毒娘は囚われる
逃げる間もなかった。
部屋になだれ込んできた兵士たちによって、あっという間にカンタレラは手鎖をかけられ、暗い色の馬車に押し込まれることとなった。
イトがどうなったのかもわからない。抗議の言葉は聞き入れられるわけもなく、扉は非情に閉められる。
馬車は囚人護送用のものだろうか。座席は狭く硬く、小さい窓には釘が打ち付けられている。
向かいには険しい顔の兵士がどっかりと座り、口を真一文字に結んだまま、冷たい目でカンタレラを睨んだ。
「……窓は開けておいた方が良いと思うのだけれど」
「黙れ」
仕方がない。自分が呼吸に気を使うしかないだろう。
カンタレラは諦めて硬い背もたれに背を預けたが、馬車はいつまでも走りださなかった。
「どこに連れて行くのか知らないけれど、
早くしてもらいたいものだわ」
二度目の「黙れ」が返ってくる前に、戸が再び乱暴に開かれ、カンタレラの隣に見知った人物が押し込まれた。
狭さに顔を顰める間もあればこそ、嘶きと共に馬車は走り始める。カンタレラは背もたれに後頭部をぶつけて不満の声を上げた。
「なるほど。貴女が捕まるのを待っていたというわけ。
……思ったよりも元気そうね。リンドン」
返事はない。
老婆はカンタレラと同じように手鎖をかけられてはいるものの、目立った怪我はないように見える。
ただ、その目は、窓と同じように硬く閉じられていた。
「ねぇリンドン。話したいことがたくさんあるのだけれど」
向かいの兵士がギロリとこちらを睨む。次は口頭の注意では済まないかもしれない。
ここで逆らうほど馬鹿でもない。カンタレラは大人しく口を噤むことにした。
「どこの貴族の屋敷にも、この手の地下室はある」と昔『母』が言っていた。
馬車は狭い道をぐねぐねと走り、どこかの屋敷の裏に着いたようだった。
カンタレラとリンドンは手鎖を引かれ、有無を言わせず地下に追い立てられた。
暗く深い穴蔵はジメジメとし、どんよりした空気の中で松明がゆらゆらと揺れている。
剥き出しの石の壁は地下水なのか何かに濡れ、辺りには嫌な臭いがした。
「こりゃぁまた、可愛らしいお嬢ちゃんが来たもんだな」
奥の暗闇がぬるりと動き、大きな男が姿を現した。
身長はカンタレラの二倍はあるだろうか。横幅は確実に三倍を超えている。
淀んだ空気の中では服を着る気にもならないのか、上半身は何も纏ってはおらず、筋肉が石壁のようにてらてらと光っている。
いかにも『獄卒』という言葉が似合いそうな外見は、捕らえたものを恐れさせる目的のためかもしれない。
「昨日は嬢ちゃんよりもっと小さな子供も死んだってな。
ただ王様に花を渡そうとしただけでよぉ」
兵士がカンタレラたち二人を押さえつけ、慣れた様子で手鎖の端を壁から下がった鎖に繋ぐ。
大男は重い鎖をガチンガチンと引いて強度を確かめると、カンタレラの顔を覗き込んだ。
「嬢ちゃん、あんたが殺したのかい?」
「冗談を言うものではないわ」
カンタレラは顔をしかめた。カビか泥か、錆か血かそれともこの男の体臭か、先ほどからひどく嫌な臭いがする。
「私と同行していた人間が誰だか教わっていないの? 彼はサハラーゥ最上位貴族ヨキ家当主。その同行者に対して、この扱いは無礼ではない?」
「嬢ちゃんは、もう少し口の利き方を気をつけた方がいいなぁ」
大男の合図で両手の鎖が引き上げられ、カンタレラは勢いよく濡れた石壁に背を押し付けられた。
宙づりに近い体制で体重がかかることになった手首が痛み、背中にじわじわと汚水がしみてくるのがわかる。
「私の体を濡らすべきではないのだけれど」
「なぁ嬢ちゃん。こりゃなんだ?」
目の前にバサバサと何かが撒かれた。
見覚えのある、カンタレラの身分証と通行証だ。
「こりゃあ全部嬢ちゃんのだな。保証人の署名は全部偽物だ。なぁ、普通はこういうもんは一人1枚と決まってるんだが。どうしてこんなにたくさんあるんだろうな」
芋虫のような太い指が一枚の通行証を拾い上げ、目の前でひらひらと振った。
「イト・ヨキ様なら信じられるさ。えらいえらい貴族様だ。だが、嬢ちゃんまで信じろってのは、ちょいと無理な話じゃねぇか。
ヨキ様はまだお坊ちゃんなんだろう?
……騙すのは簡単だったか」
「私がイトを騙して同行したというの?」
大男の獄卒はカンタレラにぐいと顔を近づける。
蟾蜍に近い臭いに顔をゆがめると、男は親切にも思える笑みを浮かべた。
「なぁ嬢ちゃん、あの時、どうして中庭にいた?
アレス王の御命を狙って来たんじゃねぇのかい」
……違うとは言い切れないのが難しいところだ。
「違うってぇなら、嬢ちゃんはいったいどこのだれか、おじちゃんに教えてもらいてぇんだがなぁ」
……その説明もするわけにはいかないわけだ。
今更ではあるが、カンタレラは己の潔白を証明する術を何も持っていない。
偽の身分証と偽の通行証で不正に入国した理由は
「魔法の爪に導かれて。魔法の薬を探すためです」と?
泥酔者でももっとマシな理由を考えつくだろう。
カンタレラは石の天井を見上げた。
イトが有利な証言をしてくれないものかと思うが、それも望み薄だろう。
「嬢ちゃん、何を考えてる?」
……貴方を殺した後、この鎖をどうやって解こうかと。
まさかそんなことを答えるわけにもいかず、曖昧に微笑みを浮かべて返す。
その瞬間、スッと獄卒の顔から笑みが消え、カンタレラはビクリと体を強張らせた。
――対応を間違えたかもしれない。
その腕はカンタレラのそれの三本分はあり、拳で殴られれば、細い首は一撃で折れるだろう。
もちろんただで死ぬつもりなどはないが、こんなところで死にたくはなかった。
泣いて詫びて切り抜けられる場面でもなし、無論戦うこともできるわけがない。
カンタレラは僅かな望みと共に視線を横に送ったが、リンドンは相変わらず目を閉じたままだった。まるで人形になったかのように微動だにしない。
大男の方も、リンドンにはさして興味がないようだった。
尋問するなら老婆よりも若い娘なのだろう。人道的な理由ではなく、そう簡単に死にそうにないという意味で。
「なぁ嬢ちゃん、痛いのは好きじゃないだろう?」
口調は猫を撫でるようだが、顔からは笑みが消えたままだ。
壁から外したものはなんだろう。暗くてよく見えないが、金属製で、長く、先が二つに分かれている。穏やかなことに使う道具ではなさそうだ。
「なんでもいいんだ、知ってることを話してくれれば、おじちゃんだって酷いことは」
その言葉を遮ったのは、カンタレラでもリンドンでもなかった。
地の底から響くような恐ろしい悲鳴。
大男が拷問具を手に一歩カンタレラに近づいたそのとき、
地下の奥の暗闇から、獣のような叫び声が響き渡った。
「何っ」
大男は慌てたように振り返るが、灯火の明かりはか細すぎ、悲鳴の主の姿は見えない。
「おい、何があった!」
返事の代わりに悲鳴が響く。断末魔の叫びだ。
石造りの壁に声はわんわんとこだまし、その不吉さにカンタレラは身を竦ませた。
声が響き渡った後、周囲に水を打ったような静寂が下りる。
大男もカンタレラも、動くことを忘れてただ暗闇に視線を向けていた。
何も見えない。いや、何か動くものがある。
暗闇にゆらゆらと揺れながら近づいてくる……人影だ。
カンタレラはごくりと唾を飲み込んだ。
動きがおかしい。
それは若い男だった。大男と同様筋肉質で、半裸に近い格好をしている。
全身は汗まみれで、ふらりふらりと左右に揺れ、特に頭部がガクリガクリと大きく動く。
――その顔に驚いた。
だらりと開いた口から、唾液がとめどなく流れている。
左右異なる大きさに開かれた目はまったく焦点が合っておらず、足取りはふわふわと夢の中にいるかのようだ。
「お、おい……」
大男が上ずった声をあげるが、聞こえている様子もない。
覚束ない足取りで近づいてくる男の背後で、何か微かな音がする。
カサカサ、カサカサと。
『そのこと』に気付いて、カンタレラは顔を上げた。
「近づいては駄目!」
「は?」
大男が振り返るよりも早く、若い男の体がぐらりと揺らぐ。
かと思うと、彼は一切身を守る動作をせず、丸太のように床に倒れ込んだ。
「おい、大丈夫か!」
「近づくなと言っているでしょう!」
そちらに駆け寄ろうとした大男は、カンタレラの叫びで硬直する。
「命が惜しいなら動かない!」
その目が見開かれたのは、怒声のせいではないだろう。
二人の眼前の暗闇で、床が動いた。
モゾモゾと、カサカサと、無数の何かが床の上で蠢き、そして、それが闇の中から姿を現した。
八つの目、八つの足。
蜘蛛の群れだ。
「ひっ」
大男の喉から声にならない声が漏れる。
その額に、天井からぼたりと黒い影が落ちた。
「ひっ、ひいいいっ!」
掌ほどもある巨大な蜘蛛が禿げ頭に張り付いている。毛深い足に視界を塞がれ、大男は子供のように両手を振り回した。
「動くなと言っている!」
カンタレラは手鎖を壁に打ち付けた。囚われの身では声を上げることしかできない。
その声は大男には届かないとみえ、獄卒はただただ必死に頭の蜘蛛を取ろうと暴れるばかり。
揺らぐ炎に、蜘蛛の背の黄色い斑点が浮かび上がった。
――マダラ草蜘蛛。
この辺りに生息する種ではない。カンタレラも実物を見るのは初めてだ。
毒娘は小さく唾液を飲み込むと、できるだけゆっくりと口を開いた。
「落ち着いて。よく聞いて。
マダラ草は獲物の動きに反応します。できるだけ静かに、背中を持って頭から引きはがしなさい」
大男は返事をしたのかもしれないが、こちらにはアウアウという声しか聞こえなかった。
それでも言うことには従ったらしく、太い指が蜘蛛を掴んで、勢いよく遠方へと投げる。
まるで呼吸が途切れた瞬間に死ぬとでもいうように激しく肩で息をする獄卒を、カンタレラは呆れたように見やった。
「貴方たちは蜘蛛を飼っているの?」
「そんな、わけ、ねぇだろう」
「では、あれは何」
ガサガサと地を這う音がする。
無数の黒い影が近づいてくる。
その全てに、その黄色の斑点。
囲まれるのも時間の問題だろう。カンタレラはちらりと階段に目をやった。
「奥には何人いたの」
「四人…だ……」
闇の中から微かに呻き声が聞こえる。
四人が無事だなどと、甘い期待は抱かない方が賢明だろう。
「あとは、今朝捕まえた囚人が一人」
「そう」
カンタレラはもう一度、地上に続く階段に視線を送った。
「貴方はできるだけ音を立てずに上に逃げなさい。ドアを閉めたら温水と草を焼いた灰、
手に入るならライシの花をできるだけたくさんと、酢を用意する。できるわね」
大男は聞いているのかいないのか、わずかに首を縦に動かしたようには思えるものの、その目は迫りくる蜘蛛の群れに向けられたままだ。
「……まったく」
カンタレラは下品にも舌打すると、片足を上げた。
「行きなさい!」
怒声と共に勢いよく床を踏み鳴らす。
蜘蛛の群れが一斉に騒めいた。
その頭が、全てカンタレラの方を向く。
「リンドン。聞こえる?」
老婆から返事はない。カンタレラはふんと息を吐きだした。
「何を考えているのかはわからないけれど、命が惜しいなら、そのまま何もしゃべらないで。動くべきでもないわ」
リンドンは無言のままだ。カンタレラはもう一度自分にだけ聞こえる小さな舌打をすると、さらに足を上げ、床を踏み鳴らした。
「来なさい! 低俗な者ども!」
マダラ草蜘蛛は凶暴で振動に敏感だ。
大きな音を立てて動けば、通常の蜘蛛は逃げるものだが、この蜘蛛は逆に襲い掛かる習性がある。
怒声と振動の誘いは成功したとみえ、最初は五匹、継いで三匹の毒蜘蛛がカンタレラの踝と脛に食らいついた。
「っ……」
牙の痛みに顔を歪めた次の瞬間には、八匹は息絶え床に落ちる。
カンタレラはそれを一瞥すると、未だ蠢く影に視線を向けた。
「さぁ。蜘蛛は蛇より賢いものかしら?」
元より喉のないものが返答するはずもなく、十数匹の黒い影がさらに彼女の足に群がる。
次々と猛毒の血を吸い息絶える蜘蛛の姿に、カンタレラはため息をついた。
「あまり失望させるものではないわ」
生き物というのは本能的に、圧倒的に強い存在からは逃げようとするものだ。
それがこれはどうだ。蜘蛛たちはまるで繰り人形のように押し寄せるばかりで、逃げる気配を見せるものは一匹もいない。
今や毒娘の足元には毒蜘蛛の死骸が小山のように積みあがったが、生きているものはなおもその後に続いてくる。
カンタレラはうんざりした気持ちで天井を仰いだ。
この蜘蛛は、その牙に何十もの人間を殺すほどの毒をもちながら、羽虫ほどの脳さえないというのか。
いや……
「まさか」
カンタレラは一度瞬き、足元の一匹を踏み潰した。
「本当に、繰り人形だというの?」
暗闇の奥に目を凝らす。相も変わらず何も見えない。
数百の蜘蛛の蠢く音と、おそらくは獄卒の呻き声がするだけだ。
カンタレラはもう一度ため息をついた。
今ここで息に毒を載せれば、かろうじて生きているであろう声の主にも、リンドンにもとどめを刺すことになるだろう。
「全身を蜘蛛に咬まれるなんて、あまり嬉しいことではないのだけれど」
大きく深く、諦めの息をつく。その肩にぼたりと大きな毒蜘蛛が落ちてくるのを感じて、カンタレラは眉をひそめた。
そして――
大男の獄卒に呼ばれ、医師を連れた兵士たちが再び地下牢の扉を開けたとき、
そこに生きた蜘蛛は一匹たりともいなかった。




