プロローグ 高円寺にて
チカの訃報が届いたのは、高円寺の安居酒屋で飲んでいる時の事だ。
珍しく予定が合った剛志と僕、それから年中暇を持て余しているシバタ君の三人は、週末で込み合う繁華街をかき分け、ようやく入れた一件目でなんとか卓を囲んで席に着く。
「しかしよお、なんだってあんな奴が上手く行くかね」
手早く注文を済ませると、シバタ君がいつもの調子で口火を切り、皆で世間話に興じる。
「またその話ですか?」
「またってなんだよ、またって。なんだよ、それじゃあまるでいつも俺が同じ話をしているみたいじゃねえか!」
みたいもなにも、実際にその通りなのだが。
シバタ君の言う「あんな奴」とは、昔よく一緒に仕事をしていたある女の事で、今は新たに興した事業で頭角を現しているそうだ。それが妬ましいのか何なのか、ここ数年は会うたび必ずその話題に触れている。
「第一、なんで俺があんな奴を意識しなきゃならねえんだよ」
きっと表情にも出ていたのだろう。うんざりした態度を示す僕にシバタ君は声を荒らげて眉根を寄せる。
どんなに否定しようとも、自分が興味のない話題を口にする人間なんて、そうそう居やしない。剛志の視線が「それ以上は止めておけ」と告げていたので、一旦は口を噤むけれど。
「ったく、相変わらず口の減らねえガキだぜ。まあいいや、それじゃ乾杯するか。ほらよ、カンパ・・・」
古式ゆかしい作法に則り、年長者の号令に合わせて高く掲げるべくジョッキに手を掛けるが、電話の着信音がそれを遮る。
「誰だよ間が悪い・・・って俺か。・・・おう、俺だけど」
スマホの画面表示に現れた発信者の名前に、シバタ君が怪訝な顔をして応答する。しばらくはかかりそうな素振りに剛志がジョッキを置き、僕もそれに倣うが、全くもって年長者というのはしょうもない。
これが仮に僕であったなら、「消えた泡の分だけ面白い話をしろ」だの、「こんなタイミングで電話をかけさせるお前が悪い」だのと散々なじるくせに。などと思いながら待っていると、目の前の刺青髭オヤジは突然、「え!」と声をあげて絶句し、口元からスマホを下ろして僕らに告げる。
「チカの奴が死んだってよ。自殺だって」
血の気がひき、少しばかり青ざめた表情になったシバタ君は、「おお、そうかよ。まあ、あんたも気をつけてな」と相手にそう言ってから電話を切る。
「マジかよ」
「ええ・・・そんな、嘘でしょ」
一時の間をおいて、二人が静かに騒ぎ始める。
仕事上の取引がある上に、生来お人好しである剛志は別として、いつもはクールなワイズマン気取りのシバタ君までもが困惑してブツブツと何事かを呟いているのは、チカこそが先程話題に上がっていた「あんな奴」だからだ。
どうせバツの悪さだか後ろめたさだとかに苛まれているのだろうけれど、しかし困った。テーブルの上には一杯目と一緒に頼んでおいた湯豆腐もすでに並べられ、美味しそうな湯気を立ち昇らせている。この熱帯夜にクーラーがガンガンに効いた室内で、キンキンに冷えたビールとこいつを胃袋へ流し込もうと目論んでいた僕としては、果たしてそれどころではないのだが。
「・・・悲しみに暮れる気持ちも分かりますけれど、でも、チカはそんなの望んではいないと思うんですよ。彼女の事だからきっと、もっとずっと、皆と笑っていたかったはずです。だからこそここは、一つ気持ちを切り替えて、声高らかにご発声願います。それでは、ケンパー・・・」
我ながら、もっともらしいことを言って空気を変えられそうだと感心したのだけれど、そんな思惑はシバタ君の怒声と平手打ちによって無残にも砕け散る。
「こんな時にはしゃげるか馬鹿野郎!この○○○○が!」
知っているかい?三十路を超えて食らう平手打ちは、頬よりも胸に刺さるものだって。微かに遠のく意識と痛みの最中に、ふとチカとの僅かな思い出が頭をよぎる。




