2話
とある雨の夜の、密やかな喧騒に包まれた庭先で、魔王は一人佇んでいました。
天に向かって引いた弓矢のような、鈍色の鋭い尖塔をいくつも持つ魔王城には、衛兵がいません。
侵入者を防ぐ魔法も施されてはおらず、無防備に出歩く城主など襲いたい放題です。
しかし、腐ってもカスチートである魔王を害せる力の持ち主は、三界中を虱潰しに探してもそうそういません。
お陰で魔王の油断は悪化する一方ですが、そんな現実を憂うのは、側近のような立場の魔物だけでした。
「ちょっと貴方、何してるんですか」
「諸々の見回りと庭の手入れを兼ねた散歩に見えない?」
「剪定バサミ片手に大工道具腰から下げてればそれ以外に選択肢はないでしょうけど、そういう意味ではなく」
「実は雷の音で滾っちゃってね」
「寝付けない理由を訊いてるのでもなく! どうしてこの話続いてるんですか。前回で終わりじゃなかったんですか?」
「そんな、エンドマークだってついてないのに」
「突発SSなんていつも中途半端な所で無理矢理終わらせてたじゃないですか!」
「あ、嫌だなー俺、そういうメタ発言嫌いだなー」
「貴方の好悪なんて訊いてません」
執拗にまとわりつこうとする雨を薄い魔力壁で払いながら、側近のような立場の魔物は背中の両翼を不安げに揺らしました。
城内に住まう事を許されているのは、今のところ側近のような立場の魔物だけです。
しかし、側近のような立場の魔物はあまり強くありません。
竜騎士や黒魔道士にだって勝てないと、いざという時は盾にすらなれず吹き飛ばされる脆弱な身であると、自分でもようく分かっておりました。
そのため、
「大体、何なんですかあれは」
「魔動装置おまかせひっきー君βだ」
「そんな一部の人が激しく反応しそうなネーミングの話じゃありません。空中にミイラじみた手と羽ペンだけが浮いてるのはどう考えてもおかしいでしょう!」
「ミイラじみてるんじゃなくて実際ミイラなのに……ってゆーかお前が途中で遮るからエラー吐いたじゃないか」
「7なんて使うから」
「Winじゃないもん! Linuxだもん!」
「だもんとか止めて下さいよ気色の悪い。それに側近のような立場の魔物って何ですか長ったらしい。いっそ側近か魔物Aで良いでしょう」
「えー」
「ついでに云わせて頂くと、貴方が魔王って設定もちゃんちゃら可笑しいですよ。何処の世界にそんな顔した魔王がいますか」
「わー! うわー! だからそういうネタバレ禁止ってゆってるじゃん!」
「ネタバレも何も」
その、そ、その、その……ため、魔、王をアンジru……は、肥後と高まり、魔……を敬愛する本能が、歪んだ会い、愛want you
「そこ! 正常に動作できないのであれば永遠にフリーズしていなさい!」
「ちょっとー!? ひっきー君がこんなにも頑張ってるのにその云い草って非道くない? ベテラン教師っぽく投げるのがチョークとかマキビシじゃなくてファイアアックスってのも非道すぎない? 相手はミイラっ娘なのに……あ、表面焦げただけだから再起動でいけそう」
「頑張った、なんて言葉が免罪符になるのは小学生までですよ。それがたとえ君付けされている女性であろうとも」
「小学生だった経験なんかないくせに」
夕方から振り続いていた雨は、次第に勢いを弱め、夜のベールの向こうへ紛れようとしていました。
両手に純白のバラを抱えた魔王とその側近様は、儚くけぶる夜に目を細め、束の間の静寂を愛くしみます。
「側近様って、言葉としてどうなんでしょう」
「粉砕ついでに燃やされそうになって、お前を怒らすと怖いって学習しちゃったんだな……可哀想に」
「どちらかと云えば束の間の静寂、という表現の方が気になってはいますが」
「そうそう、この未来予知プラス自動伏線機能には苦労したんだよー凄いだろ? な?」
「その情熱がもっと別の方向に働けば大変素晴らしかったろうとは思います。お父上もさぞ」
「止めろ。あいつの話はするな」
「……失礼致しました」
雨を落とし尽くした雲が、低く低く流れていきます。
急速に遠ざかる雨の気配を追うように、魔王の腕の中でバラが震えて透明な雫を零しました。
夜明けまでは、まだいくらか時間があるようでした。