告白
フェンスにもたれかかり五月晴れの空を眺めている。
また黄金の花びらが降ってきたりしないか、などと思いながら。
世界中を騒がせた『ペトル』から、もう10日以上が経った。
突然、空から黄金の花びらがたくさん降ってくるという異常気象。それが『ペトル』。フランス語で花弁という意味だ。しかも、『ペトル』は直後に人間に超能力めいたものを与えたらしい。空から降ってくる黄金の花びらを見た後、不思議なものが見えるようになった、などという話が世間を騒がせた。
うちの学校でも何人もそんな奴がいたな。もっとも、本人しかわからないんだ。好き放題言えるわけだが。
おっと、そんなことを考えている間にも、すでに俺の下校予定時刻を15分も過ぎてしまった。
よし、帰ろう。やはり、からかわれただけのようだ。
その可能性が高いだろうことは分かっていたが、約束通り屋上に来て待った、という事実が重用だ。一応、証拠写真も撮っておくか。
一目で屋上と分かるよう背景を十分に映り込ませて自撮り。
自撮り写真を確認したらサブサブしさを感じた。放課後の屋上で一人で自撮りって。
ハーディも自分の数学はこの世のいかなる目的にも役立たないという確信がある、と言っていたが、この自撮りもこの世のいかなる目的にも役立つまいよ。
いや、そうでもない。一応、証拠写真だ。
古野見有紗にイチャモンをつけられるかもしれない。考えただけでも、それは面倒だからな。
古野見有紗に放課後、屋上に来いと言われたのは今朝のことだ。
いつものように朝の静かな教室でJMOの過去問を解いてたら声をかけてきたのだ。
「ねえっ、ちょっと、聞いてる?」
けたたましいキンキン声で女子が声をかけてきた。今にも胸倉をつかみそうな気勢。集中しすぎて彼女がいつ教室に入ってきたのかも知らない。
「いや、聞こえなかった。もう一度、最初から言ってくれ」
「はあ? なにそれ」
古野見有紗は剣呑な顔で俺を睨み。それから不安そうな表情に変わった。
「ひょっとして、遠回しに断ってるわけ?」
「いや、聞こえなかった。断るならストレートに断るから大丈夫だ」
「なにが大丈夫よ」
はあ、と芝居がかかった溜息を吐く。
「聞いてなかったとか。どういうことよ」
また噛みついてくる。
「集中してたんだよ。悪かったと思ってる。要件があるなら、申しわけないが、もう一度言ってくれ」
これ以上、挑発しないように誠意っぽいエッセンスを混ぜて言った。
古野見有紗は気が強い。さらに男子にやたら高圧的で攻撃的。
そこがいいという奴もいるが、俺にはただただ面倒くさく感じるだけだ。絡みたくない。例え、学年で一、二を争う美少女と音に聞こえる古野見有紗でも。
「だから……」
言葉を切ると肩までの茶髪をいじる。
「放課後」
続きを待つが中々、その後が出てこない。
「放課後なんだ?」
「なによ、その態度、あんたが聞いてなかったから悪いんじゃない」
いきなりキレた。
沸点低いな。
「そうだな。俺が悪かった。ついでに急き立てるような言い方をして悪かったよ」
売り言葉に買い言葉なんてことをしたら余計な言い争いになる。朝から無駄なエネルギーを消費したくない。
オイラーだって言ってるぞ。我々は無駄な仕事をするために生きてるわけじゃないって。
「なんか、あんたの言い方、すごいテキトー。絶対、悪いって思ってないクセに」
うん、結局、面倒くさいな。もう、無視して、いつものルーチンワークに戻ろう。
朝の誰もいない学校でJMOの過去問を解く。これほど充実する朝はない。
「ちょっと、なに、戻ってんのよ。まだ話の途中じゃない。ねえっ、人の話を最後まで聞かないって、最悪じゃない、人としてさあ」
えーと、Xは3n桁、a₁、a₂、a₃nは1≦ai≦9かつ……。
バンと机が叩かれ、広げていたJMO過去問題集が衝撃で落ちた。
はあ、と、さっきの仕返しで芝居がかかった溜息をつく。それから古野見有紗を見上げる。
夢丘中央北高等学校の制服はグレーのブレザー。右胸にエンブレムあり。襟に結んだ赤いリボン。膝上、何センチだよって短いスカートは赤銅色の地色にチェック。
さすが、学年で1、2を争うというだけあって制服も実に見事に着こなしている。勝気そうなやや目尻の上がった目元。怒っているせいか目力がやたら強くて、ビームでも出てきそうだ。
「なによ、その態度。ムカツク」
「怒ってないで話す気があるなら話すといい。もう謝罪はしたし、これ以上、俺の方でできることはない。話す気がないなら退散した方がいい。俺のような陰キャでボッチで数学オタクな根暗男と一緒にいるところを見られたら困るんじゃないのか?」
古野見有紗とは同じ中学。
3年時は同じクラスだった。その時に声高に言っていた言葉を返しておいてやる。
ぐっ、と古野見有紗が顔を歪ませる。
なんだ覚えてたのか。
それからまた俺を先ほどよりも強い視線で射抜きながら、ようやく要件を言った。というか、要件を吐き捨てて行った。
「放課後、屋上に来て。話があるから」
捨て台詞のようにそんな言葉を残し、古野見有紗は教室から出ていった。
俺は謎のタクスが一つ増えたことを憂いながらも、床に落ちたJMOの過去問を拾った。
まあ、そんなわけで15分間、誰もいない屋上で古野見有紗を待っていたわけだ。
ちなみに高さ5メートルのフェンスが張ってあるおかげで屋上は常時解放されている。うちの学校は体育館も2つあるし、剣道場も柔道場もそれぞれある。よっぽどのことがない限り運動部がここでトレーニングすることもない。
古野見有紗にしてみたら、俺みたいなカースト下位の奴と会ってるところを見られたくないってことだろうが。それなら今朝、要件を済ませれば良かったものを。
しかも、結局、来ないのだから本当にわけがわかららないな。
まあ、この後、来るかもしれないが、いつになるかわからないものを待つ気もない。
出入り口のドアに手をかけようとしたところで自動的に開いた。
おまけに相手が開けると同時に飛び込んできたものだから、ぶつかった。
とっさに、衝撃力を計算しようと数式を思い描き、そこに相手の質量と速度を当てはめる。
うーん、女の体重はわからんな。50キロ前後か?
古野見有紗は尻餅をついてまばたきを繰り返している。走ってきたのだろう顔は上気していて呼吸も荒い。スカートが短いもんだからパンツが丸見えだ。
まあ、それはいいとして、えーと、力積は……。
「最悪。マジでなんなのよ」
俺を睨む。
俺は気にしないで計算にいそしむ。
頭の中で数式に数字を当てはめ、解いく。
あっ、と古野見有紗がスカートを押さえる。
「なにガン見してんのよ。変態」
古野見有紗が立ち上がり、詰め寄ってくるが、あいにく今はそれどころじゃない。
「アホ面してないで、なんとか、言いなさいよ」
歩きながら計算する。
「ちょっと、どこ向いてるのよ。なんなのよ」
よし、エウレカ。
1650Nだな。古野見有紗の体重が48キロと仮定してのものだが。
数学は良い。溶けた瞬間、あらゆる苦悩から解放される。まさに、光に満たされた、だ。
「ねえっ」
ガッと後ろから肩をつかまれる。
「1650Nだった」
振り返って言う。
「はっ? ニュートン? なに?」
「さっきぶつかったときの衝撃だ。そっちの体重を48キロ、スピードを3m/s、接触時間0.05秒と仮定してだけどな」
古野見有紗が大きく目を見開き、それからなにを思ったか胸部をかばうように腕を交差させる。
「な、なんで、私の体重、知ってるのよ」
「ほう。あってたのか」
仮定だったが当たっていたのか。
まあ、それはどうでもいい。あてずっぽうで見つけた回答なんてゴミだしな。
「わ、私、身長160㎝だから」
「そうなのか」
正直、だからなんだとしか。
「平均より、痩せてるから。ぜんぜん」
今度はウエストを押さえて言う。
「そうなのか?」
胸部の発達具合を見る限り、そうとも言えない気もするが。全体が痩せてるから大きく見えるのか?
よくわからないな。
今度、女性の体形と視覚的な効果の関係性を紐解くような数式でも考えてみようか。
「ちょっ、どこ見てんのよ」
「別に変なところは見ていない。ただ、胸部を見てただけだからな」
「きょ、胸じゃない」
「そうだな。じゃあな」
いつまでもこんなところで油を売っているわけにはいかない。
家に帰って、『ProfessorKAZU』の配信をチェックしなくては。今日は木曜日。『ProfessorKAZU』は木曜日の正午に配信するからな。
脇を通り過ぎようとする俺の腕を古野見有紗がつかむ。
「待ちなさいよ。なんなのよっ」
「俺はすでに15分以上待った。15分あれば、JMO予選の前半の問題なら2問は解けた。ああ、別に時間を無駄にしたと責めてるわけじゃない。ただ、一応の義理は果たしたと言いたいだけだ」
俺と古野見有紗の間に果たす義理があるのかどうか知らないがね。
「遅くなったのは悪かったわよ。ホームルームが長引いて。だから、急いで来たんじゃない」
「別に謝罪を求めたわけじゃないが」
ここで強硬に立ち去ろうとすると余計に長引きそうだ。
「用があるなら、できるだけ早く終わらせて欲しい」
「わ、分かったから、睨まないでよ」
「別に睨んでないが」
「そうなの? いつもやる気無さそうな顔してるから」
失礼な女だな。
だいたい、そっちはむやみやたらと睨んでくるのに、ずいぶん不公平な言い草だ。
古野見有紗が目を閉じてスーハースーハーと呼吸を整える。
なんだ、戦闘モードにでも入ろうとしているのか?
「あ、あの、さ。『ペトル』って知ってる」
「知っている」
むしろ、知らない人間が存在するのか、と聞きたい。
なにしろ世界中で同時刻に黄金の花びらが降ってきたんだから。
「じゃあ、『ペトル後遺症』は?」
「『ペトル』直後に、超能力めいた力が発現したというものだろ。割合は現在調査中だが、だいたい1%くらいじゃないかと予想されているが。もっと多いんじゃないかって言われてるようだな」
発現した超能力のほとんどはすぐに消失。ただ、現在も続いてるって人もいるらしい。
「『運命の赤い糸』が見えたって人もいるって」
「ああ、そういう症例もあがってるな」
なんでも人間の小指の先から赤い糸が伸びていて、それが他者につながっているという様が見えたそうだ。荒唐無稽な話だが他の症例もたいがい滑稽なものばかりだからな。
「そ、それで、見えたのよ。私」
古野見有紗が下を向いて言った。
「そうなのか」
そういえば、うちのクラスでも何人かの女子が見えたと騒いでいた気がするが。
「だ、誰にも言ってないけど。ホントよ」
「それで?」
いまいち、趣旨が見えない。だから、どうしたとしか思えない。
「あんたにつながってた」
「なにがだ? 主語が抜けている」
どうも古野見有紗の話は要領を得ないな。
古野見有紗が顔を上げ、キッと俺を睨む。ほらな、すぐ睨むだろう?
「だから、あんたにつながってたの。私の赤い糸が」
「なるほど」
ようやく古野見有紗がこの場を設けた意図が理解できた。
もちろん、数学の解を得たような快感はない。
「そ、それだけ?」
「疑問は多々あるが特に聞きたいとも思わない。じゃあな」
要件は済んだことだし、さっさと帰ろう。腕時計を確認。
今から走れば40分の電車に間に合うだろう。
「待ちなさいよっ」
大声。
「なんだ?」
振り返ると古野見有紗が顔を真っ赤にしてプルプルと震えていた。
「なんだじゃないわよ。私の運命の相手だって言ったのよ」
声も震えていた。見るからに怒っているな。
リアクションが淡泊過ぎたか?
もう少し、詳しく話を聞いた方が良かったのか?
「なるほど、しかないの?」
殺意すらこもってそうな視線だ。
プライドを傷つけたか?
「すまん。怒らせるつもりはなかった。別に軽んじたつもりはない。ただ、なんの検証もされていないような事象だからな。『運命の赤い糸』か。それが世間で言われている通り、生涯の伴侶と結びついたものだとしようか。たった、数日間でどういうロジックで仮説形成した? 論理によって組み立てられていない仮説はただの妄想だ。夢の中でフィールズ賞に選ばれたと言われても、なるほど、としか言えないだろう? それと同じだ」
「つまり、信じてないってわけ。『運命の赤い糸』」
少し視線が緩んだ。
「端的に言えばな」
「私は信じてるわ」
「なるほど」
「だ、だから」
言葉を切って、スーと息を吸う。
「私と付き合いなさい」
予想外だな。
いや、屋上に呼び出された時点で交際を申し込まれる可能性も考えていたが。
なにかのクレーム案件が65%。友人同士の賭けで、のこのこ期待に胸を弾ませて呼び出しに応じた馬鹿を笑いものにする、などの悪ふざけが30%。残り5%がその他で、交際を申し込まれるのは、その5%に内包されていた。
ほかの女子ならもう少しパーセンテージも高いのだが、古野見有紗は俺を見下して馬鹿にしているからな。
「か、勘違いしないでよ。別にあんたのことが好きってわけじゃないんだから」
おや、リアルでこんなツンデレテンプレートを聞く機会があるとは。
なるほど、確かに古野見有紗はツンデレキャラといえるだろうが……。
いや、待てよ。言葉はそうだが、そこに込められた意志は相反するんじゃないか?
むしろ、バイアスはかけず言葉をそのまま受け取るべきか。
確かに古野見有紗としては交際を申し込んだ手前、俺が彼女の好意からによるものだと勘違いされるかも、と恐れるのは当然だ。だから、わざわざ、『運命の赤い糸』の話を先にしたわけだしな。
『運命の赤い糸』の相手が俺なのは非常に遺憾だが、運命には逆らえない、仕方ない、そういうロジックか。
あるいは、言うほど『運命の赤い糸』を信じているわけではないが、一応、試しに付き合ってみてもいいか、という考えかもしれない。
他にも実はドッキリという可能性も捨てきれないが。
「『運命の赤い糸』の相手だから、試しに付き合ってみるかってだけだから」
古野見有紗が解答を言ってくれた。
「ぜんぜんタイプじゃないから」
まあ、そうだろうな。
さて、どう答えるべきか。確実なのは断ると激しい怒りを買うだろうということだ。すでに怒らせているしな。火に油を注ぐことになるだろう。
なにしろ、『運命の赤い糸』の相手だから好きでもないのに格下に交際を申し込んでやったというのに断られる、わけだからな。
プライドの塊である古野見有紗が怒らないわけがない。いや、一過性の怒りではなく恨みにまで発展する可能性はある。
まだ入学1ヵ月足らずで、古野見有紗のようなカースト最上位クラスの女子の恨みを買うのはあまり良くはないだろうな。
中学時代を見るにつけ、彼女が発信力の高い人物であることは間違いない。
高校生活において特に目標も希望も持っていない俺としては、自分のライフワークに支障が出ない程度に平穏な学生生活を送れればいい。
逆にいえば、古野見有紗に敵認識されるとトラブルに見舞われる可能性がある。
かといって、古野見有紗と交際というのも面倒な話だ。
男子高校生として、人並みに性欲もあるし、男女交際を楽しみたいという気持ちもなくはない。ただ、比率で言えば7:3で面倒臭いが勝っている。学校外の時間を拘束される可能性が高いというのが大きすぎるデメリットだ。
そして古野見有紗の性格から察するに拘束される時間が長くなりそうだ。
結論。
交際するが、すぐ別れる。しかも恨みは買わない。
失望されればいいわけだ。それが最適解だろう。
そして、それはさほど難しくはない。むしろ、なにか行動する必要すらないだろう。
もう、しばらくすれば『運命の赤い糸』なんてデマだったという結論が世間で出まわるだろうからな。
俺を強張った顔で睨み続けている古野見有紗に答える。
「分かった。付き合おう」
古野見有紗が、えっ、と驚いた顔をした。それから引きつったような顔で俺を凝視して。
「オッケーなの?」
なんだ? 意味の分からないやつだな。
これは間違えたのか。
むしろ、断っても問題がなかったんじゃないか。
取り消そうと、口を開く前に古野見有紗がクルっと背を向けた。
ズズっ、と鼻をすするような音の後。
「と、当然ね。断るなんてありえないもんね」
調子っぱずれの声で言った。
「じゃ、じゃあ、そういうことだから」
なにがそう言うことだか知らないが、古野見有紗はそのまま走って屋上を出ていった。
花粉症か?




