した事は無い。
「え、ええと、どう言ったらいいんだ? ええとキャラクターネームを正確に呼びかけて……」
NPCと会話する時の基本として、相手のキャラネームを正確に呼ばなければならないルールを思い出し、そんなことをもごもご言っていると、どういうわけか御者が怪訝な顔をしてこちらを覗き込む。
「どう言ったらもこう言ったらも無ェ。目的地を言ってくれたら良いンだがよ?」
そんなことを言う御者に、面食らったような顔をしていただろう、俺はその時初めて、御者の頭上にキャラクターネームなどどこにも表示されていないことに気が付く。
「え、ぷ、プレイヤー?」
「なるほど、其処が意外だったわけか」
馬車の御者など、こと娯楽色の強い"ゲームという世界"の中で、普通は誰もやりたがらない。という偏見が俺には有った。
だから当然、御者はNPCだろうという先入観から、ついそのつもりで話しかけていた俺は、突然向こうから話しかけられて呆然としてしまったわけだ。
「たしかに貸し馬車はNPCがほとんどだな。まぁでもプレイヤーがやる馬車には利点も多いんだ。これも何かのご縁と思って、ウチを使ってくれると、俺も嬉しいねェ」
「っと。す、すみません。てっきりNPCかと思って、失礼を──」
慌てて謝罪しようとする俺を、御者は手で制すると、馬車の戸を親指で指し示す。
「とりあえず、乗んな。なんか訳ありなんだろ"ソレ"」
そう言って俺に抱えられたマナの方を見る。
俺は流石に我に返り、御者に軽く頭を下げ、そそくさと馬車の個室に乗り込む。簡素な作りながら、屋根、扉のついた個室。一見して、中が窺い知れない構造なのはありがたい。
俺が個室に乗り込むと、間を置かず個室の壁がノックされる。よく見ると御者側の壁が引き戸の様な小窓になっていて、客と会話できるようになっているようだ。
俺が返事をすると、向こうから引き戸が開けられ、先ほどの御者が顔を出す。
「ほれ、此処なら安心して話ができるだろ?」
「すみません、ご配慮、感謝します」
「なに、此処まで来て"やっぱ他の馬車を使います"って言わねぇだろうっていうシタゴコロさ」
そんな冗談を言って、御者は笑う。
言葉とは裏腹に、表裏を感じさせない好感の持てる笑い方。口が埋もれるほどの立派な髭に大きな丸い鼻。そしてずんぐりした体型。ドワーフを彷彿させるその顔をくしゃりと破顔して笑う。
どうやら信用してよさそうだ。
「そうですね、お願いします。……ええと、とりあえずすぐに街を出たい。話はそこでいいかな?」
「おうさ」
◇◆◇◆◇
一先ず、正確な目的地も告げず、コーレル市を西に抜けてもらう。
世話になったアーヴァインや、バンドマンたちに心の中で謝罪しつつ、流れていく景色に目をやる。
馬車はそこそこ揺れたため、時間がない中、俺は散々迷った挙句、気を失ったマナを膝枕する形で座席に横たえた。
俺たちの関係をどこまでお察ししていただけたものか、御者は短く口笛を吹き、何食わぬ顔で馬車を走らせる。
しばし、無言の時が過ぎ、窓の景色から建物が消え、馬車は市街地を抜ける。
「──んん」
ここまでくれば安心か、という頃合いで、マナが薄く目を開ける。
「気が付いたか。よかった」
マナはしばらくまどろんでいたが、やがて自分の置かれている状況を把握する。
何を思ってか。
どういう心境か。
わからないけど。
わかってはいけない気がして。
俺はただ精一杯の優しい顔でそれを迎える。
マナは一度身を起こすと、しばらく無言でこちらを見て。
それから何を言うでもなく、俺にしがみ付くように抱き着いてきた。
泣いているみたいだった。
俺には──確かめる勇気すらなくて。
「ごめんなさい」
「ん」
何がごめんなさいなのかもわからない。きっといつもの心配性だろうか。失態を演じたら、事ある毎に"俺に嫌われる"とかなんとか。
そんなことなんてないのに。絶対にないのに。
否定的なことを言ってはいけない気がして、でもどんな言葉をかけていいかわからなくて、短く返す。
「ごめんなさい。ごめんなさいごめんなさいごめんなさいッ」
なにか、呪文のように、繰り返す。
何が、彼女をこんなに不安にさせるんだろう。普通ちょっと他人に迷惑かけたからって此処まで不安がらない。ちょっと足引っ張ったからって、"君には失望したよ。もう用済みだ"なんて宣う関係を、俺は知らない。
マナはそうではないんだろうか。そういう人間関係の中を、マナは生きてきたんだろうか。
ああ、そうだ。これがだめだ。
俺は自分で答えなんか出せないくせに、自問し過ぎだ。
言葉に──
「何がごめんなさいなのか、わからない。俺はバカだからな。マナ、何がそんなに不安なんだ? 言ってみてくれ。……大丈夫、今さら何を言われたら、大事な"相棒"を嫌いになれるってんだ。なァ?」
──言葉に、しよう。
不安げに、マナが顔を上げる。
赤ら顔。零れ落ちる涙。熱っぽく上気した、女の子の泣き顔。
この顔で言われるから、俺は現金にもホイホイいう事を聞いてしまうんだろうか。許してしまうんだろうか?
いやそれだけじゃないはずだ。俺は、この"マナ"の顔をした人形が、無表情に其処に有ったとして、きっと魅力的に思わないだろう。
何より、この"ココロ"を俺に見せているのは、ほかならぬプレイヤーだからだ。
「ぼ、僕……」
ぽつり、と。
マナが口を開く。
「子供のころ、ちょっとあって。昔から、人に囲まれると、混乱しちゃって。でもユージンと話すうちに、だいぶそういうのなくなってて。もしかしたら大丈夫かも……なんて思ってたんだけど──」
絞り出す様に、吐き出す様に、そんなことを話す。
予想通りというか、うん、予想通りに。
それは思った通りの理由で、でもやっぱり、俺からしてみれば、"そんなことで?"と思ってしまう理由で。でもきっと、それは人それぞれなんだろう。
"ちょっとあって"が、何を指すのかもわからないわけだし、サ。
感慨の間にも、咽ぶように詰まりながら、マナは続ける。
「──でもやっぱりダメで。ごめんなさい、足手まといで。でも貴男しか居ないんです。こんな風に話せる相手は、貴男しか居なくて、一緒に居たらきっと変われる気がして……」
目を固く閉じて、それでもあふれる涙を止められなくて、堪え切れない涙がボロボロと零れて。
「…………だからお願いします。きっと、もう迷惑かけません。一緒に……居させてくださ……い……」
マナも、言葉にした。
でもさ。なんだよ"お願いします"って。
"一緒に居させてください"って。
たったそれだけ願うのに、なんでそんなに──
あーもう。
俺はこいつをこんな風にした、昔マナを囲んで何かを言った"誰かさん"に、やり場のない怒りを感じた後──ふと、そいつに感謝した。
だって、そいつがいなきゃ、俺たちは巡り合わなかったかもしれない。
こんなに"可愛い女の子"の隣を俺に譲ったことを、今更後悔しても遅いんだからな。
誰も立候補しないが末の、"白馬の王子役"、俺が買ってやる。
そいつらが悔しがるくらい。
絶対に。
コイツを笑わせて見せる。
「──ばかやろう」
「!」
言葉だけとってみれば、突き放すようなセリフ。でも口を突いて出たのはこれだった。誤解される前に、矢継ぎ早に続きを口にする。
「そんなんで、嫌われるかもとか。勝手に決めつけて、いきなり他人行儀な呼び方してんじゃねぇぞ。"ユージン"って呼べよ。マナ」
「ゆ、ゆーじ……ん?」
「あ~……ええと……あのさ、マナ、俺の方こそごめん」
なんだか呆然とした顔で、マナが俺を見る。
「"昔、ちょっとあって"だって? そんなん言われなくてもわかってるさ。"何かあったんだろうな"ってくらい。だから安心させてやりたかった。でも足りなかった。だから今もお前は不安で、怖くて、泣いてるんだよな」
「……ゆーじん」
「俺は、お前を笑わせたい。お前の不安の元凶が何かも知らない。どうやったらいいかなんてわからない。けど、そうしたい。絶対なんてないけど、でも"信じて"くれ。俺は何があってもお前の相棒だ」
いまだ情けない顔で、流れる涙もそのままに、どこか呆然と俺を見つめる、マナ。
俺は、どこまでも儚いその泣き顔に手を伸ばし。
触れたら消えてしまいそうな気がして、少しだけ躊躇って。
最後は思い切って、抱きしめた。
マナも、俺の身体に腕を回して、しがみ付いて泣いた。
お互いに"ごめん"と、譫言のように繰り返し、泣いた。
何時までそうしていただろう。
馬車の車輪が石畳にぶつかる音だけが響くなか。
ひとつ。
咳払い。
「──その、なんだ」
「!」
「!?」
その声が聞こえた瞬間、交差したお互いの顔は見えないが、俺たちはきっと似たような間抜け面をしていただろう。
困ったような御者の声に、此処が他人の操る馬車の中で、御者側の小窓は開けっ放しだったことを思い出す。
「そろそろ行先、聞いていいかなぁ?」
なんだか心底申し訳なさそうに、そんな口をはさんでくる御者。
俺たちはドギュン、と、音が鳴りそうなほどの高速で、座席の両端まで離れるのであった。




