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『第十話・4:蒼き裁きに導かれて』

リリアの膝が、ふいに震えた。

地面に崩れ落ちそうになりながらも必死に耐え、胸に抱えたバッグをぎゅっと握りしめる。

だが視界の隅には、まだ焼きついていた。炎に包まれた廃墟で剣を振るい、淡々と破壊を繰り返す“もうひとりの自分”。


「……やめて……!」

声は祈りに似た悲鳴へと変わる。だが幻影のリリアは、返すように唇を歪め、血のように冷たい笑みを浮かべ続けていた。


(……っ! こいつ……!)

ワン太の中で、颯太が歯噛みする。

(違う……これはお前じゃない。リリア、見るな──心を渡すな。)


必死に叫んでも、声は布の内側で潰れる。

空気はぬるく、音だけが冷たく沈む。

代わりに──地の底から響く鐘の音が、幻影をゆっくりと持ち上げた。


──崩れ落ちる尖塔。

──瓦礫に沈む人影。

──笑みを浮かべる“破壊神のリリア”。


その笑みは炎に照らされてなお凍てつき、見ているだけで魂が削がれていく。

リリアの頬を涙がつっと流れ、震える唇から否定が零れた。


「……私じゃない……私じゃ……!」


否定は、水底の泡のように弾け、声の残骸だけが胸の奥に沈んでいく。

幻影は剣を振り下ろすたびに、現実の胸を内側から叩き割るように衝撃を返した。

痛みは肉ではなく、心臓の形そのものに伝わる。


──ゴゥン……ゴゥン……


地下の鐘の音が、幻と現実を重ね合わせる。

鼓動と遺跡の脈動と幻影の笑いが、ひとつの律動へと融けていく。

空間は軋みを上げ、石の壁さえ呼吸しはじめた。

世界そのものが、彼女の否定を飲み込もうとしていた。


(……やばい。これ以上は──!)

颯太が叫ぼうとした瞬間、リリアの唇が震えながら紡いだ。


「……わたしは……誰……?」


その言葉に合わせるように、足が意思とは無関係に一歩を踏み出す。

「……あ……れ……?」

視線は幻影に釘付けのまま、身体は糸を引かれる操り人形のように進んでいった。


(……違う……リリア! 行くな!)

颯太の叫びは届かず、少女の背中は止まらない。

遺跡そのものが彼女を抱き込み、光の渦の中心へと吸い寄せていく。


リリアの心臓が、ぎゅっと縮む。

足元からせり上がる冷気が背骨を這い、拳は白くなるほど握りしめられ、爪が掌に食い込む。

皮膚は粟立ち、視界の端で色がゆっくりと剥がれ落ちていく。


──映像が、突然まばゆい光に塗り潰された。


白が爆ぜ、世界の輪郭が音を立てて崩れる。

色も音も温度も吸い込まれ、世界が“無”の白紙に戻される。

耳鳴りが広がり、喉は焼けるように乾き、呼吸すら自分のものではなくなる。

時間さえも呼吸を止め、ただ“光だけ”が存在を主張していた。


そして──次の瞬間、現実へと引き戻された。


気づけば、そこは大広間だった。

天井の見えないほど高い空間。闇に溶け、その高さは、まるで空そのものを切り取り、封じ込めたようだった。


中央には、蒼く脈打つ結晶。

淡く光を吐き出しながらゆるやかに回転し、その鼓動が空気の粒ひとつひとつを震わせている。

一閃ごとに床の石紋が波紋のように揺れ、広間全体が巨大な心臓の内壁のように息づいていた。


周囲を囲む六つの記録柱は、円陣のごとく結晶を守っている。

刻まれた紋様は青白く浮かび上がり、遠い祈りのような古代語の囁きが、耳ではなく骨へと染み込んでいく。

低く歌う残響は、まるで神殿そのものが呼吸をしているかのように空間を揺らし続けていた。


リリアは息を呑んだ。

幻の残光がまだ瞳の奥に揺らぎ、涙で濡れた頬は冷たい。

足元は覚束なく、今にも崩れ落ちそうなのに──

それでも結晶の光は、母の手のように柔らかく彼女を包み、静かに手招いていた。


(……今の映像は、ただの幻じゃない……リリアの精神を削り、ここに導くための“記憶”……!)


颯太の胸の奥がざわめいた。

守りたい。けれど──

その瞬間、焼けた鉄を押し当てられたような痛みが、自分の心臓にも走る。

リリアが感じている恐怖も、焼けた匂いも、悲鳴さえも“共有”されていく。


(……やめろ……! 俺まで引きずり込まれる……!)

光が、意識の奥を無理やりこじ開け、心臓の鼓動を奪っていく。

リリアを支えようと伸ばした“意識の手”が、そのまま光に呑まれ──

二人の境界が、音もなく擦り切れた。


まるで、魂と魂を結晶が一本の糸で縫い合わせていくようだった。

痛みも記憶もひとつに混ざり合い、誰が泣き、誰が叫んでいるのかも分からない。


──この力は、人が触れていいものじゃない。

それでも、結晶の鼓動は止まらない。

まるで封じられていた“記憶の扉”が、ゆっくりと軋みを上げているようだった。

光は広がり、空気がわずかに震える。

世界の奥で、何かが目を覚まそうとしていた。


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