第2話 市職員、緊急避難でオークを討つ
1.
悲鳴のした方に駆けだしてから、僕は二度ほど転びかけた。靴も、靴下もない素足。足の裏に小石や枯れ枝が食い込む。
痛い。よく見えない。それに、臭い。どう考えても、誰かを助けに行く格好でもない。仕方ない。現状のリソースをフル活用してるんだ。理解してくれるはず。
木々の間から、開けた場所が見える。眩しさに、目を細める。近づくにつれて、状況が見えてきた。
小道の右側が窪地になっている。そこに至るまでは、土手というより、崖。僕は身長一八五センチある。その僕がもう一人分、頭上に乗るくらいの高さだ。
小道の脇に、大きな岩がある。僕は岩に駆け寄り、窪地の方を見やり――思わず視線を逸らした。
(おいおい! マジか)
窪地は家一軒分の空き地くらいの広さ。真ん中に平らな岩。そして、岩の上に、若い女性が縛りつけられている。大の字に広げられた手足。着衣は……ない、ように見える。輪郭はぼやけているが、体勢くらいは分かる。
(勘弁してよ、もう)
その手前に、四つん這いの異形がいた。
(あかね市に、あんなのいたか?)
僕の脳が理解と把握を拒否している。身長二メートル半はありそうな、筋肉と脂肪でゴツゴツの怪物。僕と同じく腰巻一丁。っていうか、緑色の哺乳類、初めて見た。……哺乳類であれば。
岩陰からもう一度、窪地をうかがう。さっきの異形を確かめるためだ。
(緑色の……ブタ?)
コスプレでもない、着ぐるみでもない。特殊メイク? こんな朝から、何だっていうんだ。
そのブタが、前足を上げて上体を起こした。ひざまずいた格好で、女性に対峙する。
2.
「ブフゥ~ン……
これは、ゴブリンどもに
褒美をくれてやらんと
いけませんなぁ」
なんだ? ブタがしゃべった。やけに気障な、マーベラス、とか言いそうな口調。
「実に、マーベラスでゴージャスっ。
極上の朝食になりそうですなぁ。
ブフフゥ」
言いやがった。……それはさておき、ブタはスンスンと鼻を鳴らし、雄叫びを上げた。
「ブホッ、初物とは……
一粒で二度おいしいとは、
このことですなぁ!」
ブタの陰に隠れた格好で、女性の顔しか見えない。女性はすっかり諦めモード。目を閉じて、震えているようだ。
足裏に痛みをこらえながら、僕は槍だけを頼りに岩をよじ登り始めた。
説得? 仲裁? 無理だろう。警察も呼べない、来る気配もない。市民課の職員として、ブタを差別するわけではないが、どう考えてもこいつが悪者。だったら答えはひとつ。――女性の救出。
「待て待て我がムスコよ。
そういきり立つな。
朝食は逃げやせん。
……ボナペティ」
超確定。こいつだけは許さん。僕は槍を両手で握り、岩を蹴って飛び降りた。
3.
ドシュッ――
四つん這いになったブタの背中に、僕は馬乗りになる。そのまま全体重をかけて、槍の穂先をブタの延髄に突き立てた。
「ブウオオォ?! 何者ですかぁ?!」
ケダモノ臭がキツい。ベタベタに汗ばんでる。吐き気がこみ上げる。
それに、皮膚や肉が厚い。まともな生き物なら、これで致命傷のはずだ。――こんな相手を刺した経験なんてないから、断言はできないが。
「フォレストインプかぁ?!
コボルトかぁ?! ザコが、
下剋上など百年早いわっ!」
「うるさいっ、ブタぁ!
人間様にオイタするとか、
千年早いんじゃゴルァ!」
僕はたぶん、ものすごく荒ぶっている。市職員が年数マウントを取りに行ったり、不良のような言葉遣いをするなんて。――でも、こいつは、受付番号票を持った市民じゃない。
ブタは立ち上がり、背中に貼りついた僕を取り除けようと、木の幹のように太い両腕を振り回す。その腕をかいくぐりながら、僕は槍をさらに突き立てる。まるで、ロデオ。
「暴れるなゴルァ、
とっととくたばれっ!」
視界が揺れ、さらに吐き気がつのる。無断欠勤への鬱憤を叩きつけるみたいに、僕は自分なりの最上級の罵声を浴びせながら、ブタの延髄に槍を押し込んだ。
ブタが僕の肩をつかむ。やられた――そう思ったが、力が弱い。やがて、ブタの動きが鈍り、巨体がぐらりとかしぐ。
「ブ……ブボ……」
ドサッ――
ブシュッ――
ブタが地面に倒れ込んだ。僕は振り落とされて、地面を転がる。背中や腰に石が食い込む。痛さなど気にしていられない。また来るかもしれない。
僕は距離を取って、ブタを睨みつけた。ブタは痙攣するように手足をバタつかせると、うつ伏せのまま、それきり動かなくなった。
(死んだ、よな?)
僕は息を整え、ブタに近づいた。考えてみると、僕は自分の手で何かを殺した経験が、ほとんどない。せいぜいが、釣った魚くらい。――「緊急避難」だ。僕は、人殺しじゃない。こいつはブタの、それも怪物。
僕はブタの首から槍を引き抜いた。どす黒い血が勢いよく噴き出し、僕の上半身に降り注ぐ。熱いような、ぬるいような、嫌な感触。顔にもかかった。
「ぐはっ、このブタ、
死んでも人間様に
ご迷惑をかけやがるっ!」
僕は腕で目を拭った。視界がどす黒い。さて……。僕は岩の上の女性へ向き直った。
「大丈夫ですか」
息を整え、顔についた血をぬぐってから、僕はできるだけ穏やかな声を作った。
4.
「ヒィッ!」
そんな、殺生な。どうも彼女は震えているようだ。怖かっただろう。そりゃそうだ。僕だって怖い。怖いし、目が痛いし、臭いし、もう一刻も早く帰りたい。熱いシャワーを浴びたい。係長にも連絡しないと。
「怖がらせてしまって、すみません。
こいつ、ひどいブタですね。
えっと……服は?」
女性は身をよじり、そして、諦め切ったようにつぶやいた。
「早く……済ませてください。
できれば、苦しみたくありません」
「へっ?」
この人、何を言っている?
僕はいま、全力でこの人を助けたよね? 危害を加える気なんかさらさらない。何で加害者二号扱いされるんだ。
釈然としない僕は、そのまま立ち尽くす。背後から、雰囲気をぶち壊すのんきな声。
「オークのオヤビ〜ン、大収穫っすよ!」
――何だ、誰だ、次は?!




