蔵の中の秘密基地
わたしはその日、蔵にいた。自分の家の、ではない。というか、自分ちに蔵なんて存在しない。一応、幼馴染というくくりになると思われる存在の男の子の家の蔵だ。どうしてこんなまどろっこしい言い方をしなきゃいけないのかって言ったら、わたしとその子、亨ちゃんは確かに幼い頃……幼稚園に上がってちょっとくらいの年齢までは結構一緒に遊んだ事もあったし、小学2年生までは家の近くに住んでいたのだけど、その年齢でわたしが引っ越してしまってからはもう会う事もなかったような存在だったからだ。
それが、中学生の時にまた再開して、なんとなく、だらだら今まで時々こうしておうちに遊びに行ったりする関係が続いている。仲良し、と言ってしまうと怒られるかもしれない。亨ちゃんはよく怒る子で、明らかにわたしの事をばかにしているので。多分、亨ちゃんの家のペットである朔太郎と同じくらいには思われている。……あれ、そういえばこの前わたし、朔太郎の方がわたしよりも賢いって言われた。
今日は案の定の中間テストの結果を持参して、勉強をみてくれた亨ちゃんに謝りに来たのだけど、亨ちゃんはいなかった。チャイムを押したら、玄関に出てきたのは、ご老人の女性。白髪の髪を一つにまとめていて、ぴっしりとお着物を着ている。旧家にぴったりと似合ったその出で立ち! 腰がまがっていたりせずにぴっしりと立っているし。亨ちゃんのおばあちゃんかしら? 初めてお会いした。わたしがしどろもどろで挨拶すると、おばあちゃんはそんなわたしの様子にちょっと笑って亨ちゃんは蔵にいるよ、と教えてくれた。それで、わたしは蔵までのこのことやってきた。
のこのこと、というのは亨ちゃんの言。
「なにのこのこ蔵に入って来てんだよ」
蔵は亨ちゃんの家の大きいお庭の一角にあった。そろそろ刈らなければと、前に来たときに亨ちゃんのお母さんがぶつぶつ言っていた生命力の強い夏の雑草を踏みながら、点々と置かれた庭石を通り過ぎ、石橋が設置されていて、錦鯉の泳いでいるこぶリな池を通り過ぎて、乱立した赤や白やピンクの葵の花を揺らしながら庭の端、サツキの低木をこえて、ようやくそこにたどり着く。姿は遠くからでも見えているのだけれど。
真っ白い漆喰が厚塗りの壁は初夏の強烈すぎる紫外線を浴びて眩しいほどだった。重そうな黒い瓦の屋根がその上にずしいんと乗っかっていて重厚間がある。入り口の他に、高い位置に窓がひとつ。
重そうな分厚い扉に手をかけると、案外簡単に開いた。おばあちゃんは「中にいるから入って呼んでらっしゃい」って笑って言ってたからわたしは気にせず中に入る。
「亨ちゃん、いるう?」
大声で呼んでも返事がない。薄暗い蔵の中で声はまるで吸い込まれるよう。
窓から差し込む光が蔵の中では唯一の光源で、そのお陰で蔵の中の様子がわかる。蔵の中には物が色々あった。ダンボールや木の箱の他に行李や竹編みの箱なんかもある。机や箪笥なんか棚もそのまま置いてある。向こうの壁際に急な階段があって、それが2階へと続いている。スペースの半分は吹き抜けになっているから、下から見上げるとうっすら2階の壁が見える。
見上げたら、差し込む光の道筋を見つけた。その中には埃がきらきら光っていて、キレエだなぁと思って見とれていたら、2階の壁の上からにゅ、と手が出てきた。わあ、と驚いて叫んだらその手がびくっと驚いたようになって、それから亨ちゃんが顔を出した。
ぶはあ、とわたしが一瞬笑ってしまったのは、いつもカッコつけてちょっと長めの前髪がうざったいのか、前髪をゴムで一つにくくってちょんまげにしていたから。わたしのその反応に、亨ちゃんは慌ててそのゴムをとってしまったけれど。輪ゴムだったらしく「いてっ」と言いながら。
わたしが笑ったのが面白くなかったのか不機嫌な顔でわたしを見下ろして先ほどの発言。何のこのこ来てんだって言った。
「だって亨ちゃんいなかったんだもん」
「来るときはメールしろって言ったろ」
「したよー」
かち、と上で携帯を開く小さな音。「うお? 蔵の中って圏外なんだ」独り言のように言って、それから「いつメールした?」
「家出るとき」
「せめて前日にアポとってけって」
どうしても、わたしがイケナイって事にしたいようです、この人。
「まあいいや。今下りてく」
「上に何あるの?」
「ん。なんか色々」
「行っていい?」
「駄目」
即答されたので、上の階への興味が更に湧く。
「なんで。上でなにしてたの?」
「ベンキョ」
「嘘ぉ。あんな暗いところでー」
わたしが階段を上っていこうとしたら、頭上から冷たい声。
「来たら絶交」
「絶交とか!」
わたしはそれで笑ってしまう。けたけたけた。まあ、うん。そこまで嫌がるなら上に行くのはよしましょう。
入り口付近で立って待っていると、亨ちゃんが階段を降りてくるとんとんという音が聞こえてくる。
間近で見たら、前髪に縛っていたクセがついちゃってて、またちょっと笑えた。でも笑ったら傷ついちゃうから、奥歯でかみ殺す。
「つーかよく分かったな。俺が蔵にいるって」
「亨ちゃんのおばあちゃんが教えてくれたよー」
「誰だって? 母?」
「おばあちゃんだってば」
亨ちゃんはわたしを見下ろして、眉間に皺を作った。
「うち、ばあちゃんいねえよ」
「え?」
「父方のばあちゃんは他界してるし、母方は福岡だ」
「え。でもなんか、ご老人がいらっしゃったよ? 玄関から出てきて」
「やっべ。ドロボウかな? どんなんだった?」
「えー、なんかお上品な感じの。着物着た人ぉ」
わたしはなんだか恐くなって、口調にも不安が出てしまう。どうしよう。わたし、ドロボウと遭遇してたのかな?
「そんなご老体だった?」
「結構……」
「泥棒だとしたらかなりアグレッシブだな。そのお年で」
「年の功って言うのも侮れないし」
会話をしながら蔵の扉に手をかけて、亨ちゃんはちょっとおかしいな、って顔をした。もう一度、そのドアを強く引いてみて。それから乱暴にがちゃがちゃとやったかとおもったら、扉をひと蹴り。
ぐわん、ってすごい音がして、その音に驚いてわたしは叫ぶ。
「うっせ」
「今の音反則だよ! ってゆーかどうしたの?」
「なんか、外からカギかけられてるくさい」
「えぇ!?」
「この蔵、外カギだからなあ」
のんびりとした口調だけど、なんとなくそれはフリなんじゃないかという気がした。わたしが恐がるといけないと思って?
優しくされてるかと思ってちょっとほろりときたところに、亨ちゃんは「ホント、なんでのこのこ入ってきたんだお前」と本日2回目の発言をした。
「もっと危機感を持て」
「まさか、閉じ込められるとは思わなかったもんー」
「そこじゃねえ」
じゃあなに? とわたしが首をかしげて見上げると、まあ、それはいい、と一人で目を逸らして、亨ちゃんは考え込むようにする。
「窓から出て外からカギ開けるか……」
「ええ!?」
わたしは驚いて素っ頓狂な声を上げる。
「うっせーってば」
注意されるの、2度目。だけど今はそれどころじゃなくて。
「だって、窓って普通にあんな高くにあるよ」
「2階からなら結構楽に出れるんだよ」
たしかに、そのとおりだけど。外から見たときにどんなに高い場所にあったのか、わたしは覚えている。
「……だれか気づいてくれるの待つ、とかどーでしょう?」
「ヤだ」
何故即答?
「大丈夫大丈夫。外には木もあるしなんとかなるって」
わたしがそれでもなんとか引きとめようと言葉を捜していると、亨ちゃんは手をひらひらと振ってあんまり心のこもらない口調で形だけ説得してみせる。わたしが納得しようがしまいが、やると決めたらやるんだから、なるほど説得に熱意がない。
「わたし、この中に一人っきりとか、やだよー」
「そっちか」
亨ちゃんはちょっと興ざめした顔で半眼になってわたしを軽くはたく。
「大人しく待ってろ」
「はい」
とんとん、と階段を上っていく音を聞きながら、わたしは蔵の床に座り込む。上を見上げると2階から窓に向かって亨ちゃんがまさに手をかけようというところ。真っ黒い影に見える壁の中にぽつんとある小さな窓の向こうには青い空と白い雲が眩しく移っている。
ぐっと手を伸ばして、体が窓枠を乗り越える。さいごの手のひらが消えるまでわたしは見守って、物音に耳をすませる。まさか、落ちたりしないよね?
なんてこと! 蔵は防音性に優れてるのか、まったく外の音は聞こえない。暗い蔵の中で窓から差し込む光の筋と、その先の青空だけ眩しく見つめてわたしはただそこに静止している。まるで自分も蔵の中の物になってしまったよう。机や箪笥や行李やダンボールの中のものと同じように、わたしも「わたし」という置物になって、ここに安置されました。
そのくらい静かで落ち着いていて、何も動かない世界。
がちゃがちゃ、と音がして、わたしは飛び上がる。あ、ドアが開く。亨ちゃんが来てくれた!
嬉しくなって、ドアに駆け寄って、思い切りドアを開くと、そこには玄関に出てきてくれたおばあちゃんが立っていた。
驚いて戸惑うわたしに、おばあちゃんは何か含んだような不思議な笑顔を向けて一言。
「亨さんに、その木の上をよく探すようにと言っておいてくださいな」
「へ? あのぉ」
意味が分からなくて目を白黒させていたら、大きなどさっという音が聞こえてハッと目を開いた。
……そう、目を開いて初めて気づいたけど、わたしったら寝てたのね。なんてこと。こんな場所で。
それより今はそれどころじゃない。さっきした、ドサって音。あれ、まさか、亨ちゃんが落ちた音じゃ!?
わたしは慌てて2階へと続く階段を駆け上がって、窓へと一直線。窓から顔を出して下を覗く。
「亨ちゃん!?」
目の下すぐに、大きな木があって、その枝に掴まっていた亨ちゃんは、驚いた顔でわたしを見上げた。
「お前、2階に上がったら絶交って言わなかった?」
「亨ちゃん、無事なの?」
「はあ?」
「すっごい音したから、落ちちゃったかと思ったー」
「アホか! 木に向かって跳び下りただけだよ」
木、で思い出した。さっきの夢。
「亨ちゃん、その木の上をよく探してみて、だってさ」
「何の話だ」
「……やっぱいいです」
流石に。夢であったおばあさんが言ってたから、だなんて言えなくて……。
わたしが素直に諦めたのに、亨ちゃんはちょっと訝しげな顔をして、身軽に木の枝の一つに立ち上がって、がさがさと周囲を探ってくれる。
「何を探せって?」
「いいってば!」
「一度言いかけたことをやめるなっつーの」
言いつつ、亨ちゃんが周囲の枝をバサバサやっていると、かつんと軽い音がして、 何かが枝から転がり落ちた。
「あ」
とわたしと亨ちゃんが同時に声を上げたのだけど、それはそ知らぬ顔で枝に何度かかん、かんとぶつかって、地面に落ちてしまう。
二人でそれを無言で見送って、それから亨ちゃんはわたしの方を見上げる。
「探してたのってあれ?」
「わかんない」
「わかんない、ってお前……」
と、亨ちゃんが文句を言いかけた時、木の下から声が聞こえた。「そうですよ」
わたしと亨ちゃんは二人してまた下を見下ろす。木の下にはまた、さっきのおばあさん。
「ようやく手に入った」
満足そうに目を細めて笑うと、すう、っと。一瞬にして姿が薄れて。そのまま消えてしまった。
って、えぇ!?
わたしは目をぱちくりして。亨ちゃんも下を向いているけど、きっと同じ顔をしている。
だけど、それは一瞬で、亨ちゃんは急いで葉っぱをがさごそ言わせながら器用に枝を伝って地面に下りて、木の下で周囲をきょろきょろ見渡す。
だけど、そこには誰もいなくて。
別に顔は見えないのだけど、それでも上から見ていて、なんだか不満そうな亨ちゃん。それはともかく。
「亨ちゃーん」
とわたしはその名を呼ぶ。
「ドア、開けてよー」
ああ、と亨ちゃんは思い出したように蔵の表の方に歩いて行く。
わたしは階段を降りようと、後ろを振り向いて、つい、好奇心に負けて「見たら絶交」を探してしまう。
いつも、亨ちゃんの部屋に行っても殺風景なベッドとオーディオ機器と机と、難しい本がたくさん並んだ本棚、しかなくて、殺風景な部屋だなぁ、男の子の部屋ってこんな感じなんだな、って思ってたんだけど。
蔵の二階は、寝そべりやすそうなマットレスと、週間の少年漫画や雑誌と、たくさんの飛行機の写真と、携帯ゲーム機と、 ノートパソコンとヘッドフォン。亨ちゃんの実は好きなものがたくさん所狭しとおかれていて。
あ、ここ、ホントの亨ちゃんの部屋なんだー、と気づいてしまった。亨ちゃんは結構ポーカーフェイスを気取っていて、自分のなかみを人に知られるのが嫌いな感じの人だから。
ここも、見なかったことにしとこう。
わたしは階段をとんとん、と下りて行って、ドアの前で扉が開くのを待つ。
ちょっとすると、鈍い音とともにドアが開いて、ちょっと青い顔の亨ちゃん。
「カギ、かかってなかったんだけど」
……。
まあ、亨ちゃんの家は古い大きい家なので。オバケの一人や二人出てもおかしくないよね。