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私の個人としての価値観から言うと、ハインという街は決していい街ではない。
買い出しと理由をつけてロイスと二人きり、街を歩けば人々が幸せそうに暮らしているのが見てとれる。ロイスはきっと、この街を綺麗で豊かな街であると思っているだろう。いや、この街をただ見ただけの人は皆きっとそう感じる。
街の中にはあらゆるところに、凝った細工の、金属加工の美しいランタンがぶら下げてある。これは、どこの国の文化が影響したものなのだろう。普通の、どこにでもあるような生活に使われるランタンではない。そもそもランタンという言葉はドイツが由来なわけだが、この、緻密な植物模様のような細工はどちらかといえば中国とか、アジアのものに近い気がする。
色ガラスまでつけて、そう、こんなものは単価が高い。よほどの祝い事でなければ一般人は当然買わない。つまりこのランタンは、金持ち向けの事業なわけだ。ハインは非常に大きい街で、地図の中の大きさで比べると「北海道」くらいはある。馬で横断するのはかなり一苦労と言っていい。
そんな街の、一番大きな店の集まりがここだ。一か所に店が密集していて、他は全くの虚無。
ランタンで金持ち相手への商売が安定して確立したからもう他の事業はしなくていいし、貧乏人はランタン売りのために働け、と。そういったスタンスだ。この街ではランタンを売るための仲介業者が存在しており、その業者にランタンを委託することで、金と大量の食料や物資が手に入る。
それだけこの細かな細工のランタンに価値があると貴族や王族が認めているということなのだ。それはいい。別にそういったスタンスだろうが成り立っていれば問題はないのかもしれない。
「アート、あそこにいる子供は妙に痩せて汚れた服を着ているようですが」
「……そのようだな。でもここら辺では気にしているとキリがない。あまり気にするな」
「そうなんですか」
ロイスは不思議そうな顔でそう返してきた。だが深くは追求してこない。私が、なにか言いにくいことを考えているのだと察したのだろうか。
ハインでは職にありつけなかったものは皆、見捨てられて淘汰される。一定数の恵まれた人々は、自分の豊かな暮らしを決して他者に譲りたがらない。自分のものは自分のもの、施してやる義理はないと。だから職を失った大人たちは人の住む場所を離れて、広い郊外へとさまよい歩く。しかしハインの街の中心以外は全て、何もない平野か山や森。行き倒れて死ぬものや、仕方なく植物をそのまま食べて中毒死する者もいる。その子供もそうして死ぬか、ここらをうろついて食べ物を探すかしている。
光の街。
この街はそう呼ばれているが、本当にそうだろうか?
子供が腹をすかせてうろついているのに、大人たちは見向きもしない。汚いものを見るような目で、不幸な者たちを追いやる。生まれながらにして、生きていけるものとそうでないものが確定している。新しいものを求めない、のし上がるチャンスのない世界だ。
ランタンを作る職人、それを売る商人、仲介業者、それらから税金を得る領主やその部下たち。それらだけが利益を得る。ランタンを作る技術は、職人の家系の者以外には決して伝えない。他に持っていかれて各地で作れるようになったら利益が減るからだ。
なにもかも、自分たちの利益のためだけ。
暖かい光に包まれた、冷たくておぞましい街。
同じこの国の領地を治めるものとして、決してこんな街を作ってはならない、自分の街は守らねばと思う。当然こういった街も全て変えられればいいのだが、王でもない限りそんな権限はない。
まあ、そんな権限を作るのは独裁政治のはじまりになりかねないから、なくて正解なのかもしれないが。
「綺麗な街ですね。でも、アニスの方が好きかな」
「というと?」
「アニスみたいに、楽しい感じがしないんですよね。なんていうのかな、みんな笑顔じゃないっていうか。」
「わかるか?」
「ええ。アートだって楽しくなさそうですし」
「……」
ルドガーと合流してから色々あったし、完全に二人きりで話せる機会は少ないというのに。私は、この街への嫌悪感のせいでロイスと一緒にいる幸せを忘れてしまっていたようだ。
「私は、結婚指輪はやっぱりここでは買いたくないな」
「と言うと?」
「この街は、貧富の差が激しくてあまりいい街とは言えない。私たちの結婚指輪はもっと、人々の幸せに満ちた場所で選びたい」
「あなたがそう思うなら、そうすればいいんじゃないですか」
「それはそういう意味なのか?!」
「どうでしょうね」
ロイスは最近思わせぶりだ。冗談なのか、冗談じゃないのか。そんな冗談を言いそうにはないとも思うし、ううん、でも結局わからない。ロイスが私に好かれる心当たりがないと言うのと同じで、私もロイスに好かれる心当たりがないのだから。結局人間だった馬だって自分で買っているし、食事すら奢らせてくれないし。先に払っても後からキッチリ返してくるのだ。貸し借りはなしの主義だそうで。
「本当はなロイス、私は武器もいくつか買いに来たんだ。君の護身用の短剣なんかも欲しい」
「護身用ですか?なにか危険でも?」
ロイスはそんなに驚いてはいなかった。馬車で毛布を追加購入すると言った時の方が驚いていたくらいだ。
「ハインの郊外の森や山には、職や家を失った者たちが徒党を組んで盗賊団を作って住んでいる。旅人や貨物馬車を襲っているらしいから、私たちも慎重にいかなければならない」
「盗賊?!田舎レベル100じゃないですか!」
「どういう意味だ?!」
「あ、いや田舎じゃなきゃ盗賊やら山賊なんてリスクの高い犯罪犯す人たちがいないんじゃないかなって思って……そんな人たちいたら、すぐ警備隊とかに捕まりそうじゃないですか?」
目の付け所は悪くない。だがこの街の領主は色狂いで、女と金と、自分の命のことしか頭にないのだ。下手したら、盗賊が街の中心を襲いはじめても自分だけを守って、警備を街に回さないかもしれないレベルだ。〝街の人々を守る〟という意識が欠如しているのだと思う。そうでなければ、こんな現状にはなるまい。
「盗賊の一味の数が多すぎるんだ。あんな人数全員捕らえたら、この街の刑務所なんか溢れ出してしまうだろうよ」
「そんなに多いんですか。うーん。でも確かに、土地も広いですから警備しきれませんよね。」
ロイスはそう言うと私の方を見て困ったような顔をした。多分、「半分くらい分かりませんけど治安が良くないんですね」といったようなことが言いたいのだろう。
武器屋に入ってすぐ、私は鉄の短剣を購入した。持ち手の凝った美しい細工を見ると、なんだか複雑な気持ちになる。こういう綺麗なものをロイスにはたくさん贈りたいけれど、こんな街で作られたものを持たせたくない、とも思う。技術は宝だと思うのに、それを使うものたちの心が貧しいという、いい例だ。物に罪はないと分かってはいるのだが。
街を歩けば観光客もたくさんいる。彼らはある程度の金を落としていくだろうに、それらを得るのは土産にランタンを販売できる金持ちだけ。街の全体が潤う日は来ない。
「武器選ぶの早いですね、アート」
「必要なものは大体考えてあったからな。それに、ランタン……携帯用ランプ、買っていくか?綺麗だろう」
「あー……なんか、私、物欲がなくて、ハハ……昔から欲しいもの買ったらすぐ捨てられてたからなにも欲しいと思わなくなったんですよね」
彼女の所持品は、確かに17年過ごしてきたにしては少なすぎる。生活必需品以外は、昔少年にもらったと言うガラスの小さい玉が3つだけ。今まで彼女は大切なものを作れなかったから、作ろうとするのをやめたのかもしれない。失うのが怖いのだろうか、それとも無意識か。
「今は買っても捨てないぞ?誰も」
「じゃあ、今度あなたが〝素敵な街だ〟って思える街で買ってくださいよ、携帯用のランプだか、蝋燭立てだか。ショボくていいですから、あなたが心から納得した上で良いものを買ってください」
にこりともせずに、簡単にそんなことを言ってのける。ロイスにとって自分の発言はいつも「当たり前」なのだろう。私はロイスに言葉をかける時、いつも自分がどう言うのか予測できない。好きだとか愛してるとか、人生で言ったこともなかったのに。実はなんだか恥ずかしくて顔から火を吹きそうなのに。
「……ああ、ロイス。そうするよ」
「うわっ!こんな街の中で抱きしめないでください!冷たっ!雪が襟に入った!」
思わずロイスを抱きしめると、ロイスはぐっと手で押してはねのけてきた。ロイスは華奢に見えるのに、案外力が強い。家事や雑用などを請け負っていたからだろうか?強くて冷静なところ好きだ。結婚してくれないかな。
「食事どうします?なんかランプ売り場ばっかりでレストランとかがありませんね」
「観光客用には、もう少し奥にレストラン街があるんだが……馬車に戻って、アニスで買ったパンにチーズでも乗せて食べないか?たくさん買ったからな」
「いいですね、それも。実はおいしそうなんで、食べるの楽しみにしてたんですよ」
ようやくロイスが笑った。暗い話はしたくないのに、私はついつい全て正直に話してしまいそうになる。ロイスといると、居心地がいい。他人と一緒にいて心が休まることなんて、今までほとんどなかったのだ。
「君はやっぱり、私のことを好きなんじゃないだろうか?」
「そう思います?」
「思う」
「根拠は?」
「君は私と二人でいる時の方が、笑顔の時間が多いから」
「それは……」
ロイスは自分の顎に手を当てて何か考え込んでいるようだった。
「面白い見解ですね」
私の未来の花嫁は、今日も私に不器用な笑顔を向ける。冷たい街を早く抜けて、いつか私たちの暖かい家に帰ろう、ロイス。私はずっと昔から、君と一緒に家に帰りたいと思っていたんだから。
「昔は、歳をとって公爵を引退する前までに、できる限り国を建て直したいと思って焦っていた。歳をとりたくなかったけど、君と二人で過ごせる日が来ると思うと……老人になってしまうのが、待ち遠しくて仕方ない」
「ものすごく気が早いし、大げさな人ですね、アート」
ロイスは呆れたようにまた笑う。
せっかくのデートの時間を無駄にしてしまったみたいだが、時間ならこれからいくらでもある。私の家族が歳をとりにくいのは、きっと好きな人と長く過ごすためなんじゃないだろうか。
……そうして私たちは結局、武器以外にはなにも買わずに街を出発したのだった。
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