第4話 統治者の焦り
【登場人物】
・紀伊 露草…学校帰りに桜にナンパされて「雲世界」に飛ばされた少年。剣道をしていた。
・矩…「雲世界」で出会った男勝りの少女。魔力を持つが過去のトラウマから使えない。
・夕凪…矩と一緒に暮らしている青年。露草の師となる。
・樹氷…矩の兄。露草に身体の元を貸出中のため実体がない状態。
・刃璃…「雲世界」の現統治者。露草と矩と同じ年頃の少女。
・朝凪…夕凪の双子の兄。
・凩…樹氷の旧友で楽天的な性格。これでも統治者の右腕とよばれる一族の一人。矩の師となる。
「何だ、凩、夕凪」
刃璃は部屋に留まった二人に訊ねた。先程のピリピリとした空気はない。
朝凪は部屋の奥の壁にある窓から、城下町を見下ろした。
丁度、城門に向かう二つの影が見えた。恐らく露草と矩だろう。余程急ぎ足だったのか、早く出口まで辿りついたらしい。
「なあ刃璃。何を焦ってるんだ?」
凩の声に、窓の外の景色から室内へと視線を戻す。
刃璃がふっと笑った。
「焦っている? 我が? 何を?」
「それを訊いてるんだよ。夕凪が残った理由もそれだろ?」
凩がちらと夕凪を見遣ると、彼は小さく頷いた。
朝凪は特に口を挟まず、成り行きを見守ることにした。
刃璃は暫く黙っていたが、やがてふーっと息を吐き出した。
「誤魔化しは効かぬと言いたいんだな」
「誤魔化していられるほど悠長な問題なら良いんだけどな?」
凩が浮かべる笑みの種類がいつもと違う。
(たまには鋭いところを突くじゃないですか)
朝凪の視界に映る凩に、不思議と彼の父親の姿が重なって見えた気がした。
「朝凪、あれを」
「はい」
刃璃の指示を受け、朝凪は壁端の小さな机の上に置いていた一つの分厚いファイルを手に取った。刃璃の前に置くと、彼女は中身を開いてパラパラと捲り、数枚の紙の束を取り出した。
「これは雲世界異変記録だ。前統治者がまとめていたものに、我が少し付け足したものだ。――朝凪、説明を頼む」
「分かりました」
朝凪は記録の束を受け取ると、今から五年前の記録のところから話し始めた。
「五年前の出来事は覚えていますよね。あの、黒煙の一件を」
途端、凩の表情が無になったのが分かった。
「あの一件では、多くの負傷者、死人が出ました。また、住居なども一部被害が出ています」
「忘れるわけがねえ」
凩が握りしめた拳が小刻みに震える。
「……そうですね」
夕凪も静かに目を伏せた。
凩の場合は大事な師を亡くし、父親も表舞台から姿を消すことになった。夕凪の場合は、世話になった樹氷と矩の両親を亡くした。
(大切な人を亡くした者の気持ちか……)
こんなことを言っては薄情だと思われるかもしれないが、今の朝凪にとって彼らの気持ちに同情できるかというとそれは否だった。
大切な人を亡くすというのは、とても辛く悲しい出来事で、喪失感もすごいのだろう。――そう理解することはできる。だが、共感まではできないのだ。
朝凪だって、大切な者たちを亡くした経験はある。自分の両親や世話になった者たち、数え上げればきりがない。何せ、五千年も生きているのだから。五千年の間に、周りの者は死んでいき、また新たに生まれて来た。その繰り返しに、すっかり慣れてしまっていた。
(いつの間にか、側にいた者が死んでも、涙も出なくなっていたな)
感情が麻痺してしまったように、心揺さぶられることがないのだ。
だが、一方で、目の前にいる双子の弟は違うのである。
同じ五千年という月日を生きていながら、大切な者を亡くした時には悲しみ、時には涙も流す。樹氷がいなくなった時など、朝凪も気にしてしまうほど気落ちしていた。
――どうしてこうも違うのだろうか。
「朝凪?」
ふいに刃璃の声が聞こえて我に返った。気付くと他の三人が不思議そうに朝凪を見つめていた。――自分としたことが、いつの間にか考えに耽っていたらしい。
「珍しいな、朝凪がぼーっとしてるなんて」
刃璃はむしろ少し面白そうに笑った。
「失礼しました。続けます」
朝凪は再度、記録紙に目を落とした。
「あの黒煙の件は、魔力を持つ者を中心に被害が広がりました。そしてその日は、『記念祭』の前日でした」
「『記念祭』の前後はどうしても祭の準備やらで隙ができるし、高揚した人々の気も緩んでいる」
刃璃が補足すると、夕凪が相槌を打つように言った。
「それでは、今年も『記念祭』の前後が危ないと?」
「露草が来たタイミングを考えても、その可能性が高いのではと考えている」
雲世界にとって大きな祭である『記念祭』。そして露草がこのタイミングで現れた理由。――何かが動くならここなのではと推測する。
「なるほどな。だから何が何でも、一刻も早く矩には魔力を使えるようになってもらわなきゃなんだな」
納得したとばかりに凩が金髪の髪をかき回した。
「『記念祭』まであと三週間ほど。前後となると、多く見積もっても二週間くらいか」
「結構きついだろう?」
刃璃が肩を竦めるのに、凩は盛大なため息を吐いた。
「きつすぎるだろ。矩の現状、ちゃんと分かって言ってる?」
「分かっていても、お前にどうにかしてもらうしかない」
「そんな無茶苦茶なー」
「普段無茶苦茶なお前がそんなことを言うとはな」
刃璃は、あははと声を出して笑ったが、その目は笑っていなかった。
「最悪、矩が魔力を使えないとなったらその時は仕方がない。我やお前が頑張るだけだ」
「……はいはい。どうなってもお前や弟子を死なせはしないよ」
凩は適当に返したが、言っていることは大げさでなく本気だろうということは朝凪にも分かった。統治者の右腕として、そして一度引き受けた師の役割は果たす、それくらいの男ではある。
「夕凪、お前は露草にできるだけの技を教えておけ」
「分かりました」
元からそのつもりであっただろうが、改めて刃璃に言われた夕凪は神妙に頷いた。
「ちなみに、今のところ桜の消滅に関しても大きな動きはない。そうだな、朝凪?」
「はい。相変わらず消滅は続いてますが……」
毎日魔獣狩りをしながら見て回っているが、特にこれまでと比べて目立つ異変はない。
「――と、まあ以上が、お前らの言う我の焦りの理由だ。質問はあるか?」
凩と夕凪が首を横に振るのを見て、刃璃は息を吐いた。
「二人とも、何かあればすぐに我か朝凪に知らせるように」
凩と夕凪が部屋を出て行くのを見送ると、刃璃はどっと疲れたように椅子の背もたれに凭れ掛かった。
「新しいお茶でも淹れましょうか」
「……頼む」
朝凪が茶の用意をして刃璃の前に戻ると、彼女は何やらぶつぶつと呟いていた。
「凩の師・春霖は人の言葉を喋る魔獣にやられたのだったな……」
刃璃の視線の先には、例の雲世界異変記録の紙がある。
「……父上が早死になどするから我が悩まなければならなくなるんだ」
恨みがましい少女の声が朝凪の耳に届いた。
***
紀伊露草……紀伊露草……紀伊露草……――
「雲世界の統治者が選んだ者、か――」
一匹の魔獣がニヤリと笑った。黒い毛に覆われた、大きな熊のような体に太い四肢、鋭い爪。右の肩の辺りに、鋭い何かで引っ掻いたような傷跡が残っていた。これは五年前、まだ二十歳にも満たない少女と戦った時につけられた傷である。
『鷹様。今日は五本の桜を消滅してまいりました』
目の前に、同じような魔獣が現れる。ただし声は頭の中に響くように伝わった。
「よくやった」
鷹と呼ばれた魔獣は目の前の魔獣を褒め、再び見送った。
彼らが現在いる場所は、雲世界の北端の崖の裏にひっそりと作られた洞窟であった。生前、死ぬ間際に魔術で『あるはずのない洞窟』にしてあった。つまり、見つからないようにしてある。
それでも魔術を維持するだけの魔力も限界に近付いていた。バレるのも時間の問題だろう。
「小娘の統治者如きにそう簡単にやられはしないがな」
魔獣は、くっくと笑う。
「さて、選ばれし者は何をもたらすのか――」
どんな者なのか、すぐに知る機会は訪れるだろう。
「何者が来ても関係ない。今度こそ、我らの世界にしてみせる」
魔獣の口元に、人間が浮かべるような笑みが浮かんだ。
ここまで読んで下さってありがとうございます。矩ちゃん、頑張れ!全ては君にかかっているぞ。
(2026.10.20)




