第七話 悔恨
わたしが彼の訃報を聞いたのは、あの日から僅か数日後のことだった。
担任の教師が淡々と状況を話すのを、わたしは放心状態で聞いていた。内容は殆ど頭に入って来ず、「何故か一人で海に」とか「遺書はない」とか「自殺の可能性が高い」といった一部分だけが耳に残っていた。
彼の机に置かれた小さな花瓶と、ささやかな花を見ても、彼が亡くなったという実感は全く湧かなかった。
あの日、彼はわたしを昔ながらの方法で校舎裏に呼び出した。桃色の小さな便箋にハート型のシールが貼られた、可愛らしいラブレター。
わたしは胸のドキドキが抑えられず、自然と頬が緩んでしまうのを必死に隠していた。
だって、仕方ないでしょう? ずっと片想いしていた男子からラブレターを貰って嬉しくない女の子がいるんですか?
わたしはどうにか平静を取り繕って、彼の指定した場所に赴いた。そして彼は、わたしに告白してくれた。
顔が熱くなって、夏でもないのに汗が出てきそうになる。胸の鼓動が煩くて、彼の声が聞こえなくなる。嬉しくて、嬉し過ぎて、ニヤケてしまいそうになるのを隠しきれない。
「ごめんなさい、ちょっと待ってください。心の整理が……」
だからわたしは、彼にそう言って頭を下げた。とても彼の顔を見ていられるような状態ではなかったから。
しかし彼は、わたしの尻すぼみになった言葉を聞いて後退った。わたしが彼が離れていく気配を感じて顔を上げると、そこには大粒の涙を流しながらも、なんとか顔を歪めてしまわないようにと必死に表情を作っている彼がいた。
「……わかりました。すみません、お時間を取らせてしまって」
彼はそう言って、わたしが止める間も無く走り去ってしまった。突然のことで何が起きたのかすぐには分からなかったけれど、少ししてから理解した。
彼はわたしが「ごめんなさい」と言ったから、フラれたのだと思ってしまったんだ。
その後わたしは彼を必死に追いかけようとして、しかしその頃には既に彼の姿は校内に無かった。
高校の卒業間近の三月ということもあって授業は無く、登校日数も極端に減っていた時期。
彼に会ったのはあの日が最後となってしまった。
その後慎ましやかに開かれた彼のお葬式に、わたしは参列した。この時のわたしは、まるで能面を貼りつけたかのように表情を動かせなくなっていた。
彼の両親に挨拶した時も、頭の中は真っ白で自分が何を言ったのかさえ覚えていない。
お坊さんが唱えるお経を聴きながら、ジワジワと彼が亡くなってしまったという現実が身に染みていく。
そして焼香も終えて、最後のお別れの時がやってきた。皆彼の亡骸に花を添えたり、彼の思い出の品を棺桶の中に入れていく。
わたしは、彼が好きだった百合の花を棺桶に入れ、その時彼の指先に軽く触れた。
まるで氷のように冷たく、硬くなった彼の指。その時遂に、わたしは彼が亡くなってしまったという現実を実感することとなった。
そして、耐えられずにその場で蹲り、声を上げて泣いた。棺桶にしがみつき、なんとかわたしを引き剥がそうとする大人の手を払い、泣き続けた。
わたしのせいだ。わたしがあの時、もっとしっかり返事をできていれば。
それは、ちょっとしたボタンの掛け違えみたいなものだったのかもしれない。しかし、たったそれだけのことで取り返しのつかないことになってしまった。
誰にそう言われたわけでもない。でもわたしは自分を許すことが出来なかった。
その日、わたしの世界は色を失った。
それからわたしは卒業式にも出席せず、廃人同然の時を過ごしていた。食事を取る気力すらなく、日に日に痩せ細っていくのも全く気に留めなかった。
そして、大学の入学式当日。わたしは、海に来ていた。彼が亡くなったとされる、なんの変哲もない静かな海。
わたしは暫く座ってそれを眺めてから、海に飛び込んだ。ここからなら、彼の元に行けるかもしれない。
例え行けなくとも、どうせこれ以上彼のいない世界で生きていくこともできないのだから、死んだ方がマシだ。
肺の空気を全て出し、海の底に沈んでいく。
少しずつ意識が遠のいていき、気付いたらわたしは幾何学模様が描かれた不思議な陣の上に寝そべっていた。
「成功だ! 皆のもの、急ぎ聖衣を持ってくるのだ!」
まるで教会のようなその空間に響き渡る太い低音。そして私を囲う、ローブを着た怪しい人々。
ここが死後の世界なの? それにしては随分と埃っぽいし、神様みたいな神々しい人もいない。
でも、一つだけ分かることがある。ここは、地球ではない。ではここは何処なのだろうかと思いながら顔を上げて、先程大声を出していた神官風の男性の顔を見た。
その瞬間、不思議なことが起こった。
彼の顔の横に、文字が浮かんだのだ。それは日本語ではなかったけれど、わたしには何故かその意味を理解することができた。
そこにはこう書いてあった。
・名前: フォルカー・マリウス
・Lv.25
・HP: 3200/5000
・役職: 神官長
・種族: 人間
・魔力量: B+
・魔法適正: 光
・筋力: C
・スキル: なし
まるでゲームのステータス画面のようなその文字列。あまりにも非現実的で、わたしは思わず自分の頬をつねる。するとムニッとした感触と痛みが走り、これが夢でないことを悟る。
モノクロの世界でも分かる程に煌びやかな服を若い神官が持ってきた後、わたしはそれを着せられてお城のようなところへ連れて行かれた。
そこで説明されたのは、衝撃的な内容だった。
まずここは、地球ではないどこか遠くの異世界であるということ。科学は全く発展しておらず、代わりに魔法が人々の生活に根付いているということ。
そんな世界に、わたしは勇者として召喚されてしまったらしい。先程のステータス画面は、勇者固有のスキル"世界眼"によって見えていたらしく、他の人には見えないのだとか。
しかもわたしは魔法を扱えるようになっているらしく、その魔力量はS+、魔法適正も闇以外全てという規格外の存在になっていた。
それでも、わたしには全てどうでもいいことにしか思えなかった。結局、生きる世界が変わったところで彼は帰って来ないのだから。
余程わたしが無気力に見えたのか、皆口々にわたしを褒め称えてきた。その程度のことで、心に空いたこの大きな穴が塞がるとでも思っているのだろうか? 結局、何を言っても何の反応もないわたしに彼らも愛想を尽かしたのだろう、ただの一人も声をかけて来なくなった。
そうして召喚されてから数日が経った、ある日のこと。例の神官長がわたしの部屋にやってきた。
「失礼します勇者様。何度かご説明した通り、最近では魔族による被害が各地で増加しつつあります。どうか、私達に協力してはもらえないだろうか」
……またこれだ。生きる気力すらないわたしに、何日も何日も頭を下げてくる。いい加減鬱陶しくなってきたわたしは彼を一瞥し、溜め息を吐いた。
それだけで彼はビクリと肩を震わせ、それでも彼は頭を下げ続ける。
「私どもに出来ることであれば、何でも致します。ですのでどうか、どうかお考えください……」
このままではいつまで経っても部屋から出ていかないだろう。わたしは諦めて、一つだけ条件を提示した。
「では死者を蘇らせる方法を教えてくれませんか? そんなものがあればですけど」
「……死者を蘇らせる方法、ですか。流石にそれは」
神官長は苦渋の表情を浮かべ、何故わたしがこれ程無気力なのかを察した様子。
「そのような方法はありませんが、百に一つ、いえ万に一つ程度の小さな可能性ではありますが、もしかしたら勇者様の想い人に出会えるかもしれません」
彼は、わたしが想像もしていなかった答えを述べた。わたしは彼の肩を力一杯に掴んで引き寄せる。
「どういうことですか? 詳しく教えてください」
「い、痛たた……。わ、分かりましたから落ち着いてください」
それから神官長が語ったのは、正に雲を掴むような途方もない話だった。
この世界には、ごく稀に異世界人が記憶を持ったまま転生することがあるらしい。そして彼らは勇者にも匹敵する潜在能力を持つため、見つけ次第国で匿うことになっているらしいのだ。
「もしかしたら、勇者様の想い人も転生しているやもしれませぬ」
神官長はそう言うが、どれだけ低い確率なんだろう。
地球では毎年5600万人程が亡くなっているという。その中で偶々あの人が、更に都合良くこの【ノルトハイム王国】に生まれている確率なんて、殆ど零に等しい。
しかし、それでもわたしには一筋の希望の光が差したように思えた。わたしには"世界眼"がある。これを使えば、もしかしたら彼を、有栖君を見つけられるかもしれない。
どれだけ低い確率だろうと関係なかった。もしもう一度彼に会える可能性があるのなら、何だってする。
それからわたしは正式にこの国の勇者として表舞台に立つことになった。




