第43回 「貴方用の」
やってしまった。
ログインボタンを押す手が震える。
初夏の訪れを間近に控えた、鬱陶しく心乱す雨の季節。
六月初旬。某日曜日。朝。雨天。
今日は日曜日で。
"あっちの世界の俺たち"は今、コーレル市へ向かう長い長い街道の真っただ中にいるはずで。
今日は日曜日だから、"彼女"も朝から居るはずで。
俺も、早くログインしないと、いつ何と遭遇するかわからないアウトフィールドに一人、"彼女"を待たせることになるわけで。
押せ。押すんだ祐二。
ほらぽちっと。簡単だ。指一本だ。
・・・・・・。
「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛どんな顔して会えってんだよォォォォォ!!」
俺はPCデスクの前で頭を抱えて叫ぶ。
なんてことはない。
ただの日曜日だ。
いつも通り、朝からTWOで遊ぶだけじゃないか。
ただし、"あの"翌日である。
「くそ、コレでログインしたら目の前にマナのアバターの死体が有りました。じゃ済まないしな。やるしかない」
意を決して、ログインボタンを押し、HMDを装着する。
──Login
ログインすると、そこは昨晩と変わらない煉瓦造りの家屋跡。
燃え残った焚き火の跡と、余った焚き木。
マナの姿はない。
「マナは・・・まだか」
俺はなんだか胸を撫で下ろす。
「これで少しは心の準備をする時間g──」
「あの」
「どっふぇあ!?」
急に声をかけられて、ひとりごとの途中でアホみたいな奇声を上げて飛び上がる。
驚いて振り返ると、煉瓦の壁の後ろからひょっこりマナが現れて、なにやらばつの悪そうに手元で指をちくちくやっている。
「もう、居たり・・・します」
「おおおおおおおおどかすなよぉぉ」
「だ、だって。僕だって心の準備がっ!昨日あんなっ──」
言いかけて、どもる。
二人向かい合ったまま、俯いて、しゅーって音が鳴りそうなほど赤面する。
しばらくしてマナが突然顔を上げたかと思うと、赤ら顔のまま何やらまくし立てる。
「あ、あ。その!もう忘れよ? あ・・えと、ちが・・絶対忘れないけど! もうこの話やめよ?ね?」
「あ、ああ」
絶対忘れない。
その一言をなんだかスゲェ嬉しく思いながら。
まだ少し気恥ずかしさを拭いきれないまま、苦笑して、歩き出す。
赤ら顔を見られたくないのか、少し前を行くマナを、後ろからながめて、なんだか幸せな気持ちになる。
そうさ。お互いを思いやる気持ちを吐露し合って、感極まって泣いた。
それだけじゃないか。
そう。
ちょっとした青春の一ページ。
抱き合って、体裁を忘れて泣いた。
──男同士で!!!
ずぅぅぅぅぅん。
ごめん。やっぱちょっと朝からヘヴィですわ。
◇◆◇◆◇
ところで俺は迷っていた。
う、うーむ。
どうしたものか。
言うなら。っていうか聞くなら、今日中でなければいけない。
しかし事が事だけに、安易にその質問をするのは躊躇われる。
「ううむ・・」
「どしたの、ユージン?」
迷いを見透かされて、マナに覗き込まれる。
「うぐ。 あ、いや、しかしなあ」
「珍しいね。そんなに迷うなんて。いつもさらっと恥ずかしいことゆって、僕が大慌てなのに」
「おま。 いや、しかし・・さすがに失礼っていうか・・・ルール違反っていうか」
「え、なに?僕の事なの?」
「お、おう」
返事に、ピクっと一瞬固まって俺の方をみる。
それから手元と俺の方を交互に見ながら、モジモジと迷う様子。
「あー、その、すまん。こういうのってちょっとリアルに踏み込むから、聞きづらくて」
「いいよ」
「!」
なんか小動物みたいにびくつきながら、それでも何か意を決したようにこちらを見返す。
「昨日も言ったでしょ。僕、ユージンにもらったもの、少しでも返したい。もっと役に立ちたい。だから何でも言ってみて」
狙ってやっているのか、自信なさげに俯いて、それでもこっちの出方が気になるのか目線だけはこちらによこす。
必然、"上目遣い"というやつになる。それでなくても身長差から、間近で顔を覗き込まれれば大体そんな感じだ。
毎度毎度ドキドキしっぱなしなんだ。
「う、じゃ、じゃあその・・・連絡先、聞いてもいいか?」
「っ! れ、連絡先って、り、"りある"の・・?」
マナは目を見開いて、さすがに驚いたような反応。
俺は慌てて取り繕う。
「や、あのな? 明日からまた平日で、時間が合わなくなるだろ? 市街地ならともかく、この移動中に片方だけがプレイってわけにもいかないじゃないか。 今日は偶然一緒だったからよかったものの、ログインタイミングだって合わせないと危険もあるだろうし」
正直なところではあるものの、まるで言い訳するみたいに早口でまくし立てる。
「そ、そうだね、その通りなんだけど・・でも」
ここでいう"連絡先"は、やがてお互いがこのゲームを辞めた後も、何かあって仲違いして、決別した後でも、残る。
そうなれば、"その手段"を用いる度に辛さを思い出す羽目になるし、それ以前にあれだけ隠そうとしているマナのリアルに迫る行為だ。
だからマナが躊躇うのもわかる。
「心配なら、あんまり使ってないサブアカウントのメールとかでもいいんだ。・・・だめかな?」
さすがに俺も自信なく、重ねてそう言う。
「だめじゃない、だめじゃないよっ で、でも流石に電話・・はマズイと思うから・・・えっと、えっと。 SNSのアドレスとかでいいかなっ」
電話・・はマズイ。つまりそれはマナの中身たる"彼"の男声が晒されるという意味になる。
うん、それはマズイ。確かにおいしくない。
「あ、ああ、十分だ。それじゃあゲーム内メールで俺の方のやつを送るから、後でいいからそこに返事くれ」
「う、うん」
なんだかまるで初めて会った時の様な気恥しさを覚えながら、俺たちは今日も街道をゆく。
◇◆◇◆◇
その日の寝際。
だいぶ遅くなった食事、風呂を済ませた俺は、机の上の携帯端末が、仄かに明滅して受信を知らせているのに気が付く。
俺にこれで話しかけてくる奴なんて、限られて──いや、ちがう。
そういえば、と、俺はちょっとそわそわしながら端末を手に取りSNSを起動する。
SNS-Message
----------------------
マナ
(マナです。コレで送れているのかな?
ええと、ユージンさんのアカウントで
合っていますか?)
マナ
(少し迷いましたが、貴方用に新しくア
カウントを取得していました。遅くな
ってごめんなさい。)
マナ
(良ければこちらにお返事いただけると
うれしいです。お返事待ってます。)
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あまり使い慣れてなさそうな、なんというか本当に俺がどうか確証が持てていない段階と言うこともあって、少し他人行儀な物言い。
"貴方用"って部分に、なんだか独占的な満足感と同時に、まぁ一番間違いがない対応だよな。とか思いつつ、最後には"いや男相手男相手"と頭を振っている俺。
メッセージを送ろうとして、一旦手を止め、俺はいつもの癖で表示名を「ユージン」にしていたことに心底感謝しつつ、返事を入力した。
SNS-Message
----------------------
ってごめんなさい。)
マナ
(良ければこちらにお返事いただけると
うれしいです。お返事待ってます。)
ユージン
(合ってるよ!返事遅くなってごめん!
これからこっちでもよろしく!)
ユージン
(それじゃ今日はもう遅いから・・・・
おやすみ、マナ。)
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さてここで何故だかTWOのアバターであるマナが、慣れない携帯端末の操作に四苦八苦しながら、慌てた様子でメッセージを打ち込んでいる姿が想像される。
"そうでない"ことは既に彼自身から暴露されているというのに。
──会ってみたい。
一瞬。
そんなことを考えかけて、すぐに頭を振って振るい落とす。
いかん。これダメなやつ。
それはルール違反だ。
ルール違反なんだ。




