第27話 槍使い、冬越しの鍋を村へ起こす
1.
配給は続いていた。台帳に名前を書き、出した家と受け取る家を結びつけ、寄り合い衆が順番を決める。
前よりはずっとましだ。少なくとも、声の大きい家ばかりが得をする形ではなくなったし、病人や働き手を欠いた家が後ろへ追いやられることも減った。
でも、それで冬を越せるかと言われれば、話は別だ。
量を削って、配る。足りないものを、何とか薄く広げる。
理屈は分かるけど、神殿へ運ばれてくる人たちの顔を見ていると、それだけじゃ足りないんだと嫌でも分かった。
干し肉は固い。塩漬けの菜はしょっぱすぎる。黒パンは重い。元気な人が噛んで飲み込むぶんにはいい。
でも、腹を壊したあと、熱で弱ったあと、何日もろくに食べていない人には、この土地の食べ物は全体にハードすぎる。
食べなきゃ死ぬ。でも、食べても受けつけない。その間で、少しずつ人が削れていく。
その日、配給所の列の端で、老人がふらりと膝を折った。音もなく崩れた、という感じだった。慌てて誰かが支え、エレノアさんが駆け寄る。ディオンさんが周りの人を下がらせる。
僕も動いたけれど、手を伸ばすより先に、胸の奥で別のものが引っかかった。
……いきなり食わせると、体が拒む。昔、歴史の授業で聞いたな。
飢えたところへ、急に重いものや濃いものを入れると、身体が持たない。助けるつもりで与えたものが、逆に命取りになることだってある。
その言葉だけが、妙にはっきり浮かんだ。
だったら、重いものをそのまま入れちゃだめだ。量だけの話でもない。受けつける形にしなきゃ。
エレノアさんが目を伏せた。ディオンさんが低い声で何か指示を飛ばす。誰も間違っていない。列を止めないことも、配給を回すことも、今日をしのぐには必要だ。
でも、僕の頭の中では別の線が繋がり始めていた。
――冬を、我慢で越すんじゃなくて。
少しでも楽に越せる食べ方が、あるはずだ。
2.
僕はその足で、湯屋の奥に作った小屋へ向かった。温泉の熱気が籠もる、半分物置、半分実験場みたいな場所だ。
干した海藻、干しタラ、ひよこ豆のおから、吊るしたニンニクと玉ねぎ。隅には、温気に当ててどうにか育てている小さなカブと、チャイブ、それから名前もよく分からない青物。
冬前から少しずつ試してきたものばかりだった。
しょっつるの壺を持ち上げる。蓋を開けると、魚と塩の匂いが立つ。まだ若い。単体で使えば、たぶん大半の人は顔をしかめる。角も立ったままだ。
でも、もう細かいことを言ってられない。
いまは配給で空気が荒れている。ここで外せば、「またあの兄さんが変なことを始めた」で済まない。余計な反発を招く。
それでも、ただ干し肉と黒パンを薄くしていくだけじゃ、たぶん先に身体のほうが尽きる。
骨。端肉。干しタラ。昆布代わりのケルプ。香味野菜。ひよこ豆のおから。どれも主役にはならない。
でも、組み合わせれば支えにはなる。
塩気と香りで物足りなさを埋めて、湯気で鼻を起こして、柔らかく煮て腹へ落とす。土鍋なら少量でも嵩が出る。大鍋にすれば、手間は一つで済む。
頭の中で、ぼんやり輪郭ができていく。
減らす食じゃなくて、持たせる食。ひもじさを数えるための料理じゃなくて、弱った身体を受け止める料理。
そこへ戸口の影が揺れた。エレノアさんだった。僕の手元と壺と鍋を見て、すぐに察したらしい。
「また、何か始めるんですね」
「……はい。配る量をいじるだけじゃ、
もう無理です」
エレノアさんは怒らなかった。ただ少しだけ、困ったように眉を下げた。
「ディオンが警戒しています。
寄り合いを抜きで動くなって」
「分かってます。でも、
人が死なないほうを先にしたいです」
自分で言ってから、少しだけ変だと思った。前はきっと、正しさとか筋とか、そういう言い方をしたはずだ。でも今は違う。
数字の外へこぼれるものを、僕はもう見てしまっている。
人が死なない。
エレノアさんがいつも選んできたほうを、今度は僕が選ぶ番だった。
3.
最初に作ったのは、軽い雑炊だった。
骨を煮出した汁に、ケルプの出汁を合わせる。そこへ、ほんの少しだけしょっつるを落とす。魚臭さを前へ出さず、でも何か足りない、を埋めるために。
刻んだカブと青物を入れて、干しタラはほぐして沈める。粒の崩れた穀物とひよこ豆のおからを加えると、汁は少しだけ白く濁って、とろみがついた。
これなら、入る。
次に、小さな鍋。骨出汁を張って、干しタラと端肉を入れ、玉ねぎとニンニクを落とす。
煮える匂いが立つ。香りが先に腹へ届くような感じがした。
単体なら地味だ。というより、貧しい。正直、華やかさなんて一つもない。
でも、湯気の上がる鍋を前にすると、不思議と「食べる」という気持ちが起きる。
神殿で、まずは老人と病み上がりの人たちに出した。最初はみんな警戒した。見慣れない匂いがあるからだ。
でも、一口入ると顔つきが変わる。何だか分からないけど、温かい。柔らかい。腹へ落ちる。その感覚だけは、ちゃんと伝わった。
「……魚、か?」
「たぶん。でも、臭くないな」
「塩漬けより、ずっと楽だ」
そんな声が、小さく返ってくる。食べる速さも違った。噛むために力を使わなくていいから、匙が止まらない。途中でむせる人も少ない。
飲み込んだあと、身体の奥へじわっと熱が戻るのが、見ていて分かった。
土鍋は思った以上に効いた。中身は少ないのに、見た目にはちゃんと一食になる。
湯気と香りが、先に満たす。腹が一杯になる前に、鼻と目で「食べた」と思わせる。それだけで、人は少しだけ楽そうな顔をする。
神殿の隅で、エレノアさんが黙ってその様子を見ていた。ディオンさんは腕を組んだまま、列の流れと食べる人の顔を交互に見ている。
たぶん、また寄り合い抜きかと言いたいんだろう。でも今日は言わなかった。
代わりに、小さく鼻を鳴らした。
「……また、よく分からんことしやがって」
「まずかったですか?」
「逆だ。困るくらい、ちゃんと食えてる」
4.
その日の夜、湯屋の外を歩いていると、いつもより笑い声が長く残っていた。
大げさなものじゃない。鍋の話とか、匂いの話とか、「あれなら年寄りでも食えるな」みたいな、そんな程度だ。
でも、冬の入口の村で、食べ物の話が不満じゃなくなるのは、たぶんそれだけで大きい。
僕は小屋へ戻って、空になった鍋の底を見た。手応えは、あった。
食卓に初めて「楽しさ」が生まれた、なんて言うと大袈裟かもしれない。
でも実際、今日は我慢して食べる顔ばかりじゃなかった。何かよく分からないけど、うまい。もう一口いける。そういう顔があった。
それだけで、冬の景色が少し変わった気がした。
ただ、手放しで喜べるほど単純でもない。
エレノアさんは片づけを手伝いながら、ぽつりと言った。
「たぶん多くの人は、
『またレオンが何かうまいことした』
くらいにしか思いません」
「そうでしょうね」
「それでいいんですか?」
少しだけ考えて、僕は壺の蓋を閉めた。
「……いま、そんなこと
言ってられないです」
誰が考えたとか、誰が評価されたとか、分かってもらえたとか。本当は分かってほしい。でも、列の途中で倒れる背中を見たあとじゃ、優先順位が変わる。
冬越しくらいで、人は死んじゃいけない。
それだけで、十分だった。
外では、湯屋の湯気が白く上がっていた。冷えた空気の中で、それだけが少し柔らかく見える。
僕は鍋を抱え直し、次は出汁をもう少し丸くしよう、と考えた。
まだ足りない。まだ工夫できる。
冬は長い。でも、ただ耐えるだけじゃない形に、少しずつ変えていける気がした。




