第4話 賢女、森で異邦の大男と邂逅する
1.
私はエルン村の賢女エレノア。今年の十月二十一日で二十二歳になる。
賢女は薬草での手当てと、わずかな回復と浄化の術を扱う。奇跡ではなく、体と穢れの流れを整える技。神官ではないが、日々の傷や病を診ることで、私は日々の糧を得ている。
私は愚かだった。森に深く分け入らなければ、薬草採りくらい、一人でも平気だと思ったのだ。
パーティの二人も、今朝は別件の依頼で村を出ている。帰るまで待てばよかったのに、薬草を早く集めたい気持ちが勝った。
結果はこのざまだ。ゴブリンどもに見つかり、杖を弾かれ、衣服を奪われ、岩の上に縛られた。オークが私を舐めるように見たとき、終わったのだと思った。
辺境では、女の身に起きる災厄は珍しくない。ただ、それだけのことだ。身を守れるのは、守ってくれる力のある者に囲まれた女だけ。私はまだ、婚姻の夜を知らない。
私は神殿で薬学を学び、冒険者として働いてきたけれど、それだけでは足りなかった。せめて苦痛と恥辱が短ければいい、そう願っていたところへ、いきなり大男が飛び込んできた。
裸同然。私はてっきり、山向こうにいるという血気盛んな蛮族かと思った。しかもその男、いきなりオークの背中に飛び乗り、喚きながら、そのうなじに槍を突き立てたではないか。
男は強かった。強いというより、獣じみた荒々しさだった。オークの巨体が暴れるたびに男の身体も振り回されているのに、絶対に離さなかった。
何を叫んでいるのかはよく聞き取れなかったが、たぶん怒っていたのだと思う。
2.
オークが倒れ、男が返り血を浴びた。私は安心しなかった。助かった、などとは思わない。次に何が来るのか、辺境の女なら知っている。
私を弄ぶのが、オークから人間に変わるだけの話。私は半ば諦めていた。
そのうえ、続けて現れたゴブリンたちまで、男はあっという間に制圧してしまった。
ゴブリンは弱いが、衆を頼む。普通なら、囲まれて、刺されて、殴られて、それで終わりだ。それをこの男は、まるで農村の祭りで酔漢を追い払うみたいに、まとめて叩き伏せてしまった。
しかも、そのあとがさらに分からない。男は、明らかにゴブリンに情けをかけた。
敵の妻子が哀願しようと、手を止める者などいない。むしろ、獲物が増えたと笑う。
ゴブリンたちは、なぜか叱られた子供みたいに神妙な顔をしている。
「……とにかく、あの女の人の
服を返してください。縄も解いて。
話はそれからです」
「アニキの言う通りにするっす!」
私を、解放する? なぜ?
あまつさえ、ゴブリンは男を「アニキ」と呼び、唯々諾々と従った。
主従関係でも結んだのか。……いや、どうでもいい。ゴブリンは私を捕らえ、オークに差し出した。男は私を、取るに足らない、そう評価したのだろうか。
ゴブリンが私の縄を解き、服を返してくれた。手が震え、うまく袖を通せない。オークに触れられた肌が、まだ気持ち悪い。
男は私から顔を背けている。顔をしかめ、目を細める。ひどく険しい。返り血に濡れ、右手には槍、そして、一糸まとわぬ猛々しい姿。どう見てもまともではない。……怖い。
3.
「あの~、アニキ、
服着た方が良いんじゃないっすか?
女……怖がってるっすよ?」
ゴブリンの一匹が、おずおずとその男に言った。場にそぐわない、間延びした忠告。
男は一瞬きょとんとし、それから自分の身体を見下ろした。
「へ?」
間抜けな声。次の瞬間――
「なんじゃぁこりゃあ!」
男は絶叫した。
私は思わず顔を背けた。あまりに無防備で、視線の置き場に困ったから。頬が熱くなる。こんな状況で、こんなことに戸惑う自分が情けない。
男は慌てふためき、ゴブリンに詰め寄った。
「僕はいつから……こんな格好でした?」
「最初っからっすよ?」
「最初から!?」
どうやら、男は自分が全裸だったことに気づいていなかったらしい。
男は頭を抱え、その場にうずくまる。その格好のまま、私に向かって地面に額を擦りつけた。まるで、罪人が許しを乞うかのように。
「すみません、すみません、
お恥ずかしいところを
お目にかけましたっ!」
私はしばらく言葉を失った。なぜそこで謝るのか。この状況で気にするところはそこなのか。
男は地面に額を擦りつけたまま、言葉を継いだ。
「僕はそちらを見てません。
裸眼視力――メガネなしでは
〇・二ほどで、目に血が入って……」
らがん……しりょく? 分からない。しかし、必死に弁明している。私に狼藉を働くつもりではなかったと、そのことだけは伝わった。むしろ、本気で困っているようだった。
私は服を整え直し、ようやく口を開いた。
「私、エレノアです。あなたは?」
男は顔を上げた。さっきまでの凶暴さは消え失せ、困り切った患者みたいな顔をしている。
4.
「レオンです……」
変わった響きの名だった。だがその妙な名よりも、次に彼が聞いたことの方が私には衝撃だった。
「あの……服を着たいので、
少し向こうを向いていて
頂けますか?」
私はその男が、本当にどこかおかしいのだと、初めて思った。
服を着るのに、わざわざ許しを乞うのか。背を向けろと? なにをいまさら。私は微かに鼻を鳴らし、男に背を向けた。
衣擦れの音。地面をこつこつと叩く音。男が私に声を掛けた。
「すみませんでした、エレノアさん」
別に謝ることでもない。私はゆっくりと振り返った。
実に珍妙な格好。仕立ての良い布地に、見慣れぬ裁断。だが、生業を示す印はどこにもない。――正体、不明。




