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滅亡図書館 分類ファイル:都市伝説

光が、強い。

ひと月振りに就く館長の席は綺麗に片付けられていた。古本一つ置いていない。

倒れた当時、俺はインド古典を翻訳している最中だったが、関連書籍が何も置いていないということは、誰かが引き継いでくれたのだろうか。あの10冊に及ぶ分厚いインド古典を。そんな奇特な職員が居たら特別ボーナスをやってもいいんじゃないのだろうか。

「⋯カター・サリット・サーガラは誰かやってくれたのか」

傍らでコーヒーを淹れていたカラシが顔を上げた。

「いえ?結局締切はずっと延期になって、パンダヴァ氏が一人で続けてます」

「え!?締切は!?」

「⋯差し迫った需要はない、と判断されました」

「だったら締切を作るなよ、インド古典は⋯」

「インド文化が熱狂的に好きな層というのは確かに居ますから⋯穴埋めは歌麿主任がしてくれました」

「歌麿主任が?⋯有難いが⋯マハーバーラタの要約版を?」

「いえ、カーマ・スートラの全訳を」

「助平じじいじゃねぇか」

インドの性愛大全⋯的な本だ。確か。ちょっと期待してパラ見したが、性行為の手段を教科書的に淡々と記述しているだけで全然エロくも何ともなく、瞬で意識を持っていかれた。俺はインド古典と相性が悪い。

「⋯今日一日は、引き継ぎだけでいいと思います。病み上がりなんですから無理はしないで下さい」

「そうは言われても」

応急措置として、館長席は最奥から地下5階の個室に変更されていた。俺が居ない間は館長代理を務めたカラシが使っていたというが⋯明るすぎる室内が落ち着かない。蛍光灯の強い光が目に刺さる。

「⋯もう、最奥に戻っても大丈夫なんだろ?俺ここは嫌だ」

「蛍光灯が眩しいなら間接照明持ってきましょうか」

「戻りたい」

「少し我慢できませんか」

「⋯⋯嫌だ。最奥がいい」

そう言って、低い位置から目を覗き込んでやった。

「⋯⋯仕方がありません。少し待ってください。台車を持ってきます」

内心ほくそ笑んだ。⋯俺の幼児化以来、カラシは確実に俺の我儘に弱くなっている。同時に無茶を言い過ぎると叱られるようにもなった。俺は多分、完全に恋愛対象から外れた。⋯知ってた。ずっと前から。



台車に資料を載せてエレベーターに乗り込むと、小柄な人影が飛び込んできた。

「おっ俺も乗ります!」

小柄な少年⋯いや、青年が飛び込んできた。

「あっ⋯館長⋯」

彼は確か⋯ゼイアン。専攻は『都市伝説』、だったか。少年と見紛う程の小柄な童顔の職員だ。彼はおどおどと、しかし少し安心したように薄笑いを浮かべた。

「よ、よかった⋯最奥に行くんスよね⋯」

カラシが優しく微笑みかけた。⋯カラシは小さい者に親切だ。

「ふふ、まだ最奥が怖いんです?」

ゼイアンは長い前髪の間から上目遣いにカラシを見上げて、弱々しく首を竦めた。

「や、すみません⋯なんかダメなんス、あの辺」

「は!また幽霊が出るとでも言うのか?」

何故だろう、今日はゼイアンに妙にイラつく。大きい目をクリクリさせやがって。母性本能を擽って取り入ろうという性根が気に入らない。実はいい歳のくせに。

「⋯だって」

「あ、着いた」

ゼイアンの言葉を打ち切って薄暗い、勝手知ったる俺の古巣にたどり着いた。

「あーあ⋯うまくいかなかった⋯」

カラシがひっそりと呟いた。

「なんだよ」

「修繕したとて、空気の循環がうまくいかない可能性あるから、館長室の場所を変えたかった⋯」

「そんなこと言って最奥を独り占めする気だな?」

「しません⋯危険と分かったら敢えて長居しません、普通」


「か、館長は⋯何故そんなに『最奥』が好きなんですか」


ゼイアンがおずおずと頭を上げた。俺と目が合うと、ふいっと目を逸らした。

「⋯そりゃ、明るさが丁度いいんだよ。滅多に人が降りてこなくて静かだし。⋯そういや君は地上勤務希望だったか」

敢えて一瞥してやった。ビビりで陰気なこの男が何故、明るい接客が必要となる地上勤務を希望するのだろう。誰が見ても適性がない。だから山田もゼイアンの異動希望にGOサインを出さない。

「お、俺は本は好き⋯です。でも何か⋯その、何か⋯ここは⋯」

怖い。そう言ってゼイアンは目を伏せて足早に⋯いや、カラシの後ろに引っ付いてチョコチョコと歩き始めた。

「⋯⋯⋯なんだお前は!用があるならサクサク歩けよ!」

「何でそんな事ばかり言うんですか!」

ゼイアンは遂に悲鳴のような声を出した。

「お、お俺だって好きでこんな最奥まで来た訳じゃないです!⋯先輩に資料持ってこいって言われたから!」

入社して5年近く経つのにまだパシらされてんのかこいつ。その先輩とやらも、こいつの『最奥嫌い』を知っていてわざとパシらせているのだろう。胸糞悪い。

「仕方ねぇな⋯何を取りに来たんだ」

さっさと用事を済ませてゼイアンを上層階に送り返そう。

「これがですね⋯」

ゼイアンが声を潜めて俺の右側に回った。⋯こういう時は他の職員と同じ探求者の顔をする。

「亞書、という謎の本なんス」

「⋯⋯なんだそれは」

「先輩が翻訳中の本に出てくる、怪しい書物っす」

「へ?⋯都市伝説の本に?実在するのかそれは」

深く頷き、ゼイアンは顔を上げた。

「実在はマジらしいんス。実際に解読した人間が少ないだけ」

「へぇ⋯まさに都市伝説だな!」

やばい、俄然興味が湧いてきた。

「それはどんなジャンルになるんだ?」

「ちょ、館長、引き継ぎ⋯」

カラシが何か言っているが今はそんなんやっている場合ではない。

「ジャンルは⋯一応、アートということになってます」

「ヴォイニッチ手稿もジャンルはアートと言えないこともないからな⋯だがアートの棚なら最奥じゃない」

「あー⋯アートの棚にはないんスよ。それどころか記録にも残ってない⋯とか」

「なんだよ、普通に都市伝説じゃねぇか」

「で、でも目撃例がある。それが最奥なんス!」

何故か確信を込めた声で、こいつには珍しく、力強く言い切った。

「亞書はある時期『禁書』と見做されて、最奥の廃棄本エリアに移動されているんです。⋯目撃者の話では、100冊近くの亞書が積み上げられていた、とか」

「そんなに大量に納品されることあるか?」

「それがですね⋯全て違う『亞書』らしいんです」

「亞書はシリーズなのか?」

「はい、多分⋯この亞書、とんでもない高値で取引されているらしいんです」

「へぇ⋯いくらよ」

「6万」

「シリーズ全部で?」

「いえ、一冊で」


一冊6万!?それを100冊!?⋯なんだろうか、胡散臭い気配が漂い始めたぞ。これが都市伝説か。


「―――そこまで価値がある本なんだろうか」

「わかりません」

ゼイアンはあっさりと答えた。

「俺は⋯その本を見た事がないですから」

あくまでも情報は情報。憶測を混ぜない、断言はしない。一丁前に探求者の思考をしている。⋯少しだけ見直した。

「亞書を見たことある職員は数人。よく最奥エリアを出入りする人達です⋯でもカラシさんは知らないというし」

「⋯カラシも?」

カラシは少し考えるように頭をめぐらせて、やがてこくん、と頷いた。⋯可愛い。

「最奥で『亞書』って見た事ありますか?⋯って、ゼイアンに聞かれました。⋯カフェテリアで待ち伏せされて」

「本当に最奥嫌いなんだな」

「館長が亞書を知らないのも今知りました。⋯100冊近くある本を館長が把握してない⋯てことは、重要な本が置いてある場所には多分、ない」



「確かに最奥には『そういう』本を納める部屋がある。その為にこの建物は⋯元は地下8階だったのを2階増やしたらしいな⋯ここ、だったかな」

最奥の更に最奥⋯天窓の光が届かない、最奥の果てだ。『価値なし』と見なされた本が安置されている⋯らしいことは聞いているが、俺はわざわざここに来たことがない。歴代の館長も似たようなものだったのだろう。

「⋯⋯うわ」

思わず、同時に呟いていた。

長年にわたって放置⋯されている感じはない。誰かが手を入れた跡はあった。埃は蓄積されていない。なんなら俺の部屋の方が埃っぽいまである。ただ⋯乱雑。棚にはとっくに入り切らず、床に積み上げられた古書が今にも崩れ落ちそうに畝っている。⋯本の墓場。そんな言葉が頭をよぎった。

「亞書の情報くれた人は、翻訳の必要がない本を片付けるパートタイマーっす。この人達は『外部』で発見された本も販売用に納入することがあるから、元々図書館にあったものかどうかは」

「⋯⋯そうか」

ここに集められた本は『図書館的には』必要ない本だが、まったく需要がないわけではない。かつては先人が残した古書を流通させることは禁止されていたが、最近は『翻訳済』『無価値』『在庫過多』などの条件下においてではあるが、一部の好事家達に売買することが許されている。⋯まあ、そういう本だ。価値なし。欲しい奴が居れば売る。本そのものには大して興味がない俺はもちろん、近寄ることもない。

「待て、ここに亞書とやらがあったら、まずいんじゃないか?翻訳されていないのに売買されてしまう」

「っスね。どっちにせよ確かめないと」

「⋯⋯⋯私も入館直後くらいに、館内見学で来たことあります。でもそんなのあったかな」

「元々図書館内にあったものではないのかも⋯外部から納入されたのか」

ならば書棚の方ではなく新たに床に積み上げられた山に紛れている可能性がある。手近な山を検分し始めると、他の2人も山を取り崩し始めた。一応売り物なのでなるべく丁寧に⋯と言いかけてやめた。キリがない。俺も取り崩しながら探すことにした。



「―――あった」



バサバサバサ、と本の塔が崩れ落ちる音がした。

膨大な本の山を掻き分けながら亞書を探しているうちに随分時間が経っていた。重いもの持ち上げ過ぎて両腕が震えている。まだ肌寒い時期だというのに汗が止まらない。息も切れてきていた。

ゼイアンが崩れ落ちた無価値な本の山に囲まれて立ち尽くしている。

その向こう側、壁に沿った一角にその本の山はあった。黒と灰色のツートンカラーのハードカバー。作り自体は雑ではないが、取り立てて惹かれるものも感じない。⋯これが6万円だと?

「本当に沢山ありますね⋯」

カラシが崩れた本を軽く積み上げながら覗き込んできた。一番上の『亞書』を一冊、パラパラとめくる。


―――なんだ、これは。


「か、館長なら分かります?俺知らない文字です」

「⋯⋯ギリシャ文字だ」

「ギリシャ語!?な、なんて書いてあります!?」

ゼイアンが鬱陶しい程に手元を覗き込んでくる。カラシを押しのける勢いだ。近い近い。鼻息で俺の前髪が揺れる。カラシのも揺れる。

「やめろ、鼻息で前髪を揺らすな」

「す⋯みません、で、でも」

「ギリシャ文字だが⋯ギリシャ語じゃねぇよ」

「ど、ど、どういう!?」

「ギリシャ文字が適当に並べられただけだ。意味は⋯ない。全然ない」

⋯いや、分かってたけど。

こうなる可能性があることは分かっていたけれど。

この無駄な疲労と筋肉痛はどうしてくれる。一気に力が抜けた。もう倒れ込みたい。面倒臭い。

「へぇ!?⋯禁じられた呪詛とか世界の秘密とかじゃなく!?」

「あぁ⋯」

どしゃり、とゼイアンが膝をついた。



「―――またガセかい!!」



天を仰いで目を血走らせて叫んだ。⋯俺も叫びたいがもう気力がない。返上した昼休みを返せ。

「仕方がないでしょう、ゼイアンさんの専攻は、その⋯」

都市伝説、なんですし。と言いたそうにカラシは語尾を濁した。ゼイアンは、ガバッと振り返って血走った目をカラシに向けた。

「それだけじゃない!いっつもそうなんですよあの先輩は!お、俺にばっかりゴミ掴ませて楽しんでいるんだ!」

言い終わるや否や、ゼイアンの携帯端末が鳴り響いた。チッと舌打ちして小型のスクリーンをかざした。通信の発信元が表示されている。ゼイアンはクワッと目を剥いてスクリーンを俺に向けた。『カシマ先輩』と表示されている。

⋯⋯あいつか。やはり。

「ほら、こういうムカつくタイミングで掛けてくる!絶対ゴミって分かってましたよ!」

カメラはオフにしているのが地味に腹が立つ。ゼイアンと同じく『都市伝説』専攻の職員、『カシマ』の甲高い爆笑だけが響き渡った。

『あはははは!⋯ど?見つかった?』

「見つかりましたよ⋯大量に」

歯ぎしりが止まらない口元から絞り出すように、押し殺した声を出す。⋯本当は怒鳴りたいのだろう。

『あはあははは⋯でも面白かったっしょ?あれ何なのか知りたい?』


「おお、知りてぇな」


歯ぎしりで歯が砕けそうになっているゼイアンからスクリーンを取り上げた。

『⋯⋯⋯え?』

「くっだらねぇ事に貴重な時間を使わせやがって⋯許さんぞ、カシマ」

『あわわわわわ』

「なにが『あわわわわ』だ。こっちはてめぇのせいで死ぬほど本の山ひっくり返して腕の震えが止まらねぇんだよ!説明しろ、なんだこれは!!」

『⋯あわわわわ⋯』

情けねぇ震え声でスクリーンの『カシマ』の表示が震えている。感情に連動する嫌なシステムだ。俺はOFFにしている。

「カシマ、今すぐここに降りてこい。いいな!?」

ブツ、と短い音をたてて通信が切られた。

「あいつ、また逃げやがった!!」


―――俺はカシマの姿を見た事がない。


容姿も性別も、正直、実在するのかどうかも怪しい。まさにコイツが都市伝説⋯思わず舌打ちが出た。

「⋯なんでこの職場は俺が一度も顔見た事ない職員が働けるんだ⋯!自由が過ぎるだろ!」

「ノルマさえ達成したら割と自由ですから」

俺らが夢中で散らかした本の山を整理しながらカラシが顔を上げた。⋯なんだかんだで面倒見がいい長女気質のカラシ可愛い。

「図書館に住みついている館長も、割と自由な方です」

ぐうの音も出ない。

「⋯ゼイアンはあいつ、見た事あるのか」

「⋯⋯見た事あるけど」

「あんの!?」

「口外出来ません」

「何故」

「⋯⋯弱みを握られています」

そう言ってゼイアンは赤面して俯いた。やめろ、野郎の赤面気持ち悪い。

「じゃ、カシマに言っておけ。お前が!ここの本を全部片付けろ!でないとお前の通信音声を全部オカマ声に変換するボイスチェンジャーをインストールするからな!と」

カラシを促して俺たちは廃棄本の部屋をあとにした。




「これは想像でしかないんだが」

地上階のカフェテリアは淡い光が差し込んでいる。太陽光は本を劣化させるから、この建造物には窓が少ない。砂利が敷かれた光が差し込みにくい中庭に面した全面ガラスの壁⋯から一番離れた席で俺とカラシ⋯とゼイアンがテーブルを囲んで突っ伏していた。⋯疲れた。もう暫く動けん。まだ両手がガクガクする。明日は筋肉痛だ。

「ギリシャ文字が乱雑に羅列されている6万円の本。これは先人達の『国立国会図書館』から金を騙し取る為のツールだったんじゃないのか」

「⋯⋯⋯何でです?」

気丈に本を片付けていたカラシも、ぐったりとテーブルに体を預けている。ほんの少しだけ俺の方を向いた時、綺麗な黒髪がサラリと動いた。⋯近い。柑橘系のコロンの匂いがする。⋯少し緊張する。

「この図書館には国中の出版物が納入される。その際、その出版物の半額にあたる『納入出版物代償金』が支払われるんだよ」

「あー!3万円の代償金をせしめる為に売価6万の本を出版したってことっスね!」

ゼイアンがガバリと上半身を起こした。⋯意外にもこいつが一番元気だ。

「あ、でも一種類につき一冊分ですよね、いくら高くても結局赤字になりません?売れないっスよ、あんなの」

「何冊刷られているか、という基準は無かったんだろ」

「先人達の図書販売システムに『オンデマンド印刷』というのがあったらしいです」

突っ伏したまま、カラシが肩を揺すった。

「⋯⋯それな」

俺も突っ伏したまま答えた。

「データはあるけど本はない。注文が入ったら製本、というシステムです。在庫は抱えなくていいけど⋯」

「割高には、なるだろうな⋯でも、そう考えると同じシリーズのクソどうでもいい本が100冊近く出版された理由も説明がつくな。一冊3万の代償金をせしめられるとして、全部納入したら300万。制度の隙を突いた巧妙な詐欺⋯という感じかね。いや、巧妙でもないか。こんなの、そのうちバレるだろ」

「⋯⋯⋯くっだらね」

「何を期待してたんだ」

「とんでもない呪詛とか、世界の終わりに関わる知識とか。誰にも知られず廃棄本に埋もれて隠された高価な本なんて、普通そういう禁断の知識が潜んでると⋯思うっしょ。まさかクソ下らない見え透いだ金儲けとか⋯クソが⋯」

正直、俺も少し⋯少しだけ禁断の知識を期待しなかったといえば嘘になる。

「だったら楽しいよなぁ⋯」

「っスよね!?」

「そうだったら楽しいのに⋯と思った先人が沢山居たんだろうな。そういう視点で数多の都市伝説が流布しまくった」

「なんですそれ。暇なんです?」

少し体力を取り戻したカラシが顔を上げて呟いた。⋯同時に俺たちが注文したパフェが届いた。嗅覚が鋭い。

「そりゃ、暇だろ。戦争しなくていいんだから」

「っスよね!お、俺そういうのが好きなんス。亞書もだけど、人面犬も口裂け女も、暇な奴らが思考力を無駄に総動員して考えたんスよ。良くないッスか、そういうの」

そういって口元を不器用に引き攣らせて笑った。

「⋯とはいえ『事実』が混ざってる可能性が、なくもないだろ」

「そう!⋯空想上の生き物と思われていた動物が実在だったり、伝説上の話だと思われた建造物が出土したり、そういうの結構あったみたいですよ!」

「キリンとかトロイの木馬あたりよな⋯知識ってな、役に立たない奴の方が面白いの何でだろうな」

「役に立たないのに流布してるってのは、面白いからッスよ」

「かもな」

不器用に笑うゼイアンは『良い奴』だ。1つの目標を追求し続ける姿勢、興味の方向性、どれをとっても地下勤務に向いている。こいつは何故、ここまで地下⋯というか最奥を嫌うのだろう。この弱点を克服すれば、あるいは。

俺の中で一つの『策』が固まり始めていた。俺が居なくなった後も、カラシを危険に巻き込むことなく、カラシの目標を潰さない、俺に出来る最期⋯にして最悪の策。

「⋯なあ、ゼイアン」

「なんスか?」

「俺の後、館長をやる気はないか」

パフェのクリームを掬いとるカラシの手が止まった。⋯すまん、カラシ。

カラシと同年代のゼイアンを次の館長に推薦する。⋯ゼイアンには酷い事をするが、恐らく⋯カラシが30歳を迎える位で『次期館長選抜』が生じるだろう。⋯すまん、ゼイアン。

「え、嫌っス」

「そうかそうか⋯⋯⋯え?」

クリームの奥にチラリと見えるゼリーの層をほじり取る手を休めることなく、ゼイアンは続けた。

「言ってるじゃないスか。ここの地下は何か怖いんス。館長デスクって最奥のあそこでしょ。あそこで仕事する位なら図書館辞めるっスまじで」

「い、いやいやいや、俺があの場所にしてるだけで、館長は何処で仕事してもいいんだぞ?」

「嫌っス。幹部になるなら副館長一択っしょ。自動的に地上に出られる」

「いや君に地上勤務は向かないだろ!?接客とかあるんだぞ!?⋯こういうのはどうだ、上層階に館長デスクを置くんだ。必要な本は助手に取りに行かせたらいい」

「職員と打ち合わせ、しょっちゅうあるじゃないッスか。あの人達、超マイペースな人たちだから、用があったら地下書庫に探しに行かないと永遠に捕まらないっしょ?」

「ぐぬぬ」

「⋯⋯地下の、何がそんなに嫌なんです?」

上のクリームを全て綺麗に片付けたカラシが、さらりと黒髪を傾けた。⋯ゼイアンの鼻の下が伸びた気がする。

「えぇ~?⋯言っていいのかな」

「聞かれたら困ること、なんです?」

「いやぁ~、俺の妄想⋯の域を出ないんでぇ⋯うぅん、ここ地上だから言っちゃおうかな⋯うん、言っちゃおう」

そう呟いたと思いきや、ゼイアンは俺たちの方にずいと身を乗り出した。そして小さな声で囁いた。

「俺にはそう見えるだけ。俺の幻覚かもしれない。だから気にしないでほしいっスけど」


最奥に居る時の館長は、無数の黒い思念体に囲まれています⋯⋯俺にはそう見えてます。


「⋯⋯はぁ!?思念体!?」

つい大声が出た。

この星の先人は、殆ど『思念体』を残してはいない。この島国でも『怨霊』と呼ばれた特別に強い⋯がようやく一般的な強度に届く程度の思念体が数体、観測出来る程度だ。

「あーあ!ほらほらそういう反応する!分かってた!だから言いたくなかったんだ!」

あぁ地雷踏んだ。こいつ面倒くせぇ。

「悪かったってば⋯つまり君にはそう見え」「興味深いです、もう少し話してください」

俺を押しのけるようにして、カラシが割り込んできた。

「えぇ⋯君そんなのに興味が」「黒い思念体というのは、各地で観測されている思念体とは違うんです?」

カラシの思わぬ食いつきに、ゼイアンが鼻息を荒らげて身を乗り出した。

「全然違います!⋯各地の思念体、例えば平将門や菅原道真は、大抵の人には認知出来るっしょ」

「⋯そう言いますね。私は見に行った事、ないです」

「お、俺見に行きました!なんかこう⋯強烈に恨んでるけどぉ、でも指向性がある恨みなんス。あ、俺恨まれてねぇな、て感じ。俺への関心ゼロで逆に安心する」

「檻の向こうのライオンみたいな」

―――なんだそれ。対岸の火事じゃダメか。

「そうそれ!⋯で、でもこの、地下の思念体は⋯そういうんじゃなくて」

少し口ごもってから、ゼイアンは例の上目遣いでカラシを見上げた。

「―――見るんスよ、こっちを。じっとりと」


ぞくり⋯と悪寒が走った。こいつ、さっき何を言った?無数の黒い思念体が⋯俺を、囲んで!?


「こっち側を、完全に認識してるんス。誰に言っても信じてくれない⋯俺にしか見えてない」

「⋯⋯そいつらは、俺を囲んで何をしているんだ」

「覗き込んでます。それ以外は何もしてない」

「あの⋯その思念体は、館長だけに⋯?」

「いえ。地下勤務の職員は大抵、彼らに囲まれます。⋯お、俺耐えられなくて⋯足を止めなければ、地下で本を開かなければ囲まれる事はないんス!だから俺は絶対地下で仕事しない!カフェ最高!絶対地上勤務をゲットする!」

そう叫んでゼイアンは勢いよくアイス部分を掬いとって咥えた。



「あーあ、振られちゃいましたね館長」

このあとミーティング入ってるんス⋯とエレベーターホールに消えたゼイアンを見送り、カラシがクスクス笑った。自分を差し置いてゼイアンを推そうとした俺に怒ってはいないのだろうか。

「そんな顔しないでください」

軽く首を傾けて、今度は俺を覗き込んで笑った。⋯少し照れたように。

「⋯⋯知ってますから」

何をだ、とは聞き返さなかった。

俺は⋯君を死なせたくなくて、副館長に銃を突きつけ、ゼイアンを犠牲にしようとした。

「どう思う、ゼイアンの言う黒い思念体」

だから話を逸らした。⋯不毛だ。

「⋯知ってますか、ゼイアンさんに関する噂」

また話が逸れた。

「あいつの噂?都市伝説絡みか?」

「そうとも言えるかもしれません。単なる噂ですから」

カラシは声をひそめて椅子を寄せてきた。⋯今日はこういう展開が多い。⋯無駄に緊張する。

「ゼイアンさんは国有児童でしょう。でも『らしく』ない。むしろ異質な感じがします⋯」

ゼイアンは両親とも無く、国に管理されて育った『国有児童』。平均的、というか粒揃いの人材に成長する傾向があるが、ゼイアンは確かに『らしく』ない。陰気だし偏食だし感情の起伏が激しい。優秀ではあるんだが⋯。

「国有児童の中には、母親に預けられたのではなく、国が『製造』した実験体が居るという噂が」

「ほんと、都市伝説だな」

「眉唾なのは確かです」

「で?ゼイアンが国の実験体?」

「ゼイアンさんは、先人のDNAを部分的に移植されている、という」

仰け反りそうになった。

「君なぁ⋯そんなの、それこそ都市伝説ってやつだろう?先人はもう蘇らんよ」

大分昔、先人を復活させる試みがあった。だが尽く失敗したのだ。確か。理由は⋯

「だから国有児童を遺伝子操作して、先人の特性を少ーしだけ復活させてみた⋯とかありません?その結果、微かな思念体を感知する能力を得た⋯とか」

「⋯ない、とは言わないけどよ」

実際、この星の文化は少しおかしい。

様々な民話に「霊魂」と呼ばれる思念体が登場する。それらは時には生者を取り殺し、村を滅ぼし、神として祀られ⋯肉体を持たない筈の思念体が最強過ぎる。なのに俺たちが感知出来るレベルの思念体は僅か。

「尤も、思念体じゃないのかも知れません。ただ、私たちには感知できなくて、ゼイアンさんには感知できる何か⋯特殊な磁場、かもしれないし、思念体にもなれないエネルギー体かも⋯それとも」


私が今、正常な思考が出来てないのかも⋯⋯。


そう呟くとカラシは、空になったグラスを脇に退けると、再び突っ伏した。

「⋯君は、疲れ過ぎるとこうなるんだな」

俺の入院中、館長代理をこなしながら俺の病室に毎日足を運び、ようやく復帰した館長は席を戻せの、怪しい本探せのと我儘放題。⋯俺は酷い奴だ。


「⋯⋯⋯ごめん」


声は多分、届いていない。軽い寝息が聞こえてきた。

思わず、手が伸びていた。⋯そっと髪に触れた。



「クロエ先輩!また空調が壊れました、全職員を地下から避難させて下さい!」



カフェテリアに轟き渡った山田の声に、全身がビクッと引き攣って思わず手を引っ込めた。

「⋯⋯またか」

心臓がバクバク波打つのを抑えて振り向く。カラシも気怠げに頭を上げた。

「⋯⋯おかしいです、やっぱり」

呪いは、終わってませんよ。そう呟いたカラシは完全に覚醒していた。



本日の調査を、終了する。

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