責任(指導放棄)
その日の授業が始まった。
1時間目の数学は一度も名前を呼ばれる事なく終了。
出席の名前すら呼ばれない。
もうこの頃になるとクラス全員、治が水野に無視されてる事を気にする者はいない。
2時間目古典が始まる。大川先生は大学を出て2年目の若い女の先生であった。
中間テストで、治は学年で唯一の満点を取っていた。
大川先生は治には、まだ普通に接している。
しかし、、その日事件が起きてしまった。
大川先生は、いつもの様に授業中に古文の現代訳をある生徒に指名した、
指名された生徒は、多分古文を苦手としている生徒だったのだろう、、
立ち上がって「・・・・・」何も答えれなかった。
すると、大川先生が。
「前の授業でも教えたでしょう!!一体何度教えればいいの」
「貴方一度で覚えれないの」と激しく叱責した。
確かに前の授業でも今立っているクラスメイトが当てられて、
前回もわからずに大川先生から、丁寧に教えられていた記憶がある。
でもその生徒は今日もまた同じ所を当てられて、分からずにいた。
その男子生徒は
「分かりません、、すみません忘れました」と言う、本当に忘れてるみたいだ。
クラスの全員が、立ち上がって申し訳なさそうに頭を掻いてる男子生徒を見ていた。
大川先生は、思い出しなさいと少し怒りを込めて言う。
「・・・」
「貴方授業うける気あるの、真面目にうける気あるの」
「はい、あります」
「だったら、覚えているでしょう」と半ばヒステリックになって来ている。
「貴方の頭っていったい何が入ってるの、この前の授業の事よ」
「勉強する気が無いのなら、出て行って」とまで言い出す始末。
治は聞いていて苛立って来た。
抑えきれずに、、「先生」と声を出した。クラス全員が治を見る。
大川先生も声の方向を見る。
座ったままで治が
「先生、一度で覚えんば駄目とね」と質問すると。
「何のための授業ですか、教えた事を覚えないと授業にならないでしょう」と答える。
「じゃー先生の仕事ちゃ、なんね」
「皆に教える事です」
「じゃー先生の言ちょる事やおかしかね」
「何がですか」と大川は少し興奮気味に言う。
「教えるとが、仕事ち、言いながら生徒に覚えろち、言いよったい」
「先生ん話ば聞いちょっと、覚えん生徒が悪かごち、聞こゆっとばってん」
大川は治の言っていることが理解できない感じで聞いていた。
「教える先生が、その教える事の結果ば、理解すっ事と言いよるごたっばってん」
大川はいよいよ意味不明になって来て、
「伊藤君は何を言いたいの」と質問した。それに対して治は。
「先生がどんだけ、偉か先生か知らんばってん、先生が一回教えたら誰っでん全部覚えらるっとね」
「先生の授業っちゃ、凄かとねー大学教授んごちゃんね」
「一回教えて、覚えられんやったら、生徒が悪かとやもんね」
大川は少しずつ治の言っていることが分かりだして来た。
「復習をしてちゃんと覚えて来るべきでしょう」
「じゃったら、『私の授業は復習をして来て下さいそうしないと教えれませんから協力してください』っち言うべきじゃなかとね」
「そっば、如何にも自分の教えは間違うちょらん、みたいな言い方じゃなかね」
「1回教えて分からんのなら、もう一回教えれば良かじゃん2回で覚えんなら10回教えれば良かじゃろう」
「教える側ん先生が教える事を放棄してしもて、生徒が悪かち、言うたら先生ちゃ要らんたい」
大川は真っ赤な顔をして
「伊藤君、屁理屈はやめなさい、授業の邪魔です出て行ってください」と言った。
治は黙って教室を出て行った。
何時ものように、教室の前の廊下に腰かけて治は考えていた。
教える側の人間が教えらる側の能力に頼っているような気がしてならなかった。
一度で覚えれるような人間はいないと治は思っていた、だから繰り返しやるものだと信じていた、
自分の数学でもそうだった、何度も何度も繰り返しやっているうちに分かるようになったから。
どんなに良い教え方でも教える側が、何度も教えると言う事を放棄したら
また、教える側が教えられる側の責任にしたら、指導者は必要ない。
そんな事すら、あの大川は気がついていないのか、、
「一体何様のつもりなんだ」
「結局あの大川も、馬鹿なんだ」
結局、治は古文の大川ともぶつかってしまった。
クラス委員長のひろ子は、治が言った事を考えてた。
「教える先生が覚えていない事を生徒のせいにしたら、先生は必要ない」と言う治の言葉に
自分の中で「覚えれるように教えなければ先生ではない」と変化させて妙に納得していた。
しかし、治の態度はどうなんだろうか、あれで良いのだろうか。
治の言っている事はいつも正しく感じる、でも何かが違うような気もする。
何が違うのかは、良く分からないが、あそこまで先生を追い詰める必要があるのか。
「あれじゃ、先生がかわいそう」
そうひろ子は感じてた。
治が先生を虐めてる様に最近感じて来ていたからだ。
古文の時間が終わり、治が教室に入ると。
今朝授業前に、治に蹴り飛ばされた男子生徒が治に声をかけた。
「伊藤、朝は悪かった。ごめんな」
治は男子生徒を見た、その男は少し照れくさそうに治を見て笑った。
「おっこそ、ごめんな大丈夫」と治は少し腫れた顔を見て言った。
彼の名は「岸本誠一」
剣道部で小柄だが運動神経が良く、明るく女子生徒にも人気がある男だった。
誠一は入学した時から、実は治が嫌いだった。
無口であまり喋らないが、何故か存在感があるこの男が好きになれない、
別に生意気な訳でもないし、目立つ訳でもない
しかし、この男の周りからいつも何か問題が起きる。
その問題もいつも決まって、こいつが言っている事の方が正しいと思う。
でも、この男の態度が嫌いだった、いつも落ち着き払って、平然とした顔をして。
先生に対してでも、意見を吐く。
今朝でもそうだ、確かに騒いでいた俺が悪い、でも、
「うるさいから外でやれ」と言う言い方を平然と言えるこの男に腹が立った。
腹が立ってつい、絡んでしまった。
そうしたら、こいつは一言もしゃべらずに突然鞄で殴りつけその上2度も蹴る。
全くの躊躇なく目一杯蹴る、
普通あれ程きつくは蹴れない。でもこいつはそれが出来た。
誠一は治が怖くなっていた。
しかし、さっきの古文の授業中の治の話を聞いて、
治が他の生徒の代弁をしてくれてるように感じた。
こいつの成績なら、別にわざわざ先生と衝突する必要はないのに、黙っていても良いのに。
こいつは大川の悪い所を他の生徒に代わって言ってくれた。
「こいつ、良い奴だなぁー」
そう感じて、今朝の事も自分が悪い事に気が付いた、気が付いたから謝った。
そうしたら、この男は「自分こそごめんな」と素直に言ってくれ「大丈夫か」とも言う。
誠一はその時治が少し笑ったように感じた。
治の笑顔を初めて見た、そして思う「やっぱりこいつ良い奴だ」
しかし、クラス委員のひろ子がこいつを好きなのが、まだ許せなかった。
誠一は中学時代からひろ子の事が好きだったのだ。
どちらにしても、治の理解者がまた一人増えた。
喧嘩して仲良くなって行く。
治も誠一も高校生活を謳歌していた。




