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アカネガルドの槍使い ~市職員の辺境開拓年代記  作者: 早瀬 構
第五部

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第62話 遊び人、村に法の秤が立つと見る

1.


 俺の名前はディオン。ギルドの木札に書いた職業は遊び人。


 ……ということになっているが、この頃は川向こうの家の家宰でも名乗ったほうが話が早え気がしてきた。


 もちろん冗談だ。冗談だが、帳面を抱えて人の出入りを見て、荷の数を数え、揉め事の匂いを嗅ぎつけては先回りしてりゃ、だいぶ家宰じみてもくる。


 家宰なんてご大層なもんじゃねえ。犬みてえに鼻を利かせて走り回ってるだけだが、それでも最近は、遊び人よりよっぽどそっちの札のほうが似合いそうで困る。


 年が明けて半月。寒さは相変わらず骨にくる。だが村の空気は、雪より先に金の匂いで軋んでいた。


 穀物も、薪も、干魚も、前より高く売れる。宿が人を呼び、街道の商人が鼻を利かせ、袋を抱えた連中が家ごとに声をかけて回る。


 売るなとは俺も思わねえ。だが、売り方がばらばらだ。升は家ごと、秤も家ごと、縄尺まで家ごとに違う。口のうまい奴が得をし、気の弱い家が損を飲む。


 そのくせ、誰もそれを揉め事として数えたがらねえ。昔からそうだったからだ。揉めたところで、最後は家の強さと顔の広さで片がつく。損した奴だけが黙る。それを村の掟だの知恵だのと言い換えてきただけだ。


 寄り合いも、その昔からの延長で済ませるつもりだったらしい。


 そこへレオンが、村の法として度量衡を揃える、市を通して村外へ売る、と言い出した。


 最初に聞いた時、俺は、ああ来たなと思った。


 管理と記録が大好きな書記野郎が、ついに売り方まで揃えにきやがった、と。


 だがその時は、まだ俺も甘かった。帳面好きの延長だと思っていたんだ。細けえ奴が、細けえことを、また一つ増やしにきた。その程度に。


2.


 寄り合い衆の顔は、揃って渋かった。


 面倒だ、今さらだ、家ごとの勝手だ、急ぎ売りができなくなる、外商との付き合いまで口を出すのか。


 言い方は色々だが、腹の底にあるのは同じだ。曖昧なままのほうが、自分の都合を差し込める。


 升が違えば言い逃れが利く。秤が違えば誤魔化しも利く。家ごとに売れれば、村全体の備えを食いながらでも、自分の家だけは一時しのぎの銭を掴める。


 そのうち誰かが、とうとう言った。


「ずいぶんご立派だな。レオンさん。

  次は何だ。村の領主にでも

  おさまりたいのか」


 場の空気が、そこで少しだけ変わった。


 皆、半分は同じことを思っていたんだろう。公定の升だの秤だの、市だの法だの、耳に入る言葉がいちいち上から臭え。


 王都だの領都だのならともかく、エルン村で言い出す台詞じゃねえ。見捨てられてきた辺境の寒村に、今さら上へ人間が乗る。冗談じゃねえ。そういう顔だった。


 しかも相手はレオンだ。川向こうに村全体の八倍の耕地を持つ男が、量り方も売り方も揃えろと言う。疑うなって方が無理だ。


「いちばん得をするのはお前の家だろう」


「市を通せば、大きい家ほど楽になる」


「自分に都合のいい決まりを、

  村の法にする気か」


「立派なことを言っても、結局は

  お前ん家がいちばん儲かる形になる

  だけじゃねえのか」


 二つ三つ、声が重なった。机板を指で叩く音まで混じった。


 詰めは、どれももっともだった。


 もっともだったが、レオンは少しも揺れねえ。


「その疑いは当然です」


 しれっと、そう言った。


「だから私の家から外せない形にします。


  私の田から出るものも、公定升で量る。

  私の売りも、市を通す。

  私が外せる決まりなら、

  誰でも外せます。意味がありません」


 言い方が、まるで役所の決まりを読み上げるみてえだった。


 腹も立てねえ。弁解もしねえ。ただ、最初から答えが帳面のどこかに書いてあったみたいに返してくる。


 そこでまた別の奴が噛みついた。


「口でなら何とでも言える」


「ええ」


 レオンはあっさり頷いた。


「だから口だけで済ませません。

  村の公定として置きます」


 その時点で、寄り合い衆の詰めは半分死んだ。


3.


 だが、俺はまだ、その時は思っていた。


 領主気取りめいたことを言うが、自分も縛ると言って煙に巻くつもりか、と。


 ところが違った。


 違うと分かったのは、村の誰かが、「上に人間が乗るのは御免だ」と吐き捨てた時だ。


 あれで、場の底が見えた。皆が怖れているのは、商売の損得だけじゃねえ。上から取られることだ。守りもしねえくせに、決まりと名目だけ持ってきて、最後に首根っこを押さえる奴だ。


 王都でも領主でも、こっちに住む人間にとっちゃ大差ねえ。上に人間が乗るというだけで、ろくな思い出がねえ。


 レオンはそこでも、少しも熱くならなかった。


「だから人は乗せません」


 そう言って、公定升、公定秤、公定縄尺を順に挙げた。


「置くのは物差しです。

  誰の家でも同じになる物差しです」


 その時、俺の中で何かがひっくり返った。


 領主臭い言い方をしている、と思っていた。違った。こいつは自分が上に座りたいんじゃねえ。上に座るはずだった人間の仕事を、法に食わせる気でいる。


 書いていたんじゃなかった。揃えようとしていたんだ。


 人の口も、物の量り方も、売り方も、あとで揉めぬ形に。


 領主なら、自分だけは外れる。


 有力者でもそうだ。


 だがこいつは、いちばん得をできる立場で、その得を先に塞ぐ。


 神気取りなら、まだ分かる。聖者めいた偽善でも、まだ分かる。だがこいつは、自分もみんなも同じ人間だと言いやがる。


 そのくせ、人の上には人を置かず、法だけを置こうとする。


 法を領主にしやがるつもりか、と、その時ようやく分かった。


 そこまで行って、俺の頭は止まった。


 じゃあ、何だ。


 こいつは、この世の人間か。


4.


 結局、寄り合いは折れた。


 従った、というより、もうそれ以上は噛みつけなくなったんだろう。


 利で責めても、欲が見えねえ。権力欲で刺しても、自分も従うと返してくる。情で揺さぶる隙もねえ。


 食い扶持と蓄え以上を求めない大地主なんざ、村人の理屈じゃ測れねえからだ。


 恐怖だったと思う。


 尊敬なんてもんじゃねえ。あれは、欲で読める相手じゃねえと知った時の冷え方だ。欲のある奴なら、譲歩も、取引も、恨みも通じる。


 だが原則で動く奴は、顔色で曲がらねえ。しかも、その原則を自分にもかけると言う。普通の悪党より、よっぽど始末が悪い。悪党なら腹が見える。


 レオンは、腹の代わりに決まりを入れていやがる。


 寄り合いが終わって外へ出た時、空気はひどく冷たかった。


 だが、寒さのせいだけじゃなかった。


 エルン村で初めて、誰の顔色でもなく、誰の家格でもなく、同じ物差しを皆に当てる決まりが置かれた。


 まだ升も秤もこれから作る。市の形だって固まっちゃいねえ。抜け道も揉め事も、これからいくらでも出るだろう。だが、村の上に何を据えるかだけは、その場で決まった。


 人じゃねえ。


 法だ。


 俺は帳面を抱え直した。


 遊び人だの、冗談めいた家宰だの、そんな札で済む話じゃなくなってきた気がした。


 こっちはせいぜい、人間の腹を読むくらいしか能がねえ。誰が何を欲しがり、どこで嘘をつき、どこで譲るか、その程度だ。


 なのにあの男は、人間の腹より上に、腹では動かねえものを置こうとしている。


 ……やっぱり、あれはおかしい。


 おかしいが、たぶん村は、ああいうおかしい奴に押されでもしねえと、次の冬まで持たねえのだろう。


 そう思った時、寒さとは別のものが、背中を一筋、すっと下りた。

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