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あの遠い記憶は、本当にあった出来事だったのだろうか…?
ここではない、別の世界で、あたしに似たお嬢様がいた。
あたしに似た我儘なお嬢様は、彼に似た、優しすぎる美男子に恋をし、権力を笠に結婚をせまった。
彼は、最愛の恋人と別れを余儀なくされ、お嬢様と結婚したあげく、慣れない生活で無理がたたって、若くして死んでしまったのだ。
あれが、本当の出来事だったのだとしたら、あの王子様は、彼の生まれ変わりなのだろうか。
一目見てすぐにわかった。
かつての夫にそっくりだったから
かつての夫は、現世ではあまりにも遠い存在になっていた。
だから、このまま、二人の人生は交わることなく、遠く離れて暮らすのだと思っていたのに
なんのイタズラなの?
星の運命?
わからないけれど、彼とあたしは、同じ学園に入学してしまったのだ。
この国では15歳になると魔力の有無を調べる洗礼式がある。
そこで魔力があるとみなされたものは、王立学園へ入学し、魔力の制御を学ばなくてはならない。
生粋の庶民のあたしは、魔力なんてあるわけないと気軽な気持ちで洗礼式に参加したが、そんな思わくとは裏腹に、手をかざした水晶が金色に輝いて、あたしと周りを驚かせた。
そういうわけで、あたしは王立学園へ入学することになったのだ。
庶民から王族まで魔力を持つものは全てこの学園に入学する。
基本は平等を謳っているが、実際には王侯貴族と庶民のクラスは分けられている。
もちろん、基礎学力に差があるのも原因だ。
庶民でこの学園に通うものは少なく1クラスにまとめられている。
雰囲気が違うので、同じ制服を着ていてもすぐに庶民だとわかる。
貴族たちはもちろん、庶民など相手にもしない。
クラスも違うし、同じ学校に通うというだけで接点もないので、交流する機会もないのが普通だ。
だから、このまま息をひそめて、目立たないように学園生活を終えれば、彼と出会わずに済む。
彼が前世を覚えているかどうかはわからないけれど。
彼とあたしは決して出会わないし、もちろん結婚もしない
彼は恋人と別れることもないし、早死にすることもない
今生こそ、あの、恋人の生まれ変わりと、彼は幸せになるだろう
彼のそばにいる唯一の女性
カロライン ウィンバリー公爵令嬢
あの顔、忘れたことない。
前世では一般庶民だった彼女も、現世では公爵令嬢
王子殿下である彼の婚約者候補と呼ばれている。
彼女がきっとあの恋人の生まれ変わり
こうして遠くから眺めることしかできないけれど、いつも彼のそばに彼女がいるということは、今、彼と彼女の関係はうまくいっているのだろう。
どこかの我儘な元お嬢様が邪魔しなければ、きっと彼が不幸になることはないと、信じたい。
そう思って、あたしは、学園生活の3年間、息をひそめて目立たないように、暮らしてきた。
この生活もあと1年足らず、もう少し…と思っていたのに
ある日、中庭の木に登って、下りられなくなった猫を助けたくて、誰もいないのを見計らって登った。
あたしがなんとか、猫のいる枝にたどり着くと、恩知らずな猫は、ひょいっと飛び降りてしまった。
木に取り残された間抜けなあたしは、下りることにしたけれど、登るより下りるほうがずっと難しいみたい。
足を滑らせて、木から落ちてしまった。
体を地面に強かに打ち付ける覚悟をしたのに、なぜかその衝撃がない。
思わず瞑ってしまっていた目を恐る恐るあけると、なんと、誰かの腕の中にいる。
誰かって、それは、信じたくないけど
以前の夫、現在のこの国の第一王子殿下だった。
なんで?
こんな偶然ってある?
今まで、目立たないように、見つからないように顔を隠して生きてきたのに
木から落ちたら、王子様に抱き留められるなんてそんなベタなことある?
彼の腕の中でばっちり目が合ってしまった。
彼は驚愕で目を見開き、こう言った。
「ヴァイオレット?」
以前の名前を呼ばれて顔が強張る。
慌てて腕の中から飛び降りて頭を下げた。
「も、申し訳ありません」
そのまま顔を下げ続けたけど、彼はそれを許さなかった。
「顔を上げて」
そう言われて上げるしかなくなり、あたしはゆっくりと顔を上げた。
真正面から見つめられて、彼は、その美しすぎる顔を驚きの表情でいっぱいにし、目を大きく見開いてあたしの腕を取った。
「ヴァイオレットだよね?」
「!!!!!!」
前世のあたしの名前
あたしを、覚えているの?
あなたにも記憶があるの?
彼は驚きの表情から、一転して顔をくしゃくしゃに崩した。
そして、あたしの腕を取っていたその手でぐっと引き寄せられ、気付くとあたしは彼に抱きしめられていた。
「やっと 見つけた…
やっと、やっと見つけた。
ヴァイオレット、会いたかった」
会いたかったと、前世と同じ温かい声で懐かしげに言われて、あたしの中のヴァイオレットが歓喜で震えた。
わたくしも会いたかった
わたくしも、本当は会いたかったのと
あたしの中の元お嬢様が涙を流す。
でも、ダメ
認めるわけにはいかない
知らないふりをしなきゃ
「あ、あの、殿下、どなたかと、間違っておられるようです。
私の名前はリリーナと申します」
ぎゅうぎゅうと抱きしめられるあたしは彼の胸の中で、なんとか空間を作ろうと必死にもがきながら、間違いだと主張した。
「ヴァイオレットだろ?私が、間違うわけない
同じ学校にいたのか
気付かなかった…ごめん、気付くのが遅くなって」
「あの、なんのことをおっしゃってるのか、わかりません」
あたしがそう言うと、彼は抱きしめている体勢のまま、少し力を緩めた。
彼の腕の中で、あたしは顔をあげ、彼はあたしを見降ろし、小さな空間の中であたし達は見つめ合った。
「覚えて、ないのか…?」
「お、覚えてないもなにも、あたしと殿下は初対面ですよ」
あたしの嘘が悟られないように、必死にわからないふりをした。
ふと気付くと、あたしと彼の周りに人だかりができていた。
そりゃそうだろう
王子殿下が学校の中庭で急に見知らぬ女生徒を抱きしめたら誰だって驚いて足を止めるだろう
「殿下?何をなさっているのですか?」
声のする方に目をやると、そこにはかつての恋人の生まれ変わりと思われる公爵令嬢が立っていた。
まわりに、彼の友達もいた。
あの人たち、見覚えがある。
いつも彼の周りに居る人たち、そして、前世で、夫の友人だと、彼の葬儀の時にそう名乗って、彼の恋人と彼の話を教えてくれた人たちと同じ顔をしている。
「殿下、どうなさいましたか?」
「誰?その子」
「何か問題でもあったのか?」
彼の友達が口々にそう言ったけど、彼はあたしを抱きしめるのをやめなかった。
「あの、殿下、とりあえず、離してください」
あたしは、腕の中からそう訴えたが、彼は離してくれなかった。
「みたところ、特待生のようですが、お知り合いですか?」
公爵令嬢が、その美しい顔を、嫌悪に歪めてそう聞いた。
彼女は覚えているだろうか?
かつて、自分と恋人を引き裂いた憎き恋敵を
恋人を死に追いやった我儘なお嬢様を
彼女の、その憎しみのこもったような目が怖くて、あたしは彼の腕の中で小さく震えた。
すると、彼はそれに気付いたのか、あたしを優しく見つめた。
見つめられると、拒絶しなければならないことも忘れて、その優しさに縋りたくなった。
「この子は…リリーナ。私の大事な人だ。」
彼はあたしをもう一度強く引き寄せ、腕の中に閉じ込めるように抱きしめ、公爵令嬢に向けてか、友達に向けてか、それとも周りの人みんなに向けたのかわからないけれど、はっきりとした声でそう言った。
当然周りはざわついた。
悲鳴のような声もあがった。
彼はあたしを抱きしめた腕を少し緩め、そのまま、あたしの肩を抱いてこう言った
「ここは人が多い、移動しよう」
そう言って、あたしは彼に引き摺られるようにしてその場を離れた。