『第十話・3:封印回廊に映る、もうひとりの私』
石の通路は、ゆるやかに下っていた。
ひと足進むたびに、空気の温度が変わる。
湿り気が、ほんのすこしずつ冷たくなっていく。
「……なんだか、変な感じ」
リリアは呟く。けれど、歩みは止めなかった。
壁に刻まれた紋様は、進むにつれ明滅を始めていた。
青白い光が、呼吸のように脈打つ。
まるで、生きているかのように──
(……完全に“起動フェーズ”じゃねえか、これ)
ワン太の中で、颯太は眉をひそめる。
(リリアが触れただけで、動き出してる。……いや、“選ばれてる”ってことか?)
彼女の背を見つめながら、心のどこかに焦りが芽生えていた。
(昔の俺は、ここを──力でこじ開けた)
(でもリリアは……呼ばれて、通されてる)
(同じ“回路”に踏み込んでるのに、何もかも違う。……なんだよこれ)
リリアが、ふと足を止めた。
「……音がする」
静寂の中、微かな振動のようなものが足元を伝ってくる。
──ゴゥン……ゴゥン……
それは、地下聖堂の鐘が地脈を通じて鳴り響いているかのようだった。
石壁の内側で反響し、骨の髄にまで“心臓の鼓動”を流し込んでくる。
ひと響きごとに肺が揺さぶられ、胸郭の奥が勝手に震える。
「ねえ、ワン太。これ……」
リリアの声が届いた瞬間、胸の奥で何かが反応した。
(……聞こえてる。完全に、封印、動いてるな……)
ただ、静かにうなずくように──小さく首を傾けた。
返事はできない。けれど、確かに“そこにいる”ことだけは──リリアにも伝わっている気がした。
そのときだった。
空気が、一瞬、息を止めた。
世界が深呼吸をやめた瞬間、光がふわりと揺れた。
そして、リリアの周囲にふわりと魔素の粒子が舞い上がる。
蒼く淡い光。
だが近づくほどに、頬をかすめる冷気は針みたいに鋭く、耳の奥にチリチリとした耳鳴りを残した。
風のない空間で、まるで意志を持つかのように、彼女の周囲を渦巻いていく。
その粒子は光でありながら、同時に“影の欠片”でもあった。
刹那ごとに形を変え、瞼の裏で残像が燃える。
まばたきひとつのあいだに、世界が反転する。
「……なにこれ……?」
リリアが指先を差し出すと、魔素の粒は吸い寄せられるように集まり──
──記憶が、揺らいだ。
「……あれはなに?」
思い出すよりも先に、映像が脳裏に焼きつく。
灰の空。崩れた尖塔。焼け焦げた都市の縁。
逃げ惑う人影、その全てを飲み込む炎と衝撃波──
そして、その中心に立っていたのは──紛れもなく、自分の顔をした“誰か”だった。
手にした剣からは黒い雷のような魔力が溢れ、足元の大地を易々と砕きながら、すべてを消し飛ばしていく。
「……っ……これ、わたし……?」
胸の奥が冷たくなる。
呼吸が浅くなり、足先が震える。
石畳を踏み外しかけ、慌ててバッグを胸に抱き寄せた。
指先は氷のように冷え、布の感触すら遠のいていく。
知らないはずなのに、確かに“この手”が覚えていた。
剣を振る重み、地面が砕ける感触、焼けた風の匂い──全部、自分のものだった。
「……私、こんな顔……したことない……!」
声は震え、喉がひりつくほど乾いていた。
鏡を覗き込んだときの自分の仕草と重なって見え、否定すればするほど恐怖が増していく。
胸の奥で、何かが崩れた。
(……これが……私? 私が……やってきたこと……?)
否定したいのに、映像はあまりにも鮮明で、嘘を挟む隙間がない。
記憶はない。けれど、この感触、この剣の重み、この足元を砕く衝撃……身体のどっかが覚えてる。
──その瞬間、胸の奥で“もうひとりの自分”が笑った。
冷たい指先で心臓を撫でられたように、全身が総毛立つ。
(……やめろ……こんなもの、見せるな……!)
颯太の胸にも、あの日の感触──血の匂いと焦げた風が蘇る。
リリアの肩の震えが、布越しに伝わってきた。
(……助けてやりてぇ……! この手が届くなら、どんな罰だって受ける……!)
(泣くなって言ってやりてぇのに、声が風にもならねぇ……!)
(せめて今だけは――その痛みを俺にくれ……!)
その沈黙を縫うように、いくつもの声が重なる。
──“これが本当のあなた”
──“忘れてはいけない”
──“剣を振れ”
──“壊すことが、救いになる”
──“それでも、手を伸ばすのか?”
甘いのか苦いのか分からない響きが、呪いみたいに心臓を締めあげてくる。
炎に包まれた街。
瓦礫に沈む人影。
剣を振るたびに、世界の色が失われていく。
そのすべてが、鏡に映る自分の仕草と重なって見えた。
「……違う……こんなの……私じゃない……はず……!」
声は震え、涙が視界を滲ませる。
だが耳の奥では、誰のものとも知れない声が絶え間なく囁いていた。
──“そう、これが本当のあなた”
──“お前は破壊者だ”
──“受け入れろ”
──“それが、お前の運命”
否定しても、その声は消えなかった。
むしろ──甘く、重く、心臓の奥を撫でるように絡みつき、呼吸の隙間まで締めあげていく。
(……違う……お前は、そんなんじゃねぇ……!)
颯太の叫びが、ぬいぐるみの布の内側で震えた。
だがその音は届かず、リリアの瞳には、光と闇の狭間で微笑む“もうひとりの自分”しか映っていなかった。




