第三十話 生きる意思
「お前を許さない、ねぇ? 俺はキッカケを作っただけさ。元を辿ればドラゴンと敵対するような事をした人間が悪いんだぜ? 俺は元から出来ていた亀裂を少し突いただけのことさ。それに」
レオは、ニヤリと口の端を吊り上げる。
「お前の方がよっぽど酷いことしたじゃねぇか。なあ勇者の嬢ちゃん?」
「貴方は黙ってて! 有栖君、アイツの口車に乗せられちゃダメだからね」
芹奈ちゃんは私を庇うように立つ。その身体は小刻みに震えていて、何かを必死に耐えているように見える。
……そうだ、芹奈ちゃん何故左腕を切断されていた?
私が幻術に惑わされている間に攻撃されたのか? でも、それはレオのやり方にしてはあまりにも直接的だ。
それに魔族の男達だって、私を無視して芹奈ちゃんを攻撃するほど腐った連中ではないと思う。実際、彼らが動いた形跡はない。
「無駄だぜ勇者の嬢ちゃん。俺が何を言うまでもなく、アリスはすぐに答えを導き出すぜ」
「黙れと言っている!! 終焉の業火よ、我が手に宿りて力と為せ! 『フレイムバースト』!!」
転生前でさえも聞いたことがない程の怒気を孕んだ叫びと共に、彼女は火属性の上級魔法『フレイムバースト』をレオに向けて放った。
その熱量は凄まじく、芹奈ちゃんの手から放たれた炎弾の通った後の地面はドロドロに溶解して溶岩の海を作り出す。
「……ったく。元気なのは良いことだが、ちと短気すぎるな。少しは頭を冷やしたらどうだ? 『虚数空間』」
しかしその炎弾は、突如レオの前に現れ開かれた扉の中に吸い込まれてしまう。
カミラちゃんから教えてもらった知識によると、『虚数空間』は闇属性の超級魔法だ。
扱える者は魔族でも殆ど存在しない強力無比な魔法。その効果は、指定した対象をこことは違う別の時空間へ強制排除するというもの。
その時空間に放り込まれたものは全て元の形を保つことが出来ずに消滅してしまうのだという。それが『フレイムバースト』のような魔法でも、人間のような生き物だとしても。
当然カミラちゃんも使い方は知らず、私も使うことが出来ない。そんな魔法を詠唱破棄で使えるレオは、余程高位の魔族なんだろう。
だけど、そんなのはどうでもいいことだ。
芹奈ちゃんの反応を見て分かった。彼女の腕を切断したのは、紛れもなく私なのだと。
私は幻術の中でワイバーンに向かって魔法を放とうとした。そしてそんな私の手を握った事で彼女は怪我をした。つまり私が見ていたものは幻だったけれど、使った力は現実だったんだ。
それなら当然、私がレッドグリズリーに向かって放った『水刃』だって、当然現実世界でも発動していたはずなんだ。
「流石の威力だったぜ? そこの勇者が身を挺して阻止しなかったら、あの魔族達は残らず死んでいたかもしれないな」
「黙って!! 有栖君、違うの! あなたは悪くない。悪いのは幻術を見せたレオとかいう魔族なのよ!」
何も違くないよ、芹奈ちゃん。私は、自らの手で君を傷付けたんだ。あれが幻術だってことはすぐに気付いていた。それでも感情に任せて魔法を放ったのは、どう考えても私が悪い。
最愛の人の心に深い傷を作り、世界を超えて奇跡的に再会できたと思ったら今度は腕を切り落とした? もし私以外の人間が彼女にそんなことをしているのを見てしまったら、私はそいつの事をきっと殺してしまうだろう。それだけの事をしたんだ、私は。
私は、最低の生き物だ。
私なんて、生まれてこなければよかった。この世に存在してはいけない生き物だったんだ。
そうすれば、誰も傷つけることなんて無かったんだ。
「折れたな。悪いがその命、摘み取らせてもらうぜ」
気が付くと目の前にレオが立っていて、その手は私の胸を貫いていた。
身体中から力が抜け、体温が急速に低下していく。
ああそうか、私はレオに魔石を抜き取られたのか。
そう理解した時、私の意識は闇の中へと落ちていった。
◇
「その汚い手を今すぐ離して!! 裁きの雷よ、光と共に我が敵を討ち倒せ! 『サンダーブレイク』!!」
詠唱句と共に芹奈が放つのは光属性上級魔法『サンダーブレイク』。彼女の腕が一瞬発光した次の瞬間、日暮れを迎えつつある薄暗い夜空を昼間の太陽の如き雷光が明るく照らす。
光速で放たれた雷は正に必中の一撃。数億ボルトに達する裁きの雷によりレオの命は易々と奪うことができる、はずだった。
「おっかねーな全くよ。さっき何度やってもダメだったろ? 今のお前程度の実力じゃ俺には傷一つ付けることはできやしないんだ。勇者ってのは晩成型だからな」
まるで子供のごっこ遊びを眺めるような生暖かい眼差しで芹奈を見る無傷のレオの姿は、その言葉に全く偽りがない事を如実に示していた。
上級とはいえ、魔力量Sの勇者が放った必中必殺の魔法を容易く消し去ったのだから当然だ。
血が出るほど強く歯を噛み締める芹奈を一瞥し、レオは手にした魔石を空に翳す。
「ほう、これはいい。"憤怒"の兆しが現れていやがる。なるほど、コイツは俺達の末席を担うに値する力を持っていたってことか。ま、残念ながらここでくたばっちまう訳だが」
レオは、少しずつ縮み始めているアリスの身体をぞんざいに投げ捨てる。それを芹奈は瞬時に受け止めてレオを睨む。
「あなた何をしたの!? 吸血鬼は不死身のはずなのに、有栖君はどうなっちゃったの!?」
「うおっ!? 耳が痛ぇからあんま大声出すなよ。……簡単なことさ。アリス自身の生きる気力、というより意思だな。それが折れちまった、ただそれだけのことさ」
「そ、そんな……」
芹奈は絶望した。アリス自身に生きる意思がない。それはつまり、彼女が死を受け入れてしまったことを意味している。
意識を失い、言葉が届かなくなってしまった今、芹奈にアリスを救う方法は無い。
「有栖君! わたしは大丈夫だから、生きてるから! お願いだから戻ってきてよ……。わたしを傷付けたくないなら、生きていてよ……」
芹奈は必死にアリスへ語りかけながら涙を流す。もう二度と離れない、離れたくない。世界を超えて再開できた愛しい人を、こんな理不尽な失い方してたまるものか。
しかしアリスは目を開けることはなかった。先程までは芹奈と殆ど変わらなかった身長も、今は初めて見た時と同じくらい、7歳児程度の大きさになってしまった。
「無駄だっての。アリスの心はもう死んだ。心の死は肉体の死。その状態から蘇るのは、死人が生き返るのと同じ。不可能なんだぜ?」
レオの言葉に、しかし芹奈は耳を傾けることなく呼びかけ続ける。
遠くで見守る魔族衆は、息を呑んでその光景をただ見ていた。その表情は悲痛そのもので、彼らにとってアリスがただの他人では無くなっていることを示している。彼女の交渉は、確かに彼らの心に届いていたのだ。
しかし彼らは理解していた。アリスはレオの手にかかって心を折られてしまった。その意味を。彼女が決して覚めることのない眠りへと誘われてしまった事を、レオの事を深く知る彼らには理解できてしまった。
次第に芹奈の声は言葉としての形を失っていき、最後にはただの泣き声へと変わっていった。
「……すまねえが、これが俺のやり方なんでな。ったく、胸糞悪いもん見させやがってあのクソご主人様はよ。さよならだ、勇者の嬢ちゃん。お前を殺すことも命令の内なんでな。あの世で二人、仲良くやってくれや」
そしてレオは、遂に心が折れてしまった芹奈に向かって手を伸ばす。その手には漆黒の魔力が集結していく。
誰もがアリスと芹奈、二人の死を確信したその時だった。
「ぐああぁっ!? いってえなこの野郎!?」
突然レオが手に持つ魔石が猛烈な熱量を持って爆炎を撒き散らした。その威力は凄まじく、レオの右手は腕ごと吹き飛ばされてしまっていた。
件の魔石はレオの手を離れ、しかし宙にフワフワと浮いている。理解できないその現象に、初めてレオの顔に焦りの色が浮かぶ。
「なるほど、幻術と思考誘導の合わせ技ですか。心の弱いアリス姉さんには効果覿面でしょうが、そんな卑怯なやり方で私の大切な人を奪われるのは心外です」
そして響く、美しくも透明で、感情のない女の声。思わず顔を上げた芹奈、そしてレオもその声の主を知っていた。
「……カミラさん、なの?」
芹奈の問いに応えるように、魔石は眩い光を放つ球体へと変化する。そしてそれは次第に形を変えていき、最後には人の形を作り出す。
そして光が収まった時、そこにはセウェルス王子と共にいるはずのカミラの姿があった。彼女は妖艶に微笑み、猛烈な殺気と魔力が嵐のように吹き荒れる。
「お久しぶりですレオさん。早速で悪いのですが、死んでください。……あっ、でも楽には死なせませんので、覚悟してくださいね?」




