第8話 狂気と責任
翌朝、友基はいつも通りに起き上がり、1限目から極力普段と変わらない感じを装って講義に出席した。可愛い後輩と人生最大の恩師をいっぺんに失って本当は家でひとりふさぎ込んでいたかったが、このまま自分がひきこもりになってしまったらただでさえ響花の突然の死によって大ダメージを受けている他のサークル仲間たちに要らない心配をかけることになる。ここは〝穴倉の陽キャたち〟の名に相応しく、無理にでも明るく過ごすしかない。さすがに笑顔を作ることは難しかったが、それでも落ち込んでいる様子を周りに見せずに1日を過ごすのには成功したし、何なら明らかに落ち込んでいる様子の大地や定家に自分から話しかけて、親身に励ましたりもした。彼らは響花と同じ1回生で入部当初からお互いに気楽におしゃべりをしていた関係性というだけあって、部員の中でも今回の事件に特に大きなショックを受けていた。定家に至っては丸1日泣き続けたような充血した目をしていて、放っておいたら後追い自殺さえしかねないような雰囲気を醸し出していた。定家が響花にほのかな恋心を抱いているのは、部員たちのあいだでは有名な話だった。
けっきょくその日は部長以外の部員は1度は部室に顔を出していたようだ。健作が持参してきた是枝裕和監督の〝海街diary〟を皆で観たが、明るくほのぼのとした作品で傷ついた彼らの心に温もりを与えるには最適な作品だった。
映画がほぼエンディングに差し掛かったころ、友基の携帯に珍しい人物から着信が入った。映画を終わりまで見たくはあったが、どうして急に連絡があったのか興味が湧いたので、友基は部室を出てから通話ボタンを押した。
「どうした、千波? いきなり電話なんかかけてきて」
友基は言った。
「久しぶり~。ちょっと緊急で友兄にお願いがあって電話したんだけど、今話してても大丈夫?」
いつもののんびりとした口調で千波が言った。
「何だよ、お願いって」友基はうざそうに聞き返した。
「実は、今度三ノ宮でイケメンお兄さんとのデート企画撮ろうと思ってるんだけど、私としてはぜひ友兄にデート相手として出演してもらいたいなぁ、って考えているの。私の周りでは、友兄が1番顔面偏差値高いって思ってるから。きちんと謝礼払うし、撮影も2時間くらいで手際よく終わらせるから、よかったら私とデートしてくれないかな?」千波は言った。
「嫌だよ。なんで俺が動画出て、千波とデートしなきゃならないんだよ。素人なのに」
友基は即答した。青野千波は彼の小学校時代からの友だちの妹で、今でもときどき連絡を取り合う仲の良い幼なじみだが、1年前に暇つぶしで何気なく投稿した猫耳メイド服姿で神社参拝する動画がたまたま大バズりし、その流れで現在YouTuberとして活躍していた。彼女のチャンネルである〝あおにゃんチャンネル〟は、常に画面外にいる親友の女子〝クチバシ〟とバカバカしい緩いトークを展開しながら自由気ままに街ブラするという内容で、あおにゃんの恵まれたビジュアルとクチバシのブラックジョークを交えた軽妙な語り口で女子中高生を中心にけっこうな人気を博していた。特に今年の4月に人気YouTuberの〝背筋悪すぎ男爵〟とのコラボ動画が配信されてからは人気がうなぎ上りで、神戸というローカルな都市を本拠地にしているのにも関わらずすでにチャンネル登録者数は40万人を超えていた。高校卒業したての18歳でありながら、今や友基の知り合いの中でも1番の有名人と言ってもいい存在だった。
「どうしてダメなのよ。友兄とのデートだったら、今さらお互いに気を遣うような関係性でもないから気楽でいいじゃん。うちの事務所の人も、友兄の写真見せたら〝この男の子いいな〟ってかなり乗り気になってたし、この動画がハネれば友基もスカウトされるかもよ」千波は言った。
「俺は普通の一般人でいたいんだよ。何万人も視聴してるようなチャンネルに出演するのなんか気が重い。素人を出すのがその企画の主旨なのかもしれないけど、他をあたってくれよ。大体、俺に彼女いるの知ってるだろ?」友基は言った。
「彼女持ちの人だからいいの。単なる企画なんだから、万が一本気で好きになられても困るし。友兄のこと信用してるからこうやって自ら出演依頼してるんだよ。ねぇ、私がこんなに頼んでもダメなの?」
千波の非難めいた言い方に、友基の気持ちも揺らいできた。明里には前持って企画でデートする許可を取ればいいだけだし、自分が出演することで千波の〝あおにゃん〟としての活動を後押しできるなら、それは彼にとっても望ましいことではある。何より、立て続けに身近な人間が亡くなって意気消沈しきっている彼には、ちょっとした気晴らしが必要だった。YouTube上に自分の顔を晒すのは正直恥ずかしいが、上がった動画を見なければいいだけの話だ。
「わかったよ。そんなに気は進まないけど、可愛い妹のためならひと肌脱ぎましょう。ただし、今回だけだからな」友基は言った。
「ありがとう、友兄! めっちゃ嬉しい」千波は声を弾ませた。「それで、デートの日程なんだけど、スケジュール的に明日か明後日の16時から三ノ宮でやりたいと思ってるんだけど、友兄の予定どうかな?」
「ずいぶん急だな」友基は苦笑した。
「〝鉄は熱いうちに打て〟よ。他にも撮りたい企画いっぱいあるから、すぐに撮影できるものはさっさとやってしまわないと」千波は声に熱をこめて言った。
「明日は昼間用事あるけど、16時集合だったら余裕で間に合うと思う。明後日は5限まで講義があるから無理だな」
友基は言った。その用事が高校時代の恩師のお葬式であることについては、女子高生に通っていた千波には関係のない話なので黙っておいた。
「じゃあ、明日16時に三ノ宮駅の西口に集合で。一応デート企画だから、適当におしゃれしてきてね」
「わかった。じゃあ、明日はよろしく」
友基は電話を切ると、さっそく明里にデート撮影に行く許可を求めるLINEを送った。彼女は友基にぞっこんなのでひょっとしたらデート企画は断られる可能性もあるかと思ったが、あっさり「あおにゃんちゃんとの動画上がるの楽しみにしてる」と返事が来て、正式に友基のYouTube出演が決定した。
翌日、友基は小寺先生の葬儀に出席するために朝早くから黒いスーツ姿で姫路に向かった。葬儀場からさほど遠くない場所に彼の実家もあったが、家族に暗い顔を見られたくなかったので今回は立ち寄らないことにした。それくらい彼は恩師の死に憔悴していた。
葬儀にはたくさんの生徒たちや学校関係者が参列していた。友基の同級生たちの姿もちらほらと見られ、こんな場面でなければ楽しい思い出話に花が咲いていてもおかしくはなかった。中には小寺先生と友基が未だに交流を持っていることを知っている者もいたので、〝最近の先生の様子はどうだった?〟と向かう先々で知り合いから訊ねられる結果になった。喪主である先生の奥さんも学校のお偉方や泣いているふたりの娘さんの相手が忙しく、なかなか面と向かってお悔やみを言う時間がなかった。奥さんは40歳とは思えないほどスタイルのいい美しい方で、皮肉にも喪服の黒い着物がさらに美しさを引き立てていた。式が滞りなく終了したあと、友基が改めてひとりでゆっくりと小寺先生の遺影の前で手を合わせていると、ようやく少し身が自由になった奥さんが話しかけてきた。
「友基くん、今日はわざわざ葬儀に来て下さってありがとう。尚文もきっと喜んでいると思うわ」
「この度は、本当にご愁傷様でした…。先週一緒に飲み会をさせていただいたときはあんなに元気だったのに、先生がいなくなったなんて2日経ってもまだ信じられません」
実際に先生の奥さんを目の前にすると胸が詰まってなかなかかける言葉が思いつかなかったが、友基はどうにかそれだけ言って頭を下げた。奥さんは生前の小寺先生と同じように、我が子を見るような温かみのある視線で友基を見つめていた。
「あんなに張り切って毎週末市民プールに行って水泳のトレーニングしてたのに、よりによって本番で溺れちゃうなんて、やっぱり彼も初めてのトライアスロンで緊張してたのかしらね。亡くなったのは悲しくて仕方ないけど、夫なりに自分のやりたいことに全身全霊かけて挑戦した結果だから、現実を受け入れなきゃいけないとも思っているの。何より、友基くんを始めとするたくさんの素晴らしい教え子に見送ってもらえる彼は幸せ者だしね」
奥さんは涙を堪えながら言うと、持っていた巾着の中から1本の北欧風の腕時計を取り出した。青いシックな文字盤にレザーベルトのついた、落ち着いたデザインの時計だ。
「これ、あなたには見覚えあると思うけど、夫が普段身につけてたNordgreenの腕時計よ。大分使い古してあるし、大学生が使うには少し大人っぽすぎる感じはするけど、譲る相手がいるとしたら、友基くんしか思いつかない。よかったら、形見としてもらってくれないかな?」奥さんは言った。
「こんなに大切な物、僕なんかがいただいていいんですか?」友基は言った。
奥さんは無言でうなずき、時計を友基に手渡した。何十万もするような高級時計ではないが、北欧デザイン特有のシンプルかつ滑らかなラインに思わず引き込まれる。時間があれば、いくらでも眺めていられそうだった。
「ありがとうございます。奥様にはたくさんお心遣いいただいて、感謝の気持ちでいっぱいです。この腕時計を身につけていたら、これからも先生が僕のことを影から叱咤激励してくれるかもしれませんし、そうなったらすごく心強いです」
「気に入ってもらえたみたいでよかった。もちろん友基くんが自分の息子みたいな存在なのは夫が亡くなってからも絶対に変わらないし、娘たらもあなたのこと大好きだから、気が向いたらいつでも我が家に遊びに来てね」
奥さんはそう言って、彼の手を握った。
「本当にごめんなさい」友基はもう一度頭を下げた。。
「何で友基くんが謝るの?」奥さんが笑って言った。
「…ここ最近、周りで何人も僕と関わった人が亡くなっているんです。だから、ひょっとしたら僕は、疫病神なのかもしれないです。先生もレースに出る前に僕に会ったりしなければ、事故に遭わなかったかも」
友基はうつむきながら言った。奥さんは彼の手を取ったまま、とたんに厳しい表情になって言った。
「友基くん、そういう考え方はよくないわ。すべては天が定めた運命で、あの人が亡くなったのは仕方のないことなのよ。自分のせいだなんて思っては絶対にダメ。言ってしまえば、ただの偶然よ。死というものは誰にでもいつかは公平に訪れるものだから。友基くんの周りでたまたま珍しいタイミングでお迎えが重なったっていうだけの話よ。だから、元気出してね」
友基はうなずいた。1番辛い立場なのは奥さんなのに、そうやって彼を元気づけようとしてくれる優しさが身に染みた。ここ数日心のどこかで彼は自分のことを責めていたが、奥さんの励ましで少しだけ気分が軽くなった。
そのあと暗い顔で落ち込んでいる先生の娘さんたちにも声をかけ、ひとりずつ抱きしめたあと、友基は葬儀場をあとにした。まだ13時すぎだったが、さすがに喪服であおにゃんとデートするわけにはいかないので、一旦自宅に帰らなければならないことを考えるとそれほど時間に余裕がなかった。めったに使わないタクシーで葬儀場から姫路駅に移動していると、携帯に脇町智絵の母親から着信が入った。毎週、月曜日と木曜日が智絵の家庭教師の日だったが、立て続けの訃報で余裕を失っていたため先週の月曜に訪ねて以来授業を休みにさせてもらっていた。きっと、友基の様子を心配して電話をかけてきてくれたのだろう。
「もしもし。お母さん、この度は個人的な理由で授業を休みにして申し訳ありませんでした。金曜日からはちゃんと行くので、娘さんにもよろしくお伝え下さい」
友基は電話に出るなり謝罪したが、一向に智絵の母親から返答が返ってこないので不審に思った。まさか、彼が家庭教師に行けなかったおかげで娘の勉強が遅れたことをそんなに怒っているのだろうか?
「実はね…友基くん、落ち着いて聞いてもらいたいんだけど」
智絵の母親はようやくしゃべり出したが、明らかに声が震えていて、通常の精神状態ではないことが窺えた。
「連絡が遅れて申し訳ないけど、智絵は昨日亡くなりました。学校の帰り道、友だちとおしゃべりしながら歩道を歩いているときに突然暴走トラックが突っ込んできて、彼女だけ巻き添えになったの。即死だったみたいで、私が病院で駆けつけたときにはとっくに変わり果てた姿になってた」
友基はあまりのことに完全に絶句してしまったが、智絵のお母さんは構わずに話を続けた。
「友基くんには娘にいつも親切に接してもらって、本当に感謝してる。英語のテストで90点以上取れたらデートしてあげるって先週約束したんでしょ? 彼女の友だちが言うには、そのテスト昨日実施されたみたいで智絵は見事に92点取って大喜びしてたんですって。もう智絵とUSJに行くのは永遠に無理になっちゃったけど、変わりにあの子のこと、いつまでも覚えていてあげてね」
友基はショックのあまり、ほとんど返事すらできずに電話を切った。最期に智絵と会ってから1週間になるが、ここまで身近な人の死が続くと彼はどうしても自分に会ったことと智絵の不慮の事故を結びつけずにはいられなかった。
小寺先生の奥さんの考えは間違っていた。友基はもはや、自分が疫病神(というか死神)であることを確信していた。