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アカネガルドの槍使い ~市職員の辺境開拓年代記  作者: 早瀬 構
第一部

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第1話 市職員、異界の森で突然目覚める

1.


♪ピン……ポーン……


「えー……毎度、あかね市営バスを

  ご利用いただきまして、

  ありがとうございますぅ……


  次はぁ……あかね市役所前ぇ〜

  あかね市役所前で、

  ございますぅ……」


 二〇二五年三月三十一日。


 いつも通りの朝、いつも通りの月曜日。郵便局の液晶パネルが示す時刻も、いつもとほぼ同じの「〇七:三五AM」。


 僕――渡辺伶音わたなべれおんは、間延びしたアナウンスを聞きながら、車窓の向こうを眺めた。


 あかね中央郵便局の入口が見える。この交差点を右折して三百メートル、そこで僕はバスを降り、職場に向かう。


 大学を卒業して、あかね市役所に入庁して、市民課に配属されて丸三年。今日も、順調に日常のリズムを更新できそうだ。


 マンネリ? 上等。無難で順調、最高じゃないか。


 誰かがボタンを押すし、運転手さんだって、誰かが降りることくらいわかってるはず。バスが右折を始める。


 よしっ。僕はすっくと立ち上がった。カバンを持って、つり革につかまり直した――はずだった。


2.


(……え?)


 頬に空気の冷たさと湿り気を感じる。それに、土と朽ちた葉っぱの匂い。僕は目を開いた。靄が顔を撫でる。


(ここ、どこ?)


 身体を起こす。立ち上がる。


パキッ――


 かかとに嫌な感触。僕は手を伸ばし、音の発生源をつまみ上げた。僕の、メガネ。


(マジか……最悪)


 裸眼視力〇・二で乱視持ち。僕の生活必需品が、パキッて。何とか……使えそうにない。ガッツリとひびが入ってる。メガネがなかったら仕事にならないじゃないか。はぁ……。


 辺りを見回す。


 輪郭がにじんで、全部が少しずつズレて見える。靄なのか、目のせいなのか分からない。


 ……森、っぽい。


 森っていうより、ゴミ捨て場だ。割れた土器、骨、布きれ……たぶん。ぼやけてよく分からない。メガネないの、ほんと不便。


(キャンプ場?)


 少なくとも、僕の通勤経路ではない。僕のアパートから市役所まで、森なんかない。木があるところなんて、児童公園と、大通りの並木くらいだ。


 僕は辺りを見回す。ゴミの上に黒いカバンが見える。僕のだ。拾い上げる。ちょっと臭い。生ゴミの匂いがカバンに移っている。腹立つ。


 僕は中身を確認した。


 電卓、メモ帳、ボールペン、タブレット、スマホ、ソーラー充電器、財布、市職員IDカード。OK、全部ある。


(いま何時だ?)


――二〇二五.〇三.三一(月) 〇八:五八AM。


 マジか! 係長に連絡しなきゃ!


(……圏外かよ)


 やられた。ここがどこかすら分からない。最悪、今日出勤できないかもしれない。無断欠勤。それも月末と年度末が重なる月曜日に。


 ……いや、まずいだろ。これ。


 下手したら、昇任どころじゃない。


3.


(仕方ない、腹くくろう)


 僕は気を取り直し、胸と尻を手で払おうとした。ちょっと待て、この感触――。


 スーツもシャツも、ない。ズボンも靴も、ない。……下も、ない。


(え、ちょっと待って)


 完全に、すっぽんぽんだった。


 頭が一気に冴えた。


 僕は反射的にカバンで前を隠した。人は、誰に見られていなくても、恥ずかしさからは逃げられないということを知った。それに、誰かが見ていれば大ごとだ。


――ハレンチ市職員、全裸で市中徘徊。


 今日び、市民全員がカメラマンで報道記者。こんなところを撮影されて、SNSにアップでもされれば、人生が終わる。マンネリをどうこう言う暇もなく。


(何か、ないか?)


 僕は腰をかがめ、ゴミ捨て場に顔を寄せた。


(くっさ!)


 土器、石の刃物、妙に粗い編み籠。令和の不法投棄になさそうなラインアップ。そして、漏れなく臭い。折れた槍まで落ちていた。金属部分が残っていて、柄は途中で裂けている。


(これ……危ないだろ)


 刃渡りが……三十センチメートルほどか。銃刀法違反じゃないか。悪質な投棄事案。いや、いまは僕の現状がよっぽど事案だ。優先順位を間違えるな。


 僕は、比較的ましな、獣の皮らしきものを見つけた。一応、ちゃんとなめしてあるようだが、ゴミの匂いがたっぷり染み込んでいる。


(仕方ない)


 これを「服」認定すると自分のプライドが傷つくようで複雑な気分だが、僕はため息をついて、それを腰に巻いた。かゆい。何かいるぞ、これ。


 僕は折れた槍を拾う。護身用だ。森の中で腰巻一丁、裸眼視力〇・二、通信不能。槍が落ちているような場所で、何が起こるか予測もつかない。


(とりあえず、ウチに帰ろう)


 ウチに帰って、服を着替えて……係長に連絡しなくちゃ。僕はカバンを左手に、槍を右手に持ち、腰巻姿で小道を歩き始めた。


4.


 森の小道を歩く。出口が見えない。まさか木々に分け入るわけにもいかないし、こんな森……っていうか樹海、あかね市にあったか? くろがね山でも、こんなじゃない。


 とにかく、木が多すぎる。靄が濃い。ところどころ太陽の光が差し込んで、幻想的な雰囲気だ。こういう風景を好む人は、写真を撮ってSNSにアップするんだろう。


 僕は、それどころじゃない。


――戸籍の相談が何件か。

――転入の予約も入ってる。


 ……今日、絶対バタバタする日だ。


 主任がようやく見えてきたこのタイミングで、無断欠勤? 笑えない。


 やたらと木の根に足を取られる。しかし、朽ちた落ち葉を踏むって、悪くない。アスファルトよりふかふか。ボーイスカウト活動を思い出す。


 鳥の声か、獣のうなりか、よく分からない音がする。僕は槍を握り直した。手汗がひどい。


 ふっと、音が止んだ。


「やめて……放しなさいっ!」


 小道の向こうから甲高い悲鳴。女性の声だ。短く、鋭く、助けを求める声。


 僕は立ち止まった。もう嫌、ここまででお腹一杯なのに。しかし、僕の足は勝手に動いていた。


 市民課職員が、市民の悲鳴を聞いた。無策で通り過ぎました――アウトだろう?

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