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悪魔の社内日報 ― 時給契約で縛られたので転職したい  作者: 暮夜すと


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第5話:業務開示

第5話:業務開示ディスクロージャー



――思い返せば、あの地下室での契約の夜。


 レオンは「あなたの感情も尊重する。心の重さを放置できない」なんて、いかにも高潔なエルフらしい、泣かせるセリフをのたまったものだ。

 ボクもその覚悟に免じて、永続契約という名の「終身雇用」を受け入れたわけだが。


(何が『感情の尊重』だ。ただの残業代未払いのブラック企業じゃないか!)


 確かにレオンには、主としての絶対的な命令権がある。悪魔の規約上、命令されればボクの身体は勝手に動く。動くのだが――。


「ヴァルプス。姫のスープが熱い。冷ますための団扇うちわを出してくれ」


「……は?」


 だからって、高等魔術の命令権を「スープを冷ますうちわの召喚」に使うやつがあるか。バカなのかな、このエルフ。


 ボクは握りしめた『深夜手当申請書』をレオンに出そうとして、そっと懐に戻した。代わりに影から顔を出し、冷ややかな視線を主に送る。

 月光に照らされたレオンの横顔は、彫刻のように美しく、憂いを帯びている。世界の終わりを嘆く悲劇の英雄と言われても信じるレベルの美貌だ。だが、言っていることは「スープを冷ますうちわを出せ」である。顔面の無駄遣いが甚だしい。


「主さま。ボクの影収納は四次元のポケットじゃないんです。

 団扇を出すだけでもボクの魔力が消費されるんですけど、ご理解されてます?」


「……対価は払う。

 それよりも早くするんだ、スープを適温にしなければ、姫が舌を火傷をしてしまう」


「過保護のハードルが低すぎる!!」


 ボクが影から渋々、夏祭りの売れ残りみたいなペラペラのうちわ(赤文字で『ぢごく温泉』と書かれている)を差し出した、その時だった。


「……あら? レオンさん、地面から、とっても可愛い銀髪の男の子が生えてきていますわ」


 静寂を破ったのは、鈴を転がすような涼やかな声。

 焚き火にあたってすやすやと寝ていたはずの宝石姫が、いつの間にか目を覚ましている。毛布にくるまったまま、目を丸くしてボクを見ていた。


「あっ……姫!」


 レオンの顔色が、見る見るうちに終わった感じになった。

 

 彼は半年という月日、自分が悪魔を雇って裏から旅をプロデュースしていたという「秘密」を、彼女に知られるのを嫌がっていた。普通に紹介してほしい、と言ったこともあったけど、そのときのレオンは理由を明確にせず、もごもごと言い淀んでたっけ。

 レオンは不安そうに胸元の毛布を握った宝石姫の動作に気がつくと、彼女の前に片膝をつく。


「……驚かせるかもしれない。けれど、聞いてほしい。ずっと隠していたことがある」


 レオンの長い睫毛が、ふるふると揺れる。


「……旅の手助けにと、悪魔と契約したんだ」


 国を一つ滅ぼした騎士のような、あまりにも絵になる、あまりにもイケメンすぎる独白。が、その真横では、ボクが『ぢごく温泉』のうちわで全力でスープをシュッシュと仰いでいるせいで、感動的な大気がすべて霧散していた。湯気と一緒に、ボクの冷ややかな視線がレオンに突き刺さる。

 レオンは一度ボクを見たあと、すこしだけ眉を寄せた。見るな。スープを冷やせと命じたのはレオンだ。


「レオンさん……あなたが、その子を?」


 宝石姫が、不安げにレオンを見つめる。

 無理もない。現世において悪魔と契約できる人間なんて滅多にいないし、それを半年も隠されていたのだ。普通なら「私、呪われるの……!?」と混乱してもおかしくない。


 レオンは決死の覚悟を秘めた目で、彼女の小さな手をそっと包み込んだ。


「ああ。君が一度も危険な目に遭せず、夜露に濡れずに済んだのは、彼の――闇の力の影響も大きい」


 切なげに目を伏せ、悲痛なトーンで告白を続けるレオン。


「君に、選択を強いたくなかった。

 悪魔の力を借りてまで君を守るような自分を、君がどう思うか怖かった。

 ……軽蔑されても、仕方のないことをしたと思っている」


 震えるまつ毛と、伏せられた青い瞳。夜の森すら息を呑むような悲壮な顔つきで、レオンは唇を噛んだ。……が、ボクの『ぢごく温泉』うちわの「シュッシュッ」という風切り音だけが、虚しく周囲に響き渡っていた。


(いや、何その悲劇の英雄気取り。

 ボク単に『お前、手が空いてるならあの子の枕元に虫除けハーブ置いてきて』ってパシリにされてただけなんだけど。何が『悪魔の力』だよ。ただの雑務だよ。

 あと、前に『普通に紹介してよ』ってボクが言ったときにもごもご言ってたの、単に自分が『悪魔を便利屋としてこき使ってるダサい姿』を見せたくなかっただけだろ!!)


 これまでのすべての業務が、レオンの脳内で「孤独な騎士の暗黒契約」に美化されている。記憶改変能力、恐るべし。

 しかし、そんなボクの壮大な心の叫びなど露知らず、宝石姫はぱちくりと瞬きをした。そして、じっとボクの手元――全力でスープを仰いでいる、赤文字で『ぢごく温泉』と書かれたうちわを見つめた。


「……レオンさん」


「……くっ、すまない。やはり私を嫌うよね――」


「あの小悪魔さん、とっても器用で健気な良い子に見えますわ。スープ、もう飲み頃です」


「……え?」


 レオンの顔がフリーズした。


「それに、あなたが私のために、そこまで必死になってくださっていたなんて……。

 私は、あなたの影ごと信じますわ」


「……っ、姫……!」


 見つめ合う二人。夜の森に流れる、感動のBGM(幻聴)。しかし、その美しき空間には「時給計算のタイマー」を秒単位で回している悪魔が約一名いた。

 ボクはスッと右手を挙げ、懐から『深夜手当申請書』をレオンの目の前に突きつけた。


「あの、お熱いところ大変恐縮なんですけど、スープも冷めましたし、姫ちゃんから合格点も出たのでボク帰っていいですか?

 あと、これ以上ボクがここに滞在すると『緊急召集』の割増料金が加算されて、明日の朝食が干し肉だけになりますけど、大丈夫ですか?」


「……ヴァルプス。あとで、じっくり『監査(お説教)』をしようか」


 レオンは申請書を受け取りながら、薄く笑う。目が話しかけるな、と告げていた。


「ゲッ。……チェッ、じゃあ、これ今日のぶんの領収書。地面に置いときますので。

 ベースアップ、前向きに検討してくださいね!」


 そう言い残し、ボクは不満げに影の中へと沈んでいった。



--



 翌日。

 野営地から歩みを進め、数時間後にちゃんとした街に辿り着けたボクたちは、宿に身を寄せた。


「ーー結局バレちゃいましたけど、良かったんですか?」


「……ああ」


 月明かりの差し込む宿の寝台に腰を掛け、レオンはどこか遠い目をしながら、手帳にせっせと数字を書き込んでいた。

 その横顔は相変わらず腹が立つほど整っている。窓から差し込む月光すらも彼の引き立て役に思えるほどだ。……別に、あの顔が気に入っているから褒めているわけではない。ただの客観的な観測結果だ。


「……ヴァルプスがいるということを開示したほうが今後のリスクがない。そう判断した」


「まあ、ボクは明日から堂々としていられるので嬉しいですよ」


 ボクはレオンの寝台の上で毛布にくるまり、みのむしのようにゴロゴロと寝返りを打った。


「影の中でお菓子を食べているだけの待機よりも、姫の周りで堂々と行動を示したほうが気が楽そう。

 ……あ、姫ちゃんが『明日は三人で街の食べ歩きツアーをしましょうね!』って、ガイドブック片手に目を輝かせてましたよ」


「……私の手帳の予算案が、明日一日で消し飛ぶな」


 レオンは手帳を静かに開き、ペンで緻密に書き込まれた文字列をなぞった。ボクは身を起こして、その手帳を横から覗き込む。

 その内容は、もはや「孤独な騎士の暗黒記録」ではなく、完全に「過保護すぎる引率の先生のしおり」と化していた。


『■街の完全警戒データ


【犯罪率】:低。夜間の酔客は多め。宝石姫単独行動は避ける。


【風土】:乾燥地帯。宝石姫の髪のキューティクル維持のため、高級保湿クリーム(経費申請済)が必須。夜間は喉への負荷にも注意。


【長命種と短命種の比率】:短命種多め。流行のスイーツの移り変わりが早い(=味覚トレンドの変動大)。衛生管理にばらつきあり。


【商人気質】:大広場周辺はかなり口が上手い。ヴァルプスをフリーにすると、あざとい笑顔で余計な焼き菓子をタダで貰い、代わりに高額なハーブティーを売りつけられるリスク大。要同行・要財布の紐引き締め。


【物価】:やや高め。食べ歩きツアー実施時は予算超過に注意』



 しばらくその警戒データを深刻な顔で見つめ直してから、レオンは重々しく、小さなため息を吐いた。


「いずれにせよ。君はもっと大手を振って歩いて良くなった。

 明日からは私の影の中ではなく、ちゃんと馬車の中に座りなさい。宝石姫の話し相手……いや、これからは公然の護衛になれ」


「了解です。あ、さっき宿屋のおかみさんに美味しいお菓子のお店を聞いてきたんですよ。

 明日の食べ歩き、ボクがエスコートしちゃいますね!」


「……たまには、お菓子以外も食べなさい。

 そうだな……明日からは、君も同じテーブルで食事をとろう」


「えーーっ! ボクはべつに……野菜とか嫌いだし!」


「好き嫌いは良くない、と私は思う。……成長にも悪い」


「べ、べつにボクは生まれてからずっとこの姿ですけどぉ? この可愛さ(ビジネススキル)で売ってるんですけどぉ?」


「うるさい。そういう悪魔ならそのあざとい顔面を駆使して、もっと現地の情報を集めてきなさい。

 ……それと、明日のスープの温度管理も任せたぞ」


「絶対うちわのこと根に持ってるでしょ!?」


 ボクがレオンの頭にぽいっと枕をぶつけると、レオンはボクを見て、ふっと乱れた前髪を直した。それから珍しく、優しく口の端を上げる。


「ふん……期待しているぞ、ヴァルプス」


「く……」


 ボクはそのきらきらとした青い目を正面から直視できなくて、慌てて毛布を頭まで被り直した。

 いつもなら「さっさと影に戻れ」って言うくせに、今夜はそんな指示も飛んでこない。


 耳を澄ますと、毛布の向こうから、レオンがまた手帳を開いたのか、カサリという紙の擦れる音が聞こえた。続けて、ペン先が規則的に走る音が聞こえてくる。


 その静かな音を子守唄代わりに聞きながら、ボクは今度こそ、そっと目を閉じた。



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