第1部:召喚(ログイン)
本作は長編『1魔貨の聖騎士 ― 価値ゼロCEOと悪魔の強制執行監査契約』の外伝です。
軽い語り口ですが、同一世界・同一人物の出来事です。
※本編はシリアス寄りの構成となっています。
※本作は外伝のため、本編とは雰囲気が異なります。
深い夜の帳が街を覆う頃、レオンは静かに地下扉を押し開けた。
外界の音は一切届かない。ひんやりとした空気が鉛入りの分厚い防音壁に反射して微かに震える。魔力の共鳴音を外へ漏らさないための、この街の防音規格に準拠した地下室だ。
中央には、幾何学模様の魔法陣。
黒い魔石の粉で描かれ、整然とした対称性がレオンの心を安定させる。このコンマ数ミリの歪みも許さない精度こそが、術式の安定性を左右する。
弾かれた粉のひとつぶをそっと指先ですくい取り、レオンはその褐色の指先に冷たい息を吹きかけた。
茨が集い固まったような金属の香炉を取り出し、静かな動作で火を灯す。甘くも刺激的な香りが、じわりと空間に漂いはじめた。
「本当に、来るのだろうか……」
レオンは低く呟き、掌を魔法陣にかざす。
起動キーとなる魔力を注ぎ込むと、淡い光が広がった。魔力の指向性がぶつかり合って生じたハウリング音が、防音壁を震わせてレオンの耳を打つ。
レオンは傍らの椅子に、背骨の角度を測るようにして腰掛けた。これから始まるのは、召喚という名の『交渉』だ。焦りは契約の隙を作る。
流し込んだ魔力は、今日一日の活動リソースの三割。これを高いと見るか安いと見るかは、応答する悪魔の質次第だ。
魔力は、魔法陣という名の「サーバー」を通じて悪魔界の深層へとアップロードされているはずだ。応答がなければ、この魔力は虚空に霧散し、ただの赤字として計上される。
待つのは嫌いではない。そう考えながらも、レオンは魔法陣を形作る線のゆらめきを、微かな焦燥混じりの青い瞳で見つめていた。
その時、地下室の空気が爆ぜた。
防音壁が吸収しきれなかった高周波の振動が、レオンの鼓膜を鋭く擦る。
魔法陣の幾何学模様が物理的な「穴」のように凹み、そこから溢れ出したのは、香炉の煙を強引に巻き取った黒い奔流だった。
それは無秩序な乱気流ではなく、何者かの意志によって制御された、極めて効率的な物質化のプロセスだ。
煙の芯に、小さな質量が生まれる。
まず現れたのは、磨き上げられた黒い革靴。続いて、夜の闇を裁断して仕立てたような豪奢な外套。
最後に、契約という名の『窓口』をこじ開けて現世へとはじき出された、不遜な少年姿の悪魔がそこにいた。
「……ふう。随分と高帯域な回線を用意したものだね。
これだけの魔力を垂れ流して誘われちゃ、応じないわけにはいかないだろう?」
小さな少年は、乱雑に白銀の髪をかきあげる。
重力に従うことを拒むように浮き上がり、対面用に用意されていた空の椅子の背もたれへ、最初からそこにいたかのように不遜に腰掛けた。
その瞳は、深紅。
レオンが支払ったリソースの価値を瞬時に査定する、貪欲な鑑定士の輝きだ。
「名乗れ。そして、私の提示した『条件』への合意を確認させてもらおう」
レオンは背骨を伸ばしたまま、あえて視線を上げずに問いかけた。
ここからは、力による支配ではない。言葉とロジックを用いた、魂の奪い合い(ビジネス)が始まる。




