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「魔道士団長、それに騎士団長…後の事は頼みます」
誰もが寝静まる深夜に、彼は寝室ではなく皇都の外に立っている。広く荘厳な街を守るように造られた堀を跨ぐ橋の上で、馬の手綱を握り国防の要たる長の二人へ声を掛ける、儚くも凛々しい雰囲気を纏う一人の男。
彼の名はサルース。
本来ならばこの国を統べる、次期皇帝の地位にある存在。だがサルースは最低限の荷物だけを鞍へと積み、単独での出立を決めてこの場に立っている。そんな主上を見送る二人の家臣は心配そうに、哀しそうに彼の御前で膝を着き最後の言葉を交わす。
「殿下もどうか、ご無事で……」
「君達にも世話になった。本当に、今までこんな僕を支えてくれた君達には、心から感謝している」
「勿体なきお言葉…」
「すまないなアートル卿、こうする事しか出来ない僕を、どうか許してほしい…」
アートルと呼ばれた恰幅の良い騎士団長の男は、涙を堪えるように表情を歪ませながら首を横に振って応えた。
目の前に立つ皇子を幼少の頃より見守ってきた彼にとって、サルースは我が子も同然の大切な存在。これが今生の別れとなるのが分かっていて、それでも送り出さなければいけない現状と何も出来ない現実に唇を噛み締めた。
「あぁそうだ、ヴェリター卿」
「はっ!」
騎士団長より細身の、濃紺のローブを纏う魔道士団長の男もまた、現皇帝の即位に尽力し、初の世継ぎとなる第一皇子の誕生までも見届けてきた国の重鎮。赤子の頃から彼の成長を見守ってきた為、実子と同等の情をサルースに抱いている。
「ルティウスの事を、どうか……」
「存じております。ですから殿下はどうか、ご自身の事を第一にお考え下さい」
その一言に安堵と、しかし隠し切れない不安を滲ませた笑みを浮かべる。託せるのは彼らしかいない。誰よりも頼もしく信頼の置ける者に託せるのだとしても、心配や懸念が尽きる事はない。やはり無理矢理にでも連れ出すべきだったかと逡巡する。けれど首を横に振って、揺らぎそうになる想いを抑え込んだ。
「そろそろ行かないとね。あいつに気付かれては、意味が無くなってしまう」
これ以上、この場に留まっていては危険だと解っている。自身よりも、この場に立ち会ってくれた二人に咎が向く恐れがある為、長居は出来ない。
「殿下の行く道に、水神の御導きがあらん事を!」
見慣れた帝国の敬礼と共に声を張る騎士団長の一言。きっともう二度と見る事は無いだろうその仕草に名残惜しさを覚えながらも、サルースは静かに敬礼を以て返した。
決意したように馬上へと跨り、勢い良く馬の腹を蹴る。身を隠すために纏った、少しだけ端が解れたローブのフードを目深に被るとそのまま加速させていき、長年付き従ってくれた『家族同然』の臣下に見送られながら、サルースはその場から去って行った。
夜明けはまだ遠い闇の中、青年はたった一人、生まれ育った国を捨てる決断をし、一路西へと向かう。心残りはただ一つ。大切な末弟を、この国に置いて行かなければならない事。
ちらりと後方を振り返り、まだ祖国に留まる年若い弟へ向けて心からの想いを言葉にする。
「ルティウス……待っているよ、きっとお前なら…辿り着いてくれると信じて…」
せめて弟を案じるこの想いが、風に乗って届くようにと願いながら…。
彼の名はサルース。
寒風吹き荒ぶ季節を迎えたばかりのこの日を最後に、グラディオス帝国から第一皇子の姿は人知れず消え去った。




