第三十一話 芹奈の力
カミラがレオに向けて手を翳した次の瞬間、彼の周囲を黒炎が覆い尽くした。それだけに留まらず、竜巻のように渦巻いた乾燥した空気が送り込まれていく。
次第に黒炎は勢いを増し、天まで届こうかという巨大な柱となる。不思議と周囲で熱は感じられないものの、触れるだけで死が訪れる事は疑いようのない強力無比な黒炎は、しかし『虚数空間』によって消滅させられてしまう。
「問答無用でそんなおっかねぇ技使うなよ。流石の俺も死ぬかと思った……。っておい、それはどういうことだ?」
レオは目の前で起きたことが信じられず、思わず目を見開いた。
カミラは最初から先程の黒炎でレオが仕留められるとは思っていなかった。では何故彼女はあれだけ大掛かりな魔法を使ったのか、その答えは単純だ。
「確かにレオさんのことを私は殺したいと思ってますし、この後ちゃんと殺してあげますよ。ですが、私にとって一番大事なのはアリス姉さんです。それはレオさんもご存知でしょう?」
「それは分かるが、現象が理解できねーんだよ。……どうしてアリスが、いや、アリスの心が生き返っている? あの状態から立ち直るのはどうやっても不可能なはずなんだが……」
慌てるレオを尻目に、カミラは愛おしげにアリスの髪を撫でる。それだけでみるみるとアリスの身体は大きくなっていき、遂には完全に元の姿へと戻っていった。
先程の黒炎は、アリスに何かの術を施す間の目眩しに過ぎないと気付いたレオだったが、彼の知る限り吸血鬼に心の死を治す力はない。その上カミラには光属性の適正は無く、何かしらの治癒魔術を扱うことは出来ないのだ。
「おいおいおい、あり得ねーだろ! 吸血鬼にそんな力ある訳が……」
「愚かですね、レオさん。貴方が吸血鬼の何を知っていると言うんですか? 貴方にだって、誰にも言っていない秘密の一つや二つあるのでしょう?」
カミラはそう言って、アリスの身体を抱いた。そして次の瞬間に彼女の身体は霧散し、光の球へと変化してアリスの胸から体内へと潜っていく。
アリスの身体を紅い光が包み込み、先程のカミラのものとは桁違いな魔力の暴風が吹き荒れ、レオの身体を吹き飛ばした。しかしその嵐は、彼女の大切なものを決して傷つけることはない。
「……なるほど、そういうことかよ。これだから知能のある最強種は手に負えねぇんだ」
悪態をつく彼の顔からは、既に笑みが消えていた。
「それなら仕方ない。復活する前に叩かせてもらうぜ。『虚数空間』」
レオはアリスが横たわる地面ごと彼女を消滅させようと試みる。未だに動く気配のない彼女に避ける術はない。
「わたしを忘れてもらっちゃ困るわね。もう、あなたの魔法は見切ったわ」
しかし彼の『虚数空間』はそもそも発動しなかった。魔法と成るはずだった魔力は形を変化させることなくレオの身体から流れ出ていく。それも、彼の意図しない濁流の如き勢いで。
「……やっべ、これはしくじったな。まさか勇者の嬢ちゃんが"世界眼"の先へ辿り着いてやがったとは。アリス共々出鱈目だな、今回の異世界人は」
レオは苦しげに顔を歪め、失った右手を即座に再生してから魔力を垂れ流している左手を力任せに引きちぎる。
決して小さくない叫び声と共に大量の脂汗を流すレオに向けて、芹奈は容赦なく斬りかかる。その手には剣が握られていた。それは黒炎で目眩しをしている最中、カミラによって渡されていたものだった。
回復させる間もなく絶え間ない斬撃を繰り出す芹奈と、血を撒き散らしながら紙一重で避けるレオ。
「クソ、油断した! 勇者の嬢ちゃんが、こんなに、強かったとはね!」
「剣さえあれば、あなたなんかに負けないんだから! 終焉の業火よ、我が手に宿りて力と為せ! 『フレイムバースト』!」
「お前、それは洒落にならーーッ!?」
レオは無理矢理身体を捻って襲いくる猛烈な熱量の塊をどうにか避けることに成功する。
「疾風よ、我が敵を討ち滅ぼす刃となれ!」
しかし体勢を崩したレオに向かって、芹奈は詠唱句を唱えながら斬りかかる。その剣はレオを完璧に捉えており、回避することは不可能だった。
「『アネモスブレイド』!」
さらには彼の背後には風の刃が出現して追い討ちをかける。対処を誤れば彼の首は間違いなく刎ね飛ばされるだろう。
『虚数空間』を封じられているレオは、奥の手を使った緊急回避を試みる。それは『テレポート』。
任意の生物を任意の場所へ転移させる闇属性の超級魔法であり、王都の中へ直接魔族を送り込むことができたのもこの魔法によるものだ。
しかしこの闇魔法、非常に汎用性が高い反面使用には大きな代償が必要となる。
それは、使用する魔力があまりにも膨大であることだ。当然転移させる人数や距離によっても変わるものの、どれだけ近い距離への移動にも一般的な超級魔法数十発分の魔力を使用する。
そのため使用後には魔力回復ポーションを飲まなければ魔力欠乏症を引き起こしかねない危険な魔法なのだ。その為基本的には先頭に用いることはせず、安全な移動を行う時にのみ使われる。
既に超級魔法である『虚数空間』を何度か使用しているレオにとって、『テレポート』を使うのは余りにもリスクが高いのだ。
しかし、彼に迷っている時間など無かった。彼は決死の覚悟で『テレポート』を行い、芹奈から数百メートル離れた家の屋根へと転移した。
この程度の距離で、レオは残った魔力の半分程度を失った。魔力欠乏症には程遠い消費ではあるものの、猛烈な疲労感が彼を襲う。
「くっ……、しんどいな畜生……」
しかし転移した先は芹奈からは完全な死角になっており、気付かれる可能性は低いだろう。
レオはそう判断して腕を再生して魔力回復ポーションを取り出し、
「さっきぶりですね。えっと、レオさんだったかしら?」
首筋に剣を突きつけられた。レオが目線だけで剣の先を見ると、柔かに微笑む芹奈と目が合った。
「……嘘だろ、おい。何で『テレポート』する先が分かった? そもそも何故こんな速さで俺の元へ辿り着くことが出来た?」
芹奈は微笑むばかりで何も答えない。ただゆっくりと刀を動かし、レオの首に刃をめり込ませていく。
赤い血が、ゆっくりと剣を伝って流れていく。
「怒らせると怖いのは男より女の方だとはよく言うが、こりゃマジだな。……なあ勇者の嬢ちゃん、どうせ俺は死ぬんだ。冥土の土産に話してくれたっていいだーー」
レオがそれ以上の言葉を発することはなかった。何故なら彼の首は、芹奈の手によってあまりにもあっさりと斬り飛ばされていたからだ。
頭を失い。噴水のように血が噴き出る身体を冷ややかな目で暫く眺めていた芹奈は、最後に心臓を刺し貫いてから燃やし尽くし、その場を去った。
その場には、冷たく変わり果てたレオの頭だけが残されていた。




