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街を出て出発したとは言っても大きな街なので、どれだけ進んでも中々次の街との境目、目的の森は見えてきませんでした。ここはまだ全然ハインの中なのです。あまり街の中心地の栄えた場所から離れると危ないとアートが言うので、私たちは建物が並ぶ道沿いに移動していきます。森どころか、まだ街も途切れません。領地全体だけじゃなく、人家や店のある範囲の土地も結構大きいんですよね。
私の故郷のタカムなんかは、人家や店の数が領地の全体のうちのほんの少し。あとはほとんど畑でした。野菜とかを育てて売って暮らしてるような田舎ですからね。こんな「オシャレですけどなにか?」みたいな街と比べたって仕方ありませんよね。
「アーチボルト様。かなり進みましたし、今日はここら辺の宿屋に泊まりましょう。宿屋がなかったらここでまたテント張って野宿ですが……」
「そうだな。暗くなってきたし」
馬を止めたルドガーさんの言葉に、アートが頷きます。たしかに暗くなってきましたからね。でも、これだけ移動してもまだ民家が建ってるなんて。想像もつかないほど大きい街ですよね、ほんと。ここが地図で見たときにどこらへんなのかもよく分かりませんし。
「私、馬小屋の空きとかがないか探してきますね」
馬車を動かす方法も分からない、道もよく分からないで頼りきりの私はなんの役にも立てませんから、せめてそのくらいはすべきでしょう。そもそも、私のせいでこんな遠方まで旅する羽目になってるわけですし。でも、遠くても近くても勝手に私についてくる予定だったのなら結局は同じことなのかも?私のせいじゃないかも?
「待て。私も行こう」
私の言葉に、アートも馬車から立ち上がりました。レオンさんは数時間前に突如泣き出してから、すっかり大人しくなっています。なんというか少し恥ずかしそうというか。なにか言葉に出せないような、つらいことでもあったんでしょうか。王族の方ですから、大変な人生を送ってきたのかもしれませんし。
うーん、王侯貴族の心の闇は深いです。私なんかの抱える家庭環境なんて馬鹿馬鹿しくなってきますね。まあ、レオンさんの過去について詳しくは知らないんですけど。私の家庭も一般的に見てどの程度酷いのかよく分かりませんし。よくあることなのかもしれません。
ちなみにレオンさんが黙りこくっていても、それについてアートが何か言うことはありませんでした。喧嘩はよくしてますけど、基本的にアートはデリカシーのある人ですからね。なにかあったんだろうと察して深く質問しない。そういった気遣いを自然にできるのがこの人の良いところの1つなのです。
「アートが行くなら私は必要ないんじゃ……」
馬小屋のありそうな場所とか、きっとアートのほうが詳しいですもんね。私は馬なんか連れ歩いたことはないので、泊められそうなところも思い当たりませんし。探すことは探すつもりでしたが、アートが行くなら、歩くスピードなども考慮するとアート1人の方が早く事が済むのではないでしょうか?しかし、私の言葉にアートは冷静な表情でこう言いました。
「私〝も〟と言ったんだが」
「は、そうですか、じゃ、じゃあ行きましょうか」
なるほど、なんというかデート的な、2人で一緒に居たいんだけど!的なニュアンスだったようです。すみません、なんだか私だけ察しが悪くて。こういうの慣れてないんですよね、あ、でもアートも別に慣れてないんでしたっけ。恋愛経験無しなんですもんね。
「アニスには馬小屋付きの宿屋が多かったですけど、ここら辺は店より民家の方が多そうですね……」
「まあ、所詮町はずれのようなものだしな。でも1軒くらいは……あ!あそこ、宿屋の看板があるぞ」
「暗いですけど、あれは多分、正規の店の証明用看板ですよね?マークもきっちり書いてありますし。ちゃんとした店っぽいです」
「そのようだな。ついでに馬を繋いでおく場所もある。一階は居酒屋のようだから、食事もできそうだな」
「大きめの建物だから、部屋もきっと空いてますね!」
なんという都合のいい展開。アニスの方がいいとか言って失礼しました、いい街です、実にありがたい。正直私は別に野宿でも構わないんですが、公爵様に野宿させるのが本当に嫌なんですよね。どのくらい嫌かというと、歩いてる時に牛の糞を踏んだ時くらい嫌なんです。
私とアートはそのままルドガーさん達のところへ戻ると、荷馬車ごと誘導して宿屋の裏に回りました。ここら辺は民家や店の間が離れているので、移動も楽です。ルドガーさんはなんだかホッとしたような顔をしていたので、多分疲れていたんでしょう。やっぱりちゃんとしたベッドで休みたいですよね。特にルドガーさんはほとんど一日中、荷馬車を動かしてくれていましたし。
荷馬車から貴重品や荷物を持ち出すと、毛布などは奥にまとめてから荷馬車の中の支柱に縛り付けました。まあ、毛布なんか盗まれないとは思うんですが。荷馬車自体の皮の幕をしっかり下ろして下で縛って、完全封鎖です。加えてアートが、車輪に鍵付きの、輪止めのような装置をあてがいました。動かせないように、ですね。なんと防犯意識の高いことか。見習わなくてはいけませんね。
「レオンさん大丈夫ですか?顔色は良くなりましたね」
「ああ。なんか、少し寝たらすっきりした。心も」
「こ、心もですか。それは良いことですね」
「部屋は一人一部屋で良いな?もし空いていなかったら、私とルドガーが2人部屋にするか、男3人部屋だ。」
「なんかすみません…」
「まあ空いてるだろうから心配するな」
4人でぞろぞろ宿屋に入ると、一階の居酒屋はそこそこ繁盛してざわついていました。みんな目が死んでるように見えますけど、きっと気のせいですよね。金属工芸で発展してる広い街の筈ですし。疲れてらっしゃるんでしょう。
「部屋は空いてますか?」
私が宿屋受付のおばさんに尋ねると、おばさんは無愛想に言いました。
「一部屋にベッド一個。一泊120ヴァル。朝食50ヴァル。」
「で、では4部屋お願いします」
安い店はサービスが良くないことが多い、これは世の常なのです。でも、今は室内に泊まれればとりあえずそれでいいので、いちいち文句は言いますまい。おばさんが無言で4つの鍵を渡してきたので、私はお礼を言って財布を取り出しました。
「後払い」
「あっそっそうなんですか!すみません」
自分が何に対して謝罪したのかよく分かりませんでしたが、私は財布をしまいました。そして、適当に鍵をそれぞれに渡します。私たちが縦一列に並んで狭い階段を階段を上がると、ずらーっとドアがたくさん、それはもうたくさん並んでいました。部屋の一つ一つには番号が振ってあったので、並んでいる部屋の中から自分の鍵番号の部屋を探して入ります。
なんで安かったのかは、まあ入る前から察してはいましたがすぐに分かりました。ドアとドアの間には間隔が10センチほどしかなかったですから。縦に細い部屋には、ドアを開けたらベッドと机だけがドーンと置いてあったのです。本当に寝るだけの部屋というか、もはや、荷物を置くスペースすらギリギリの狭さです。私はまあ寝られればいいんですが。このサイズだと体の大きいアートたちにとってはかなり狭いんじゃないでしょうか。2人一部屋なんて、物理的に不可能なほどの小ささの部屋です。
荷物を置いてため息をつくと、すぐに扉がノックされました。
「はあーい」
頑張ってドアの前に体をねじ込み、ゆっくりと避けるようにしながらドアを開けました。こんなに狭いのに内開きのドアにしてあるところが更に狂気じみています。ちなみに、ドアの前に立っていたのはアートでした。
「下で夕食をとろう。それにしても狭い部屋だったな。どこかぶつけて怪我とかしてないか?」
「私は大丈夫ですけど、アートこそ」
「ああ。頭を打った……でも、狭い部屋すぎて逆に新鮮で面白い気もしてくるんだよな。」
「そうかなあ……」
面白くないです、ひたすら狭いです。閉所恐怖症にでもなってしまいそうです。一応ルドガーさんとレオンさんの部屋の扉もノックしたのですが、ルドガーさんは「私は後で一人で食べます」と言い、レオンさんは「今日は疲れたからもう寝る」とのことでした。ルドガーさんは多分アートに気を遣っているのでしょうが、レオンさんのことはなんだか心配です。でも、そんなこんなで今日の夕食は私とアートの二人で食べることになったのでした。
また狭い階段を、アートを前にして並んで降りていくと、なんだか居酒屋のほうで騒ぎ声が聞こえてきます。まあ、居酒屋というかレストランなのかもしれませんが。時刻は8時、もう子供は居ない時間なので実質居酒屋なのです。来たときはここまでは騒がしくなかったのですが。
「だから、アタシは客を選ぶって言ってんのよ!!金なんか困っちゃいないんだから。大体、今はプライベートなの!」
女性口調ですが、なんだか妙に野太い声です。凛々しい美声です。言葉の内容からして、なんだか争いごとのようですが。
「ロイス。なにか嫌な予感がするから戻ろう」
「ええ?他人が言い争ってるのなんて関係ないですよ、さっさと食べてさっさと戻ればいいでしょう」
「そういう問題じゃなくてだな……」
「まあまあまあまあ」
私は野次馬根性も働いて、アートの背中を軽く押して階段の下に降りました。
そして争いの声の方を見ると、ええ、お店の中央あたりに居ましたとも。まさに、これから私たちと深く関わり合いになることとなる人物が。身長は優に2メートルはあるんじゃないかというほどに大きく、髪の毛は右半分が緑色、左半分が紫色。多分、染料かなんかで染めているんでしょうね。男物のブラウスとズボンの上から、ひらひらした布がたくさんついた服装。完全に男性の服装というよりは、女性の服と男性の服の中間あたりのような。混ざっているというか。
そんな一風変わってはいながらも、凝った装飾の見事な上着には、細かな刺繍が見事に縫い付けられています。そんなような見たこともないような奇抜な格好をした女言葉の男性。彼の前には、机を挟んで背の高い女性が向かい合っていました。
「金は相場の3倍出せるわ。なんの不満があるっていうのかしら?」
「アンタにアタシを動かすほどの魅力がないってだけの話よ」
「なんですって?!」
私とアートが眺めているうち、争いはヒートアップしてきた様子でした。
「観戦しながら食事にしましょうか。私はトマトのパスタにしようかな」
「ロイスは意外と豪胆だよな」
「田舎者なんで、なんでも珍しく見えるだけですよ」
私はまさか、自分がこの争いに巻き込まれるなんて露程も疑ってはいなかったのです。




