#01 ひきつぎは丁寧に
異世界と聞いたら、その自由度に心惹かれることだろう。
しかし考えてみてほしい。おおよそ無敵のような能力には何がついてくるか。その世界の資源の乱用である。
RPGゲームよろしくレベルアップするには努力と同時に犠牲が必要であるし、物資を得てそれを保管するには保管場所が必要である。そして困ったことに魔法が使われる世界では、魔法の素となる粒子が使われる。
粒子が炎に形を変えればそれは熱エネルギーとなり、粒子には戻らない。それが少量ずつならば問題ないが、規格外の魔法を使う転移者が現れた場合その消費スピードは世界の持つ自己修復能力を超える。
超えればどうなるか。枯渇し、転移者以外の生活にも被害が及ぶのだ。
さあこうして聞くと、恐らく誰しもが思うことだろう。
“管理なんて無理じゃね?”と。
しかし無理は理由にならない。日々そんな無理を可能にすべく、馬車馬のように働く者たちがいる。
ルカはそんな可哀想な馬のうちの一人であった。
<#01 ひきつぎは丁寧に>
ガチャガチャと誰のものとも知れないタイピング音が、薄暗い蛍光灯が照らす灰色の部屋にこだまする。
エアコンによって一定に保たれた温度が妙な息苦しさをもたらす中、薄汚れたカーペットの敷かれた室内では思わず顔をしかめるような光景が広がっていた。
「せんぱぁい…私もう無理です……数字がゲシュタルト崩壊してます……」
「そうか喜べ、まだ処理する書類が残ってるぞ」
「うわこの報告書誰が書いた!?読めないよこれ!」
「それ上下逆です」
まさしく限界の人間たちが集う修羅場。その場にいる者はみな目が虚ろであり、目の下には立派な隈を携えている。
特にその中でもひときわ鋭い眼光を持ち、パソコンの液晶に向かう女が一人。色気なく髪を一本に束ねたその女は、タイピングをする手以外を微動だにさせず、瞬きもろくにしないまま姿勢よく文章を打ち込んでいく。
“——本件について、先月から規定値を超える変動は見られない。引き続き資源量の観察を継続していく。”
「相変わらず機械みたいに動くねぇルカちゃん……」
「ちゃん付けやめてください、ひっぱたきますよ」
「ハラスメント通り越して暴力!」
ひどい!と嘆く上司に、女はため息をつく。
「課長……私今年で28ですよ。ちゃんづけは無いです流石に。」
ブルーライトカット眼鏡の奥。
焦点が微妙に合わないその漆黒の目が、課長と呼ばれた男を蔑むように細められる。
「課長、報告書に押印お願いします」
「ルカちゃん流石ぁ…相変わらず仕事早いね」
「7年目ですから」
「もうそんなに経つっけ 」
時間の流れの速さに圧倒されながらも、課長は疲れ切った顔で印鑑を押す。寒そうな頭をじっと眺めるルカに、押印の終わった書類を返す。
「この部署じゃ一番の古株だもんね」
「不本意ながら」
「新卒ですぐココでしょ?よく辞めないで働いてくれてるよ……」
「……」
この部署に入れる人間は少ない。まずもって転移予備軍と呼ばれる特異体質であることが条件であるし、加えて知力体力共になかなかのスペックが求められる。そしてこの業務量ともなれば離職率も高く……
「本当に、なんで残ってるのか私も不思議です」
「ルカちゃん怖いこと言わないで…辞めないでね…」
「善処します」
——昨今、地球上の文明とは違う進化を遂げたパラレルワールド、通称“異世界”への転移事例が多くなっている。
その方法は実にさまざまであり、寝て起きたら転移していたものから、猫を助けようとしてトラックにはねられたと思ったらいつの間にか転生していた、というものまで。
あらゆるきっかけによってその世界転移は起こっており、世間はその出来事を連日嘆かわしい事としてニュースや井戸端会議の話題にしていた。しかしあまりにも長期的に続くので、人々は次第に『人生において稀に起こる特大イベント』として受け入れ始めていた。
「いま、小学生のなりたい職業ランキングに“勇者”が出るらしいですよ」
「夢があっていいなぁ」
「いいかぁ…?」
職員同士が他愛もない会話を繰り広げながら業務にあたっていると……なにやらルカの隣の席からドタンバタンと音がする。
そちらを見れば顔を青ざめさせている女性。
「先輩助けてください!!」
「……ハァ」
なんだ、と目線で訴えるルカに泣きついたのは、今年入ったばかりの新卒である。小綺麗にまとめていた茶髪はいつしかルカと同じく雑に束ねられるようになり、唇も少し乾燥している。
もちろんルカは新卒の定着率を上げたいので、その新人の事も気にかけているのだが、自分の仕事も山積みであるためため息ぐらいは許して欲しいと思っている。
「あのっこれなんですけど……」
「これ……少し前の案件じゃん。転移者が悪役令嬢になったやつだっけ。」
「そうなんですが……数値が……」
「数値?」
資料をめくると、確かに異常な数値を叩き出しているそれ。特に魔素の粒子量が異様に増えており、ルカはそれに眉を顰める。
「増えてる…?」
「そうなんです!しかもここの転移者、動きが怪しくて…ここ数日追跡が出来てないんです…」
シュンとした顔で報告する新人。もちろん新人がなにかやらかしたわけではないことは明白だ。誰も責められないこの状況に、ルカはこめかみを指でグリグリと押す。
「じゃあ……実働部隊派遣して。この前教えた申請書類使ってもらって…」
「あ……それが、今別件にみなさん出払ってるみたいで…」
「……」
嘘だろ?そんな言葉にならない絶望が顔からにじみ出る。それを察して新人は気まずそうにしているし、その空気はほかの職員にも伝わって顔色が宜しくない。
「……山本って現地行けるっけ」
「い、行けるわけないじゃないですか!」
「知ってる……」
少しの現実逃避。しかし仕事である以上それがどれだけ嫌でも大変でも、やるしかない。
ルカに用意されている返事はYes or はい or 身を粉にして働かせていただきます、だ。
「……課長、私この案件引き継いでいいですか」
「ああ…そうだねルカちゃんしか行けないよね…」
「はい」
「キツイ…キツイなぁいま抜けられるの……」
「私もキツイんですが?」
じと、と半目で課長を見るルカ。重くため息をついた課長は、ほとんど半泣きで書類を制作する。
異世界管理課
転移者予備軍によって構成される、異世界の資源量を調整する部署。
“実地調査出動届
復興庁転移者保護監察局資源管理課
1級管理官
ルカ
異世界番号d-19570701への実地調査を行うことを許可する
21XX年 5月 X日
承認者
課長 ————”
「気をつけて行ってきてね……」
「はい……あ、課長」
「どうしたの?」
「多分長期任務になると思うので、私の仕事代わりに対応お願いします」
「ひょえ…」
転移装置へと続く廊下。
普段は静かなその場所に、咽び泣く課長と複数の職員が数珠繋ぎのように1人の女性職員を引き留めようとする姿が見られたという。
お堅い仕事についているんだな…ぐらいで大丈夫です。
260722 新人の子の名前とルカの言い回しを一部修正しました
260725 文章の構成を大幅に修正、今後の展開との矛盾を修正しました




