朝陽と脱衣婆
「知りたいかい?」
朝陽は頷いた。
古今東西、遥か昔から異なる種族の垣根を越えた婚姻の話、異類婚姻譚は星の数以上に言い伝えられている。
例えば狐狸精と、例えば雪の精と、例えば蛇の精と、例えば――例を挙げれば枚挙に遑がない。人ではない嫁を迎えた話(=異類女房)、人ではない夫を迎えた話(異類婿)など、各地に伝わる人と人ではない存在との婚姻の逸話は実に多岐に渡る。
その異類婚の相手は実に種類が多い。その中で神と人とが交わる類型の話は特に多く、そしてよく知られている。
しかし、鬼や幽霊との婚姻の話はあまり知られていない。
朝陽の目の前にいる老婆は、その数少ない例であった。老婆は鬼と結ばれたという。朝陽はごくっと唾を飲み込んだ。
朝陽は、恋をしたことがない。だから恋がどのようなものかよくわらかない。けれども、この先の人生を歩むとき、隣にいるのは骸骨であったラギしか思い浮かばない。だから、ラギと結ばれたい。
しかし、ラギは――骸骨は明らかに人ではない。朝陽は、この先を骸骨と共に歩みたい。子供も、できたら……――
「ひゃーはっはっ! 顔が赤いねぇ、若いのぉ!」
老婆がばしばしと朝陽の背を叩いた。朝陽の顔がより赤くなった。
そんな朝陽を見つめる老婆が、口を開いた。
「わしゃ、鬼と婚姻の杯を交わし、メオトとなった」
真面目な口調だった。
老婆は舞い踊るのをやめ、朝陽の横にどかっと腰を下ろした。じゃらじゃらと銭の首飾りが音を立てた。
「わしゃ、次代の母だと幼い頃からいわれててなぁ。簡単に恋が出来んし、許されてなくてなぁ? 反抗心から、何度も家を出たのさ!」
あっははは、がはがはと豪快に笑いながら老婆は朝陽の背を叩いた。ばんばん叩かれ、朝陽はむせた。
「次代の母はな、とにかく狙われる狙われる! 次代を産ませんと狙われる狙われる! 無論、わしゃカッコウの的だったさ!」
老婆は片目をつむり、首に手を当てて横に引く動作や、胸に手をグサッと当てる仕草をした。それを見て、朝陽はぎょっとした。まさしく、朝陽は天狗に狙われたばかりであった。
「でもわし、強いからな?」
そういって、老婆は近く岩を手刀で真っ二つにし、どやぁと笑った。その岩の縦幅も横幅も、朝陽の身長をゆうにこす大きさであった。厚みなんて、それこそ身長の倍と推測できた。そんな岩を、年老いた女性であるはずの老婆が手刀で真っ二つ。
「おまえさんみたいに護衛はなかったのさ! 柊みたいなね!」
ぽかんと口を開けたままの朝陽を放置して、老婆は続ける。
「おまえさんはなぁ?」
老婆は笑顔だったが、目が笑っていなかった。
「次代を産む。次代がおまえさんを選ぶてぇのはな、勝手に決められた話だ。けどな、次代の魂がおまえさんの胎に宿るって決めたのさ」
老婆は朝陽の腹を、優しい手つきで、慈しむように撫でた。
「わしの息子もわしを選んだのさ!」
ぼん! と老婆は豪快に笑って自分の腹部を叩いた。
朝陽は、完全に老婆の話にのまれていた。
「だから、あんたが選んだ相手ってぇのは本来そいつじゃねぇって否定されたりせんのさ! 次代ってぇのは、母親しか選ばねぇのさ!」
老婆はにんまりと爽快に笑った。
「だから、安心して好いてるやつぁの手を取りな!」
老婆はまた朝陽の背をばしばし叩き、続けていった。
「そもそも、次代ってぇのはな」
老婆は次代の説明を、淡々と語った。
次代の子――それは、いつか生まれる霊力のとびきり強い、次代の閻魔となる運命を持つ子のことである。
地獄を治め統べる王、閻魔王は代替わりをする。それは、一万年という途方もないが年月過ぎ去ったときに、新旧が変わるのだという。
今はその前年、九千と九百九十九という年数の年だった。
「えん、ま」
次代の子は、閻魔。朝陽は、閻魔を産むのだという。
「わ、たしが?」
朝陽は自分の腹部を撫でた。
簡単に、相手を選べない気がしてきた。一気に不安が波のように押し寄せてくる。朝陽はその言い様のない不安にのまれかけた。
「さっきもいったがな、次代の父となるものは、次代の母たるもんが決める!」
老婆は、朝陽の背を再びバシバシ叩いた。何度目だろうか。
「景気の悪い顔だね、まったく! なんだいなんだい、もいっかい教えてやろうかね!」
再びむせる朝陽に、老婆ははっきりと宣言した。
「あの若作りボーヤがまた余計なことを吹き込んだんだろうがね! いいかい、娘っ子!」
朝陽は、老婆の勢いの強さに顔をばっとあげた。目がそらせないなにかを、老婆は発していた。
「あと一年だ。次代の母ってもんはな、自然と相手を選ぶのさ!
そしてその相手が、今の閻魔が管理するとあるシロモンにあらわれるんだよ」
老婆はにっと笑った。
「まだ不安だってぇのかい?! 心配すんじゃないよ! 次代の父ってぇのは、だいたい次代の母が想いをよせる相手って決まってるんだよ! ナニ、経験者が語るんだから間違いないさ!」
老婆はまたもや朝陽の背を叩いた。朝陽はまたもやむせた。
「アンタが誰に想いをよせてるかはわしゃ知らん。
じゃがな! たとえ相手が人外だろうがな、子はできるんだよ!
杯は何でもいい。とにかく、あるもんを杯で飲み交わすのさ、肝心要は中身じゃて、中身ぃ!」
中身、といいながら老婆は指で何かを摘まみ上げる動きをし、指をくいっくいっと動かした。まるで酒を注ぐような仕草であった。
朝陽は酒だと思った。老婆の仕草と、テレビドラマで見るお酒をのむシーンが重なったのだ。
「特殊な水よ、水。ある水をな、同じ杯で飲む。それだけで、異種族同士だろうが、此岸と彼岸の住人だろうが、ひとりだけ子を授かることができるとびっきりの水さ!」
水、といってもとただの水ではないと老婆は続けた。特殊な水だというが、特殊な水という名前の酒ではないだろうかと朝陽は疑ってしまう。この老婆には水というより、何だか酒の方が似合うというか、しっくりくるのだ。
だから、朝陽は聞いた。
「お酒ではなくて?」
朝陽の問い掛けに、老婆は片方の眉を跳ねあげ、半眼になった。あぁン? という台詞が聞こえてきそうである。
「酒じゃあ、ない」
酒、の箇所を強調して老婆はゆっくりと答えた。
「とろっとした、甘味のある蜜みたいな水さ!」
ぺろり、と舌先で唇をなめながら老婆は、特殊な水とやらの説明を始めた。
「甘露、醍醐、アムリタ」
鋭い、ところどころ欠けた爪のある長い指を一本一本折りながら、老婆はいくつかの名称とおぼしき単語をあげた。
「天から降るもの、ともいわれているのさ、特殊な水ってやつぁね!」
老婆の口が三日月のような形につり上がった。
「天……?」
「ああ、天さ!」
にかっと歯を見せて笑ってみせた老婆は、指を空へと向けた……朝陽が視線を追えば、そこには曇天とした雲しか見当たらない。とてもそのようなものが降ってくるような空には見えなかった。
「………………」
空を見上げ、無言になった朝陽を見て、老婆は――もはや何度目になるかわからない――朝陽の背を叩いた。
「ああもう、はっきりしない娘っ子だね! きっちりきっかりいわないと通じないさ!」
ばしばし背を叩く老婆にを朝陽は見上げた。朝陽は人見知りが激しい。知り合いも数える程度で、なかなか自己主張ができない。怖いのだ、勇気がでないのだ。
「あんた、好いたやつぁと一緒になりたいんだろう?! 自分の気持ちなんてなぁ、はっきりいわなきゃ伝わらないのさ!」
老婆の発言に、朝陽は――
「……痛いです」
「そうだ、いえるじゃないか!」
老婆はにかっと大きく顔を綻ばせた。
「――なら、事は速い方がいい! 小鬼、あんた船を出しな! アマチカ山まで行くよ!!」
話を突然振られた小鬼は驚き、
「突然すぎ――ぐふっ」
老婆の飛び蹴りをくらった。
「一言多いんだよ、さっさと船をお出し!」
――そうして、朝陽は地獄にて船上のひととなった。




