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時刻はもう遅く、空が紫とオレンジの混ざった色に染まりつつありました。
カルドの街の中央、大きな馬車道を通って、ゆっくりと私達は街境の門に近づいていました。今までは街と街の間に門など無かったのですが、ベルラに入る入り口からは長い長い白い塀がどこまでも続いていて、まるで街をぐるりと囲んで隠し守っているかのようでした。城壁、の立派なヤツみたいな。小さい頃に一度王都を訪れた際、大きいなあと思った城壁よりずっと大きく感じます。私も成長して大きくなっているはずなのに、大きく感じるのは、それだけ大きさに差があるということなのでしょう。
その真っ白な壁はどこか異様とも言えるような雰囲気で、ああ、この街は他とは違うんだな、普通じゃないんだな、と私は感覚で理解できた気がしました。
アシュレイ様のような「イレギュラー」な存在の関わるエインズワース家領地、ベルラ。やはり入るに際しては「異界である」くらいの覚悟を持って挑むべきでしょう。馬車が空を飛んだり動物が喋ったり、果ては人間が体から破壊光線を出したりしていても決して驚かないよう、覚悟を決めなければ。
「あの門を抜けたら、もう、すぐにベルラなんですよね」
「そうだ。ああ、あんな風に囲んではあるが王都と違って通行許可証とかは必要ない。ただ門番が居て、危険人物らしき人間の身元確認をする程度だ」
程度だ、とは言いますけど今までの街にそんなことをする街はありませんでした。身元確認って言われると住んでる街や職業や名前、目的なんかを聞くわけですよね?事前に申し込むか申し込まないかだけで、通行許可証と大差ないのでは?
「危険人物っていうのはどうやって判断するんですか?」
「麻薬をやってるやつは目つきが違うので、慣れている門番はその様子のおかしさで大体の見当がつく。勿論、元々の様子がおかしくて薬をやってない場合もあるが。あとは、あまりにも金持ちそうな人間とかも」
挙動不審な人っていますもんね。私の故郷なんかは治安も良かったしそもそもが田舎過ぎたので麻薬騒ぎなんかは聞いたことがありませんでした。麻薬って、実際のところどのくらい危険なんでしょう。見当もつかないなあ、幻覚が見えるだとかは聞いたことあるけど。
「麻薬中毒者は見分けがつくんですか?」
「つく場合もあるが、基本は犬だ。薬を所持してないか、鼻がきく犬に検査させる。持っていたらアウト、持ち込み禁止だから門は通さない。でも結構緩いんだぞ?本人が薬をやってるだけで、ベルラに持ち込もうとしてなきゃ関与しないしな」
い、犬。聞いたことはあるんですけど、見たことないです。確か、アートの家にも一匹飼っているとか言ってましたよね。ちょっと楽しみかも。
「他のところではそんな検査ないのに、アートの街は変わってますね」
私が聞くと、アートは小さく頷きました。それから城壁の方を見て、話を続けます。
「だが、そのおかげで私の知る限り、どこより治安が良い。王都よりもだ。本来はどの街にもあると良いんだが……重要なのはな、ロイス。ここで警備をしているぞ、規則に厳しいぞ、と警備の存在で威圧する事にあるんだ。実際、検査しても100パーセント犯罪者をシャットアウトすることはできないしな。そこは仕方ない。
しかし街境の全てにこんな城壁があれば、敵もわざわざ狙ってここを攻めて来ようと思わないだろう?実際、警備兵の駐屯場が多ければ犯罪者は近寄ってこないものだし、治安は良くなるものだ」
「まあ、そうですね。警備兵用の宿舎の近くでわざわざ犯罪を行う人もあまりいませんし……それにしても、あんなデカい城壁をどうやって作ったんですか?20メートルはありそうだし……崩れてきたら怖いな……」
私やアートなら死にはしないでしょうけど、他のみんなはお陀仏する可能性大です。それに、仮に私やアートが助けてみんなが助かったとしても、まあ無傷とはいかないでしょう。岩ってどうやって持ち上げるのかな。いや、岩っていうか、レンガ?素材も良く分かりませんが、とにかく大きくて重そう。流石に私でも持ち上げることは出来なさそうです。あ、壊そうと思えば壊せるかもしれませんけど。
「余程の地震が起きなければ崩れないくらい、物凄く頑丈に作ってあるぞ。製作にはおよそ120年かかったと言われている。私が生まれる前にはもうできていたが、11代目当主アシュレイ様の代からの計画だったらしい。建築技術もすごいから、他国からわざわざこの城壁を見に来る者までいるんだぞ」
「120年ん?!」
アシュレイ様じゃなきゃ余裕で寿命を迎えてしまってます。でも、120年の間、アシュレイ様はきっと工事の進むのをどこかでずっと見守ってたんでしょうね。そんなにもこの街を守って、責任感なのか、自分の陣地を守りたいからなのか、どちらにせよ壮大な計画を立てるものです。スケールが違いすぎて同じ人間とは思えません。
「端の端、街中を囲むにはそれくらいかかるんだ。早いくらいなんだぞ?コンクリートの材料も無尽蔵なわけじゃないから、輸入だってしたようだ。」
「こんくりーと?でもなんか、つるつるしてて白くって綺麗だなあ、キチッと表面も平らで、不審者が登ろうとしても出来なそうで、とても人間が作ったと思えませんよ。神様の箱庭ってかんじで。工事も大変そう……」
「そうだな。コンクリートの上から白いペンキだって塗らなきゃいけないし、材料集めはそれはもう大変だっただろう。今でも塗り替え補修工事には結構金がかかっている。妨害も入り、人も多く死んだらしい。120年の間に200人ほど。あ、もちろん妨害しようとしてきた側が死んだだけだが」
「ひえっ余計な情報を。いっぱい死んでるじゃないですか……」
敵が死んだか味方が死んだか、という問題より全体としてこの門はその命の上に存在しているという事実が血なまぐさいのです。そんなに死んだなら一杯邪魔しに来たんでしょうに、工事は中断しなかったんですよね。すごい行動力。アシュレイ様も、実はしれっと殺人くらい経験しているのかも。というか一応私は女の子なんですし、建造物を建てるために何人死んだとか残酷なこの世の真実を教えてこないでください。そんなだとモテませんよ。
「そんなことない。むしろこれだけの建造物を建てるのに200人の犠牲は少ない方なんだぞ。昔、王都の西に大きなダムを作った時なんかはもっと死んだらしいし。まあ、それは工事の事故のせいで死んだ人間も多いが。今もたまに人が落ちて死ぬし」
「だむ?あの、そういう問題ではなくて私はただこの城壁を見て〝スゲー!!最高に珍しいぜ!〟と楽しい気分だったのに突如として死んだ人数を申告されて、気が引けてるんですよ」
「なるほど。楽しいデート中に話すようなことでもなかったな、飴でも舐めるか?」
アートは納得したようで、すぐに話題を変えることにしたようです。理解の早い男、でも最初から言わないでください。そういう話は真面目な雰囲気の時にしていただきたい。日常会話ではないと思います。
「飴ですか。子どもの時に一回だけ食べたことがあります。ちなみに何味ですか?」
「人生で一回だけ?!貧民か!!」
ツッコまれてしまいました。うーん、納得いかないけど確かに他の家の子どもはみんな日常的に食べているようでしたからね。昔、通りがかりのお爺さんに貰って食べたことがあったんですが、今にしてみると知らない人に貰った食べ物を簡単に口にしちゃいけませんよね。美味しかったので、ちょっと覚えてたんですが。かなり小さい頃だったなあ。シャーロットは良く食べてましたけど、くれってねだるほど欲しくもなかったし。
「貧民っていうか虐待児でしょうか?」
「そんな言葉どこで覚えたんだ、今すぐ忘れろ。この飴はオレンジ味だが、他にもリンゴ味、ぶどう味、ミルク味などがあるぞ。あとイチゴ味もあるな。私のお勧めはオレンジなんだが、どれにする?」
アートはそう言いながら、どこからか取り出した小袋からザバッとかわいい小さな紙包みをたくさん取り出しました。紙の色も色々あって、見ているだけで楽しい感じ。でも、なんでも持ち歩いてるんですか?もう人が何人死んだとかどうでも良くなってきちゃいましたよ。
「じゃあオレンジ味を」
「口を開けろ」
「えぇ?……はい」
私が渋々口を開くと、アートはオレンジの飴の包み紙を開けて、どうやって作ったんだろう?というくらいまん丸な綺麗な飴を私の口に入れてきました。口の中でコロコロ転がすと、おいしい不思議な味が口の中に広がります。でも、食べちゃうのがもったいないなあ。
「飴って、なにでてきてるんですか?甘くて、酸っぱくて、溶けるし」
おいしい、こんなにおいしかったっけ?常に口に入れてたいなあ。正直、たまりません。
「飴は、そりゃあ砂糖だろう。知らないのか?」
アートが驚いたような顔で言いました。あーあ、また常識知らずをひけらかしてしまいましたか。でも、砂糖で出来てたんですね。まあ飴が砂糖で出来ているのが一般常識だったとして、私には関係なかったので仕方ない気もしますが。
「知りませんでした。ふーん、砂糖なら私でも作れるかなあ……」
「作れるだろうけど、味をつけるのはなかなか難しいだろうな。べっこう飴ならできるかも」
「べっこう飴?なんですかそれは」
「味をつけずに砂糖を練っただけの、簡単にできる薄茶色の飴だ。透明で綺麗だぞ。作った後に鍋にこびりつくのが面倒だが、そういう時は水を入れて沸騰させたら溶ける」
「作ったことあるんですか?」
「あるぞ。作り方を知ったらやってみたくなって、やったことがある。不器用なのでうまくできなかったが」
公爵家の息子って勝手にキッチンに入って作業しても怒られないものなんでしょうか?火傷とかしたら危ないし。でも、アートの家って特殊なので、オーケーだったんでしょうね。
「アートにも苦手なことがあるんですね」
「もちろんだ。たくさんあるぞ。特に、エインズワース家の血を引いた人間はとにかく芸術的なセンスがない。母や祖母はまだしも、直系は皆アウトだ。自覚はないんだけれども、絵心が無いっていうのかな……勉強でも武術でもなんでも出来るが、美術はダメだ」
「アートなのに」
芸術苦手なのにアート、なんだか珍妙です。
「以前、美術の教師には頑張って描いたカワイイ猫の絵を“おぞましい化け物の絵だ。寒気がするから今すぐに焼き捨てろ”などと人前でボロクソに貶されたことがある。あれは恥をかいたなあ」
むちゃくちゃ言いますね、その教師も。そんな人のいる学校に入らずに済んで、私はある意味ラッキーだったかも。
「それは本当にボロクソに貶されてますね。公爵家の息子にそんなこと言うなんて、貴族学校の教師って恐ろしいなあ。そのうち生徒の親とかに暗殺されそう」
「芸術家はある程度傲慢でも許される空気があるからな。自分に酔ってるんだ、ろくでもない。なんで許されてるんだろうな?髭とか生えてるから当時は皆、大人だ、と怖がっていたのかも。まあそんなことで暗殺は流石にな。帰りにその教師のロッカーに、中庭で捕まえたガマガエルを入れておいたが。」
「陰湿か!!」
アートがそんな田舎の悪ガキみたいな幼稚な嫌がらせを行っている様子は、想像も出来ません。でも、意外と怒らせたら怖いタイプなのかも?まあ殺してないだけいいですけど……
「そもそも公爵になるのに芸術的センスなんて必要ないのに、そんなことで人前で恥をかくのは納得いかないのだ。絵なんて金に困ってる職人が描けばいいんだ、今は職業としての絵師も、それで生活できる程度には仕事があるし。むしろ金持ちが軽い気持ちとか道楽で、そういった平民画家の仕事の機会を奪うべきではないのだ」
まっとうな事言ってますけど、教師のロッカーに蛙を入れて良い理由にはならないと思いますよ。子どもじゃないんですから……って、昔はアートも子どもか。
「まあ、確かに描きたくもないのに描く必要はないですよね。領主は絵描きではありませんから」
「だからそう言ってやったんだ。私には美術センスは不必要なので、絵が描ける必要性が分からない。それに芸術に正解などないのに、お前の裁量で私の作品を批判することは正しくない、よって描きなおす気はないと。それなのに私にだけ追加課題なんか出しやがって、だからガマガエルを入れてやったのだ」
そんなことをした後に嫌がらせしたら犯人がバレバレなのでは?とも思うのですが、まあ仕方ないですよね。でもちょっとカワイイので、深く考えないことにしておきます。
「アートにそんなアホっぽいエピソードがあったとは、親近感沸きますね」
「そうか?お、門に着くぞ」
「よ、ようやく」
話をしているうちに、門を通ろうとする馬車の、先頭から三番目になっていました。もう少しで、ようやくアートの領地に到着です。怖いような、楽しみなような複雑な気持ちになりながら、私は口の中の飴玉を転がすのでした。
次回、ようやくアートの家族にご対面の巻




