紺碧
「15起きんね、学校遅れるばい」
と言うヒロちんの声で目が覚めた。
8畳の部屋で二人は窓際に並んだ二つの机を挟んで、部屋の両端の壁際に離れて寝ている。
朝は毎日ヒロちんが先に起きて治を起こす。
1階に降りて、ちゃぶ台に置いてある、青いハエ避け用の「網」を持ち上げると、
二人用の朝ごはんと、弁当がいつも用意されてある。
下宿のおばちゃんは野良仕事か、港に行って水揚げの手伝いかは、分からないが。
二人が起き出す頃に、家に居る事は少なかった。
毎日、朝は決まって、ご飯、味噌汁、刺身、それに横の畑で採れた「何か」の煮つけだった。
治が2階で二人分の布団を畳んでいる間に。
ヒロちんは下で、ご飯を茶碗山盛りにして準備する、これが二人の暗黙の朝の日課。
朝食を食べていると、ヒロちんが。
「15、今度の土曜日木下んがえに、泊りがけで遊びに行くとばってんが一緒に行かんね」と言う。
「うん、よかよ」
2組の木下はヒロちんの高校での初めての友達で、下宿にも何度も遊びに来てたから、治も仲は良かった。
木下の家は、高校から二つほど山を越えた小さな港町、山道を歩くと二時間はかかる、バスで行っても山を迂回するから1時間以上はかかってしまう。
「バス代ん勿体なかね、歩こか」と言う事で、二人は歩いて行く事にした。
土曜日、下宿で昼ご飯を食べて、2人は私服で下宿を出る。
下宿裏の小さい畑や田んぼの畦道を治が先頭で歩く、いくつかの段々畑の横を抜けて
二人とも一度も行った事の無い「村」を目指して、方向だけを頼りに細い山道に入って行く。
山道と言うより「獣道」と言った方が良い道で、草が少ない所を選び歩いて行く。
一つ目の山を越えて、二つ目の山にかかる所に、小さな沢が有った。
二人はそこで少し休憩することにした、沢の水を二人して腹いっぱい飲み、近くの岩に腰かけてタバコを吸う。
梅雨明けが近いのか、夏の匂いのする太陽の日射しが二人の居る森に降り注ぎ
沢の水面に反射してキラキラと光りを放つ。その光が木々の葉にも反射して森の中までキラキラ光る。
ヒロちんが何も言わずに藪の中に入って行き、右手に「細い草」と左手には何か握って出て来た。
治の前に立つと、その「細い草」と手に握った「赤い実」を差し出した。
細い草は名前は知らないが、草の茎の所を裂くと、白い綿のようなものが出てくるそれを食べるのだ、
味は全くしないが腹の足しにはなる、誰に教えられた訳ではないが、子供の頃から山遊びをするときはいつも食べていた。
「赤い実」の方は子供達は「蛇イチゴ」と呼んでいた、
野生のイチゴの一種であろう、この季節になると山には大量に有った。
「蛇イチゴ」には食べれるのと食べれないのが有った、
小さな粒が集まって一つの実になっているが、
その小さな粒が大きくて半透明の実は食べれるが。
実の中の粒が小さくて、赤色で、びっしり詰まって硬い実のイチゴは食べれないのである。
高校に入る前は、学校の行き帰りに村の子供達は「蛇イチゴ」を喜んで食べる、
味は、決して美味しいものではないが、子供には「嬉しい御馳走」だ、
通学路から手を伸ばせば大量に手に入った、だから大量に食べる。
すると、口の中は真っ赤になる、勿論唇も、舌も真っ赤になる。
真っ赤なままで学校に行くと、皆真っ赤な唇をしていた。
小学生ぐらいだと、真っ赤な舌を出して、「蛇ばいーーー」って遊ぶ。
おそらくそこから「蛇イチゴ」と言う名前になったのだと思う。
桑の実などは食べすぎると真っ青になる、子供たちはそれを楽しんだ。
その他山に行くと色々なものが食べれる、
そんな事など2人はもちろん、田舎の子供ならだれでも知っている。
二人は、しばらく休憩してまた歩き出す。
二人とも道も知らない初めての山だが、そんなことは何も気にしない。
適当に歩けば行けると思っているから、二人は子供の頃からよく山に行った。
小学5年生の頃に二人で、「グミの実」を取りに深い山に入り迷ってしまった事が有る、
大きな米袋持って、「グミの実」を探して山に入って行く、夢中になって探しているうちに
全く知らない山に迷い込んでしまった。
でも二人は「迷子になった」と言う思いは無く、適当に山を下りだした。
しかし、降りたと思ったらまた山がある、仕方ないのでまた登るそしてまた下る、
そんなことを繰り返しているうちに周りは真っ暗になってきた。
二人はさすがに不安になって来る、不安を打ち消すために二人で大声で歌を歌って歩く。
長い時間かけて、やっと道路に出る事が出来た、全く見覚えのない道路だった。
周りは既に真っ暗、取りあえず二人は一安心して、道路沿いに歩き出す。
勿論車など通るはずもない。
その頃二人の住む村に車は、プロパンガス屋さんのトラックが一台有るだけ、それとオートバイが数台。
どこの村でも大差はない。
だから、車が通る事の方が奇跡だった。
その時はるか向こうに、灯りが見える。微かだがエンジンの音も聞こえてきた。
二人の前方から近づいて来て、最後のカーブを曲がるライトの灯りが二人には眩しい。
その灯りが二人の横で停まった、オートバイだった。
「うんどんや、何んばしよっと」「どこん子か」
村の名前を言うと、驚いた様子で、歩いて行くのかと聞く。
そのオートバイの大人が言うにはここから歩くと2時間はかかるらしい。
結局オートバイの人が二人を村まで送ってくれた。
治もヒロちんも初めてオートバイに乗った、
手には米袋一杯の「グミの実」を持って二人して後ろの鉄製の荷台に必死でしがみつく。
村の入り口の三叉路の所まで来ると大人が数人いて、手に懐中電気を持って歩いてる。
オートバイの大人は
「ここで、良かとやろ」と言って二人を降ろすと今来た道を引き返していった。
懐中電気を持った数人の大人が近づいて来て。
「ヒロか」と声をかけてきた「うん」とヒロちんが答えると。
「こん馬鹿が!何ばしょったとか!もう一人や治か!」と大声で怒鳴る。
二人がキョトンとしていると、もう一人の大人が
「まぁー良かたい無事やったけん」
怒鳴りつけた大人が「帰っぞ!!」と二人の頭を小突きながら言う。
村に入ると、治の家の前に大勢の大人が手に手に懐中電気を持って集まっていた。
頭を小突いた大人が「おったぞーーーー」と叫ぶと
その大人たちの中から、3人の影が走り寄って来た、
治の父親と母親、ヒロちんの父親だった。
二人は瞬間的に「怒られる」と感じて、身構える、
案の定二人はこっぴどく殴りつけられてしまう。
大人たちは二人が日が暮れても帰ってこないものだから、心配して山狩りをしていたらしい。
その日二人は顔をパンパンに張らすほど殴られた。
そこまでして二人が採って来た「グミの実」は大人たちが「果実酒」を作るのに無事使われた。
二人はそんな思い出話しをしながら、山を登った。
歩き出してから約2時間思ったよりも時間が掛かったが、小さな峠を超えると海が見えた。
この島の海は、治たちの住んでいる本土側の海と、今目の前にある外海側の海とでは多分海流の違いなのか、二つの様相は全く違う。
眼下に広がる海は、治たちの海の「薄緑色の青」とは違う「紺碧の海」
二人が目指す小さな入り江の少し沖合まで深い青色で、それが突然薄い青に変わりそれからは徐々に青が薄くなり海岸近くになると限りなく透明な青になっていた。
浜は砂浜ではなく、玉石の浜になっていた。
治は玉石の浜は、歩き難いし泳ぎ辛いから嫌いだった、それに海にの中も魚は居るが群れを成してる魚が多かった。
この群れを成してる魚は、泳ぎが早くモリで突くのが難しい。
海底まで玉石だからサザエやアワビと言ったのも、極端に少ない。
その代わりと言っては何だが、棘の長い「うに」の仲間が「うようよ」いる、こいつらは難儀なもので
うかつに足を置いたりしたらそれこそ大変だ、細い棘が足の裏一面に刺さって折れる。
それも激痛を伴ってだ、そうなると浜に上がって周りの男の子たちに「小便」をかけてもらう、その後家に帰って刺さった棘を根気よく抜くそうしないといつまでも痛みが引かないからだ。
海で棘を持った魚やクラゲに刺された時などは決まって小便をかける。
小さいころは意味も分からずにそうしていたし、そうしなければいけないものだと信じていた。
今眼下に広がる「紺碧の海」は二人が目指す村の入り江から広がり遥か遠くの水平線までつながっている、
水平線の向こうには何があるのか、子供の頃には何も考えなかったが高校生の二人は知っていた。
治は子供の頃この海で見た「白い優雅な船」の船乗りになりたいと考えていた。
入り江の縁に集落が見える、そこが木下の住む村だ、2人はしばらく海を眺めた後最後の峠を下って行く。
明るい太陽の光で、海が光っていた。




