柊と閻魔大王―前編
――コンコン
柊とセラが、気を失った朝陽が意識を取り戻すのを待っている当直室の戸が、ノックされる音が静かな室内に響いた。
突然のノック音に、柊とセラが目を合わせ、セラは柊の膝から飛び降りて静かに結界を張った。セラの十八番、自分のいる場所を神殿と見なし、周囲を一時的とはいえ神域にする結界だ。
セラが当直室をくるむように結界を張ったのを確認し、柊は戸をゆっくりと開いた――もちろん、腰にさしている愛刀・九時切りはいつでも抜き放てる体勢である。
キィィ、とやや耳障りな高い音をたてて、外開きの戸は開かれていく。
「にゃあん!」
ある程度戸が開き、訪れ人の姿が少し見えたとき、セラが切ない鳴き声をあげた。嬉しさと、悲しさと、たまらないといった類いの感情がせめぎあう鳴き声だった。
そして、柊は戸の向こうに立っていた人物を見て、続いてぷっつんと切れた結界に気付き、ゆっくりと臨戦体勢を解き、セラの突然の鳴き声の変化に納得した。
戸が完全に開き、訪れ人の姿が露になると、とたんにセラは窓際から戸まで一直線で跳躍した。我慢ならなかったらしく、尻尾は千切れんばかりに激しく揺れ動いていた。
「にゃああああん、あーっるじぃいい……、あるじ、あるじ、あるじ、あるじぃ」
訪れ人にタックルしたセラは、爪を立てて訪れ人にしがみつく。もう離れないといわんばかりに、鼻の辺りをぐりぐりと訪れ人の着衣に擦り付ける。
「よしよし」
訪れ人は、強くしがみつくセラを優しく抱きしめ、セラの毛並みを撫で始めた。その顔はでれっでれに緩み、普段の引き締まった厳格な表情を知る柊としては、あまり見たくない光景だった。
部下としては――直属ではないとはいえ――所属する組織の長の、閻魔大王のイメージががらがら崩れさせたくはなかったのだ。
そして、柊は閻魔大王とセラの抱擁が終わるまで、ずっと空気だった。
☆☆☆☆☆☆
しばらくの間ひとりと一匹の世界に旅立っていた彼らは、恥ずかしそうに現実へ戻ってきた。彼らは、かつて朱色童子の「おもしろーい」というはた迷惑な感覚によって、長い間引き離された飼い主と飼い猫だった。
そんな久々すぎる再会ゆえに、長い間ひとりと一匹の世界に旅立っていても柊としては何も言えない。
だから少しばかり気まずいけれども、柊は遠慮なく尋ねることにした。遠慮していたらいつまでも気まずいからだ。別に、自分も朝陽と……なんて思っていたりはしない。
「大王陛下、どうなされましたか」
冥府の官僚たちを束ねる長であり、地獄という世界を統べる支配者である閻魔大王が、次代の母たる朝陽がいるこの場所を訪ねた。それは、ただたんに「飼い猫と再会したいから」だけではないだろう。おそらくそれも多大にあるだろうが、決してメインではない……、と柊は思う。頼むからそうでいてほしい。
「うぉっほん。実はな」
でれでれとしまりのない表情だった閻魔大王は、大仰な咳払いの後に、至極真面目ないつもの――“閻魔大王”の表情になった。けれども、どこか赤みを残した顔色は、いまいちシリアスさを欠いていた。
柊はそんな顔色を気にしないようにしつつ、ごくりと喉をならした。緊張感が高まってきたのだ。
「率直に告げよう。次代の父の名が判明した。円卓・骨組が示したのだ、これは確定事項だ」
あまりにも予想外な訪問目的に、柊はたじろぎつつも、どうにか言葉を紡ぐために挙手をする。閻魔大王の言葉を、言葉で遮ることなんてできないため、発言の許可を求めたのである。
「何だ、申してみよ」
柊は、ゆっくりと口を開いた。赤みも消え、通常運転に戻った閻魔大王は、周囲に与える圧迫感というのか、迫力がやはり半端なかった。
「恐縮ですが。……次代の母は、まだ」
柊は視線で、まだ意識を取り戻していない朝陽を示した。
「それはわかっておる。目覚めた後に、しかるべき頃合いを見て告げるつもりだ」
閻魔大王の答えが、柊はよく理解できなかった。されならば、告げるつもりだけれど、今ではないという意味ではないのか。ならば、なぜ。
「おまえの戸惑いも理解できるつもりだ。ならば誰に告げるのだ、とな。それは、おまえにだ――賀屋 柊」
賀屋、とは柊の姓である。まさか自分自身の名が出てくるとは思わなかった柊は、言葉が出てこなかった。




