0196
「殿下、レヴィ様⋯どうかご武運を」
流星のように、蒼い魔力を撒き散らしながら飛び去った二人を見送り、ゼフィラは小さく祈りの言葉を口にする。
彼らならやり遂げると信じ、この場を任された公女は状況を再確認した。
フィデスの手に残された、レヴィの魔力によって創り出された魔石。一瞥するだけでも息を飲むほどの、高濃度の魔力が込められていると分かった。
人の世に於いては最高純度とも呼べるほどの魔力が凝縮されているそれは、レヴィが離れても尚輝きを失わず、僅かに光を放ち続けている。それはまさに、今も馬車の周辺を覆う水の防壁が機能し続けている証。
──ゼフィラ、そいつを補助してやれ──
レヴィからの言葉を脳内で反芻し、ゼフィラは深く息を吐いてから、フィデスへと強い眼差しを向けた。
「殿下が離れた今、フィデス様の結界は間もなく消失するという認識で、間違いございませんか?」
今はまだ、水の防壁の内側には暖かな土の結界魔法が残っている。魔力源を失えば無力になると熟知しているからこそ、ゼフィラは改めて問い掛けた。
「う、うん⋯まだ聖石の範囲だけど、もうすぐ⋯⋯ほらっ!」
フィデスがそう呟くと同時に、内側に存在していたはずの結界は、淡い黄金色の輝きを霧散させながら、大地へ還るように消えていった。
「失礼。その魔石をお借りします」
あのレヴィが、ただ結界を維持させるためだけに魔石を創造したとは考えにくい。それはゼフィラだけではなく、フィデスも同様だった。
ゼフィラに請われて魔石を差し出し、フィデスは再び馬車の前方⋯ジェロアが白い炎を放った先に視線を向ける。
浄化の炎の余波は、レヴィが敷いた水の防壁によって完全に遮断されている。相変わらず桁違いの精度だと感心すると共に、フィデスはほんの一瞬だけ、悔しげに緋色の瞳を細めた。
──双翼のボクじゃ⋯四翼のレヴィとは格が違いすぎるよね⋯──
生まれ持った竜としての格差。あまりにも大きな隔たりは、数千年の永きを経ても埋められるものではない。その現実を突き付けられ落胆しそうになっても、だがフィデスの心は折れはしなかった。
どれだけの屈辱も、悔しさも、揺るがぬ大地のように全てを受け止め、力へと変える。それが土の竜神フィデスの矜持。
「ゼフィラちゃん、レヴィの魔石から、何か引き出せる?」
もう一柱の古き友、風の竜神アールの庇護下にあるゼフィラが、レヴィから指名された理由。それこそ、知の国の公女であるゼフィラの知識と魔力制御にあるのだと、フィデスも気付いていた。
「⋯⋯⋯⋯」
「⋯ゼフィラちゃん?」
しかし声を掛けても、ゼフィラは両手で持った蒼い魔石を見つめたまま反応しない。
レヴィの強すぎる魔力によって、精神への反動が⋯?
そう案じたのも一瞬の事。
「⋯⋯⋯ハッ!も、申し訳ございません!」
御者台から車台へと身を乗り出し、顔を覗き込むフィデスを視界に映したゼフィラは我に返ったように、そして何故か頬を染めて微笑みさえも浮かべていた。
そしてゼフィラのこの表情は、ある一人の少年に関わった時にしか垣間見られない、素のゼフィラであるとフィデスも知っている。
「⋯⋯⋯なぁるほどね?レヴィ、あんな一瞬で、ルティ君の魔力を、魔石に詰めたんだねぇ?」
真相を悟ったフィデスもまた、金色の輝きを帯びる竜の【眼】で、蒼い輝きを放ち続ける魔石の深淵を覗いた。
雪を溶かす春の雨のような、冷たくも優しい魔力で覆われた魔石の内側には、圧倒的な熱量と存在感を誇る、ルティウスの膨大な魔力が包み込まれていた。
特定の属性に偏らず四属性全ての根源とさえ繋がった少年の力は、フィデスへの供給や結界の維持だけではなく、ゼフィラやジェロアへの援護も可能とする万能さを秘めた、最強の魔石に等しい。
それほどの代物を息をするのと変わらぬ感覚で生み出すなど、四柱の竜神の中でもレヴィだけが可能とするもの。
相変わらず精緻な魔力制御だと感嘆するフィデスだが、生来の悪戯好きな竜は、あえて『もしも』を語りゼフィラを和ませようと企んだ。
「これ、無駄遣いしたらさ、レヴィめっちゃくちゃ怒りそうだねっ♪」
片手で握れるほどの小さな魔石でありながら、けれど内包する魔力は易々と枯れるような軽さではない。その事実をゼフィラも把握しているが、レヴィの怒りを懸念するよりも先に、ゼフィラにとっては無駄遣いなど以ての外だった。
「いけません。殿下の魔力を無駄に放出するなど…」
ちょっとした悪ふざけの一言へ真面目に返すも、しかしゼフィラの表情はどこか恍惚としていた。
「無駄遣いをするくらいなら、わたくしの身にこの魔力を⋯いえ、真っ当にやり遂げられたら、レヴィ様にもっと小さな同じものをお願いする事も⋯⋯⋯」
その顔は既に公女ではなく、ただの恋する一人の女のものに変わりかけている。
ふざけようとしていたフィデスまでもが呆れの表情を浮かべて、逆にゼフィラを窘める側に回っていた。




