プロローグ:計算高い少女と、呪われた少年
(――10年前、レオフルート王国・王宮庭園)
その日、私は父の外交公務について隣国の王宮を訪れていた。
退屈な大人たちの挨拶回りを抜け出して庭園を散策していると、薔薇の生垣の陰で、うずくまっている少年を見つけた。
「……う、あぁ……っ」
少年は苦しそうに胸を押さえ、脂汗を流している。
黒髪に金色の瞳。間違いない、この国の第一王子、アルフレッド殿下だ。
だが、私の目は彼の身分よりも、その身体を取り巻く『黒い靄』に釘付けになった。
(あれは……『蝕みの呪い』? 文献でしか見たことがない古代術式だわ。実物は初めて見る)
私は興奮で少しだけ早足になり、彼のそばへ歩み寄った。
放置すれば、彼はあと数分で死ぬだろう。
隣国の王子が死ねば、この場所にいた我が国にも「管理責任」だの「暗殺の疑い」だのが降りかかり、父の立場が悪くなる。それは我が家の資産運用においてマイナスだ。
それに何より――。
(あの呪いの構造、もう少し近くで観察したい)
私は膝をつき、怯えたようにこちらを見る少年の手を取った。
冷たくて、震えている手だ。
「……き、み……にげ……て……」
「静かになさい。データが取れないわ」
私は彼の手を両手で包み込み、自分の魔力回路を接続する。
ズズズ、と黒い靄が私の腕を這い上がってくる。焼けるような激痛が走ったが、私は口角を上げた。
(なるほど、生命力を糧に増殖するタイプね。なら、私の膨大な魔力を餌にして、半分ほどこちらの体内に誘導すれば……術式を分散・保存できる)
激痛に耐えながら術式を書き換える。
私の腕に、呪いの証である茨のような刺青が浮かび上がった。
少年の呼吸が、次第に穏やかになっていく。
「……どう、して……」
少年が、金色の瞳で私を呆然と見上げていた。
呪いの黒い靄に触れても逃げず、痛みを引き受けてくれた私を、まるで何か聖なるものでも見るような目で見ている。
「僕を、助けて、くれるの……?」
「勘違いしないでくださいまし」
私はハンカチで額の汗を拭いながら、冷静に言い放った。
「あなたの死体が見つかると、我が国の外交問題になりますの。それに、この希少な呪いのサンプルを採取できたのは、私にとって利益ですわ」
だから、恩になんて着なくていい。
そう言って立ち上がろうとした時、少年が私のドレスの裾をギュッと掴んだ。
「……絶対に、忘れない」
熱っぽい瞳が、私を焼き付けるように見つめる。
「君が僕を救ってくれた。君が、僕の命だ。……いつか必ず、僕が君を迎えに行くから」
(……何を言っているのかしら、この王子様は。呪いの熱で脳がバグったのかしら?)
私は「はいはい」と適当に聞き流し、その場を後にした。
腕に残った呪いの痛みが、予想以上に厄介なものになるとは計算せずに。
――そして、それが10年後。
もっと厄介な「溺愛」という名の災厄となって降りかかってくることも、当時の私はまだ知らなかったのである。




