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「浅野さん、大丈夫? ちょっと疲れた?」


 その翌日の土曜日、私は喫茶店アンブレラで働いていた。


「そんなことないですよ。まだまだいけます」


 笑顔を作り、マスターの雨守(あまもり)が丁寧にドリップしたブレンドコーヒーを受け取る。三十ほどの席があっという間に埋まってしまい、カウンター奥にはずらりとカップが並べられ、彼がお湯を注ぐのを待っている。

 カウンター席の慣れた常連客には自分で豆を挽いてもらっていたが、テーブル席の方はご新規の団体ばかりで、手が空けば私が挽かなければいけない。落ち着いて、と言い聞かせながらも頭の中では手順がこんがらがってしまう。


「お待たせしました。こちらブレンドが四つになります」


 お盆からカップを移していく。


「すぐケーキもお持ちします」

「あ、私ミルクもう一つちょうだい」

「はい、わかりま……」

「すみませーん。こっち注文いいですか?」

「はい。ちょっとお待ち下さい!」


 声を掛けておいて、まずはミルクを取りに戻る。雨守からは「慌てなくていいから、一つずつ対応していって。僕も手伝うし」と言われ、表情が強張っているのを指摘された。

 一つ息を吐き出してから笑顔を整え、私はテーブルに向かう。

 店の外には(のぞ)き込んでいる数名の姿が見えて、まだ当分足を休められそうになかった。



「本当に前はその長田(おさだ)さんと二人だけでやってたんですか?」


 背中は汗びっしょりで、最後の器を下げ終えた私はカウンター席に座ってしまう。


「年に数度だよ、こんなに大変なのは」

「信じられませんよ。毎週忙しい気がします」

「近所に何か出来たとも聞かないけどねえ」


 私は肩で息をしているのに、雨守は疲れた様子もなく洗い終えたカップを()いている。


「もしかして、みんな浅野さん目当てで来られているのかも知れませんよ」

「え?」


 そんなことは、と本気で考えてから、店を訪れた大半は女性客だったことを思い出す。


「冗談はやめて下さいよ」

「そうでもないですよ。ほら、気持ちのいい店員さんのいるコンビニとかカフェって、何度も行きたくなるものじゃないですか? 浅野さんにはそういう空気を作る不思議さがあると、僕なんかは思うんだけどね」

「そんな風に言って下さるのは雨守さんくらいなものです。今まであまり()められた経験てないんですよ。学生時代もぼうっとしている方でしたし」

「そうかな? ほら、鳥井君とか浅野さんのこと素敵だって言ってましたよ」


 思いも寄らないところで彼の名前を出されて、咄嗟(とっさ)に言葉を失った。


「それに、長田さんの欠員に浅野さんを決めた時に太鼓判(たいこばん)を押してくれたのは、金森君だったし」

「金森さんが?」


 どうして、そんなことを言ったのだろう。そもそも何を言ったのだろう。今は鳥井のことよりもずっと、その名前が気がかりだった。耳に入れたくないのに、聞かずにはいられない。


「ええ。彼ね、浅野さんは周囲に気配りが出来てよく気づくし、何より勘が良いから接客業は向いてるって。もし浅野さんさえ良ければ自分の店も手伝って欲しいくらいだってね」


 金森のやりたいことが、よく分からなかった。それを理解したいとは思わないけれど、彼のやること成すことが否応なく私の生活に侵入してくる。


「私はこの店だけでいっぱいいっぱいですよ」

「あれで結構欲張りだからねえ、金森君。もし本気になったら僕から浅野さん取られちゃうよ」

「そうなんですか?」

「欲しいものは欲しい時に手に入れておきたい性分なんだよ。ま、彼も昔は色々あったから」


 雨守は金森のことをよく知っている口ぶりだった。金森の方も確か世話になったとか言っていたから、きっと簡単な付き合いではないのだろう。ただ彼の名前が出る度に内心がびくついてしまうのは、どうにかしたかった。


「ちょっと倉庫に行ってきます」


 紙ナプキンの補充が切れているのに気づいて私は立ち上がる。カウンターに入り、奥の部屋のドアを開ける。

 仕事用のパソコンや私の脱いだ服なんかが置いてある。

 倉庫は更に奥だった。

 入り口脇のスイッチを押したが明かりが点かない。何度かオンオフを繰り返すと、バチバチという音を立てて電球が割れた。ガラスが飛び散って、私は尻もちをついてしまう。


「大丈夫?」


 小さな悲鳴を聞いたのだろう。雨守が慌てて見に来てくれた。


「え、ええ。何とか」


 細かい破片が靴の上に乗っていたが、特にどこも切ってはいないようだ。ほっとする。


「古くなってたからねえ。頼んで器具を新しくしておいてもらうべきだったね。本当に大丈夫だった?」

「はい」


 立ち上がり、エプロンを手で払う。


「片付けておきますね」

「気をつけてやってね。うちの大事なスタッフなんだから」


 雨守の優しいその一言が、嬉しかった。


「はい。ありがとうございます」




 仕事を終えて店を出る。

 スマートフォンを取り出して何か入っていないか確認すると、そこには金森からのLINE通知があった。


> これから、会えませんか?


 その文言だけなら、すぐ断ったかも知れない。

 けれどスクロールすると、一枚の画像が現れた。

 金森の腕に抱かれた裸の私という、ツーショットの自撮り写真だった。


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