第32話 遊び人、水車の先の腹の内を見る
1.
俺の名前はディオン。ギルドの木札に書いた職業は遊び人。……この頃は、村の揉め事がどこで芽を出すかを嗅ぎ回るほうが、よっぽど生業らしい。
二月の末、レオンが寄り合いへ持ち込んだのは、またしても厄介な話だった。
「紙と、水車です」
紙を量産できれば、記録が回る。制度が回る。教育も広がる。そこまでは分かる。実際、こいつが村へ持ち込んだ「書く」って発想は、もう暮らしの端々に根を張り始めていた。
だが、紙を作るまでの話を聞いた瞬間、座が一度しんとした。
麻布屑を大量に集める。灰汁で煮る。ほぐす。洗う。漉く。にじみを抑えるために膠も要る。
そこまではまだいい。問題は、その先だ。
「繊維を人力で叩いてほぐそうとすると、
灰汁をさらに強くする必要があります。
それには、腐った尿が――」
寄り合い衆が揃って顔をしかめた。俺もした。リラなんざ、露骨に鼻をつまみやがった。裏庭で試作品を作ったときの地獄の臭いは、俺だって忘れてねえ。エレノアちゃんがしばらく眉間の皺を戻せなかったくらいだ。
だがレオンはそこで引かない。
「でも、水車で叩き続ければ、
灰汁をそこまで強くしなくて済みます。
腐尿を足す量も減らせるはずです」
減らせる。無くせる、じゃねえ。そこがこいつらしい。妙なところで正直だ。
さらに畳みかける。灰汁、洗うための塊、膠。それぞれ単体でも売り物になる、と。紙だけじゃない。売り口がいくつもある。
商人上がりの寄り合い衆が、そこで身を乗り出した。嫌な気配がしたね。金の匂いを嗅いだ顔だ。
俺は横で、嫌な予感しかしなかった。紙の話をしてるはずなのに、たぶんもう、別の揉め方が始まっている。
2.
案の定、水車の話になった途端、話は妙な方向へ走り始めた。
「水車を作るなら、
川筋はうちの畑の縁が良い」
「いや、あそこは地盤が弱い。
置くならもっと上だ」
「上に置けば、下の者が困るだろう」
「上で回されりゃ、下の水は痩せるぞ」
どこに置くか。どれだけ置くか。だれが見るか。順番に揉めるならまだ筋が通る。だが連中は、水車そのものより先に、「枠」を取りに行きやがった。
まだ図面も固まってねえうちから、誰の土地に近いだの、どの岸なら将来増やせるだの、そんな話ばかりだ。車輪の大きさも、仕事の量も、動かす順番も、後回し。
レオンが何度か口を挟んだ。
「常時動かすなら、そんな数は要りません。
稼働率が落ちます」
ゴブリンも頷く。
「十二基も並べたら、半分は開店休業っす。
止まってる車輪は、ただの飾りっすよ」
まともな話だ。紙を叩くにせよ、粉を挽くにせよ、油を絞るにせよ、常に全部が回るわけじゃねえ。負荷のかかる作業は偏る。使わねえ車輪を並べても、維持の手間が増えるだけだ。
だが寄り合い衆は、そこを聞いちゃいない。
「遊んでいても、枠は枠だ」
そういうことを、平然と言う。俺は思わず天を仰いだ。
しかもそこで、さらに話がねじれる。
「通すなら、水の取り分も決めろ」
誰かが言った。それで決まった。
水車じゃねえ。水だ。どこを通し、誰が先に使い、どれだけ取るか。まだ作ってもいないのに、もう取り分の話だ。
しかもそこへ、臭いの話が乗る。
「紙の材料を叩くんだろう?
そんなもん、川べりでやったら
臭くなるに決まってる」
「灰汁も膠も村中に匂ったらたまらん」
それも正しい。紙は未来の道具だが、作る途中は普通に汚くて臭い。夢だけじゃ回らねえ。
気づけば議論は、水車の効率じゃなく、どこへ押し込むかの話になっていた。
俺は小さく呟いた。
「おいおい……いま決めてるの、
水車じゃねえぞ。
臭いと縄張りの押し付け先だ」
レオンが渋い顔をした。分かっていても、止め方が分からない顔だ。
3.
そこで村長が口を開いた。
しばらく、誰も言葉を出さなかった。決めれば恨まれる。決めなければ進まない。そういう空気だった。
この人は、寄り合い衆みてえに目の色を変えたりしねえ。だが黙って見てるぶん、口を開くと重い。
「全部を村中へ散らせば、全部で揉める」
それだけ言って、皆を見回す。
「臭いも排水も束ねたほうがええ。
川屋の排水口へ寄せるんじゃ」
村長の土地だ。川屋の下手にあって、流れてきたものが溜まり、村の外に出る場所。風向き次第で、戸口まで来る距離だ。
周りの家の者は、露骨に嫌な顔をした。そりゃそうだ。便所に加えて、灰汁と膠と紙漉きまで寄せると言われて、喜ぶやつはいねえ。
だが村長は続ける。
「散らせば、もっと困る。
あっちでもこっちでも臭う。
揉める。だったら、
まとめて見たほうがまだましじゃ」
我欲じゃねえ。損を一か所へ寄せる、現実的な決め方だ。だから反論が鈍る。善人ってのは、ときどき残酷な決め方をする。
結局、紙と灰汁と膠の工房は、その土地へ押し込まれることになった。
で、水車のほうはどうなったか。
揉めに揉めた末、寄り合い衆は「だったら各所へ小さく置けばいい」と言い出した。下掛け水車、十二基。
俺は思わず吹きそうになった。さっきまで稼働率の話をしてたんだぞ。
レオンは額を押さえ、ゴブリンは露骨に呆れた。
「……だから、そんなに要らないっす」
「要る要らんではない。
偏らんことが大事なんじゃ」
偏らん、だとよ。車輪を平等に配れば、揉めが消えるとでも思ってるらしい。実際には、止まってる車輪の番まで揉めるだけだろうに。
しかも図面を引く役は、当然みてえにレオンとゴブリンへ回ってきた。こいつらなら形にできると思われてる。便利な男ってのは、ろくな目に遭わねえ。
4.
寄り合いが終わったあと、俺たちは村はずれの土地を歩いた。雪はまだ深く、踏むたびにきしむ音がした。風も冷たい。ここに、あの臭いと水を溜めるのかと思うと、さすがに気が重くなる。
レオンは黙って地面を見ていた。頭の中で、車輪と工房と排水路を並べている顔だ。エレノアちゃんは、その横で静かに息を吐いた。たぶん、臭いも病も、真っ先に自分の仕事へ返ってくると分かってる。
ゴブリンは小枝で雪を払って、地面に線を引きながら、ぶつぶつ言っていた。
「下掛け十二基っすか……。
まあ、描くだけなら描くっすけど」
「嫌なら嫌だって言えよ」
俺が言うと、ゴブリンは肩をすくめる。
「嫌っすよ。嫌に決まってるっす。
でも、人間って、車輪そのものより
『うちの一基』が欲しいんすね」
言い返せなかった。見事なくらいその通りだ。
レオンがようやく口を開く。
「……君たちの森に、
上掛け三基で組めないですかね」
ゴブリンが顔を上げた。
「温泉湯もみと兼用で?」
「ええ。落差が取れるし、
あっちなら臭気も村から離せる」
そっちはそっちで、よほどまともな案だった。だがまともな案ほど、こういう場では後ろへ回る。まずは村の腹の内が優先されるからだ。
俺は雪を踏みながら、鼻を鳴らした。
正しい話は、いつだって途中で別の顔を見せる。紙を作るはずが、水車になり、水車を置くはずが、枠を取り、臭いを押しつけ、最後には誰が図面を引くかで終わる。
便利になる前に、まず人間の腹が動く。
水より先に、だ。
レオンは黙っていた。分かっているのに、止めきれなかった重さが残る顔だった。
ゴブリンが地面の線を消し、こちらを見た。
「オイラたちの森に三基……。
十二基より働くんじゃないっすか?」




